折れてませんように
申し訳ありませんが、諸事情で12日深夜投稿分を13日昼くらいに回させてください。
度々遅延して本当に申し訳なく……。
「町長殿」
僕は静かに町長に話しかける。不敵に笑っていた町長は、僕の声を聞いただけで眉間に皺を寄せた。
「何かね」
僕は雪鯱の方に顔を向ける。礼儀に則っていないその動作に、町長が不満そうに息を飲んだ音が聞こえた気がした。
「追加の討伐ですが、探索者の方々への報酬はどうなさるおつもりでしょうか?」
「追加? 何を寝ぼけたことを言っとるのか。これは一連の討伐作戦だよ、君」
「いいえ。追加です。雪海豚の群れ二十頭の討伐は終わり、もう私たちは帰投していいはずです。最初の話では、雪海豚の群れを討伐するとしか言われていませんので」
「それくらい融通を利かせるべきじゃないかね」
「それも、いいえ。こんなところで経費削減するべきではないと判断しました。融通を利かせて、こういったことに無償で駆り出される探索者や狩人の前例を作るべきではないでしょう」
先ほど街中で、この町長は言った『そういった無駄な支出が』と。
そう、確かに無駄な支出なのだ。衛兵がきちんとした練度で働き、そして町長が無駄に護衛などを付けて戦場に現れなければ。
僕の声が聞こえたものもいるのだろう。何人かが振り返り、僕と町長の方を見た。
いや、そちらはそちらで雪鯱に集中しておいてほしいのだが。
町長は周りの目など気にせず、僕を諭すように言った。
「子供がそんなことに口を出すべきものじゃない。いいかね、社会というものはそうやって助け合って成り立っているのだよ。君ももう少し大人になればわかるだろう」
子供、ときたか。いやたしかに、目の前に巨大な脅威が迫っている今する話ではないし、端から見れば駄々をこねているようにも見えるだろうけれど。
「ではその辺り、私には理解が出来ませんのでこれで失礼させていただきます」
僕は振り返り、ぺこりと頭を下げる。
「まったく、強大な力を持ってる魔法使いといえども子供だな。いいだろう、君は帰って構わん。探索者たちは思った以上に使えなかったが、衛兵は半分残っているしあの月野流とかいう剣術の老人もいる。君は必要ない」
「だといいですけど」
言い切った町長の言葉に合わせて、僕はシロイに向き直る。まあ、シロイがいれば何とかなるだろうという信頼感はある。
その背中から湧き上がる圧力は、それを感じさせるのには充分だ。
だが、実は今回シロイだけでは不十分だ。
臨戦態勢に入った男たちと、雪鯱が接触するまであと二十秒か三十秒か、とにかくそう時間はあるまい。
それほど近くに来てみれば、町長はともかく騎士は気づいてもいいだろう。
衛兵の数はこの際考えない。彼らはもう、戦力には数えられない。
「シロイ殿は一人。それに対して、雪鯱は二頭です。シロイ殿が一方を相手している間に、もう一方がこちらに来ますよ」
シロイを信頼していないわけではない。シロイなら、二頭を相手取ることも出来るとは思う。けれど、どうしても隙は出来るだろう。
「シロイ殿ならばどうにかなるとは思っていますが。まあ、衛兵の方々が犠牲になるかもしれないという事には変わりないですね」
もしくは、騎士が。雪海豚の群れを討伐出来なかった騎士二人が、雪海豚の群れを常食している雪鯱に勝てるものだろうか。
「町長、ここは……」
騎士の片方が町長に具申する。僕の予想は当たっていたのだろうか。
また、衛兵の命を引き合いに出されたからだろうか、町長も僕の言葉に反応した。
「き、さま、この私から金をせびろうとするとは」
「せびろうなんてとんでもない。正当な対価をいただきたく意見しただけです」
にこりと微笑むと、それとは対照的に町長は苦虫を噛み潰したような顔を僕に向けた。
「……あとで、探索ギルドへの報酬を増額しておく」
「ご理解頂けて幸いです」
町長は出来るだけ払いたくないのだろう。いくら、とは言わない。そして僕もどうでもいいのでいくらとは言わない。
僕も町長から離れて小走りで煙の方へと向かう。これで、一応町長へ刷り込みは出来ただろうか。
「話は済んだかの!?」
「ええ。増額交渉は終了しました」
目前と迫る脅威になんら先ほどまでと変わった様子は見せず、シロイは僕に声を掛けてきた。だが、その構えは泰然自若としており、堂々たるものだ。
「善きかな善きかな。では、そちらは任せてもいいじゃろか」
「はい。こちらは任せました」
僕とシロイは頷き合う。多分、今気づいているのは僕とシロイしかいないだろう。だからこそ、騎士たちはあそこまでしか慌てていないのだ。
挨拶が終わり、数秒後、轟音が響く。
氷が割れ、頭を出し上半分が見えた。
なるほど、大きな鯱、そのままだ。僕は多分直接見たことがないが、前世でのものと同じような大きさだろう。そんな気がする。
だが、色は僕の記憶とは違い、黒い部分が青い。紫色に近い青に、白い部分との境界がわかりづらい感じだった。
「来たぞい!」
シロイが嬉々として足を踏み出す。滑るように移動する月野流の歩法は、氷上にも相性は良さそうだ。
僕はそれを確認し、後ろに跳ぶ。氷の上で滑って転ぶのは格好悪いので魔法で補助をしつつだが、大股で何歩か跳べば、普通に歩く数十歩分、簡単なものだった。
町長の前まで戻る。その時ちょうど、シロイが刃を雪鯱に合わせた瞬間だった。
「うむ!」
同じように踏み込み、同じようなかけ声で押し切ろうとする。迷いなく行ったのは、自信があるのかそれとも反射的なものなのか。きっとそのどちらでもあるのだろうが、それは即ちシロイの体には月野流が身についているということに他ならない。
何となく羨ましい気がした。月野流を学ぼうなどという気はさらさらないけど。
同じように切れる、そう思った。
だが、今度は違った。
「ぬおぉぉぉぉ!?」
シロイがターンをするように回転しながら、間一髪雪鯱の牙を躱す。
咄嗟の判断だったのだろう。危ない様子だった。金属の鎧に擦れるように体が当たり、突き飛ばされるようにして蹈鞴を踏んだ。
何が起きたのだろうか?
