約束を果たして
投稿時刻がいつもよりずれまくってます。
す、すいません、残り二話とかいっちゃったので……。
「ここかぁ……」
モスクは建物の前で息を飲む。探索ギルドの建物も、この街では完全に石造りになっている。
カウンターも壁も一体となった石で作られている。治療院の建物と同じような感じではあるが、色自体は灰色の普通の石で作られており、よく見れば継ぎ目もあった。
そして、中の人間も同じような雰囲気だ。
この街の外で……といっても少し移動すればネルグの森があるのだ。そこで捕ってくるのだろう。大きな男に担がれた布の袋はわずかに血に染まり、中身が容易に推察できる。
イラインよりも若干厚着だが、やはり泥や草か何かの汁で染まった衣服は、およそ清潔とは言いがたい。
テトラが初めてイラインの探索ギルドへ入ったときのように、モスクも中の様子を見て、驚いたように足を止めた。
「俺、ここ使ったことねえから知らねえんだけど、勝手に入ってもいいのか?」
「ええ。依頼をしに探索者ではない人も入ってきますし問題ないです」
水天流の道場を無断で覗いていたのに、ここにきて今更何を言っているのだろうか。
そうは思ったが、まあわからなくもないか。ここは、身を晒して入らなければならないのだから。
「ちなみに、探索者になろうと思ったことはないんですか?」
「昔は考えたけど、十歳くらいにならないと断られるって聞いたからなぁ……。それすぎても、なんだかんだでこれなかった。廃棄階層の探索で忙しかったし」
「廃棄階層は探索していたのに、不思議なもんですね」
「ハハ、だな!」
僕と同じく、無許可の探索者だ。別に名乗っても罰せられることはないんだろうけど。
というか、探索者たちも下の階層に行こうとは思わないんだろうか。
……いや、衛兵がたまに見回りに来ると言うことは禁じられているのだろう。それに加えて一見すると旨味もなさそうだし、それも当然か。
誰も、シャナが地下深くで暮らしているなどと考えもしないのだ。
ギルドに足を踏み入れる。
廃棄階層とは違い、今度はモスクは僕の後ろについて歩いていた。
「依頼受け付けは……と」
見回し、中の様子を確認する。イラインとはやはり配置も違い、一瞬だけ戸惑った。
だが、受付に文字で書いてあるのだ。すぐに見つかる。
誰も並んではいないが、そこでは係の男性が下を向いてなにやら作業をしていた。
「すいません」
「……あ、へ、はい!」
声を掛けると、若い係の男性は弾かれるようにして顔を上げる。手元がちらりと見えたが、作業をしていたのではなく、何か資料を読んでいたらしい。
「依頼を出したいんですが、今よろしいでしょうか」
「はい、大丈夫、です」
手元に白紙の依頼箋とメモ代わりの紙を引き寄せながら職員の男性は対応をはじめる。だが、目を上げて僕の登録証を確認すると、手を止めた。
「……え? 色付きの方が、何で?」
「別に誰がしても問題ないでしょう。それよりも、続きいいですか?」
「はい、すいません!」
平謝りしながら、職員は羽根ペンの先をインクに浸す。それから僕を見て、目で続きを促した。
「道中警護をお願いしたいんです。護衛対象は、後ろにいるこの男性」
「ええ、はい。種別は護衛で……、行き先はどちらに?」
「イラインです」
「行き先はイライン、と。失礼ですが、何か理由でも?」
おそるおそる、といった感じで職員は僕の顔を覗き込むようにして尋ねる。
「特にありません。狙われているわけでも、何か騒動の予兆があるわけでもないです。ただ、初めての旅を安全に、と」
「はぁ……、では、予算はいかほどでしょうか」
「今のところ決めていません。出来れば誰か色付きに頼みたいのですが、どれくらいかかります?」
相場がわからないので、逆に尋ねる。
だが、職員も即答は出来ないようで、口の中で何かを考えているように声を発しながら、建物の中をきょろきょろと見回した。
