同じ煙を
それからも続く二人のショッピング。
やがて陽も落ち、空は赤く染まる。点灯夫が道行く人に声で注意を払いながら、街灯に火を点していく。
そこまでの楽しそうな二人のデートは、今まで通りだ。いうまでもないだろう。
「ねえ、ハイロ様ー。ああいったものって、どんな味がするのですー?」
メルティが指さした先は、軽食屋のテラス。しかし、そこで食べられているものを指しているのではない。
二人の男が座り、談笑している席。その二人の間には小さなテーブルがあり、テーブルの上には何かの実験器具のようなものがそれぞれ一つずつ置かれている。
その器具は、掌よりも少し大きいくらいの香水の瓶を二つまとめたような形をしており、片方の瓶から短い金属の管が飛び出している。中身といえば、片方の瓶の中には炭が燃えており、管が出ている瓶には水らしき液体が見えた。
いたずらっぽくハイロは笑う。まるで、悪戯に人を巻き込むように。
「吸ってみますか?」
「是非ー」
軽快にメルティは答える。そして二人並び、軽食屋の会計がある中に連れ立って入っていった。
その器械が何かは一見してわからない。だが、その使っている姿を見れば、すぐに何だかわかった。
男たちはその金属の管を口に咥えると、息を吸う。それから管から口を離し、吐く。その息には色がついており、ここまで臭いが漂ってきた気がする。
軽食屋の中で、副業としてか売っているらしい。葉っぱも含めて銅貨四枚。嗜好品らしく結構高い。
そしてやはりハイロもそう思ったらしく、メルティの分、一つだけ買っていた。
「……あ、あんなものを……」
入口の辺りでそれを見ていたソーニャが、唖然とした顔で一歩踏み出す。先ほどの鍛冶職人に絡まれたときは動かなかったのに、こういう時にはすぐに足が出るのか。
「水烟管くらいいいじゃないですか」
「いや、あれは肺の病のもとと聞く! メルティ様のお体に障っては……!」
「別にすぐにどうなるわけでもありませんし」
だが、やはりソーニャも姿を見せる気はないらしい。まあ、今出ていくのも雰囲気的に難しいし、その気持ちはわかる。だが、嫌みの一つくらいは言ってもいいかな。
「……二人にしなければ、こんなことなかったのに」
「そうなのだが……、そうなのだが……!」
ソーニャは唇を真一文字にして悔しがる。二人にしてやりたいと言ったのはソーニャ自身だ。その辺は受け入れるべきだろう。
しかし、随分と表情豊かになった。
メルティはずっとのほほんとした笑顔だが、ソーニャは固い表情から、今となってはころころとよく変わっている。メルティがソーニャから離れて羽を伸ばしたかった、というのは本当かもしれないが、もしかするとその逆もあったのではないだろうか。そう邪推してしまうくらいに。
「こちらに火をー……?」
「はい。小さな炭に火をつけて、葉っぱをまぶして……」
二人もテーブルを囲んで座り、そしてハイロの講習が始まった。ハイロの方は吸ったことがあるらしく、慣れた手際で蓋を外し中に必要なものをセットしてゆく。
それを見ながら、ソーニャもわずかにほくそ笑んでいたが。
「ふふふ、だが、出来まい。火をつける道具をメルティ様は持っておられないからな……。日常的に使わないのであれば、ハイロ殿も持ち歩いてはいまい」
「多分それも必要ないと思いますが」
水を差すように突っ込みを入れてゆく。なんだか役割が固定されてきた気がする。
「……ええと、ちょっと待ってて」
ハイロは立ち上がると、近くにいた先ほどから座っていた喫煙者に話しかけた。
「すみません、何か火種を貸していただけませんか?」
「おう、ハイロじゃねえか。いいぜいいぜ、貸すなんて言わず、俺らも上がるし、使ってたやつで良けりゃあやるよ」
タバコを吸っていた男は、自分の水タバコの中から火が付いたままの砕けた小さな炭を取り出し、掌に乗せてころころと転がす。もぐさでやるのは知っていたが、炭でも熱くないのだろうか。……多分熱いと思う。
「ありがとうございます。また仕事中に伺いますが、よろしくお願いします」
それを自らの水タバコの中に落としてもらい、ハイロは頭を下げた。話しかけ方からして多分ハイロの方は男を覚えていないだろうに、社交辞令まで出来るようになったとは。
「喫煙者って仲間意識あるそうですし、そもそもこの辺りはハイロも顔見知りが多いので」
「……く…………」
