どちらの道を
「イラインに行けば、あの髪の毛が売れるってのか?」
「行けば売れる、というよりは、多分行かないと売れません」
何処の馬の骨ともしれない子供が出す、出所不明の初めて見る素材。そんな怪しげなものを買い取ってくれる親切な人がいれば別だが、そんな者がいるとは思えない。
化け狐ですら、前例があったからこそ売ることができた。本当は、物自体にも価値があるだろう。テトラの炎を弾いた毛皮もあれば、きっと内臓は生薬としても使い道がある。なのに、知られていないからそちらでの価値はなかった。ただ、その名声だけが売られたのだ。
化け狐は戦場に現れ、二体も討伐されていた。実在している魔物だった。
けれど、焦熱鬼はおとぎ話の存在だ。実際にいたことを知っているのは今のこの街では王族か僕ら二人だけ。王族が知らぬふりをしそうな以上、僕らしか証明できる者がいない。
そんな、お伽話の存在の髪の毛を売ろうなど、誰が信じよう。
そんなものを孤児が持ち込んだところで、『どこからか手に入れた丈夫な繊維を使った詐欺』とでもいわれてしまえばもはや反論できない。僕らに発言権は無いのだ。
探索ギルドであれば、僕は一定の発言権があるだろう。高価で買い取りもしてくれるかもしれない。だが、それは『丈夫な繊維』としてだ。決して、『お伽話に出てきた鬼の髪の毛』ではない。ギルドすら恐らく現物を見たことがないのだから。
だが、そうはしたくない。
安く買われてしまうのは論外だが、別に高く売りたいと言っているわけではない。もちろん高く売れた方が嬉しいが、そうではない。
物は物なりの値段で取引されるべきだ。
「イラインに、『石ころ屋』という店があります」
「石ころ? 石でも売ってんのかよ」
「石でも何でも売ってますよ。業種的には、『何でも屋』という方が近いかな」
そういえばおかしな店名だ。実際の業務には似つかわしくないユーモラスな店名。何か、深い意味でもあるのだろうか。創業当時はグスタフさんも今のような悪事には手を染めていなかったのだから、そんな名前でも良いと思うけど。
「あの髪の価値を理解出来るのは、あの店の店主しかいないでしょう。本当はいるかもしれませんが、少なくとも僕は知りません。ちなみにモスクさんに心当たりは?」
「ねえな。俺らが普通の店で売り買いなんざ出来ると思うか?」
「この街については知りませんよ。でも多分、出来ないんでしょうね」
先ほどまで、モスクは自分が使う以外にあまり品物に価値を見いだしていなかった。ならばすることもあるだろうが、頻繁に品物の取引はしないのだろう。つまりそれは、この街には孤児たちを救済する存在がいないということだ。
「でも、あの店なら出来ます。石ころ屋ならば、髪を金に換え、そしてモスクさんに道を示せる。働き口も、住居も、思いのままに」
そのために必要な品物もやる気も、今現在モスクは持っている。髪を持っていけば、話にはなるのだ。
「勿論、嫌なら無理強いはしません。これは僕の提案です。夢を叶えるために、一度訪ねてみる気はありませんか?」
きっと、石ころ屋はモスクの力になる。ただし、それはモスクの意思あってのことだ。
自分で登ろうとしない者に、石ころ屋は梯子を下ろしたりはしない。ハイロの梯子は外されてしまった。
「……いきなり、遠く離れた街に行かないかって言われてもなぁ……」
モスクのぼやく言葉の意味もわかる。まあ、突然の提案だ。無理もない。
「まあ、悩んでいただいても結構ですが……」
そこで永住しようということではない。けれど、それなりに時間と労力を費やす行為。本来ならば、時間を掛けて悩むべきようなことだ。
しかし、そうも言ってられないだろう。
「モスクさんには時間がないのでは? 通気口、少し狭そうでしたね」
「……、そう、だったな」
