閑話:石像は見ていた
SIDE:聖騎士 前編
石造りの建物が壁となって並ぶ。そのうちの一つ、その中のわずかな隙間から、男たちが二人並んで街の外を見ていた。
人目に付かぬよう対象を見張る。監視といってもいいその動作は、そのうちの一人、むくつけき大男にはおよそ似つかわしくない動作だ。
だが、その隠密性は折り紙付きだ。石像のように動作を止めたその体は気配を全く感じさせず、野生動物であっても警戒せずに近寄ってくるほど熟達していた。
その、石像と例えられてもおかしくない男、プロンデは重たい唇を静かに開いた。
「連れの子供は、探索者に連れられてこの街を去った。カラスは残った、か」
「この街でまだなにか用事があるのでござりましょうか」
「いや、恐らく奴には別の目的地があるんだろう」
「あの眼鏡の子供を利用して何かをなすのが目的、ではなく?」
「わからん。ウェイトの話じゃ単に石ころ屋の利用を勧めていただけ、らしい。その意図すらわからんが」
紙巻き煙草をふかしながらプロンデが答えた先にいるのは、プロンデよりもやや小柄だが、一般人よりは少しだけ体格のいい男だった。
彼は、この街にある水天流道場の師範代の一人。ウェイトとプロンデの二人とは同期の間柄だった。
ただ、数日の差ではあるがウェイトとプロンデの方が入門が早く、そのため同期といっても彼にとってウェイトたちは目上の存在だ。
道場内での序列は、ただ入門の順によって決まる。ただそれだけで、道場主に次ぐ地位となった今でも、聖騎士などの肩書きによらずともウェイトたちには頭が上がらなかった。
その師範代、マルスは聖騎士たちの命により昨日より二人の子供の監視に従事しており、今はその監視も兼ねた経過報告の時間である。
専門ではなくとも、彼も水天流の大目録を持つ者だ。その業務は、滞りなく進んでいた。
その視線の先にいた探索者二人に気づかれているのは、ついぞ気づくことはなかったが。
「しかし、こんな監視なんて必要なんでしょうか? あのような大した強さもない子供に」
「さて、お前が師範代としてそう思ったんなら、俺は間違いだと思うがな」
ため息を吐きながら、プロンデはマルスを窘める。だが、師範代、という肩書きを引き合いに出されてはたまらない。それは指導力を責める言葉だろう。マルスとて、長年門下生を指導してきた自負があるのだ。プロンデの言葉に、唇を尖らせながら、反駁する。
「一昨日、ウェイト様が奴相手に戯れていた姿は、プロンデ様も見ていたはず。それに、昨日の乱闘でも……」
「乱闘?」
眉を顰めてプロンデは話を遮る。初耳だった。
「そういえばご報告しておりませんでしたな。昨日、探索者六人を相手に乱闘を起こしています。全員を昏倒させたようでしたが、奴らは被害を届けるなどせぬでしょう」
それは、面子を大事にする探索者の常だ。その後の仕事や風評を考えれば、自分が負けたなどと言い出すことは難しい。
「その時の動きを見ても、特に脅威は感じられないもので。まあ、あれは相手が弱すぎたということもあるでしょうが」
「……だから、間違いなんだよ。ウェイトが戯れていた? 違うだろ。あれは、奴がウェイトの攻撃を軽くあしらっていたんだ。ウェイトは本気でないにしても、そのウェイトの攻撃を戯れとしか感じさせないほどの動きで」
「しかし、昨日見た水天流の動きも稚拙でした。生兵法ではありませんでしたが、熟達しているともいいがたい」
プロンデの言葉に、マルスは反論を続ける。その言葉は、マルスが水天流の指導者としての目を持っているからこその誤認だったが。
「まだわかんないのか」
プロンデも、そのマルスの事情をわかっているからこそ認めなかった。
「稚拙な動きでも、探索者を六人伸せるほどの戦力なんだ、あのカラスという子供は。たしかに、武術としては未熟だろう。だが、それを補ってあまりあるほど、化け物じみた反射と判断速度が発達している。ウェイトが奴に拳を当てられなかったくらいに。……まるで、獣だ」
「……」
「それにあの子供の脅威は、戦力、という尺度だけじゃない」
その話題も、マルスは未だに理解できていない話だった。
最も、遠く離れた街で活動する小さな店の話など、一道場の師範代が把握しておらずとも当然のことなのだが。
「……それも私にはわかりかねます。石ころ屋、というのはそんなに警戒すべき相手なのでございますか」
「ああ。難しい相手だよ。……ウェイトが追い続け、未だに撲滅できていない悪党どもだ」
「ですが、居場所は知れており、その構成員までわかっているのでございましょう?」
プロンデは頷く。
「首魁の名も、その側近の名前までわかっている。だが、手が出せない」
無表情のまま、プロンデは監視対象のカラスを見つめ続ける。その目にも声にも、感情は現れなかった。
「何故?」
