性急な改革
投稿間隔が最近乱れているので、近々どこかで調整しようと思います。
氷の彫刻、という印象だった。
流石に門扉は木製のようだが、氷で出来たように透明な門。見上げるようなその門をくぐると、目の前には大きな城がある。
歩いていくついでに門に触れてみても冷たさは感じない。けれど、これはやはり氷だ。
溶けもしないが、しかし魔力を通せば材質は水らしいとわかった。他に何か混ざってはいるようで、その正体まではわからなかったが。
造りは住居としての機能性より城としての実用性を重視しているのだろうか。
その門から通じる道はまっすぐに王城へは入らず、左に曲がって伸びている。そこから城の周囲をぐるりと回りながら上り、横から中に繋がっていた。
慣れたように、ヴォロディアはその道を上っていく。
前後についた衛兵も、この国特有の白い鎧を身に纏い、掲げた槍の石突きを道に落とすことなくついていく。
道も氷のようで氷でない物質。門と同じ。だが、入り口の門に使われているものに比べて色がついているように白く濁っている。踏んでも全く滑らないということは、普通の氷ではないのだろう。こちらも、手を当ててみても冷たさは感じず体温で溶ける様子もなかった。
中に入ってみても変わらない。火で溶けることもないようで、燭台が氷の壁に据え付けられてさえいる。その周囲に少しだけ煤がついていた。
そして、氷を使っている恩恵だろうか。夜になるまでその燭台はいらないらしい。
太陽の光が拡散されて、部屋全体が目映く光る。上を見れば人の動いている影がほんの少しだけ透けて見える。突き抜けてくる上空の光。青空ではないだろうが、天井が青く染まって見えた。
遠くから見たときには、内部の卵形の何かが透けて見えたというのに、近くに寄ると見えないのは不思議なものだ。
しかし、本当に人気があるらしい。
大人二人が腕を広げたほどの広さの廊下。そこで人とすれ違うたびにヴォロディアは気さくに挨拶をする。
「おはようございます!」
「おう」
かしこまって頭を下げる官吏らしき男に、手を挙げて応える。一応対外的には王だということで挨拶など返さずともいいし、そもそもすれ違うことすら無礼なはずなのに。
官吏も、廊下の端に寄って片膝をついて待つのが礼儀のはずだ。少なくとも、エッセンでは。
ここリドニックでは違うのだろうか。
……いや、違ったらしい。
僕の疑問に答えるように、目の前で違う官吏が跪く。
こちらは挨拶をすることもなく、またヴォロディアから声をかけることもなく、ただ無言で通り過ぎていた。
こちらのほうが、僕の知っている礼には適っている。
だが、どちらの心中も穏やかではないようで、何の動作もないのに険悪な雰囲気が漂った気がした。
廊下を曲がり、ヴォロディアの視界から官吏が外れる。
僕もそれについていき、最後にたまたまちらりと官吏を見た。
「……野良犬風情が」
その口元は、そう言っていた。
やがて執務室だろう、こじんまりとした部屋につく。
壁には本棚が並び、その中には資料らしき紙束が詰め込まれている。
小さめの会議室といった印象の部屋。その中央に置かれた机には書類が積まれており、ヴォロディアが椅子に腰掛ければ大柄な体が埋もれるようだった。
「ごくろうさん」
そう一声かければ、衛兵達は頭を下げて声もなく立ち去ってゆく。
それと入れ違いに入ってきたのは、僕の見知った人物だった。
「お戻りになられましたか」
「おう。……ま、当然なんも変わりはねえよな」
その言葉の意味は、通常通りのものだけではないだろう。『自分がいない間に何か起きていないか』という質問の他に、明らかにその書類の束についても言っている。若干の皮肉を込めて。
「いいえ。先ほど確認していただきたい書類が二つ増えました。どちらもヴォロディア様の発案なされたムジカルからの鉄輸入に関してですので……」
その皮肉に真っ向から反対した女性のその言葉に、ヴォロディアは目を輝かせる。
「おう、任しとけ」
そして目の前の書類の山から、二つの書類を取り出すと、悠々と目を通しはじめた。
「……出来れば、差し迫ったものから確認していただきたいのですが」
「後でな。俺にはわかんねえから、もっとわかりやすく書いてくれりゃあすぐ読むよ」
それだけ言って書類の方に没頭するヴォロディアに、隠そうともせずマリーヤは溜め息を吐いていた。
やがて、書類を読み終えたヴォロディアはマリーヤに目を向ける。
「鉄、また高くなってるな……どうにかなんねえかな……」
「そればかりはすぐにどうにかなるものでもありません。もっともどこかで高止まりしますので、問題も……まあ、そんなにはないかと……」
