教えたい病
くり抜いたかのように、綺麗に穴が開く。
その先の部屋は暗闇ではあるが、それでも僕の目であれば中までが見通せる。今いる部屋と同じく、何も荷物など置かれていない部屋。
話が違う。何か出てくると、そういう話だったはずだ。
僕がモスクの顔をじっと見つめると、モスクは慌てるように震えてから眉を顰めた。
「ん、んだよ!?」
「で、何が出てくる予定だったんです?」
「見りゃ分かるだろうが、この先昔は食料の保管庫だったから、食器とか色々……ありゃ?」
僕が聞くと、モスクは目の前の光景を解説しようとした。しかし、自分でその中の光景を目の当たりにすると言葉を止めた。中が、自分が思っているような状態ではなかったのだろう。
「見ての通り、何もありませんが」
もう一度、今度は伝わるようにはっきりと言うと、モスクも申し訳なさそうに声を潜める。
「あー、悪いな。何もねえみたいだ」
それから、大きく頷く。その動きでずり落ちてきた眼鏡を両手で持ち上げて、位置を調整した。
「けどよ! ここならお前が住んでも問題ねえよ。よかったじゃん、俺のおかげで住む場所見つかってさ!」
「ですから、僕は住む場所などどうでもいいと……」
まだ続いていたのかその勘違い。まあ、釈明もしていないから当然だけど。
しかし……。
「で、何を僕はさせられたんですか? 説明の一つも欲しいんですけど」
突然穴の奥に案内され、そこの壁を壊せと言われた。ここまでは大人しく付いてきたが、そろそろ説明が欲しい。目下気になっているのは、彼が読んでいた本についてだったが。
「馬鹿だな、お前まだそんなこと言ってんのか。お前も通陽口の探索が目当てだろ?」
「つうようこう?」
知らない単語が出た。何だろうか、感じからすると、陽の光を通すとかそんな感じか……、どこまで?
「え? まじで? まじで言ってんの? お前よく今まで生きてこられたな」
「この街に来たのは初めてだと、何度も言っていますが」
抗議の言葉を口にする。目を細めて言えば、ここに至ってようやく聞く気になったらしい。
「……え、この穴にじゃねえの?」
「ええ。この街に、です。その言い方ですと、ここ以外にもこんな穴が?」
この穴、というのはここに来るまでに使った螺旋階段のような縦穴だろう。
で、その穴が通陽口と言われていて、通陽口は複数ある。そんな感じか。
「あ、ああ。全部で四十八個……かな?」
「そうでしたか」
上から見たときにまず気づいた穴がここだったから来たが、じゃあ他にも結構あるのか。
見た目イラインの四分の一ほどの面積だった。隅々まで見れてはいないのだからまあ仕方ないだろう。
ここまで話して確信する。いや、もう分かってはいたことだから再確認か。
モスクは、僕よりも多くを知っている。ならば、この少年から学ぶのも良いだろう。
「……一つ手伝ったんです。この街について、教えていただいても?」
「何も手に入んなかったのにか? んなもんするわけ……」
「お願いします、先生」
「……上、戻るぞ」
少しだけ顔を赤くしてモスクは僕の言葉に応える。言葉の端々から漏れる自尊心は、簡単にくすぐることが出来るようだ。
「じゃあ、どこまで知ってるか分からないからはじめから適当に話すぞ」
「お願いします」
はじめに出会った部屋に戻り、モスクは木の箱、僕は床に座る。
教えを請われたのが嬉しいのだろう。目の前の少年は腕を組み、唇の端を釣り上げながら口を開いた。
「まず、この街ミールマンは、エッセンの北東に位置する副都だ。副都ってわかるか?」
「ええ。僕が住んでいたのも副都イラインですので」
僕がそう言うと、モスクはそれを鼻で笑った。
「そんなところからわざわざ来るなんざ、よく分かんねえ野郎だな……まあいいや」
モスクは足下に地図を広げる。僕の目の前に広げられたそれは、先ほどモスクがなにやら検討していたものだ。
薄い紙が何層にも重なり、複雑な模様となっている。先ほど入っていった中を考えれば、この意味がもう分かった。
「歴史とか教えるより、これ見せた方が早いだろ。これが、俺が調べたこの付近の構造だ。一枚が一階層。さっき入った廃棄階層は……」
何枚も捲っていくが、全て違うその図柄を、全て自分で調べたというのか。