多分、その場にいた全ての人間がそう思っただろう。僕も含めて。
だがその疑問は、また地面に潜りつつある雪鯱から離れながら不満そうに剣を見て叫ぶシロイの言葉で、すぐに氷解した。
「め、目釘が折れよった!? やっぱし不良品じゃこれぇぇぇ!?」
……ああ、なるほど。
シロイの持っている柄から、刃がずるりと氷面に落ちる。その刃は氷に突き刺さることもなく、ただガランガランと音を立てて氷面を跳ねた。
一番槍のシロイで決着がつくと誰もが思っていた。
なのに、そうはならず、雪鯱はなおも氷面を砕きながら泳ぎ探索者と衛兵の混成軍へと迫る。
「……っ!」
正直、僕にとっても不測の事態だ。どうしようか、駆け寄って僕がそちらの雪鯱を始末してもいいが、そうするとこちらへの対応が遅れる。
だが、そうも言っていられない。僕が先ほど口にした衛兵の犠牲。報酬の増額が確定した以上、その未来は避けなければならない。
万事休すか。
そう思った。しかし。
風切り音を立てながら、矢が乱れ飛ぶ。
四本放たれた矢は三本が厚い皮に阻まれ弾かれてしまったが、一本が、雪鯱の目を射貫く。
「キュウイイイイ!」
空気が抜けるような、甲高い悲鳴。上げているのは雪鯱で、暴れた体が砕氷船のように氷面を砕いていった。
射たのは狩人。急所への攻撃に成功し、もう一撃、と思ったのだろう。互いに目配せをし頷き合う。
だが、敵もさるもの。
やはり、知能があるようだ。砕いた氷、その質量ある塊を尾で弾きまき散らしていく。まるで弾丸のようなその礫に、狩人たちの立ち位置も狙いも乱れた。
シロイはというと、いつの間にか駆け寄ってきたようで僕の横で息を切らしてその様子を見つめていた。
「あ、危なかったわい……」
「……お疲れ様です、とはまだ言えないんですが……」
喉の下の汗を手で拭いながら発されたシロイの呟き。だがその言葉に労いの言葉を向けるのはまだ早かった。
「少し離れてますので、同時に相手するのはちょっと面倒なんですが」
「わかっとるよ。儂じゃないと相手できんこともな」
ふう、と一息ついて、シロイは今倒そうとした雪鯱を見て苦々しい顔をする。もはやシロイは刃のない柄のみしかなく、狩人と探索者は善戦しているもののもう駄目だろう。氷の砲弾を凌いではいるものの、もう近づくことすら出来なくなっている。
「……もうこっちには来とるんじゃろ? 片付けて、あの囮の雪鯱を始末するとかどうじゃ?」
「少しだけやりたいことがあるので、ちょっと選びづらいですね。どうにかしてあれ倒せませんか」
「無理とはいわんが厳しいのう……。もうやじゃ、あんな剣使いとうない……」
すっかり弱気になってしまったシロイ。剣が壊れたのがそんなにショックだったのだろうか、もはや戦う気力もなさそうだった。
「大体、剣に切る以外の用途を持たせるところから間違っておるんじゃよ。いや、つけるのは構わんが、まず頑丈で物を切れることが備わってないといかんじゃろ。なのに、鍛造も焼きも適当で、研ぎすら儂がやらんといけんかったし……」
「そういった文句は後でお願いします」
老人の愚痴は長い。途中で止めた僕は、雪鯱を見ながら思案する。
結構不味い状況だ。この状況で、二匹目の雪鯱が出たら隊列が完璧に崩れて皆雪鯱のお腹の中に入りかねない。
……いや、簡単な話だった。
シロイが剣を持っていればそれで済むのだ。まあ、僕が妙な色気を出さなければその方が簡単に済むのだが、それは置いておきたい。
「ではやはり、シロイ殿はあちらへの対応を。もうそろそろ限界ですし……」
「来たな」
「ええ」
気づいたシロイは顔を上げるが、それでも自信はなさげだった。
だが、それもここまでだ。
「では、こちらをお貸ししますので、使えませんか」
「……おお、これ、これならば」
僕が差し出したのは、僕の腰に差してあった山刀。剣とは違うし、これも切る以外の用途を付けてしまった刃物でもある。
