喜ばれたくない
挑戦者ももういないようで、祭りは終わりだとばかりに散っていく人々。恨みがましい目でシロイを見ている者もいるが、一応納得ずくだったのだ。金を巻き上げられても文句はいえまい。
片付けをしているシロイに、僕は一歩歩み寄った。
「上手いですね」
シロイは、僕の称賛の言葉ににやりと笑う。何が、と言わなかったがそれだけで充分伝わったらしい。
一部が紐で繋がった鎧を体に添えて、解かれた紐を結び直しシロイはテキパキと鎧を着直していた。
「いやあ、何のことかわからんなぁ。老骨には酷く堪える試合じゃったわい」
「勝てそうに見えて勝てない。素晴らしい演技でした」
惚けるシロイに、僕はわかりやすく注釈を加える。
それには応えず、ただシロイは悪戯っぽく笑った。
「さて、少し稼げたが問題はある」
ポンポンと金の入った袋を投げ上げながら、シロイは眉を寄せる。
「金を返すことは出来る。じゃが、そうしてしまえばカラス殿の儲けは銀貨一枚。それではあまりにも少なく申し訳ない」
「構いません。貸した額と、今得た儲けの半分。少しだけ勉強しまして、金貨一枚と銀貨二枚で結構です。返してください」
シロイのその後の言葉を予想して、あえて遮る。そのあとの魂胆まで少しだけ透けて見えた以上、もう乗らない。
「河岸を変えてもう一度やろうと思うのじゃが、どうじゃろか。一緒に……」
だが、僕の言葉をシロイは無視した。その言葉を予想したからこそ断ったというのに。
「いいえ。返してください」
「だ、だって、銀貨一枚じゃつまらんじゃろ?」
「大丈夫です」
あくまでもシロイの要求は突っぱねる。この言葉の意味は簡単なのだ。
他の場所でもう一度相撲をやるから、ついてきてくれ。金貨も銀貨も返すのは後で、ということだ。
それもある意味当然のことだろう。ここで僕に金貨を返してしまえば、手元に残るのは銀貨一枚と少しだけ。つまり、種銭がなくなる。先ほどと同じ事をしようとしても、選択肢が一つ減ってしまうのだ。
仕事のために必要だから、支払いを少しだけ待ってくれ。それだけならばいい。それくらいなら、頼まれれば応えてもいいかもしれない。横で見ているだけで利子が増えていくのだ。時間での利子にしなかったのは僕の失策だが、一応今日中に、という時間制限もある。
そこまでならばいい。だがこの願いは多分、老獪さも含んでいる。
そう、『一緒に』、つまり横で見ていろとこの老人は要求しているのだ。
見ているだけならいい。だが、僕には自分で言い出したことがある。
月野流の旗を僕は預かっている。そしてこの流れでは、次の頼みは簡単だ。『横でまたこの旗を掲げていろ』と言われるだろう。先ほどと同じように。
「私は月野流の関係者ではありませんので、糾弾以外でこの旗を掲げるのは遠慮しておきたく存じます」
「こいつ……、さらに他人行儀になりおった……!」
先ほどの試合では垂らさなかった冷や汗が、シロイの顔を伝う。
本当にお断りだ。試合をする年老いた男性を見ながら、旗を支えて掲げる若者。色々と考えつくことはあるだろうが、横から見れば、師匠とその付き人に見えるというのが多数派だろう。
外堀から埋められるのは嫌だ。
僕は手を差し出す。握手などのためではない。掌を上に向けたその手は、催促だ。
「速やかにご返却願います」
「う、く、……最近の若者は薄情じゃわい……」
呻きながら、シロイは袋の中を探る。見せるために銀貨は必要だろうし、銅貨八枚で返されるのは構わない。だが、金貨を名残惜しそうに見つめるその目と手つきはやめてほしい。
しかし、若者について老人が嘆くのは、何処の世界でも変わらないらしい。僕は言った覚えも聞いた覚えもないが、古代エジプトから連綿と続いていたその言葉を、この世界でも聞くことになるとは。
「ありがとうございます。では、こちらを」
僕は左手でその貨幣の山を受け取り、右手で旗を差し出す。
シロイの身長ほどの棒に巻き付いた旗。門人ではない僕が掲げるわけにはいかない。
「……仕方ない。あとで儂の格好いい勇姿を見て、拝師したいなどと言っても知らんぞ。その時は叩頭させるからのう」
「さて、そうしたくなったら是非ともお願いします」
したくなるとは思えないが。