「……ギルドから依頼できる、そういったことに慣れている色付きの方は何名かいるんですが、期日によります。今すぐに、というのであれば、とりあえず来られる方でいいますと通常金貨二枚半ほどですが……」
「金……!」
後ろから驚く声が聞こえる。全て口に出さないようにこらえたようで、言葉のようには聞こえなかったが。
職員の言葉に僕は頷き、モスクへと振り返る。
「出発はいつがいいです?」
「いや、おま、金貨って! 見たこともねえけどそれやばいやつだろ」
「やばい、って……。いや、単なる貨幣ですからね?」
モスクの慌てように内心少しだけ笑えてきた。僕も、初めて金貨を持ったときにはそれが特別なものだと思った気がする。
だが、それも違うと今になって思う。金貨が特別なわけではない。単に、貨幣価値が高い硬貨。数字を表しているだけに過ぎないのだ。
「ああ、金額を気にしているんなら気にしないでください。僕が出します。単なる先行投資ですし」
お金は背嚢に適当に突っ込んでいるのでその金額があるかはわからないが。
確かめてみればはっきりはするが、金貨は何枚か見た気がするので問題ないと思う。
「いや、じゃあそんな護衛なんて使わなくてもいいじゃん。俺、何とかして一人で行くし!」
「ここからイラインへ向かう場合、街道はネルグの森に沿っていきます。魔物が出ることは滅多にないですが、野生動物は多い。それに、モスクさんは野外での生活の経験はありますか?」
「いやいや、無いけど」
「でしたら、一人で行くのはおすすめしませんね。野外での生活と通陽口での生活は勝手が違います。通陽口での生活のほうが簡単とはいいませんし、むしろ快適かもしれませんが、それでも種類が違う苦労があります」
「商人の馬車に乗せてもらったり……」
「それもいいかもしれませんが、それは僕が個人的に抵抗があります。魔物に襲われた商隊をいくつも見てますので……」
本来、旅人の正道はそれだろう。
慣れている者ならそれでもいいと思う。馬や騎獣を使い、街から街へ移動する。
そういった馬などを持っていないのであれば、持っている者に便乗させてもらう。商人や旅芸人に金を払ったり、逆に護衛をしたりして。
だが、万全には万全を期したい。
僕が初めて見た魔物は、商人の馬車を襲おうとしていた。オルガさんへの謝罪のために片付けた依頼では、大勢の商人が魔物によって儚く命を散らしていた。
問題なく多くの商人たちがそうやって交易をしているのだからほぼ問題は無いのだろう。けれど、そういった事例をいくつか見ているため、僕は積極的にそれを選ぶ気にはなれない。
そういえば、リコは大丈夫だろうか……。
それに、今回の移動の目的が目的だ。
ウェイトたち一般市民が孤児たちを信用していないというのであれば、僕もまだ孤児として一般市民を信用できない。
僕個人ならばいい。返り討ちでも何でも出来るだろう。だが、モスクはどうだろうか。
仮に、『宝物をイラインへ売りに行く』と漏らしたとして、モスクが『事故に遭う』ことはないと、どうして言い切れよう。
「それに、これだけすれば石ころ屋に確実に売ってくれるでしょう? ですから、先行投資です。馴染みの店に確かに宝物を売ってもらうための。だから、安心してください。僕も善意ではないので」
安全にモスクが石ころ屋へと到達するための手段だ。モスクが石ころ屋へと何かをもたらすことを期待しての。
「……わかったよ。絶対返すからな」
「投資したんです。回収はしますよ」
それがお金という形であるかどうかはわからないが。この恩義を何に使うか。それはまだ決めていない。
それに、仮に金貨で返すとしても、恐らくこれからモスクは莫大な資産を手に入れるのだ。少し多めに返してもらったとしても、懐は痛まないだろう。多分。
「じゃ、明日でいいよな。今の住処にある荷物をまとめたり処分したりしたいし」
「わかりました……、というわけで」
僕は職員に向けて顔を戻す。黙って聞いていた彼は、僕の顔を真正面から見て瞬きを二度した。
「明日お願いできる人では、どれほどでしょう」
「明日からですと……、少々お待ちください、資料を確認して参ります」
