揺らぐ言葉
「あれ? 焦熱鬼のこと?」
僕の指の先にある太陽のような頭部を見て、シャナは眉を顰める。その言い方では、答えは決まってしまっているだろう。そう思ったが、やはりシャナは首を横に振った。
「駄目に決まってるじゃない。話に聞く限り、この街の建築はこの部屋、それもその焦熱鬼から発せられる熱に依存している。上げられるわけがないでしょ」
「いや、その眼球部分を取り上げようなんて思ってはいません。それに多分、外に出したら大変なことになるでしょうし」
それは僕もわかっている。
近づいた人間が灰になるほどの熱量を放っていた魔物の熱の発生源。それも、死後強くなってしまったその熱が全くの無制御で眼球から放たれているというのであれば、近くに置くだけで危うい。
……それを考えれば、今のこの状況も危うい気がする。シャナが抑えているから、この街が焼けていないと言っても過言ではない。多分、シャナがいなくなればすぐにこの街は大きなオーブンと化すだろう。多分、何千人と死ぬ。
だがまあ、それは今はいいだろう。精霊化の途中ではあるが、もはやシャナに寿命は無いと思っていい。詳しくは知らないが、その寿命を克服するためにやっていることなのだから。
それよりも。
「眼球以外の部分、熱を発していない部分はもらっても構わないですよね」
「う……ん……? それならいいけど」
「なら、分けてください。肉や髪の毛、牙なんか」
「んなもんもらってどうすんだよ」
僕の言葉にモスクが反駁する。ねだる僕、悩みながらも了承するシャナに、納得できないモスク。この場にいる人間の常識が少しずつ違うのが如実にわかった。
僕はモスクに言い聞かせるように口を開く。
「売れます。多分、とても高額で」
「んなっ……!」
驚き口を開くモスク。わからないのも無理はないか。シャナもわかっていないのだろうか。いや、多分知識として知ってはいる。だが、実感がないので即座には浮かばないのだ。現場で戦闘を行うとはいえ、その死骸の利用などは王族たる身ではしないのだろう。
「そういえば、直接教えていませんでしたっけ。僕は探索者。聖領から魔物の死体を持ち帰るのも生業の一つなんです」
「なるほど、私の時代にもいたわね、そういう人たち」
シャナの方は、納得したように頷いた。
モスクにとって、宝物といったら、皿や本だった。廃棄階層といえども金品が置き忘れられていることなど少なく、手に入るものといったらそれくらいだったのだから仕方がない。
それでも、そんな身でありながら本を燃やすでもなく売るでもなく、将来のために読むという行為を選んだのは尊敬すべき行為だ。少なくとも、ハイロなら絶対やってない。
シャナにとって、情報とは宝だ。謀略に慣れ親しんだ王族の身で、情報は利益を得るために必要だったろうし、身を守るためにも使えたのだ。もちろん、金貨などのわかりやすいものもあるだろうが。
実は僕の立場は若干微妙だが、僕を探索者とすればその宝は探索で得た全てだ。
今回で言うのであれば、廃棄階層の地理、その探索のノウハウ、この部屋の存在を知ったこと、シャナと知り合ったこと。そして、焦熱鬼の遺体、というものの存在を知ったこと。
焦熱鬼の遺体は、僕にとっては重要なお宝だ。
なんせ、貴重な魔物。それも、聖領の奥深くにしかいない聖獣ともなれば、手に入れるのは当然難しく、価値が出やすい。
問題があるとするならば、探索ギルドも万能ではないということだ。手に入るのが難しいということは、利用価値が認められているかどうか、まだわからないかもしれないということでもある。貴重すぎて価値がわからなかった化け狐のように、判断に困る代物かもしれない。
しかしそれでも、探索者ではなく、僕にとってはお宝になり得る。