背嚢の口を開き、その底に受け取った貨幣を適当に流し込む。
流し込まれた硬貨がもとからあった硬貨の山に当たる、ジャラジャラという音。その音色に量が予想できたが、面倒で数える気にはなれなかった。
多分今受け取った分も含めて全部合わせれば、金貨十枚分以上はあるだろう。ちょっとした金持ちだ。
「それじゃ、これで。またお会いすることもあるかもしれません」
「く、本当にここまでか……。まあ、いいじゃろう。また会おうな」
手を上げるシロイに軽く頭を下げて、僕はシロイの足が向いている道と違う方に歩き出す。当てがあるわけではないが、同じ道は歩きづらい。どこかで道を聞ければいいけど。
見回しても店頭で何かを売るような店がない。
この寒さからだろうか。息は白くならないが、真っ白いかまくらの立ち並ぶ風景だ。むしろ、それなりに人通りがあるというほうが驚きだった気がする。
まあ、それも当然か。
袋の中にあった水筒。割れてはいないが、中の水が凍ってしまっている。人は凍らずとも、ものは凍ってしまうのだ。店先に並べておくことは出来まい。
……もしかして、今氷点下なのか。この日中に。
それを自覚した途端、寒さが体を襲う。
気が付かなければよかった。
魔法使いは環境の変化に鈍い。
僕がそうだから魔法使い全体がそうだと思ってはいるが、多分間違ってはいないだろう。
理由は簡単だ。
意識して展開していない場合でも、無意識下で魔法使いの体を覆う薄い魔力。それは、やはり無意識下で魔法使いに影響を与えているのだ。
即ち、限度はあるが、自分の思考が実際の感覚に直結する。
暑いと思えば周囲皮一枚の温度が上がるし、逆に寒いと思えば温度が下がる。意識的にそれをやめることは可能だし、影響自体小さなものだがそうなってしまう。
故に、そう考えること自体やばい。魔力圏から外れた位置にあった水筒の中。それを見て、周囲の本当の寒さを自覚してしまった今、氷点下の寒さが僕の体を覆い尽くす。
寒い。数瞬で体が震えてきた。
歯の根が合わず、耳が痛い気がする。
まあ、対策自体も簡単だ。意識して周囲を温かくすればいい。
気温を調整する。先ほどまでの快適な温度に合わせるよう、魔法を使う。
温かい地域から服を替えずにきたツケだろう。
温められ、ようやく止まった体の震えに、僕はため息をつく。
しかし、足だけはずっと温かいままだった。防水性の高さから水も染みていないし、かといってその気密性から足が蒸れているといった様子もない。リコの靴は本当に高性能だ。歩き出す足に力が入る。旧友のいい仕事に、少しだけ誇らしくなった。
いくつか店を見つけることは出来たが、外観からは何を売ってるのかわからない。ちらりと品物は見えるが、多分食品ではない。一応義理として商品を買わなければいけない以上、消え物がいい。
店を探すのも面倒になってきた。結局、ギルドを頼ることにする。
国が替わっても、やはり探索ギルドは本部が同じらしい。上向きの蜥蜴の看板。それをさがせば、問題なく見つけることが出来る。
「おお。やはりまた会ったな!」
扉をくぐれば、まばらだがやはり人はそれなりにいる。探索者の服装も寒冷地に対応しているらしく、鎧の上に毛皮のようなものを身につけた者が多い。
しかし、魔物を狩ったり素材を集めたりするのが主な業務のはずだが、皆何処で何をしているのだろうか。武器は持っているが、大きな動物に使うような長物を持っているのは少なく、……というか、武器なのだろうか? 大剣を半分ほどで折ったような幅の広い短剣が持っている者が多かった。
受ける気はないが、依頼の傾向もどんなものだろうか。
それを確認しようと掲示板に歩み寄ってみるが、正直少ない。数枚の紙しかなく、そしていずれも行方不明者の捜索だ。
雪原で魔物……全て雪海豚だが、雪海豚に襲われてはぐれた誰かとその持ち物を探すというものだった。
「多分ここに来ると思って待っとったんじゃよ。カラス殿も同じ話を聞いたんじゃな」
これは、依頼自体がないのだろうか。それとも、依頼をするだけの金がなく依頼できていない案件が多いのだろうか。それはわからないが、ネルグから離れつつあるこの街は探索者にとっても少し活動しづらそうだ。
「さて、受付にちょっと話を聞いて、それでこの街を出て行こうかなぁ」
