占いの使い方
駆け寄ってくる笑顔の老人。だが、ひとつプリシラに訂正しておかなければなるまい。
「先に言っておきますと、あの人は旧知の仲ではないです」
「……へえ。共にイラインで有名。一緒に食事をしている姿が目撃されていて、さらに武器の貸し借りまで出来る仲で、かな?」
「ええ。多分、その食事の日に知り合っていますので」
鎧が照り返し、影をさす顔に光が当たる。
スティーブンは一つも息を切らさず、僕とプリシラの目の前に到着した。
「なんじゃ、こんなところで。まったく、探す必要もなかったのう」
「そうですね。スティーブン殿の鎧もですけれど、僕の服もやはり目立つようです」
オルガさんに以前注意された、その場に合わせたドレスコード。今でもあまり気をつけていないのが申し訳ないが。
「しかし、こんな朝早くにいらっしゃるということは、前の街から夜通し歩いてきたんですか?」
「おう。夜通しでもないが妙に目が冴えてのう。日が出る前に宿を立ったわ」
「それはそれは」
宿の人も大変だったろうに。朝食を食べてきたのかきていないのかはわからないが、朝の準備の最中に飛び出してきたとすれば気の毒だ。
今気がついたかのように、スティーブンはプリシラに目を向ける。邪気のない目だ。
「で、こちらの娘さんは?」
「ひひ、娘さんだなんて嬉しいことをいってくれるね。スティーブン・ラチャンス様、であってると思うけど……」
その言葉に応えたプリシラは、スティーブンの名前を吐く。僕が名前を口にしたとはいえ、やはり知っていたか。
そして、その言葉が嬉しいのだろう。スティーブンは目を輝かせた。
「いかにも、儂じゃ! こんな遠いところまで儂の名が伝わっとるとは驚きじゃが、娘さんも目が高い!」
がははー、と奥歯を見せてスティーブンは笑う。その仕草に、プリシラの片頬が少しだけ上がった。
「私はプリシラ。かの高名なスティーブン様にお目にかかれて光栄ですね。以後お見知りおきを」
握手のための手を差し出す。友好的なその仕草。そこに友好が含まれているかどうかはわからないが、明らかにそれだけではあるまい。
その手を疑う様子も見せず、スティーブンは握る。プリシラはその手の甲に左手も添えて、一度上下させてから手を離した。
「私は占い師をやっていまして、……そうだ、ここでお会いしたのも何かの縁。占って差し上げましょうか。スティーブン様のこれからと今、それにこの後について」
「……ふむ?」
指し示された椅子に、素直にスティーブンは座る。
特に変わったこともしていないが、やはりどこか空気が違う。プリシラは空気を支配し、人の動作を操作しているというか、そんな気がする。
占い師とはそういう職業だとも思うが。
プリシラに言われるがまま、スティーブンは手を差し出した。その手に刻まれた皺と傷は、それだけでそういう技能を持たない僕も、なんとなく何かが読み取れる気がする。
「スティーブン殿は。これまでずいぶんと波瀾万丈の人生を歩んできた様子。農家に生まれ、上には……お兄さんが一人。家を継げずに大変な思いをされているようで」
「……そうじゃな。あれはもう六十年以上前になるのかのう……。成人を期に、親父に家を出ろと……」
「そうして選んだのが剣の道。ですね」
「おう、凄いのう。どこからそんなことがわかるんじゃ?」
子供のようにスティーブンは喜ぶ。いや、プリシラは何も不思議なことを言ってはいないのだ。
一代で剣術の流派を築き上げた人物が、自分の人生を『波瀾万丈ではない』とは言わないだろう。もし言っても、その業績を指摘して喋らせれば軌道修正が効く。
それにその他は、以前からスティーブンのことについて知っていれば可能なことだ。特に、プリシラは僕のことを知っていた。イラインで活動している僕を。ならば、イラインに月野流道場を持つスティーブンについて知っていてもおかしくないだろう。
そして、剣の道を選んだのも、むしろそうでないわけがない。
だが、本当に素直にスティーブンは信じ込む。なんというか、悪徳商法に騙されている老人を見ている気分だ。別にまだ何も売りつけられてもいないんだけど。