僕が僅かにそう感嘆していると、ようやく先ほどの階層の地図を見つけ出す。
「これ。で、さっき入った部屋がここ。なんかあると思ったんだけどな……」
そう言いながら指したのは、地図の空白部分。未踏破の部屋ということか。
「さっきから思ってたんですが、何で建物の中なのに地図に無いんです?」
「あん? 馬鹿言うなって、使われていないところが地図になってるわけないだろ?」
ん? と互いに顔を見つめ合う。お互いに、少し違うことを言っていることに気が付いたのだろう。モスクはメガネを直し、さらに声を上げた。
「いやいや、そうか、そこからわかんねえんだもんな。すまんな」
「いえ」
解説してくれるのであればそれだけでいい。
モスクは薄い紙束のうち、一番下の紙を見せながら言った。
「これは俺がこの通陽口の付近で調べられたうち一番深い階層、七十二階層の地図だ。本当はもっと下まで続いてる」
「七十二階!?」
僕は驚いて声を上げる。この街の地下には、いや、この街はそれ以上の階層を積み重ねて作られているというのか。
驚いた。というか、その一番下の階層でもそこそこ詳しく調べられている。モスクのその根気もすさまじい。
「この街に初めて来たって言っても、どっかで見てんだろ。この石の塊の街が、上に伸びて作られてんの」
「ええ、確かに」
改築と間違えた増築。それをずっと繰り返しているのか。
感心している僕に、モスクは傍らから本を取り出す。先ほど読んでいたものではなく、表紙が擦り切れ、端には繊維が見えるほどボロボロの古い本だ。
「この本によると、始まりはただの見栄だったらしい」
「見栄、ですか?」
パラパラと本を捲る。そのたびに細かい紙の屑が落ちた。もっと丁重に扱わなければ。
「そう、この街の北に、この街と同じくらい巨大な岩石が落ちているってのは?」
「そこまでは見てないですね」
街を出て北にさらに行けばいいのだろうが、そこまではまだ見ていない。
モスクは薄く笑いながら、それがあるであろう方向に顔を向けた。
「また見てこいよ。何百年も昔に、聖領イークスから飛んできたって話だ。黒く密に詰まった部分は固く武器にも使えるほど丈夫で、白く柔らかい部分は脆いが加工しやすい。場所によって使い道が変わるその石が、ここで使われている建材だ」
「聖領由来の素材ですか。道理で」
イラインよりも石の質が良いわけ。それがこれか。というか、アウラに浮かぶ山脈がイークス由来だったと聞いたが、そこから遥か遠くのここまで飛んでくるのか。
……飛んでくる?
僕は、山脈ほどのある石が着弾する様を想像して肝を冷やした。
「で、技術の自慢としてその石を使って建物やらなにやら作り出したのが、この街が一塊になっていった始まりらしい。そこから今に至るまで、この街は建材の販売で食ってる。農業もやってるけどな」
「はあ、それでこんなに大きく……」
そこまで口に出して、いや、と内心思う。
それは石造りの建物を使うのが盛んになった理由というだけで、ここまで階層を積み重ねる理由ではない。
人はそう馬鹿ではない。何かをするには、それなりの利点があってするはずなのだ。
「いや、でもどうしてそんなに階を積み重ねているんです?」
「あー、ああ、それは、重ねているってより塊にしてるって方が正しいんだけどよ……」
モスクがそこで言葉を止める。言いかけて、それから入り口の方を見た。
「日の当たり方から見てそろそろだし、見てればいいやな。どんな馬鹿にもわかる実演が待ってるぜ」
「……そうですか?」
僕も入口の方へ視線を向ける。そこには先ほどまでと全く変わらない向こう側の壁が見えていたが……。
「何も……」
「ほら、そろそろ音も聞こえてきた」
「音?」
確かに。耳をすませば、低い唸り声のような音が聞こえる。まるで、角笛のようにも聞こえるそれは、下の方から響いている感じだが。
やがて、変化が訪れた。向こう側の壁が揺らめいた気がする。
そして、次の瞬間。
「わ」
驚いて声が出る。
ここまで下りてきていた竪穴。そして入り口から、灼けるような風が伝わってくる。
ゴオオオと音を立てて登ってきた熱風。
その熱に、モスクの住居も蒸し焼きにされるかのように熱くなっていた。