「聞こえとるんじゃろ! おい、無視はいかんぞ無視は!!」
さも今気が付いたように演技をしつつ、僕は振り返る。いや、たしかに気が付いていたけど。
「あ、シロイさんもいらっしゃったんですね。どうなさいましたか、こんなところで」
「白々しい……。いや、それよりも」
僕を責めるよりも何か用事があったのだろう。シロイは意外そうな顔で僕を見る。
「もしかして、知らんのか? お主も、儲け話を聞きつけて来たんじゃ……」
「いえ? 初耳ですけど」
そう言われて見回してみれば、なるほど。それなりに人がいると思ったが、この探索者たちは集まってきていたのか。皆、職員のいるカウンターの方へ注意を払っていた。
「聞いとらんかったのか。今まさに、魔物の討伐のために人が集められているそうじゃよ。何でも、雪海豚の群れを叩く掃討作戦があるそうじゃ」
「へえ。それは大変ですね」
雪海豚の群れ。何となくファンシーなものを想像してしまうが、多分壮観なものだろう。雪原を跳ねる白いイルカ。水飛沫ならぬ雪飛沫を上げて疾走するように泳ぐ群れは、ちょっと見てみたい。
「……ということは、シロイさんはそれに参加するんですか。いえ、というか探索者だったんですね」
「いや、儂は本当は違うんじゃが、先ほどの街頭のあれでな、勧誘されてな。どうやら街の衛兵と駐屯していた数人の騎士と、狩人。それに探索者の総出で行うらしい」
「宣伝の効果が出たようでなによりです」
部外者ではあるが、勧誘された。聞く限りでは、猫の手も借りたかった、という感じだろうか。だが、それで仕事にありつけるのであればそれはそれでよかったのだろう。
「お主は参加せんのか?」
「んー……、そうですね。ええ、せっかくなので雪イルカの群れとやらを見てから行きたいと思いますが、この街で泊まる気はあんまりないです」
金には困っていないし、指名されているわけでもない。それに、人手もいる。いつぞやのクラリセンのように、魔物の相手程度であればきっと楽に出来るだろう。竜が出るようなことでもなければ。
「……ま、無理強いはせんがの。お主がいれば千人力じゃったが、まあ儂がいるんじゃ、どうにでもなるじゃろ」
「そういえば、剣は新調したんですね」
戦う気満々ということはそういうことなのだろうが、話題を切るためにあえて聞く。
僕の言葉に、シロイはまた腰に差した剣を見せた。
「これもお使いになれるんですか?」
「まあ、儂も初めて扱うからどんなもんかわからんがな。正直、あまり質はよくない」
見せられた剣は周りの探索者が帯びているものと同様の、短い大剣というか、幅の広い短剣だった。
「儂が欲しかった普通の剣は衛兵たちに回して備蓄が切れているそうで、手に入ったのはこれだけでの。探索者の連中はこれで雪を掘ったり肉を焼いたりするそうじゃ。鉄の質が悪いのは、こん前までの圧政の影響じゃろうなぁ……」
こんこんと刀身を小突きながら、シロイはしみじみと呟く。物資の不足。もう革命も政権の移譲も結構前に終わっているだろうに、まだそういった部分は対応できていないのか。
「一応作戦は日が真上に昇ったときらしい。もうすぐ集合もあるじゃろうし、じゃあそこでお別れじゃな」
「ええ。頑張ってください。じゃ、とりあえず僕は道を聞いてきます」
僕も受付に歩み寄る。とりあえず、首都への方角と距離だけ聞きたい。そう思ったのだが。
受付にいた男性職員が、歩み寄る僕に目を留める。
それから少しだけ目を見開いたようにして、唇の端が上がった。
何だろうか。いや、それよりもとにかく用事を済ませてしまいたい。
「すいません、少しお伺いしたいんですが……」
「よかった、ありがとうございます! 色、色付きの方が……!」
僕の言葉を遮り、発された返答。
周囲に聞こえぬようひそめてはいるが、唐突な感謝の言葉に僕は面食らう。
「……何でしょうか。私は道を聞きたいだけなんですけれど……」
「え? 討伐作戦に参加されるのでは!?」
僕の言葉に一転して悲しそうな顔をする職員。なんだろうか、前にもこんなことがあった気がする。
しかし、猫の手も借りたいというのは本当らしい。何というか、僕は何処の街でも騒動に巻き込まれるのだろうか。
僕は内心ため息をついて、詳細を尋ねた。




