変わった空気
「メルティ様! 御無事で!!」
通りまで出て少し歩けば、血相を変えてソーニャが走り寄ってきた。そして、メルティに抱きつかんばかりに詰め寄り、体を検分し無事を確認するとホッと息を漏らす。
ハイロにメルティを害する意図はなかったことは一応明確なのだが、まあ当然の反応だろう。お付きの者から引き離され、たった一人で意図せぬところに連れ出される。メルティが望んでいたことだとはいえ、行為を見れば普通に誘拐だ。
それを示すように、ソーニャはメルティとハイロの間に割って入る。睨むような……いや、ようなではない。睨まれたハイロが小さくなった。
「貴殿を信用したのが私の過ちだった。それ以上近づくな。狼藉者……!」
静かな言葉に現れる怒り。恐らく、防がなかった僕への怒りも無意識に混ざっているのだろう。それが今現在、ハイロにだけ向けられているのは申し訳ないのだが。
僕はハイロとソーニャの間に足を踏み入れ、ハイロに向けられていた視線を切る。
「申し訳ありませんでした。私の油断と失態です。メルティ様を見失うなど、面目次第もございません」
頭を下げて、そう謝った。正直今回は、責任は全員にあると思う。けれど、一番はやはり僕だろう。
守り切る自信はあったし、そもそも敵と出くわすような真似をさせる気もなかった。オトフシ曰くの探索者の護衛任務であればとくに問題はないはずだが、それでも護衛対象をわざと拉致させ危険な場所まで走らせたというのはやはり問題だろう。
「いや、よく連れ戻してきてくれた。メルティ様が無事であれば、カラス殿に落ち度はない……というのが探索者への護衛依頼というものなのだろう?」
「……ええ、まあ」
自分に甘いとは思うが。
「ならば、責める気はない。それに甘えてこのような現状を作り出した私にも責任がある。探索者に依頼したのは窮余の策だったのだから」
それに甘えて、というのは途中色々と条件を付け加えていったことを指しているのだろうか。まさか、確信犯だとは思わなかった。
そして、優し気な言葉ではあるがやはり表情は不満げだった。当然だが、落ち着いてから考えて、僕がおかしな行動をとっていたことに薄々感づいたのだろう。僕が捕らえられないはずがなかった。それに気が付いたからこそ、最後の嫌みが入ったのだろうから。
僕がなぜ先触れを急がせたか、そこまで気が付いているかはわからないけれど。
「すみませんでした!」
僕の斜め後ろで、勢いよくハイロが頭を下げる。メルティは沈んだ顔で振り返らず、ただソーニャだけがその後頭部を見つめていた。少しの罪悪感のせいだろう。冷たい視線が、まだ僕にも降り注いでいる気がした。
「……謝って済む問題ではない。ハイロ殿がメルティ様を拉致していた最中、もしも賊がメルティ様を狙ったらどうするつもりだった?」
質問の形をとっているが、質問ではない。ハイロの返答を待たずに、言葉は止まらない。
「なるほど、数人相手の喧嘩ならばハイロ殿は勝てるだろう。カラス殿もそう言っていた通り」
頭を下げたまま、ハイロが横目でこちらをちらりと見る。だがそんなものを気にすることもなく、ソーニャは続けた。
「しかし、メルティ様を狙ってくる輩がするのは喧嘩などではない。結果的に命を奪うのではなく、最初から命を奪いに来るのだ。それでもなお、ハイロ殿はメルティ様を守りきる自信があったと……?」
「…………」
「勘違いなさらないで頂きたい。今日の遊行中、ハイロ殿に期待したのはメルティ様の案内係のみだ。それ以上の関係など望むこともなく、また実現するはずがない」
「それは……」
「話は以上だ。メルティ様……」
行きましょう、と呼びかけようとソーニャが振り返る。だがその動作と言葉を止めるように、静かにメルティが口を開いた。
「革命軍の、集合場所を突き止めましたわ」
「……、なんと」
一瞬言葉の意味を考えて、それから飲み込んでソーニャは驚いていた。だが、それを今言ってどうするのだろうか。メルティは少し光を失った目でソーニャを見て、その意図を打ち明け始めた。
「ハイロ様の手柄です。ハイロ様が、武装集団が隠れやすい場所を探し当ててくださいましたの」
「……つまり、その武装集団の下まで、メルティ様をお連れしたと……?」
ソーニャの敵意が濃くなった。探し当てたというメルティの言葉、それを無視してソーニャの言う通りに解釈すれば、たしかにハイロの行動はそういうことだ。けれど、それは僕の企てによるもので……。
僕はそう擁護しようと口を開けるが、それよりも早くメルティの言葉が皆の耳に届いた。
「いいえ。偶然……ですけれどー、ハイロ様がいらっしゃらなかったら見つけられませんでした。ですから……」
そこまで言って、言葉の最後が消えてゆく。メルティの中でも言葉に出来ていない、そんな印象だ。
「それが……、いえ、メルティ様は、その功罪を相殺せよというのですか……?」
そういったことは言葉にし慣れていないのだろう。ソーニャが代わりにその後の言葉を継ぐ。ソーニャがそう尋ねると、メルティはコクリと小さく頷いた。
「それは……」
「ねえ、ソーニャ、私もこれで大人しく帰ります。しばらくは、外出もしたいなんて言いません。ですから、ハイロ様をそんなに……、それに、そんな怖い顔は……」
意を決したように、だが小さな声でメルティはそう嘆願する。それを聞いたソーニャは一瞬眉を顰め、そして微かに……笑って? 笑った、たしかに笑ってからまたハイロを見た。また、メルティの言う怖い顔で。
「……命拾いしたな」
「え……!?」
そこまでずっと頭を下げていたハイロが頭を跳ね上げる。まさか、そこまでとは思ってもなかったのだろうか。本当に驚いたような顔で、唾を飲み込んだ。
「……ハイロ殿がついてきていたのは、メルティ様が許可したからだ」
「え、はい……」
ポツポツとソーニャは呟くように、ハイロに言い聞かせるように言葉を続ける。
「道中、メルティ様を楽しませたという功績がある。二人にさせたのは私の案で、そのせいで貴殿が勘違いしたということもあるだろう」
「か、勘違……」
少しの抗議の声がハイロから上がる。だが、ハイロはソーニャの視線にまた小さくなった。
「拉致は、メルティ様も望んだことだった。そしてそこで、警戒すべき敵の所在を明らかにした」
そこまで言って、一瞬黙った。ハイロをじっと見れば、次に何を言うかわからずに唇を引き締めている。
メルティも、下を向いて黙ったままだ。
「その要素が一つでも欠けていたら……また、帰ってきたメルティ様の肌に一つでも傷がついていたら……」
ソーニャから圧力を感じた。闘気や魔力といった直接的なものではない。ただの錯覚だろう、だが凄みとでもいうべきそれは、その言葉が真実であると語っている。
「ここでお前の命は終わっていたぞ。後で私がどれだけの叱責をメルティ様から受けようと、な」
覗けばゾッとするような冷たい目。僕が今まで相対した、面白半分で命を奪うような者には無かったその目は、僕までも威圧した。
「…………はい、すいませんでした…………」
微かなりでも反応を返せたハイロは、やはり度胸があるのだろう。もしもその目で睨まれているのが僕だったら、正直僕は返事が出来る気がしない。
「禊は済んだ。カラス殿、帰り道もよろしく頼む」
「は、はい!」
もはやハイロなど眼中に無いように、ソーニャは僕を見る。緊張したその顔は、メルティのデートを見守っていた時とはもはやかけ離れて見えた。