少し悩み、職員は席を立つ。それから奥へと引っ込んでいくと、誰かと話し始めたのだろう、微かに話し声が聞こえてきた。
僕はその話が終わるのを待つ。その間に、少しだけ周囲を確認した。
掲示板に貼り付けられた依頼箋はイラインより少ない感じがするが、素材回収の他に迷子捜しのものがいくつもあるのが特色だろう。イラインでもないわけではなかったが、その比率がミールマンのほうが幾分か多い気がする。
迷子といっても対象は人間ではなく、飼っていた鳥や犬のことだが。
周囲を見回して、やはり僕は思う。
やはり探索者すら、色付きでもなければあまり信頼できそうにもない。
職員との会話を聞いたわけではないだろう。だが、建物内部から、それから外からいくつか感じられる視線に、僕は内心ため息を吐いた。
「お待たせしました」
職員が戻ってくる。何枚か携えているのは探索者の資料だ。名前と、それと詳細なデータが一瞬だけ見えた。
「明日都合が付きそうな方は三人ほどおられます。全員多人数で行動をしない方々ですが、護衛には問題ありません。指名依頼をなさいますか?」
「一番信頼できそうな方をお願いします」
まあ、そもそも僕が知っている色付きの探索者であれば皆信頼できるというだけで、色付き全員がそうというわけでもない。色付きというのも、本来は単なる能力の指標に過ぎないのだから。
「一応は皆、素行に問題はありません。ですが、そうですね、護衛依頼の実績が一番多い方に指名依頼を出しておきます。そうすると、成功報酬で金貨二枚ほど提示頂ければ充分かと」
「わかりました」
地面に置いた背嚢の底を探る。硬貨をいくつか取り出すと、五枚ほど握り締めた中に金貨が三枚入っていた。
「では、これで」
それをカウンターに置くと、職員は恭しくそれを受け取った。
金貨を手元の箱に入れる職員に、僕は尋ねる。
「ちなみに、どなたでしょうか」
名前をいわれてもわからないだろう。だが、とりあえず知っておきたい。
そう思い、軽く尋ねたその名前に、僕は少しだけ驚くことになる。
「レシッド、という方ですね。普段イラインのほうで活動なさっている方なんですが、何でもここから少しイラインよりの街まで来ているとか」
「……へえ!」
思いも寄らない名前が出て、僕も少しだけ大きな声を出してしまった。
レシッド。それが僕の知っている〈猟犬〉レシッドであれば、それは先ほどまでの憂慮が全て飛んでしまう。
「……ご存じでしょうか?」
「ええ。何度かお会いしたことがあります。信用できる方でしたね」
「それはよかったです。これから鵲を飛ばしますが、断る方では無いと思いますので大丈夫でしょう」
「でしたら、依頼人の名前も伝えてください。それで確実になるかと」
僕の名前でも、そういう効果はきっとあるだろう。あると信じたい。なかったら少し悲しいが。
「いいんですか? 通常護衛任務の場合、依頼人の名前は直接お伝えすることになっていますが」
「構いません」
と、そこで職員も一度手元の紙を見てそれから気が付いたかのように顔を上げる。
「あの、そういえば、お名前をいただけますか」
「カラス、といいます」
「カラス……っ、そういえば、色付きで……!?」
職員が少し椅子を引きずりながら後ずさる。いや、少し過剰な反応な気がする。
「〈狐砕き〉のカラス……! いえ、あの、何故貴方がこんな依頼を……、いや、そうじゃなくて、いえ、失礼しました、このような受付で、向こうの会議室のほうへ……」
しどろもどろになりながら、職員が助けを求めるように周囲の受付職員のほうを見る。だが彼らも自分の仕事に忙しいのか、こちらに気が付く者はいなかったが。
いや、というか本当に過剰な反応な気がする。確かに最近よく後ろの部屋に通されていたが、色付きの者が必ずそういう待遇を受けるわけではあるまい。
それに、彼は色付きだと最初から気が付いていたはずなのに。
やがて、それでも後ろのほうにいた女性職員が彼の挙動不審な動作に気が付いたらしく、小走りで駆け寄ってくる。
