閑話:間違い探し
SIDE:聖騎士と
本編進まなくてすいません。
「ハハハハ! 見ろ! 大当たりだ!!」
晴天のリドニック。小さな街の青空に哄笑が響き渡った。
笑い声を上げた男は満面の笑みで、焼けた家を見つめる。
焼け崩れ、焦がした中の木材を曝け出したその家屋は、この街に一人暮らしていた中年男性のものだった。
男が笑ったのは、壁が崩れ、中が剥き出しになっているその家を見てのことではない。
だが、可笑しかった。こんなに早く尻尾を掴めるとは思ってもみなかった。
石ころ屋、カラスの犯行に間違いない。
笑った男、ウェイトはそう確信していた。
「火事があったのは一昨日の昼過ぎ。通行人が立ち上る煙を見て発見したそうだ。住んでいたのは近くで採掘師として勤めていたワレリー・アントノフ氏。四十二歳。見つかった死体も身体的特徴から彼で間違いないだろう」
「猟奇的な殺人。それに派手な火事。間違いないな。ああ、間違いないとも!!」
相棒のプロンデがそう補足するが、ウェイトは話半分で同意した。二人の会話が噛み合っていないことに気がついているのは、プロンデだけだったが。
だがそれを咎めることもなく、プロンデは続けた。
「……死因は腹部への切創だろう。おそらく動脈を傷つけられて、大量出血による失……」
「そんなことはどうでもいい!」
嬉しそうに、ウェイトはプロンデの話を遮る。
これも、プロンデが方方へ聞き込んだ末の情報であるのに。
そしてプロンデの情報から、ウェイトはその注目すべき点を挙げる。それこそが、いや、それだけがウェイトにとって重要なことだった。
「その少し前に、黒い外套を羽織った子供の姿が目撃されている。この国では黒い服を着るものなどいないにもかかわらずだ! 間違いない。カラスだ。あいつが道すがら殺しをしていった!」
短絡的。だがしかし間違ってもいないウェイトの言葉に、プロンデはしばし同意が出来なかった。まだいくつも検証すべき点がある。そう思い、その事件現場に思いを巡らせた。
「今まで何度煮え湯を飲まされてきたことか。だが、今回は違う。被害者は何の地位もない一般人で、およそ有力者と関わりを持ってもいない。この犯人として、奴を糾弾することが出来る。王城の件もイラインの件も含め、快楽殺人鬼カラスも一巻の終わりだ」
ハハハハ、とウェイトは笑い続ける。その遺体のことを考えれば、プロンデは笑うことも出来なかったが。
「しかし、何の目的で?」
いかにエッセン王国の聖騎士といえども、任務外でこの国に入っている以上、彼らは一般人だ。死体を見ることは出来ない。しかし実際に見ることは出来なかったが、話に聞くことは出来た。
その死体は、片手と片脚が切り取られていた。若干焦げていたため定かではないが、それも、死後に。
殺した後、死体を損壊させる。しかもその失った部位の行き先は未だわかってはいない。プロンデはそれが恐ろしかった。
「言っただろう。快楽に決まっている。行きずりの犯行で片手片脚を切り取っていくなど、正気の沙汰ではないことだ」
「……そうかな」
快楽殺人。それが正しいのかもしれない。ウェイトの断言に、プロンデも一瞬納得してしまう。
詰め将棋を楽しむように、ウェイトは腕を組む。
「問題は、どうやってこの男性宅に上がり込んだか、だ。被害者はどんな仕事を……」
「採掘師として働く関係上、夜明けに家を出て日暮れに家に戻る生活だったそうだ。つまり、アントノフ氏が殺されたのは夜間ってことだと思うが……」
「クク、そうか。闇夜に紛れて獲物を狩る。夜に飛ぶ烏らしい行動だな」
「……それはちょっと違うかな」
プロンデの推測に軽口で返したウェイトに、横から声がかかる。
寒気がした。気温の問題ではない。
無意識に腰の剣に手が伸びる。
ウェイトの顔が、憎しみと歓喜で歪んだ。
「フ、ハハハハハハ! こんなところで会うとは、本当に、本当に今日はツイているらしい」
「そんなに喜ばれても困るけど」
この、氷点下になる国に合わせて薄い青のコートを羽織る。聴覚を遮らないように、耳当てはつけない。
目撃されていた衣装はいつも同じ薄手のシャツ。だが今日はいつもと違う装い。だが、ウェイトは見間違えるはずがない。
「貴様らの命運も終わる! 長年の悪行のツケを、払うときが来たようだな!!」
「ヒヒヒ、どうだかね。死ぬべき時が来たなら死んでやるけど」
力強く、指をさされて行われた宣言。
その言葉を、レイトン・ドルグワントは涼しい顔で受け流した。
レイトンの軽口も気にせず、プロンデは問いかける。
「違う、ってのは」
ウェイトとの実のある会話は難しい。そう判断したレイトンはプロンデに応えた。