後半部分は、マリーヤも少しだけ自信がないようで、少しだけ辿々しかった。
そこをヴォロディアも察したのだろう、目の奥が光る。
「ほお、何故だ?」
「……仮に致命的なまでに高騰すれば、ムジカル側から介入があるでしょう。本来、再利用も出来る鉄が足りなくて致命的になるということはあまり考えられませんので、そこまでするかどうかもわかりませんが」
「この国が息絶えない程度には支援してくれるっていう、あれか」
椅子にもたれ掛かり、ヴォロディアは天を仰ぐ。誰もいなければ机に脚でものせていそうなほど、姿勢が悪い。
「気に入らねえ。なんで前王は自分たちの力で国を何とかしようと思わなかったんだ? いや、違えな。俺たちに負担まで負わせてたのに、なんで出来なかったんだよ」
「……それは……」
マリーヤも言葉に詰まる。それは多分マリーヤも同意見なのだと思う。
「俺は違う。前王とは違う。俺はこの鉄でこの国に力をつける。北方の魔物にも、南方の大国にも対抗できるような力を」
「それが、例のあれでしょうか」
淡々と、そうマリーヤは尋ねた。
『あれ』? マリーヤの口から出た言葉に僕は首を傾げる。何のことだろうか。言い方的には兵器か何かだろうか。鉄を使って作る兵器……剣、ではないだろう。まさか。
「ああ。そろそろ試作品が出来てると思うし、ちょっと行ってくる」
「え、ちょっと、お待ちを……!」
突然椅子から跳ね起きて、駆け出すように部屋からヴォロディアは飛び出していく。
それを止めようとするが、マリーヤも力尽くでは出来ないようで、ただその後ろ姿に手をひらひらと泳がせていた。
立ち尽くすマリーヤと、去って行ったヴォロディア。
マリーヤに姿を見せるべきだろうか。いや、先にヴォロディアの『あれ』とやらも見たい。
僕が悩む間に、また一つ溜め息を吐いて、マリーヤは目を瞑る。
そして本来ヴォロディアが座るべき椅子に、ストンと力なく腰を落とした。
……好奇心の発露は今回はいいだろう。
姿を見せることに決めた。そして、協力を仰ごう。その疲れた姿にそう思った。
「お疲れのようですね」
僕が声をかけると、「ヒッ」と小さく声を上げてマリーヤは顔をこちらに向けた。
「くせも、……カ、カラス殿?」
「お久しぶりです。マリーヤ様」
くせ者、と大声を出そうとした判断は機敏で、とても正しいものだろう。そして僕の姿を見てすぐに気がついてくれたのはありがたい。
いやまあ、今僕は普通に侵入者なんだけれども。
すぐに姿勢を正し、マリーヤは立ち上がる。
「お、お久しぶりです。いつこちらへ……」
「つい先ほどです。演説でヴォロディア様をお見かけして、後をついて参りました」
「そうですか……、いや、恥ずかしいところをお見せしたようで……」
書類の束に目を向けながら、マリーヤは机の前までそそくさと歩いて出てきた。
「お気になさらず。……というか、申し訳ありません。勝手に入ってきたのは私ですので、叱責しても衛兵を呼んでも構いませんが」
「ええ。ええ、本来はそうするべきなのでしょうね」
ふふ、とマリーヤは笑う。その目の下と耳の前の乱れた髪の毛に、疲れが見えた。
「ですが、この国のために、今貴方は必要だと私は考えております。そうであれば、少々の不法行為も大目に見ましょう」
「買いかぶりですね」
僕の行為が国のためになるかどうかもわからない。ヴォロディアの思考能力は元に戻るとしても、もしかしたらそれに関連して、皆に慕われている性格からして変わってしまうのかもしれないのだから。
「もしかしたら、人が変わってしまうかもしれませんが……」
「それならばそれでも構いません。ご自分からこの国を放り出してくれるのであれば、代理の者を立てるだけですから……」
マリーヤは書類の山を見てそう呟く。
実務に精を出さないのであれば、強制的に追い出すことは出来ないのだろうか。
追い出すというのも語弊がある。別に、王が全て事務仕事までやらなければいけないわけではあるまい。
「この国に帰ってきてから気がついたことが多い。本当に、私の目は曇りきっていたようです。どうして、あの男の言葉を疑いもせず受け入れてしまったのか」
マリーヤは嘆く。自分を責めているように。
「その言い方ですと、これもレヴィンの影響だと?」
「ええ。レヴィンが言っておりました。健全な国は、皆に喜びで迎えられた者が統治する国だと。軍事の長も、政治の長も、その一人が責任を持って執り行うのだと。文民統制……と言っていたでしょうか。ヴォロディア様は、それを真に受けてしまった。……これでもこっそりと、省いてはいるのですが」
なるほど。だからこその惨状か。