「探索ギルドに持ってくのか? これを?」
「いえ。そうしてもいいでしょうが、それだと買い叩かれる恐れもあります」
そんな魔物知らない、と突っぱねられたら証明のしようがない。僕が色付きであることも考慮されるとは思うが、それでもその恐れは消えず、そしてそうなれば仮に誰かが同じ素材を手に入れたときに迷惑な前例を作ってしまう。その辺りは気にしなくてもいいとは思うが、それでも、避けておきたい。
「説明は後にして、とりあえず髪の毛を切り取っても……?」
「いいけど、怪我……、貴方なら心配ないか」
僕を一瞬止めようとはしたが、それ以上シャナは何も言わず了承してくれた。だが確かに、この熱量のものに近づくのは危ない。
「モスクさんの保護をお願いしても?」
「構わないわ」
「……俺には聞かねえのかよ」
シャナと僕は頷きあう。モスクは小さく文句を言うが、僕かシャナのどちらかがいなければ一瞬で焼け死ぬのだ。気にしない。
侵入してきた魔力波を邪魔しないようにし、変化を待つ。
やがて、モスクが驚きというか戸惑いの声を上げた。
「……お……?」
自らの体を触ろうとするが、その手が空中で止まる。胴体まで手が届かず、ふわふわと何かを押すような仕草をする。
「エーリフの海を泳ぐ、赤蛭の粘膜を参考にしてみたわ。そもそも熱に強いのに、その上空気を使って熱を感じづらくするなんて頭良いんだか悪いんだかわからないわよね」
エヘンとシャナが胸を張る。先ほどの人工生物の動きそのままだ。
「自分の体が触れないんだけど」
自らの体を覆う、不可視の装甲。それに対し気持ち悪そうにモスクは顔を歪める。
「我慢しなさい」
だがそれを無視するように、シャナはそう吐き捨てた。
「さて……」
モスクから離れ、無造作に焦熱鬼の頭に歩み寄る。
尋常の者なら焼け死ぬ熱量も、狭めた僕の障壁であれば耐えられる。だが、やはりモスクがいては駄目なわけではないが多分やや危ない。シャナが、随行する騎士を死なせた話がわかる。
その白い髪の毛は細く、僕の髪の毛よりもむしろ細い。手に持ってみれば、絹糸のような質感。鬼というくらいだから針金のようなものを想像していたが、そうではなかった。
その髪の毛の一部を、根元から切断する。僕らの体以上に大きな頭部だ。髪の毛も長く、一房を束ねると取り出した袋がいっぱいになった。この髪の毛自体は熱を発していないようだが、燃えていない。それだけで使いようはあるだろう。ずしりと手に感じるその重さに、僕はそう確信した。
牙や肉はまた別の機会でいいだろう。別の機会というか、僕自身が取りに来る気はさらさらないのだが。
「それだけでいいの?」
「ええ。充分です。これだけあれば、話にはなる」
背負うような袋にぎちぎちに詰め込まれた髪の毛。これだけの量があれば、性質の実験などにも使えるだろう。ひっぱってもなかなか千切れない丈夫な繊維。熱に強い耐熱性の繊維とも考えられるかもしれない。
リコに見せれば大興奮するかもしれないが、……いや、やめておいた方が良いか。
髪の毛を詰めた背負い袋。
それをモスクに向けて差し出す。
「よかったですね。お宝が手に入りましたよ」
にこりと笑い、そう口にするが、モスクはまだ納得いっていないようで首を傾げた。
「え、いや、お前のもんだろ?」
「ここで見つけたお宝は山分け、という話でしたが」
何を、と思えばそんなことか。
だが、僕への報酬すら決まっておらず、そもそも僕が求める気が無いのに律儀なことだ。
「ここの探索に付き合ったのは、水天流の道場を覗けなくした件の謝罪ですし。気にしないでください」
それに、これはこのままでは換金できないだろう。
まだ説明していないことも残っているのだから。
「気前が良いわね」
「そうでもないです」