「カラス君がやったとするには時期尚早だと思うよ。そういう証拠は見つかった? 彼個人を示すようなものは、さ」
「……まだだ」
プロンデは一度息を吸い、肺を冷やしてゆっくりとそう口にした。
「じゃあまだ断定は出来ないね。火事があり、そこで刺殺体が見つかった。彼がこの付近で目撃された。その二つは本来関係のないものだ。彼がこの場にいたという証拠があって、そしてその刺殺体の死んだ時間を照合して、初めて効果を持つものだよ」
日光を髪が反射する。その艶のある輝きは、三十年前から少しもくすんでいない。
「……貴様が弁護してもなんの効力も持たないぞ」
「そうだね。でもそれは君の捜査も同じじゃないかな? 君たちに捜査権はないし、君たち聖騎士が持つ司法権は、仕事中に起きた紛争を円滑に解決するために付与されているものだ。仕事中に国内で今まさに起きた事件ならまだしも、既に起きた事件に対し国外で任務外に対応するのは酷い越権行為だ」
ウェイトは渋い顔で黙る。
微笑みを崩さないレイトンとは対照的なものだった。
「まあでも……」
レイトンは崩れた壁越しに視線を走らせる。
先ほど忍び込んだ衛兵の詰め所にあった事件の資料。そこにはなかった様々な情報がその目や鼻に飛び込んできた。
片付けられていない食器。
殆ど焼けて崩れているが、明らかに人為的にわざと散らかされた部屋。
竈に置かれた鍋に入っている骨。
もう一つ、ざっと汚れの落とされた鍋。そこから香るわずかな芳香。
頭の中で、様々な要素が組み立てられていく。ほぼ正確に。
「カラス君を追ってもいいと思うよ。彼も少し間違えた道に進んでいるようだ。たまには少しばかり痛い目見ないとね。もしくは事件を追うなら、過去に違う街で同様に手足が消えた死体がなかったか探してみるべきかな」
「貴様、仲間を売るのか!?」
レイトンの優しい言葉にウェイトが食ってかかる。
「ヒヒヒ。売るなんてとんでもない。そもそも仲間じゃないし」
「仲間を庇うためにこの場に現れたのは明白だろうが」
ウェイトの興奮は収まらない。無意識ながら既に手は剣の柄にかかり、風林の型の体勢は整えられている。
「そうじゃないよ。本当に偶然この街に通りがかったのさ」
レイトンも、後輩に思いを馳せる。
本当に、こういうときにはいつも絡んでくる少年だ。
モスクと名乗る少年と話し、カラスがこの国にいることは知っている。
その目的が四色の雪と周囲に漏らしてはいるが、本当はそうでないことも知っている。
だが本当に、ここでカラスの殺人に遭遇したのは偶然だった。
ただ自らの目的のままに衛兵の詰め所に忍び込み、その記録を読んだところで初めて知った。
今まで表面化していなかった彼の問題。ついにそれが表に出てしまった。そんなこの事件に遭遇したのは本当に偶然だった。
ツイている、とウェイトは言った。だがツイているのは誰にとってなのだろうか。
レイトン、カラス、ウェイト。この遭遇は、誰に利するものなのだろうか。
天佑、という言葉がレイトンは好きではない。
何か困ったときに天に縋るなどありえない。困難は自分の力で乗り越えていくべきなのだ。
だが、なんとなくあの少年にはそれがある気がする。
それは星を通し地上を見守るといわれる天の加護か、それとも月が欠けるたびに剥がれ落ちて地上を彷徨うという妖精の加護か。
ちょうど、このリドニックの北にある雪の嵐。その先には妖精の国があるという。
あの少年がここに来たのは、妖精に導かれたのではないだろうか。そう心のどこかで思ってしまうくらいには。
だがまあ、そんなことを問うてもどうにもなるまい。
そう考え、レイトンはその馬鹿げた考えを打ち切った。
「戯れ言を」
ウェイトの指に力がかかった。それを確認し、レイトンの唇が吊り上がる。
もうそろそろ、限界だろうか。そう感じて。
「怖いなぁ。ウェイト君だっけ。何の権利があって、通りすがりの善良なぼくに斬り掛かるのさ」
「貴様が覚えていないわけがないだろう。三十年前、我が友を殺した。その報いを受けるときが……」
勿論、覚えている。数千人を斬り殺した。殺した相手の顔と名前は、知ることが出来た分は全て覚えている。それがレイトンの責任の取り方だった。
だが、知らぬ顔でレイトンは答える。
「つまり、復讐ってこと?」
その言葉に、ウェイトの額の血管が切れた音がした。軽い口調、軽い言葉。ウェイトにとって、そんな簡単に口にしていい言葉ではない。
白刃が鞘から幾分姿を見せる。
だが、その手首を相棒が押さえた。
「抑えろ。流石にここで斬り殺しては、問題になりかねない」
まだ目の前の男は何もしていないのだ。そう暗に口にした。