「どうされました? 何かありましたか?」
仕方ないな、という感じが混じった丁寧な態度で、慌てる職員を、そして僕の方を見て女性職員は声を掛けてきた。
「ええと、何でもないです。依頼箋を作って頂いている最中だったんですが」
「すすいません、失礼な真似をいたしまして」
僕の説明を遮るように、受付の職員が頭を下げる。いや、何も失礼なことなんかされていないんだけど。
だが、僕と受付職員を交互に見て、事情を察したらしい。
新しく来た職員は受付の職員の頭を軽く叩き、僕に少しだけ頭を下げる。
「申し訳ありません。こちらの者は新人でして、これから私が代わりますので」
「いや、もうほとんど終わってるはずなんですが……」
「そうでしたか? でしたら、残りの手続きをいたします」
新しい職員は慣れた目つきで書きかけの依頼箋を見て、そして金貨を受け取っていることを確認して、メモ書きに目を通す。
「といいましても、確かにもうほとんど終わりですね。では、指名依頼を出しておきます。明日、いくつの鐘に合わせて出発の予定でしょうか?」
「朝の十の鐘くらいでいいっすか?」
「はい。ではそのように。予定変更のあった場合は、……ええと、カラス殿の下へ文を送りますので、よろしくお願いします。その他注意事項はありませんね?」
「ええ。特にないです」
「あとはいくつかの細かい事項ですが……」
流石に慣れている。そこからも女性職員は流れるように、手続きを進めていった。
「では、これで手続きを完了します。お疲れ様でした」
恭しく、女性職員は頭を下げる。まだ落ち着いていない様子の新人職員も、それに合わせるように頭を下げていた。
そういえば、もう一つ用事があったが、それは明日にしよう。
モスクを住処に送り届けた後、僕も少しだけ考えなければ。
「行きましょう」
「お、おう」
僕も受付に会釈をし、それから踵を返す。ギルドを出るまで、いや、出てからも、少しだけ嫌な視線はつきまとっていた。
少しだけ歩くと、横に並んだモスクが意を決したように、僕に向けて口を開く。
「お、お前、なんか有名人なのか?」
「有名人……、といえばそうかもしれませんが、さっきの職員さんの話ですか?」
モスクの疑問に当たりをつける。さっきの新人職員の慌てようのことだろう。
「でしたら、有名人とかそういうことじゃないです。探索ギルドでは、少しだけ優遇されているだけでして」
「凄えじゃん、え? 何やったの? お前、っていうか、名前、カラスってんだな」
矢継ぎ早な質問。そういえば、名乗ってなかったか。ウェイトに呼ばれてはいたけれど。
「ええ。カラス、といいます。イラインの方へ行っても、忘れないようにしてくださいね。石ころ屋でも、『カラスの紹介で来た』と言えば話がすんなり進むようにはしておきます」
これから少し考えなければ。明日、ギルド経由で送ろうと考えている推薦状。そういったことの文面を考えるのは初めてのことだし。
「忘れねえよ。大丈夫、絶対忘れない」
「お願いしますね」
僕は笑顔で応える。
だが、視線がまた強くなる。道の奥、路地の中から感じる視線は、絶対に好ましくないものだ。
僕が、笑顔を消すのには充分なほどに。
面倒くさい。
「で、まあこれについては本当にすいません。というか、あの職員の失態です」
「失態? さっきの新人さん?」
「ええ。いつもの感じで落ち着いて対応してくれれば、目をつけられたりはしなかったと思いますので」
恐縮したように、あの新人職員はかしこまった。僕らのような子供に対して。
そして、僕が色付きのような待遇であったのならまた違っていただろう。奥に連れて行かれる探索者。子供であっても侮られはしまい。
だが、あの新人職員は失敗した。
一般人の子供相手に、恐縮した姿を見せてしまったのだ。一般人の子供に恐縮する。
そうなれば見ていたものには、その一般人に価値があるか、もしくは持っているものに価値があるか、そのどちらかに見えても仕方がない。