通れないわけではない。だが、通りづらくはなっているだろう。成長しづらい孤児とはいえ、成長期は確実に訪れる。来年か再来年には、モスクは通気口内部で身軽に動けなくなる。
「探索ギルドへ行こう、というのはその提案のためでした。僕は都合があって同行出来ませんが、信頼できそうな探索者に護衛を頼みましょう。勿論、報酬は僕が出します。道中の安全は保証しますよ」
髪を売るためじゃなかった。探索者、そして出来れば色付きに護衛を頼む。それが探索ギルドへの用件だ。
用件はもう一つあったが、それは本人にはちょっと言いづらい。
「一つ聞きてえ」
「なんなりと」
ゴクリと唾を飲み込み、モスクは僕を見る。眼鏡がなくぼやけて見えているだろうに、僕の姿をしっかりと捉えていた。
「何でそこまですんだ? 昨日あったばっかの俺に。俺はお前に街を案内しただけじゃねえか」
「……まあ、行きがかり上の縁といいますか……」
自覚はないが、一番初めには多分、仲間意識があった。
「たいした理由はないです。多分、一番大きいのは、勿体ない、ということでしょうか」
「勿体ない?」
「ええ。僕の知らない言語を訳し、本に書かれ半ば暗号化された技術を解き明かす知恵。何も手に入らずとも諦めず街の深部を探索し続ける根気。僕を引き入れ、躊躇なく自分のために使った眼力。他にもいくつも僕に見せた能力。どれも、孤児のまま、このまま死なせるには惜しい能力です」
あえてストレートに褒めてみる。頬の筋肉が少し緩んだことからして、その辺りは本当にちょろい。
「シャナさんに青空を見せる。立派な夢じゃないですか。そしてそれを成し遂げられるに足る才能を持ち、成し遂げられればみんなのためにもなる。援助しない理由が見つかりませんね」
「……そ、そうか……」
反論をしないようで、モスクは顔を背ける。孤児たちの中でも、気狂いと呼ばれずっと蔑まれてきたのだ。嬉しいのだろう。耳が赤くなっていた。
「騙されるなよ」
だが、そんな温かな雰囲気に水を差す声が響く。
先ほどから感じていた冷たい雰囲気。誰か近づいてきている、とは思っていたが、害意が感じられないので気にはしていなかった。顔を上げて見れば、そこには少しだけ合わせたくない顔があった。
「ウェイトさん……でしたっけ」
「モスクと呼ばれているらしいな。騙されるなよ。そいつの言葉、態度、全ては貴様の能力を搾取するための演技にすぎん」
ざぶん、と湯船の中に足を踏み入れる。僕の横に並び、モスクと自らとで僕を挟む位置に付いた。
「どうしてここに?」
「稽古が終わった後に、汗を流しに浴場へ足を向ける。不自然なことではあるまい。それともなにか? 貴様にとって、不都合なことでもあったのか?」
僕が尋ねると、僕もモスクも見ずに、真正面を向いてそう口にする。あくまでも僕に向けて親愛の態度は向けないらしい。
モスクは、ウェイトの登場よりもその言葉の方が気になったようだ。
「さ、搾取って……」
「石ころ屋は、街の悪党どもの元締めだ。従う者だけを配下に置き、従わぬ者を有無を言わさず殺す。一度でも頼った者は、借りを作ったものはもう逃れられない。弱みを握られ使い潰され、最後には、身ぐるみを剥がされ捨てられる運命だ」
「散々な言われようですね」
当てはまるところがないわけではないが、そんなことはしないと言い返せる。
「そのような経験でもおありなんでしょうか?」
「特にイライン付近では、大勢いるだろう。被害者とも言うべき者たちが」
僕を無視して、ウェイトは続けた。
「悪いことは言わん。やめておけ。牙が並ぶ狼の口の中に、頭を突っ込む馬鹿はおるまい」
目を閉じ、長く息を吐く。得意げに言い切ったその顔は、少し不愉快だった。
「でもじゃあ、あれどうすればいいってん……ですか」
「今の話では、石ころ屋で何かを売れ、という話を持ちかけられていた、だろう?」
質問だが、その声には確信がある。偶然聞こえたわけではないのだから当然か。