だが、こちらは作りがしっかりしている。シロイのお眼鏡にかなうといいが。
「よっしゃ、第三幕行ってくる!!」
現金なことだ。僕の山刀を手にしたシロイは、空でも飛ぶような勢いで駆けていく。
目標は、先ほど仕損じた雪鯱。それを見送った僕は、自分の足下を見た。
「さて」
僕の声に、後ろで首を傾げた気配がする。騎士たちは警戒しているが、気づいてはいないらしい。
ぼくはさっきちゃんと、『二頭いる』と言ったのに。
足下が揺れる。
「な、何だね!?」
とりあえず、町長たちの周囲に不可視の壁を作り保護。傷まで付ける気はない。
「すぐに、横に跳んで頂けると助かります」
「!!」
僕の言葉に反応した騎士が、町長を引きずるようにしながら移動する。距離にしてほんの数歩、だが充分だった。
まず、氷面から出てきたのは鼻先。そこから青紫色の背中と背びれを見せながら、牙を上半分だけ氷上に出して、雪鯱は空気を噛んだ。
「ひぃ!?」
町長が叫ぶ。まさか、自分の所に来るとは思ってもいなかったのか。ここは既に戦場なのに。目を見開き、腰を抜かした様子だった。
「そのまま」
騎士たちが剣を振るう。素晴らしい反応速度だ。多分、僕がおらずとも町長の命は守られていただろう。
その騎士たちの行動を静止する言葉だけ吐いて、僕は指を空中で滑らせる。
幾条もの空気の刃。それは鎌鼬のように速やかに、雪鯱を輪切りにしながら命を奪った。
血に塗れた氷面に、町長はへたり込む。
僕はそっと魔力を展開し、町長への酸素供給を遮断。酸素濃度の薄い空気を吸った町長は、意識を失った。
「町長殿!」
「おや」
抱き起こそうとする騎士。だが、白目をむいて気絶している町長は呼びかけにいっこうに応えず、ただ力なく四肢を投げ出している。
「貧血でしょうか? 少し診せて頂いても?」
答えを待たず、町長の頭に手を添える。ぬるりとした脂の感触の奥にある脳。そこにはやはり、魅了の痕跡があった。
「ええと、頭をぶつけたりとかしていないので大丈夫でしょうけど……」
適当な言葉を吐きながら、その脳を再生させていく。まったく、不愉快なことだ。こんなところでもう、レヴィンの影響が垣間見えるなど。
ついでに血流を調整すれば、すぐに町長は目を覚ます。
目を覚ましたと同時に嘔吐したのはわざとではないが、少しだけ胸がすく思いだった。
シロイは、と見れば、やはりあの程度の魔物に手こずりはしない。
ちょうど、氷塊を全て凌ぎ、肉薄していた。
「今度は負けんぞ、こんな良い鉈をこの儂が貰ってしもうたからの!!」
あげてないんだけど。
「ガハハー! うむ!!」
景気の良い笑い声とともに、静止した鯱の頭を上から押しつぶすように刃を押しつける。
その次の瞬間、雪鯱が空を舞った。
錐もみで回転しながら、不可解な跳ねかたで何トンもあるだろう雪鯱の体が上昇していく。多分、もう絶命はしているだろう。口から血を吐いている。
これはあれか。月野流の、投げ技か。
「ガハハハハ! 月野流《昇月》!! このスティーブン・ラチャンスの大技とくと見やれ!!」
僕の疑問に答えるように、またも技の名前を口にする。その見得の最中にも、まだ雪鯱は上昇していっていた。何処まで飛ぶんだろう……。
……いや、それよりも。
シロイが口にした名前、それはシロイではなかった。名前だが、……ん?
「現在月野流はイラインとその周辺に道場を構えておる。学びたい者は遠慮なく門を叩くが良い。月謝銅貨五枚じゃよ!!」
注目が集まった今、ここぞとばかりに胸を張り、宣伝活動にいそしむシロイ……改めスティーブン。
偽名? 何のために?
「才能がなくともかまわん、やる気さえあればよい! 我こそはと……ゲベッ!!?」
何故偽名など使っていたのだろう。
僕は落下してきた雪鯱の下敷きになったスティーブンを見ながら、そんな疑問に頭を捻っていた。
……大丈夫だろうか?