僕の言葉に合わせるように、ゆっくりと男たちが現れる。取り囲むようにして現れた筋骨隆々とした男たちは六人、僕らを睨むようにして道を塞いだ。
そして、リーダー格だろう、他の者より一回り小さく、髪を髷のように結った男が、クイと親指で路地の中を指す。
僕の後ろでは隠れるようにしてモスクが身を竦めている。本当に、面倒くさい。
袋小路に追い込まれるように、僕らは壁を背にして男たちに囲まれていた。
「その背中の荷物、渡してくんねえ?」
髷の男がそう言うと、合わせるように笑い声が上がる。モスクの前に立つ僕に近づけてきた顔は、不愉快に笑っていた。
「お断りします。大事なものなので」
「じゃ、買い取るわ」
腰のポケットに手をやり、一歩引いてから髷は中身を探る。それから、中身を摘まみ出したのだろう。鉄貨を人差し指と親指で挟んで僕らに見せた。
そして、それを僕の顔に向けて放る。
顔の前で摘まんで止めると、それを見てさらに髷は笑った。
「それで買い取ってやっから、品物おいてさっさとどっか行けよ」
「お断りします」
「やっぱお坊ちゃんだねぇ。周りを見ろよ。この後どうなるかわかってんだろ?」
半歩ずつ男たちが近寄ってくる。大体わかっているが、その辺り別にどうでもいい。
僕がため息を吐くと、後ろの男の怒気が強まる。だがそれを無視して僕は答えた。
「わかってますよ。僕と彼は、無傷でここを歩いて出る。荷物も持ったまま。当たり前じゃないですか」
「わかってねえなぁ」
髷が僕の胸ぐらをつかみ、少しだけ引き寄せる。髷の胸元に見えるギルド登録証は、色が付いていなかった。
そうだろう。僕の登録証がちらりと見えても、髷はまったく顔色を変えないのだから。
その区分を気にしないほどの実力者か、もしくは知らない普通の探索者だ。
「お付きの人間はどちらにいらっしゃるんですかぁ? つーか、お前も探索者なら少しは戦えるようになっとけよ。ほら、勉強したって事で頭下げて荷物おいてどっか行けよ」
そしてやはりその言葉は、僕らを資産家の子供だと思い込んでいるような言葉だった。
風呂に入って少しだけ身綺麗にしてきたのは失敗だったか。いや、きっとこの男たちはその辺りを気にしてはいないのだろう。
どちらにせよ、僕の対応は決まっている。
「頭を下げる必要も、荷物を置いてく必要も見当たりませんね」
僕は、髷の手を握り返す。指をまとめるように握れば、髷の手は緩んだ。
「……てめっ……!」
「そうですね、いい機会です。僕も約束を果たさなければ」
握りながら後ろを振り向き、モスクの方を見る。どうせ明日にはこの街を去る身だし、少々派手にやっても構わないだろう。
それにこの路地。流石こいつらの選んだ路地だ。人目が全くない。
一つだけ視線はある。だが、これはウェイトやプロンデのものではないだろう。感じられる鋭さが違う。
「約束って、何を……」
「套路を見せるって約束したじゃないですか」
髷の手を振り払い、一歩下げる。開いた間隔、これだけあれば充分だ。
踏み込み、男たちの間をすり抜けながら顎と腹、それとこめかみに一撃ずつ入れてゆく。
水天流風林の型。風が林を抜ける動きを模したといわれているその型を使い、男たちを昏倒させる。
本来、武術とは身につけるものだ。自然と出てしまう技術であり、使うというよりは身につけるという方が正しいと思う。
だが、その辺り僕の練度が足りていないのだろう。意識して使わなければ、その動きにならない気がする。
前にサーフィスに看破された以上、一応身についているとは思う。だがやはり、その自覚は今のところない。
しかし、その練度の低い水天流でも充分だ。
反撃はない。僕が通り過ぎたその背後で、六つの体が地面に崩れ落ちる音がほぼ同時に響いた。
振り返り、モスクへと笑いかける。
「これで約束を果たせたでしょうか。参考になればいいんですけど」
「……ああ、すげえ参考になった」
言葉とは裏腹に、少しだけ苦い顔をしているモスク。その辺りもどうでもいい。約束は果たしたのだ。どう受け取ろうと構わない。
