食い違い
「そんなに大きな声を出さなくても」
視線が集まっていたのは一瞬だ。誰も彼も、もめ事だとわかると目を逸らす。こちらに注意を向けたままで。
皆の動きが、それぞれ少しずつぎこちなくなっているのが当事者にはよくわかる。
ウェイトは落ち着こうと鼻から息を長く吐きだし、それから僕を睨んだ。
「挑発か? ならばよかったな。大成功だ。我は醜態を晒し、貴様の気も済んだことだろう」
「いえ。ただ単に気になったから聞いただけですので」
にこやかに僕はそう答えるが、納得できないようでウェイトは腕に力を込めていた。
「ですが、まあわかりました。レイトンさんとの間に何かがあったんでしょう。そのせいで、レイトンさんを含んだ石ころ屋が嫌い、と」
「否定はせん。だが、何度も言っているようにお前らは単なる害悪だ。レイトンとのことがなくとも、石ころ屋は我らの敵だ」
「その言葉は信じるとしましょう」
ぽん、と手を打ち僕も湯船から上がる。水浴びはよくしているが、お湯に浸かるのもいいものだ。貴族はいつもこんないい思いをしているのか。
「ならば、もっと頑張ってください。この世の悪を撲滅するよう、努力してください。僕はそれを応援しています」
「そうなれば、まずは貴様らだが」
「そうですね。ではまずは、その周辺の小さな悪行を食い止めて、彼らの力を削ぐことをおすすめします。その盗品の出所、ひったくりや盗みを撲滅し、詐欺に遭わないよう民衆の啓蒙活動をして」
僕の言葉をウェイトは鼻で笑う。上から見下ろしているが、それを気にしている風ではなかった。
「そんなもの、貴様らに効果があるものか」
「とてもあると思いますよ。そうなれば、『盗品を扱う』なんてこと、出来ませんしね」
盗品は、何の前触れもなく突然目の前に現れるものではない。誰かが盗み、不当に手に入れる。そうしたものを、盗品というのだから。
僕は、更衣室に目を向ける。モスクはもう着替えはじめていた。
「それに、孤児や浮浪者たちに対して居場所を用意するのも重要かと。何も出来ることがないから、彼らは悪に走るんです。先ほど捕まえたという三人組も、お金があるのであれば盗みをしようとは思わなかったかもしれません」
衣食足りて礼節を知る。衣食がないからこそ、彼らや貧民街の者たちは強盗や窃盗に走るのだ。
性分や何かの事情があって、足りてるのにする者もいるとは思うが。
「詭弁だな。貴様らのような者を駆除すれば、勝手に瓦解する奴らではないか」
「よくわかってるじゃないですか」
ニヒ、と僕は笑いかけるが、やはり冷たい視線で返された。
「そう、石ころ屋を撲滅すれば勝手にいなくなります。盗品を捌くことも出来ないから、食物を手に入れることも少なくなり、住居にだって困る。そしていずれ、困窮から死に至る」
「愉快な話だな」
くく、とウェイトは笑う。それは、石ころ屋が消えた場合の話をしているからだろうか。
今僕は、もう少し違うことを含めて言ったのに。
「そこで笑えるから、さっきモスクさんの説得に失敗したんですよ」
「……何だと?」
眉を顰めてウェイトは僕を睨む。
「彼がその知性と根気でつかんだ宝物を、貴方はまず盗品扱いした。それがどういうことかわかりますでしょうか」
「ほう……目が変わった。カラスよ、貴様の頚の珠はそれか?」
僕の言葉に、一転して表情を緩めたウェイトは僕を嘲るように見返す。僕の声のトーンが少しだけ変わったのが、僕自身にもわかった。
少しずつ感情的になっているらしい。だが、止めるわけにはいかない。
「ええ。人の努力を無にされるの、大嫌いなんですよ。馬鹿にされながらも思考を続け、ようやく得た機会に乗じて、この街を四百年近く守ってきた女性から譲り受けた宝物です。それを盗品扱いするのは、シャナさんにも、モスクにも無礼だと思いますね」
「貴様ら相手に、そんな礼など必要ない。盗品扱いされるのも当然の所行をしてきているのだから」
「まだわかっておられないんでしょうか」
少し体が熱くなったと思った次の瞬間、僕の体の周囲の温度が上がる。足下の湯が、沸騰したように泡立ち消えた。
「石ころ屋に関しては概ね同意しましょう。貴方たちに検挙され、駆逐されるのであればそのほうがいい組織です。そうであってほしいと、誰もが望んでいる」
「ならば」
「ですが、モスクは違う。この街で生まれ育った孤児です。孤児として育った、ただそれだけで、貴方は『盗品だろう』と言った」
先ほどから思っていたことだ。
ウェイトは混同している。貧民街の住民も、石ころ屋の者たちも。
そして、正当に手に入れた品物すらも、僕らが持っているというだけで、正当な品物とは思わなかった。
それは、僕が嫌いだったあの日の視線だ。
「石ころ屋が嫌い。彼らを撲滅したい。それは結構なことですけれど、そのためには貴方では力不足ですね」
「……力不足は認めよう。だからこそ、貴様らはまだ生きているのだからな」
「少し、力不足すぎやしませんかね。彼らはいつでも証拠を残しているのに」
証拠がない、と昨日ウェイトは言った。けれど、それも違う。
石ころ屋は常に、関わった証拠を残しているのだ。緑の黴しかり、燃えた家屋しかり。