「私は手を見て人の運命を読み取るというのが売りでしてね。ほら、たとえばここの線。大きく歪んでいますが、これはつまり、二十年ほど前に何かあったということ」
「……二十年ほど前……というと、あれか!」
「ええ。しかもこれは網目状。多大な戦功をお上げになったようで。なるほど、それで道場を建てられた……」
「おお!」
本当に信じ込んでいる。有名な話というのも自分で覚えていないのか。
「また、首……か、腰か……いや、膝かな……? 重そうに見えます。どこか悪いのでは?」
「おう、そうじゃのう。最近肩が重くてのう……朝なんか、強ばって動きが悪くなることも……」
「それは首から来ていますね」
ゆったりと頷き、プリシラはそう言い切る。
……若干雲行きが怪しくなってきた気がする。
プリシラは肩とは一言も言っていないのに。
「凄いのう。手を見るだけで、そこまで言い当てられるとは……占いというものも侮れん」
「ひひ、ありがとう。だけどまだ、これからですので」
そう一言断り、プリシラは少しだけ目を険しくしてスティーブンの手を撫でる。何故だろうか、ほんの少しだけ空気が変わった気がした。
「……そんなに怖がらなくてもいいのに」
「お?」
少しだけ低くなり、そして優しくなったプリシラの声音。その声にスティーブンも何か気がついたのだろう。少しだけ、居住まいを正した。
「貴方はこれから無理をしようとしている。でも、それはやめたほうがいい」
「何故じゃ?」
「恐怖は判断力を鈍らせる。貴方のしようとしていることは賭けだ。それも、勝てることのない、ね」
優しい声音で吐き出された忠告。それも、先ほどまでの言葉とは明らかに違う内容の。
僕はその言葉にドキリと胸を震わせる。
……これは、僕もこの空気に飲まれていたということか。横から見ていただけなのに。
気を取り直して、スティーブンの横顔を見る。スティーブンも何か思うところあったのか、、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「ふ、ふふ、何もかもお見通しというわけじゃな」
「何もかもじゃないよ。わかることだけさ」
プリシラは息を吐く。自分の予言に対する返答がわかっているかのように。
その言葉に応えるように、スティーブンは顔を上げた。
「じゃが、結果が見えていようが儂は諦めるわけにはいかんのじゃ。いや、諦めたくはないんじゃよ。これは儂ら定命の者しかわからん感覚じゃがな」
「……ひひ。なら、もう止めはしない。絶望したら慰めてあげるから、また来るといいよ」
口調も客向けではなくなったのだろう。僕に対するような口調で、プリシラはそう言い放った。
スティーブンも席を立つ。先ほどまでの高揚はもう消えていた。
「感謝する、プリシラ嬢と言ったか。お主は腕の良い占い師のようじゃな」
「まだあるのに。続きは聞きたくないのかな?」
「おう。儂の知りたいことは知れた。お主に何を言われようとも、儂の心は揺るがんかった。つまり儂は、本当にそれを望んでいるんじゃ。それだけわかればよい」
スティーブンの決意の言葉。僕にはその意図はさっぱりわからなかったが、それでも二人の間ではわかったらしい。お互いに笑顔のまま、頷き合った。
そしてスティーブンは僕の方を向く。
「カラス、朝食はまだじゃろ?」
「え、ええ。これからどこか探そうと」
「では、どこかで一緒にとらんか? いや、一つ用事があるんじゃ」
真剣な顔は、今まで強引についてこようとしていた老人の顔ではない。
その顔に、僕は首を横に振ることは出来なかった。
頼み事。真剣なものならば、聞かなければなるまい。
「では、先に七星亭で待っていてください。少し僕もプリシラさんに用事があるので」
「助かる……んじゃが、七星亭ってどこじゃ?」
そうか、先ほど僕がプリシラに勧められていたから出した店名だが、スティーブンは知らなかったか。いや、それ以前に僕も場所を知らなかった。
プリシラに目を向ける。プリシラも僕の意を汲んでくれたようで、すぐにスティーブンと僕にわかるよう、身振り手振りも交えて説明してくれた。
「そこの大通りをまっすぐ行って、二つ目、大きな窓がある店のところを右に曲がって進んだところに看板があるよ」