僕は魔法で声の拡散を防いでいた。僕とモスクの唇をわざわざ読まなければ、会話に割って入ることも出来ないのだから。
「それは廃棄階層で拾った品物だろう。それであれば、持ち主が何処かにいる以上、盗品の可能性もある。衛兵の詰め所にでも速やかに届け出るんだな」
「え、いや、せっかく貰ったのに……」
しかし、どこから聞いていたのかはわからないが、事情の全貌は知らないらしい。モスクはウェイトの提案に顔を凍らせた。
「盗品を売り捌く、など、明らかな違法行為だが」
「今回の品は盗品ではありませんよ。権利者から譲り受けたものです。モスクさんも、それはご存じですし」
重ねて責めるウェイトの言葉を遮るように、僕も参加する。あの髪はシャナからもらった物だ。それを盗品などと言われても困る。
「ほう。本当か、モスク殿?」
薄ら笑いを浮かべながら、ウェイトはモスクを見る。その雰囲気に圧倒されてか、モスクは少し震えながら、それでも首を縦に振った。
「……ならばいい。だが、それならば探索ギルドにでも持ち込めばいい。そちらの男は探索者だからな。その名前を使って」
「探索ギルドが買い取ってくれるかわからない品物なんです。……あの」
口を挟もうと息を吸ったウェイトの機先を制するように、僕は説明を加えていく。いや、それよりも、ずっと気になっていたことを今言わなければ。
「……」
「一応部外者の方が、口を挟まないでもらえますか?」
正直、ウェイトがここで僕らの話を邪魔する行為に正当性はないと思う。
今度は僕の言葉を無視出来なかったらしい。微かに舌打ちの音を響かせながら、ウェイトは僕を睨む。
「詐欺も行いかねない輩に、騙されそうな哀れな者がいるのだ。衛兵の仕事ではあるが、予め防ぐのも我々の仕事だろう」
「犯罪を防ぐのは結構ですが……、ならまず、表の人たちどうにかしてくれません?」
「既にプロンデが付いている」
僕は魔力を張り巡らせているロッカー付近の様子を確認する。
なるほど、あのときのモアイ像がいて、そしてちょうど今三人組が捕まったところだ。
「あれほど露骨に貴様らの荷物に注目しているのだ。荷物置き場を伺う不審な人物も、我らが無視してくるわけがあるまい」
通陽口から尾けてきていた三人。ここで行動に出たか。人目に付かないところで襲ってくると思っていたが、盗みとは。
流れとしては、三人組が周りを見ながら僕らのロッカーの前に立ち、そしてあたかも普通に鍵を開けようとしているかのような流れる動作で鍵を小さな工具で引きちぎろうとした。
そこにモアイ像が現れ、三人とも確保された、というわけだ。
「それはありがとうございます」
「貴様らの気にすることではない。民を犯罪から守るのも、聖騎士の職務の一環だ」
「……でもあれ、お前魔法で守ってたよな」
流れを崩すように、モスクはそう口にする。
「魔法で?」
「ええ。流石にウェイトさんやプロンデさんなら力尽くで壊せるとは思いますけどね」
今度はウェイトが無視される番だ。質問には答えず、あえてモスクの方にだけ答えた。
「……ふうん……」
僕の答えに頷くと、モスクはウェイトの方を一度見て、それから僕の方を見る。
そして、何か決めたのだろう。少しだけ頷いた。
「なるほどな。うし、じゃあ俺、イライン行くわ」
「……理解に苦しむな」
突然の心変わり。先ほどまでは、どちらかと言えば石ころ屋を怖がっていたモスクがそう呟いたのに、苦々しくウェイトは返した。
理解に苦しむのは僕も一緒だが。どうしてだろうか。
「だって、俺を助けてくれそうなのは、その『石ころ屋』のほうっぽいし」
多分にこやかに言っているのだろうが、目つきが悪いせいで不敵な笑みに見える。そういうところ、少しだけ損な気がする。
「言っただろう、狼の口に頭を入れるようなもの、と」
「でも、この街に残っても誰も助けてはくれない。しても、無駄な助けだ」