僕も机の上の書類を眺める。兵の調練の成果報告や、各地の農作物の収穫量。地方にある街の収穫祭の予算や、疫病の流行具合。
勿論必要なものもあるが、王が決済する必要のない書類まで王の下に届けられてしまっている、と。
僕も詳しくはないが、シビリアンコントロールとはそういったものだっただろうか。自信はないが、少し違う気がする。
「どこでそのようなことを思いついたのでしょうか。いいえ、そういう体系でも上手くいくことはあるかもしれません。ですが調べてみれば、あの男は爵位を持つ家の出だとか。ならば、革命直後の今はそんな場合じゃないことは予想がつくはずでしょう」
「……王制を廃し、国の代表を入れ札で選ぶというのも……」
やりたいのは、国民による投票。それは多分、僕にも馴染みのあった制度だ。
「その通りです。ヴォロディア様や革命軍を煽るためでしょうか。殊更に、人の平等性を説いておりました。そして、民主化し、選挙というもので施政者を流動化すれば腐敗など起こらないとも。ええ、ええ、理想的に運用できれば確かにそれは素晴らしいでしょう。しかし、今のこの国にはまだ早い」
歯ぎしりの音までさせるように、マリーヤは歯を食いしばる。
僕は先ほどの演説の時の観衆を思い出す。
何度も話されているはずなのに、民主化について初めて聞いたような反応を見せた観衆たち。一応頭には入っているのだろう。けれど、あの観衆達は政治に関する演説を聴きに来ていたのではない。ヴォロディアの演説を聴きに来ていたのだ。
僕はリドニック国民の考えはわからない。だが、マリーヤの『まだ早い』という意見。それが本当に正しいかどうかはわからないが、大筋は賛成だ。
まあ、それに関しては僕も口出しはすまい。僕はこの国の民ではない。意見は持っても、口出しするのはおこがましい。
「……ヴォロディア様はいつも何処でお眠りに?」
「塞室……といってもおそらくご存じありませんね。中央にある金色の卵状の部分、その上部にある寝室です。日が沈んでから夕食を召し上がり、その後花街に出て朝まで戻ってこないこともありますが、多分今日でしたら王城内を見回った後おとなしく床につかれると思います」
すると、夜まで待てば機会はあるということか。ならそれまでは他のものを見ておきたい。
「わかりました。ではそれまで私は適当に見て回るとしましょう」
「フフ、警備の目も何も気にせず歩き回るなど、剛胆といっていいのでしょうか。いえ、本当はとてもとても恐ろしいことなのですけれど」
冗談のようにマリーヤは呟く。だがその言葉は冗談ではない。僕は同意した。
「その通りですね。もし私がヴォロディア様を害しに来たのであれば、簡単にできるということですから」
まあ、それならば姿を見せる必要もないのだけれど。毒味後のヴォロディアの飲食物に毒を一垂らしすれば、簡単に終わる。
幸か不幸か、僕の言葉を本気にすることはないようで、マリーヤはただ笑って流した。
「ではそれで他の重要人物も探すとして……、あとはですけれど……」
レヴィンの影響を取り除くにせよ、それは皆夜寝静まってからだ。
だが、もう一つそれ以外に気になっていることがある。
「先ほどお二人が口にしていた、『あれ』とは何でしょうか」
「『あれ』、ですか……」
マリーヤは先ほどの会話を思い出すために一瞬黙り、それから軽く頷きながら眉を顰めた。
「『あれ』も、民主化のためにレヴィンが考え出したものです。民に力を持たせるために、どうしても必要だとか。そうです、それを作ろうとして、鍛冶職人であるヴォロディア様と知り合ったそうで」
「鉄を原料とし、鍛冶屋が作る。……けれど、先ほどの言い方では剣や槍といったものではなさそうですね」
「ええ。そんな簡単なものではありません。そうですね、ご案内しましょう。ヴォロディア様が先ほど向かった工房に」
また一つ溜め息を吐いて、マリーヤは部屋の外を見る。
「火薬を使い、焼けた鉄を撃ち出す装置。レヴィンは言っておりました。『これが完成すれば、民は歴戦の勇士と同等の働きをする』、と」
ああ、やはりか。
少しだけ嫌な予感はしていたけれど。
「あの男の使っていた魔法について、カラス殿はご存じのはず。それを模倣する装置です」
僕はその工房を壊すべきだろうか。そう一瞬思ってしまった。
僕の内心は伝わっていないだろう。マリーヤは続けて、何の気なしにその名前を口にする。
「それがレヴィンの言う『銃』というもの。説明だけではよくわからない代物かと思いますので、実物を見た方が理解が早いかと思います。参りましょう」
マリーヤの誘い。僕はなんとなく返事をする気になれず、ただ頷いて姿を消した。