「ヒヒヒ。法と正義を守る聖騎士様が、何の根拠もない私情で人を斬り殺す。楽しいね。そしてくっだらない」
「……貴様……!」
「その剣は何のためにあるのさ。法と正義に則り国を守るため、だろ? なら、ちゃんとぼくの罪を明らかにしてくれなくちゃ」
プロンデの手を振り払い、ウェイトはレイトンに詰め寄る。プロンデが必死に肩を押さえ、ようやく抑えられていた。
「ふざけた問答はいい加減にしろ!! 貴様が死なねば、我が友の魂は鎮められん!!」
「本当にくっだらない」
ウェイトの猛りをレイトンは笑い飛ばす。
「死んだ人間の魂を鎮める。そんなことして何になるのさ。死んだ人間の言葉が聞こえるわけでもあるまいし。そうじゃないだろ?」
レイトンがウェイトに求めているもの。それはウェイトが持っているが、半分忘れ去ってしまっているもの。
「『友を殺したぼく』を罰しに来るんじゃない。『誰かを殺したぼく』を罰しに来るんだ。もっと言えば、『誰かを傷つけた誰か』を。君たちはそうじゃなければいけない。本当は誰が死のうが、罪の重さは変わらないんだから」
「この期に及んで言葉遊びなどして何になる!? どちらにせよ、貴様らは害悪だ! 死ぬべき存在だ!」
口の端から泡を飛ばしてウェイトは叫んだ。まるで猛獣のような姿のそれを、レイトンはせせら笑う。
「まあ、君がそこ止まりなのはわかってたけど。ああ、悪いことじゃないよ。君が聖騎士になって二十年弱、君はよく働いてもくれたしね」
「何の話を……」
「ぼくらの狼煙を頼りに、ぼくらの敵をいくらかは倒してくれた。敵の敵は味方というけれど、本当だね。君は実に良い石ころ屋の工作員だった」
「ふ、ざ、けるな……!」
ついにプロンデの豪腕が振り払われる。
ウェイトのその腕がレイトンの襟に伸び、もう片方の手が握りしめられる。
だがその手が届くことはなかった。
ただ一歩下がり、レイトンはその手を躱す。
「……助け船を出すならば……これ以上犯罪者を増やさないことだね。安心と安全と食物。民にそれだけ揃っていれば、君の願いもいつかは叶うさ」
淡々と口にする。
視線は部屋の中を向いていた。
善政による安心と、治安維持組織による安全、そして豊富な食物。
この国にその三点が揃っていれば、少女も死ぬことはなかったろうに。
そう思いつつ。
「ぼくの言葉の意味がわからなければ、君もそろそろ行き止まりだ。そして、カラス君も」
残念なことに、という言葉は口には出さなかった。
「……じゃね、ぼくは行くよ。この街にもぼくの求めるものはなかったみたいだ」
溜めもなく、瞬きをする間にレイトンの姿が掻き消える。
水天流の大目録を持っているはずのプロンデもウェイトも、その姿を追うことは出来なかった。
レイトンの立っていた場所に残された足跡。
深々と残ったその足跡を見つめてプロンデはため息をつく。
「俺らも行くか」
「……どこにだ」
力なく呆然と佇むウェイトに呼びかけたプロンデは、もう一度ため息をついた。
「さっきあの男が口にしていただろ。この事件を追うのならば、近隣の街で同様の死体が見つかったことがないか調べるべきだ。突発的な犯行でなければ、そちらから手がかりがみつかるかもしれない。カラスの犯行とは限らないんだしな」
「そしてまた、違う犯人を見つけるのか。いつものように」
ウェイトの言葉に諦観が混じる。幾度となく繰り返されたそれを、この異国の地でまで繰り返したくはなかった。
「……じゃあどうする? カラスを追うか?」
「そうして、レイトンの言葉に従うのか」
『カラスを追え』とレイトンは言っていた。それに『事件を追うなら別の街を』というのもレイトンの言葉だ。
今はどちらもプロンデの口から出た言葉。
しかし、その言葉に従うしかない現状に、ウェイトの我慢がついに途切れた。
「っ!!」
力強い打撃。
右の拳が闘気を帯び、道に降り積もった雪を叩く。
衝撃で押しのけられ、波のように広がった雪が円上に山を作った。
「我らもここには用はない。今の我らには、衛兵に指示を出す権限もない。カラスを追う」
「わかった」
ウェイトは歩き出す。その、レイトンの足跡の爪先の方向に向けて。
それを追おうとし、プロンデは一瞬立ち止まる。
遺体は片付けられ、もう誰もいない焼けた家屋。
死体が見つかり半壊した建物に住もうという者は少ない。住む者がいなければ、近いうちに取り壊されてしまう物件。
現場検証を終えた衛兵も、恐らくもう来ない。
誰もいない寂しい家屋。
だが、そこで遺体が見つかった。
無情に殺されたワレリー・アントノフ氏。
その死を悼み、プロンデは少しだけ頭を下げた。