モスクは決意の目をウェイトに向ける。ウェイトは、眉を顰めてその目を睨んだ。
「聖騎士様の言ってることも、そいつの言ってることも正しいとするよ? 公平にさ。そうすると、撞着が出る……と思ったけどそうでもない。多分、二人とも本当のこと言ってるんだよな」
確かに僕の説明では、商店としての石ころ屋。ウェイトの説明では悪党としての石ころ屋だ。それもなりたつかもしれない。
けれど、そこまで言われると本当に僕もわからなくなった。
使い潰され、身ぐるみを剥がされ捨てられるとモスクは思っている。ならば、そんな場所に行くことはない。
「そうすりゃ、何のことはない。現状を変えるのはどっちかって話だ。このままいても、そして聖騎士様のお言葉通りこの街で品物を売っても、小金が手に入るだけであとは何にも変わらない。また、あの住処に逆戻りだ。でも、イラインじゃ違う」
モスクは僕を見る。それから一度、手で顔を煽った。
「世話にはなれる。借りが作れる、ってことはそこまでは助けてくれるってことだ。なら俺はそっちへ行くよ」
「一時の安息のために、破滅の道を歩むと」
「どうせこのままでも、俺は破滅する」
ウェイトの反論。だがそれに応えたモスクの視線に、一瞬だがウェイトがたじろぐ。
決意に、少しだけ迫力が混じった。
「聖騎士様の言っていることは正しいんじゃないですか。でも、俺はその正しい言葉には助けられない。なら、生きられないこの街よりも、使い潰されるまでは生きられるイラインを選ぶ。それに」
モスクは僕を見る。笑顔に、目つきの悪さはなくなっていた。
「さっきの言葉が嘘だとしても、俺、嬉しかったし。本当だったなら、そうそう死なないだろうし、夢だってちゃんと叶えられる」
「……本当のことですよ……」
若干大げさには言ったが、今度は僕の方が恥ずかしくなって目を伏せる。
「ならいいじゃん。とにかく俺は、イラインへ行く。そこで、真っ当に手に入れた俺の品を買い取ってもらう。俺の行動は、法に触ってます?」
「そこは、盗品を扱っている違法な店だと」
「じゃあ何で潰していないんですか?」
モスクが聞き返す。だが、ウェイトは答えない。
「俺は確かに、その店が盗品を扱ってるなんて噂を聞いた。でも、それは客である俺とは何の関係もないことだ。以上、行くぞ」
ザバとモスクは湯船から上がる。強気な動きだ。けれど、その手は少し震えていた。
「……後悔、しないといいがな」
「後悔するほど生きられるなら、俺はその道を選びます」
そう言って、ずんずんと大股で浴室を出て行く。更衣室の影に隠れるまで、僕は見送った。
僕も行かなくてはいけない。だが一つ、気になることも聞いておきたい。
「貴様も行かなくていいのか? 悪友が待ってるぞ」
「ええ、すぐに。でも、一つだけ聞いておきたいな、と思いまして」
僕は笑顔をウェイトに向ける。それを忌々しそうに見つめるウェイトは、奥歯をかみしめていた。
「石ころ屋、そんなに嫌いですか」
「好きな者などおるまい。悪人たちを支える犯罪組織。犯罪の温床。そのような者を好むとしたら、それこそ滅ぶべき者たちだけだ」
その言葉に、僕も内心頷く。それは、石ころ屋の者たちすら思っていることだろう。
だが、その言葉に嘘がないにしても、もう一つ要素がこの男にはある。昨日の道場内で顕著だったこと。
「石ころ屋が嫌いなんですか? それともレイトンさんが嫌いなんですか?」
「……何を言っているのかわからんな」
言葉はしらを切る態度をとっているが、水面下の手が少し動いた。多分、動揺している。
「それこそ、好きな者などいない、でいいじゃないですか」
少しだけ挑発する。嘲るようなその言葉は、予想以上にウェイトを刺激したらしい。
「……貴様が知る必要のないことだ! 早く帰れ!!」
魔法での遮音は既に解いてある。浴室に響き渡る大きな声に、注目が集まった。
ミールマン編はあと二話分で終わる予定です。