「……わかった。では、カラス、あとでな。プリシラ嬢もまたお会いしよう」
「ひひ。次は客としてね」
その言葉には応えず、スティーブンはニヤリと笑った。
プリシラは手を振る。スティーブンの後ろ姿に向けて。
僕もその後ろ姿を見送って、プリシラに向き直った。
「……で、どこまで予定どおりだったんです?」
僕の質問に、プリシラは一層笑顔を強めて答えた。
「いや、ほとんど予定外だったよ。やはり、噂話だけじゃなく自分の目でも見なければね。そうか、そんなに最近だったんだね」
プリシラは反省するように何度も頷く。
やはりコールドリーディングだったか。しかも、失敗。
「特に深い意味があったわけじゃないから別にどうでもいい失敗なんだけど。これも、言いふらさないでもらえると嬉しいな」
「では口止め料として、最後の言葉の意味を教えてもらえますか?」
僕はそう口に出す。僕の要求は予想どおりだったのか、にやりとプリシラは笑った。
「一応これでも占い師なんでね。客の個人情報は喋れないよ」
「まあ、そうでしょうね」
僕も深く追求はしない。それに、これは聞くまでもないだろう。
「私に聞かなくても多分、この後スティーブンから話を聞けるだろう。そう予言しておこうかな」
「それも予言じゃない気がします」
それくらいは僕でも察せられる。こういう大事な話は、ろくなことじゃないだろうけれど。
それから優しげに、プリシラは目を細めた。もう見えなくなったスティーブンの後ろ姿を追いながら。
「ひひ、でも本当に、可愛いお爺さんだ」
「可愛い、というのはよくわかりませんが」
そういえば、ヴォロディアに関してもそう言っていた。元気ある老人に、精悍な青年。共に、とてもではないがそう評される人物像ではない気がする。
「そうでもないよ。まるで、私の弟みたいだ」
「弟さんがいらっしゃるんですか」
突然の暴露。いや、それも大した秘密ではないけれど。
「うん。占いの腕では私と同じかそれ以上だよ。自慢の可愛い弟さ」
クスクスと笑いながら、プリシラは言葉を重ねる。見栄えは良いこの女性の弟ということは、きっと美形なのだろうと思う。
しかし、これも営業トークだろう。
「今度ゆっくりと話してあげるよ。それよりも、早く行った方がいいよ。老人は食べるのも遅いとはいえ、待たせるのは可哀想だろう?」
「はあ、ではまたそのときに」
社交辞令に僕は返しておく。確か、自分の個人情報をそれとなくバラすのは占い師や詐欺師が客を信用させるときの常套手段だったはずだ。
あまり期待はしていないし、興味もない。それに、興味を持って自分からも情報を出してしまっては思う壺だろう。『このお守り、姉が作ってくれたんですよ』『お姉さんがいらっしゃるんですか。ああ、僕も三人兄弟の末っ子でしてね』という風に喋らせるための呼び水と聞いたことがある。
やはり、空気に飲まれてはいけない。
僕は襟を正すように、ローブの皺を一度伸ばす。
「それでは失礼します」
僕はそう言ってその場を立ち去る。
曲がり角を曲がるまで、振り返らぬよう自らを抑えながら。
やがて、言われたとおりに『七星亭』という看板が見えて、そして店も見つかる。
だが、店内を覗き少しだけ驚いた。
もしかしてこれは、プリシラも狙っていたのだろうか。そう思うほど作為的な偶然だ。
「おう、カラス、こっちじゃこっち!」
スティーブンが手を振る。その目の前には鹿肉のシチューだろう、茶色っぽい煮込み料理が皿に盛られて手つかずのままだ。
それはいい。僕は苦笑いをしながら手を振り返す。そう広くはない店内だが、あまり目立つ行為ではない。
だが、そのスティーブンの後ろの方で、緑っぽく長い黒髪の女性が料理を食べる手を止めた。
顔を上げる。後ろ向きに座っているため表情は見えないが、逆にそれが怖い。
「……カラス……?」
その女性から発せられた呟きは小さく、誰も聞こえてはいないだろう。だが確かにそう言った後ろ姿は見覚えがある。
グーゼル・オパーリン。こんな小さな食堂で、何故国の英雄が食事をとっているのだろうか。
足を止めた僕を不思議そうに見て、スティーブンは首を傾げていた。