僕は路地から大通りに出るため歩き出す。死体のように転がる男たちを踏まないようにモスクもそれに追従してきた。
「では、荷物をまとめておいてくださいね。必要なものがあれば準備しますが」
「いや、いいよ。ほとんど処分するし、引っ越すのも慣れているし」
通陽口の、モスクの住処。その穴の前まで送り届ける。
まあ、今まで住居を点々としてきたらしいし、その辺りは慣れているのだろう。処分する荷物に関しても問題あるまい。
「明日迎えに来ますので、それまでにお願いします」
「ああ。じゃ、また明日な」
笑顔でそう言うと、モスクは中に入っていく。ここまで来たのならもう安全だろう。
見張るような視線はとりあえずない。僕も、帰ってもいいだろう。
通陽口から出た頃には、もう日は暮れていた。
一日がかりの探索はこれで終わり。あとは、明日を待つだけだ。
「やっぱお前かぁぁぁ……」
次の日、待ち合わせにモスクを伴って現れた僕に向けて、息を吐き出し蹲りながらレシッドはそう嘆くように言った。
「お久しぶりです。奇遇ですね、こんなところで会うなんて」
僕の言葉に、レシッドは立ち上がる。うなじの辺りにあった焼け焦げがないということは、その肩掛けは新調したのだろう。
それから、空元気を出すように、レシッドは僕の肩を強く叩く。こういう馴れ馴れしいところは変わっていないようだ。きっと美徳なんだろう。
「んだよ、お前もミールマンに来るんなら言ってきゃあいいのに。つーか、なんだよ、いきなり仕事なんかまわしてきやがって」
「本当に偶然ですよ。レシッドさんも、お仕事帰りにもう一件入れちゃってすいません」
「気にすんなって。俺も金もらってやるんだしよ。んで、そいつが今回の護衛対象か?」
「ええ。モスクさんです」
僕が目を向けると、モスクが一歩前に出る。
ただ、その顔が僕は気になった。緊張している感じではある。だがそれは、知らない人を見る目ではない。
ああ、やっぱり。
「レシッドさん、っていうんですか? お久しぶりです、俺のこと覚えてますか?」
駆け寄るように、レシッドに詰め寄るモスク。だが、レシッドは首を横に振りかけて、それから気を使うように上を向いた。
「あ、ああ。覚えてるって。ええと、ああ、モスクってんだな、おうよ」
覚えている、と口にはしている。しかしそれは真実ではないだろう。泳ぐ目に、辿々しい口調。絶対覚えてない。
「あー、うん、大きくなったな、覚えてるって、おう」
「カラスと知り合いだったなんて、不思議っすね!」
はしゃぐモスク。だが、それに合わせられないレシッド。
仕方がない。助け船を出そうか。
「モスクさんもレシッドさんとお知り合いだったんですね。どんな縁があったんですか?」
名前を知らなかったということは、多分浅い縁だろう。一言二言話したことがある程度とみた。
「ああ、昨日言ったじゃん? 俺、探索ギルドに入ろうとしたことがあるって」
「ええ。言ってましたね」
だが、年齢制限で入れなかったと聞いている。そんな厳密なものじゃないのに。
「三年か四年前、俺探索ギルドの前でレシッドさんに止められたんだよ。そんな感じの話をレシッドさんに聞いたんだ。『冒険は大事だけど、もう少し大きくなってからな』って言われてた」
「そうですか」
なるほど。では多分、もう少し前に聞いた『世話になった人』もレシッドだ。
「お、思い出し……、じゃねえ、そうだよな、そうだ、やっぱあのときのガキだよな。いや、でっかくなったなぁ」
取り繕うように、レシッドはしみじみとそう言った。覚えてなかったろうに、白々しい。
しかしモスクはその辺りを気にしていないようで、ただ快活に頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「おう。任せろ」
これ以上の思い出の追求がないのに安堵したのか、レシッドはモスクの言葉に何度も頷いていた。
「で、出立は今からだよな。そこで、カラス。一つ聞きたいんだが」
「何です?」
神妙な顔で、レシッドは声を潜める。モスクに聞こえないようにだろう、少しだけ僕の方に顔を近づけた。