勿論、名乗るような直接的なものではない。しかし、それを追えばいくつもの線が見えるだろう。……その線を辿らないことも、少しだけ意図はわかっているが。
「叩けば埃が出るから、叩けませんか」
「……何を言ってるのかわからんな」
「わからないわけがないでしょう」
たとえば直近でのメルティ襲撃事件。そこで姉妹の死体を始末した緑の黴と、その少し前に娼館が一つ潰されたときに使われた黴には類似性があったはずだ。類似しているどころか、同じものかもしれない。
ならば、犯人は同一の者とされてもおかしくはない。襲撃事件の死体から何もわからずとも、娼館のほうは動機や何かで捜査が進んでもおかしくはないのだ。
通常の娼館には石ころ屋の息がかかっているのに、その娼館はかかっていなかった。そしてそれとほぼ同時刻、奇怪な現象を起こせるだけの知識と技術を持つエウリューケの姿が目撃されているはずだ。あれだけ大きな声で歌いながら歩いていたのだから。それだけでも、疑える要素はあるはずなのに。
「昨日貴方が仰った、リドニック王女襲撃事件。その少し前に、娼館がひとつ潰れたのはご存じでしょうか」
「知っている。複数名の年端のいかない子供が犠牲になっていた、痛ましい話だ」
「そこまで知っているのであれば、何故その時石ころ屋の関与を声高々に叫ばなかったんでしょうか。いえ、知ってますよ。どうせ、年端のいかない子供たちなど、犠牲になっていなかったんでしょう」
「……あれは、単なる流行病だったからだ。我らの捜査権は、イライン上層部に止められていた」
悔しそうにウェイトは歯を食いしばる。その悔しさは本当だろう。
けれどきっと、その悔しさが今回は悪い方向に出ている。
「まあ、その辺はどうでもいいです。話を戻しましょう」
その辺りにも言いたいことはまだまだあるが、今は関係ない。
今は、この男の見方に対する話だ。
僕だって大きな事は言えないが、とりあえずウェイトは間違えている。
「石ころ屋が存在できる理由を、もう一度考え直してもらいたいです。それがわからないのであれば、きっと貴方は力不足です。彼らを倒せる正義たり得ない」
「わからんな。盗品の話から、どうしてその話に飛ぶ」
「盗品ではありません。孤児と、彼らの犯罪の話です」
わからないのであればもういい。僕はウェイトに背を向けて歩き出す。
落ち着きつつあるのに合わせて体の温度も下がっていったようで、もう足下にある湯は蒸発しない。
一応は穏便に、長々と話をしていたためかもう誰も僕たちのことは気にしなくなっていた。
「貴様の含蓄ある話に敬意を表し、一つ忠告してやろう」
「何です?」
静かに語りかけられたその言葉に振り返る。モスクを待たせている。
もうそろそろ出て行きたい。そういうのはやめてもらえないだろうか。
「レイトンに気をつけろ。奴は、敵でなくとも躊躇無く殺す」
「それは知っています。僕も、腹を割かれました」
「では、それだけで済んで運がよかったと喜ぶがいい。奴へ仕事を依頼した我が友は、百の肉片になって散ったのだからな」
僕は眉を顰めてウェイトを見返す。
細切れになって、ということだろうか。……ウェイトの友人が?
「それは、どういう……」
「おい、何してんだ早く行くぞ!」
更衣室のほうから元気の良い声が響く。待たせていたが、もうしびれを切らしたか。
モスクが服を着て荷物をまとめて、僕のほうへ呼びかけていた。
その様を見て、ウェイトは笑う。
「時間切れのようだな。話の続きはまた今度してやろう。もっとも、貴様がそれまで生きていられたら、の話だが」
「もう会うこともないかもしれませんので、非常に残念ですね」
レイトンの過去の話。少しだけ気になるが、ウェイトとの縁を繋ぐ気はない。
本人も教えてくれないだろうし……。まあいいか、これもきっと『個人的な話』だ。
俯き、もう何も言わなくなったウェイトに挨拶もせず、僕は更衣室に急いだ。
「遅えよ、何やってたんだよ」
「すいません。少しだけ話があったので」
文句を言うモスクを横目に、僕は着替えを急ぐ。洗った下着はこの場で乾燥させ、もう一度着る。予備はあるが、この方が早い。
着替えが終わる頃には汗が若干噴き出していたが、それでも肌は入る前より大分マシな感触になっていた。
「んで、探索ギルドだったな。場所は知ってっか?」
「見た気もしますけど、自信ないです」
「だよな。俺も大体しかわかんねえや。中は行ったことがないし、そっちは完璧にわかんねえ」
ロッカーの鍵を受付に示すと、受付のほうからざるが伸びてくる。
そのざるに鍵を入れると、受付は会釈だけして手元まで引き寄せていた。
外に向かい歩き出す。そしてその出口を曲がろうとしたときに、また一人の男とすれ違った。
プロンデと言われていたか。モアイ像のような大柄なその男は僕らを見ると、無言で道をあける。若干だが、申し訳なさそうなように目の端が下がった。
僕らは会釈して通り過ぎる。
さらに曲がり角まで行って振り返る。モアイ像は、まだこちらを見ていた。
レイトンの話は次のリドニック編で出てきますので……