その説明していないことを説明してしまえば、そうも言っていられないかもしれない。
何せ、これはモスクの足を外に向けるためのもので、モスクが言っていた、『俺たちの運命』を覆させるために持たせるのだから。
「まあ、あんがと。金に換えたらお前にもなんか礼しなきゃな」
「いいえ。結構です。僕の気遣いと、それにちょっとした嫌がらせになるかもしれないので」
笑顔で返した僕に、モスクは言葉に詰まる。
いや、別に嫌がらせをする気はないし、嫌がらせをするいわれもないのだが。
「どういうことだ?」
「まずはこれを持って探索ギルドまで一緒に行きましょう。それから、モスクさんの今後を説明します」
「……何だか楽しそうね」
僕だけが納得しているこの場で、シャナがそう言葉を吐く。言葉の端に、少しだけ悲しみが見えた。
「シャナ様もいらっしゃいますか? 本体を運べば、ある程度ご一緒できるのではないでしょうか」
建物伝いに魔力を通している、とシャナは先ほど言った。ならば、乾いた本体が多少上に動こうとも問題は無いはずだ。そこから分霊体とやらを飛ばせば、上層までこれるかもしれない。
だが、シャナは首を横に振った。
「駄目ね。精霊化が完了していない以上、私はこの場を動けない。この部屋から一歩でも出れば私の自我は消滅し、熱が上層まで駆け上がるわ」
「……そうですか」
予想は外れた。ならば、向こう百年はここを動けないと、そういうわけか。
「そこ、俺もちょっと納得いってないんだけど」
モスクが口を挟む。何処に向かっているかはわからないが、怒りが言葉の端に見えた。
「何であんたが、いや、あんただけがそんな辛いお役目をしなくちゃいけないんだよ。怠けてる……ってのとはちょっと違うかもしんないけど、上の馬鹿どもに少しくらいやることまわしてやれよ」
「……何で?」
シャナを気遣うモスクの言葉。だが、シャナはその心意気に一切の共感を示すことなく聞き返した。
「何で、って」
「私は辛くなんてないわ。そこのところは、貴方の言っていることはちょっと違うわね」
シャナが立ち上がる。その動きに合わせて、椅子になっていた人工生物が弾けた。
「私は王族よ。生まれてからここに落ちるまでずっと、民のために生きよと言われてきた。そして、税や労働、民のおかげで私たちの生活が保たれてきた。だから私も、自分にそう言い聞かせ続けてきた」
上を見上げる。シャナは、笑っていた。
「私は今幸せよ。この部屋で焦熱鬼を封じている限り、定期的に熱を排出している限り、ミールマンの民は恩恵を受けている。民のために生きていられる。あと千年、焦熱鬼の熱が尽きるまで、私はここで暮らしてみせるわ」
「だって、そんなの……」
「いいえ、貴方たちの気遣いはとても嬉しいの。ありがとうね。でも、私は私である以上、ここから離れない。離れるわけにはいかない。だってそれが、『王族の義務』なんですもの」
「自分のことなど、どうでもいいと」
鼻から息を吐きだし、顔を下げて僕を見る。その顔には、ずっと笑顔が浮かんでいた。
「そうね、一つ残念なことがあるとすれば、あれが見えないことかしら」
「あれ?」
ぴしりと部屋の外から音がする。だんだんと大きくなるその音は、近づいたり遠ざかったりしながら、上へと登っていった。
「青空。最後の日、土煙と水蒸気に包まれて見えなかった青空よ」
シャナは目を細める。空。それは、この部屋から一番遠いものだろう。
「でも」
「さあ、その宝物を持ってどこかへ行くんでしょ? そろそろ帰りなさい。呼び止めて悪かったわね。外に、上の階層に出られる階段を作っておいたから」
指さす先は、僕らが入ってきた部屋の入り口。先ほどから響いている音が、ゴウンとひときわ大きな音を立てて、それから聞こえなくなった。