「この依頼、厄介なこととかねえよなぁ? お前が依頼を出すってどういうことだよ」
「特に何もありませんよ。彼が誰かに狙われているとか、追われているとかそういうことはありません。組織だって襲われることもないので、安心していいかと」
「本当だな? 絶対だな? またニクスキーが出るとかそういうことねえよな?」
「ありませんて」
ニクスキーさんが出るとしたら、モスクを守るためだ。そもそもそんなことにはならないが。
「……、まあ、その辺は信じてるけどさ。じゃ、あれは?」
レシッドは小さくミールマンの市街地を指す。その先から、視線が二つ。一つは昨日の路地を見ていた視線。もう一つは恐らく、プロンデというモアイ像だろう。素性がわからない方は、多分水天流の道場にいた人物かな。
「あれは僕を見ているだけだと思います。モスクさんに累を及ぼすようなものではありません」
ずっと視線は感じていた。そして、監視されていたのは僕。それはもう僕の中では確定している。
「ならいいんだけどよ。んで、お前何したの?」
「何もしてませんよ。レイトンさんが何かしたんでしょう」
そして、監視されているのは僕個人ではない。石ころ屋のカラスだ。僕は所属してはいないはずなのに。
「……お前も大変だなぁ」
「慣れてます」
哀れむようなレシッドの顔にそう返すと、苦々しくレシッドは顔を逸らした。
「じゃ、これで行くぞ。いいよな?」
「ああ、じゃない、はい」
モスクがレシッドの言葉に応えて歩き出す。それから僕の方を振り向いた。
「んじゃな、ええと、カラス。また会えるよな?」
「ええ、勿論。イラインでも頑張ってくださいね」
「当たり前だよ。生き足掻いてやるぜ!」
昨日よりもさらに大荷物を持っているというのに、モスクの足取りは軽い。
僕は、安心したのか笑みがこぼれる。
そうだ。新しい何かに挑戦するときというのは、そうでなければ。
「次にイラインで会ったときは飲もうぜ」
「考えておきます」
レシッドの言葉には即答できない。まだお酒など飲む気にはなれない。
そういえば、道中などは飲むのだろうか。……一応仕事中は真面目らしいし、飲まないのかな。
だが、そうだ、それでも。
「レシッドさん」
「お?」
振り返ろうとするレシッドを呼び止めて、僕は外套を探りながら歩み寄る。
そして目当てのものを握り締めたままレシッドに差し出すと、レシッドは眉を顰めながら受け取るために手を伸ばす。
その手に、僕は握っていた銀貨を落とした。
「お二人の食料とか、酒とか、その辺に使ってください。奢りです」
「おま、いいのかよ、え!?」
レシッドが慌てたように叫ぶ。だがその手は、握った硬貨を離そうとはしていなかった。
「何日かかかるでしょう。現地調達ばかりではなんですので」
多分二人とも、野外での食事は大丈夫だろう。ネルグの森の横を通るのだ。食料などいくらでも手に入る。
「お前がそこまでするなんて、どんな要人なんだよ、あいつ……」
「レシッドさんのことです。『酒だ酒ー! それだけ飲んでりゃ問題ねーし!』とでも言いそうなので」
「言わねえけど……。でもまあ、奢りならありがたくいただいとくわ。今度なんか奢るぜ」
「期待して待ってます」
歩き出したレシッドとモスク。その背中を見て、僕は立ち尽くす。
レシッドにとっては、いつもの護衛任務だろう。だが、モスクにとっては人生をかけた旅立ちだ。これくらいしても罰は当たるまい。
後のことはグスタフさんが上手くやってくれるだろう。多分。そこは心配しない。
レシッドとの新しい約束も心配はない。
レシッドの奢りで食べるご飯。レシッドが選ぶ食堂だ、不味いわけがないだろう。
それを想像して、僕のお腹が鳴った。
二人の姿はもう小さい。ここから歩いてイラインまでは二週間もかからないだろう。
ではそれまでに着くよう、手紙を手配して。
それから、適当な食堂でお腹を満たして。
そして、この街を発とう。目指すリドニックは、もうすぐだ。