「証拠を残さないよう、奴らは立ち回る。だから奴らの犯行と断定は出来ず、もしくは証拠を残しても、それを追うと別の犯罪者に突き当たるようなものしか残さない。そしてその犯罪者の多くが、権力者だ。それ以上辿れず、そこで捜査が止まってしまう」
「権力者を隠れ蓑にしている、ということでございますか」
「ウェイトはそう思っているな」
だが……と内心プロンデは思う。
隠れ蓑、というのであればもっと目立たず活動するはずだ。それこそ、証拠など残さなくても構わない。
だが、彼らは隠そうとしていない。むしろ、自分たちの下へと辿り着くよう、助け船まで出しているのではないかと錯覚してしまいそうになるほどに。
無論、そんなことはあるはずがない。人は悪事を必ず隠そうとする。
しかし彼らの関わった事件ではいつも、そういった不可思議な感覚を、プロンデはどこかで微かに覚えていた。
誰にも見えぬよう、静かに首を振り、プロンデは考えを打ち切る。カラスから目を離さないマルスは、そのプロンデの動作を気にしてもいなかった。
「であるならば、侵入者の奴めも極悪人ということでございますな」
「さて、それもわかってない。王城での貴族殺しや、副都イラインでの惨殺に関わっている可能性があるが、やっぱりそれもまだ断定できてないんだ」
プロンデの否定に、マルスは残念そうな顔を一瞬だけ見せた。
だが、一応その顔をすぐに先ほどまでの抗議の顔に戻す。無礼だと思ったその判断は、けして間違えてはいなかった。
「……一昨日ウェイト様が叫んでいたレイトンとやらは如何か」
「やつがレイトンにこだわる理由は、石ころ屋とは関係が無いよ。いや、違うな。レイトンがいるからこそ、石ころ屋にこだわっているんだ」
「は、はあ……?」
プロンデの言葉の意味が読み取れず、マルスは曖昧な返答をする。五十年来のつきあいではあるが、やはり以心伝心とはいかないものだ。
「もう三十年以上前の話か。奴は、レイトンに友を殺されている。レイトン・ドルグワントが石ころ屋での活動をはじめる前にな」
「……その怨恨で?」
「ああ。まあ、無理もないだろう。俺が見たときには、その寸刻みで解体された友の死体を、ウェイトは掻き集めていた。両手を血に染めて」
「寸……」
マルスは想像し、顔を青くする。殺害されたときいて、挽肉と見まごうばかりに解体された死体を思い浮かべる者は少ないだろう。
「その事件の詳細は俺もよく知らない。ウェイトもどこにも報告していない。まあそれも、証拠は残っていないらしく、調べても無駄みたいだが……」
「そのレイトンという男、何者でございましょう。人をそれほどまでに細切れにするなど、正気とは思えません」
人を殺すのであれば、一太刀で充分だ。まして切断せずとも、重要臓器や脈に切り込みを入れるだけで絶命する。
なのに、そこまでするのは異常としか言い様がない。寸刻みでの解体などを行うのであれば、仮にそれまで生きていたとしても途中で絶命するだろう。
それに、死体に対してそれを行ったとすれば、さらに理解が出来ない。正気の沙汰ではない。
「お前もどっかで聞いたことがあるだろう。葉雨流の一族、その生き残りだよ」
「それは、どこかで……」
唇に手を当ててマルスは悩む。数瞬カラスから視線が途切れたが、自らも見ているとして、それをプロンデは責めなかった。
「イライン近くの小さな街で、家伝の流派として伝わっていた武術だ。本人にすら悟られないように対象を斬り殺すその技術を使って、やつらは暗殺を請け負っていた。レイトンが石ころ屋として活動をはじめた頃から、奴以外の使い手は姿を見せなくなったけどな」
例外として、一人その使い手は増えている。だがやはり、それも石ころ屋の関係者だ。
「あ、だから先ほど、ドルグワント、と。そうだ、たしかドルグワント家でしたな」
彼らは暗殺者故、表舞台には出ない。だが、知られていなければ依頼など来ない。
だから、彼らの存在は隠蔽されつつも、知っている者は知っている。その、家名まで知っている者はごく僅かだったが。
「なるほど、確かに奴らならば証拠は出ない。刀身を見せずに殺すのは得意技だと聞いたことがあります」
「そうだ。いつ斬られたかもわからないし、犯人が遠くに逃げ去った後に対象は血を噴き出して死ぬ。犯行の場所は問わず、人混みの中でただ近くをすれ違っただけと言われればそれ以上の追及は難しい」
「し、しかしそれでも微塵切りにすることは……」
「ウェイトは言ってたよ。それは、見せしめだってな」
マルスは、いよいよわからないという顔をプロンデに見せる。
ウェイトも石ころ屋の行動から推測した理由だ。本人に聞いたわけでもなく、実際のところは本人たちしかわからない。
だからそれ以上のことは、プロンデも言えなかった。
「……カラスが動く。話は後にしよう」
「そうでしたな」
話を逸らすように、プロンデは監視対象のカラスへと注意を向けさせる。
その少年は、確かな足取りで、また街の中へと入ってくるところだった。