ソーニャは、歯を食いしばってメルティの下へ届けられる煙草を見つめていた。
……しかし、その顔見知りが多いこの街でハイロは流血沙汰を起こした。問題を起こせば仕事に差し支えがあるこの街で、だ。
躊躇っていればメルティに危険が及ぶことになったはずだし、躊躇いが無かったのはいい。その時のことを何とかしなければ、その後のことなど考えられないのだから。
そして、今回は被害者に傷も何も残ってはいないだろう。僕が治したし。あるのは血の汚れくらいだ。
けれど、恨みは残る。
その後のことも、考えておかなければ。ハマンとその手下によりハイロがリンチされた事件。その再現をさせるわけにはいかない。
考え事をしている間にも、二人の作業は進む。水のフィルターに、コポコポと泡が混じった。
「あとはここから煙が吸えますので……、あんまり深く吸い込まないでくださいね」
「ええとー、こう……かし……ゲホッ! ゲホッ!!」
言われたとおりに紫煙を吸ったメルティが酷く咳き込む。初めてならば仕方がないだろう。僕は吸わないからわからないが、慣れるまではそういう人もいるらしいし。
それよりも、僕の隣の方が問題だ。
ソーニャの目つきが少し座った気がする。そして、闘気の密度が増して、僕が透明化のために使っている魔力が増えてきていた。こちらは気のせいではない。
「……何事も経験と言いますし……」
「それでも、わざと毒物を体に取り込むなど、正気の沙汰ではないだろう!?」
「まあ、そうですけど」
毒、ときたか。……別に擁護するわけではないが、それを楽しんでいる人もいるだろうに。
「だいたい、ハイロ殿は……」
「煙臭い、ですわー」
「ハハ、本当に煙だしな」
笑うハイロに、恨みがましい目でメルティが抗議する。それを受け流し、ハイロは明るく笑った。
少しばかりいい雰囲気だ。そう思って見ていた僕の目に、それなりに微笑ましい行動も飛び込んできた。
「ハイロ様は、吸えますのー?」
「もちろん」
得意げな顔で、メルティが差し出した水烟管を手に取り、そして吸う。長い時間吸引し、口の中に溜めた煙。横を向いて吐きだされた大量のその煙に、メルティは目を輝かせた。
「っっ!! ゲホッ! ゴホ!!」
次の瞬間ハイロは、自分でも気が付いたようで咳き込んでしまったが。
「……カラス殿には悪いが、やはり二人にしたのは失敗だったようだ。あの痴れ者を……!」
「ええと、そういきりたたずに」
僕は苦笑しながら、刃物を使えるように掌まで出したソーニャを止める。これは流石に止めなければ。殺す気は無いだろうが、痛い目くらいは見せる気がする。どちらにも責任はないだろうに。
「煙草の共有くらい、いいじゃないですか」
水タバコは多人数で同じ煙を吸うようなものもある。流石に吸い口の共有まではしないだろうけど。
「しかし、まだ嫁入り前だぞ?」
「ご本人は気にしていないようですし、別に直接口づけをしたわけではないですし」
この世界でも、口づけの意味はそれなりに重い。婚姻前の王女が何処の誰ともしれない男としていたなんて、罪にはならないだろうがそれなりにスキャンダルにはなる。
だがまたそれも、バレなければ問題にはならないし、そもそも直接でもない。ただの間接キスだ。これはほぼ、気分だけの問題だろう。
そして、口には出さないが問題にはならないだろうもう一つの理由。
メルティは、もはや王女ではない。今はイラインに保護されているが、国を追われ、すでに王族ではないはずだ。何処の誰と何をしていようが、何も問題はないはずなのだ。
暗くなってきた街で、煙草の灯りが二人の間を行き来する。
もはやハイロも開き直ったのか、煙に慣れようとするメルティに手本を見せるように吸っていた。いや、微かに顔が赤くなっているので慣れたわけではなく、下心もあるだろうが。
歯ぎしりの音が近くから聞こえるのは気のせいだと思いたい。
仲良さげな二人を見つつ、警戒を続ける。二人だけを見ていても飽きるので考え事も続けながらだが、警戒できていれば問題ないだろう。
疑問がまとまってきた。
メルティに、騎士を使ってまで護衛する価値があるのか。
国を失い、後ろ盾も無くなった王女を守る価値などどこにあるのだろう。エッセンが助けを求められたとしても、精々住居を用意して住まわせるくらいで終わると思う。襲撃事件が起きた後、騎士団による警戒を強めてまで守る理由がどこに?
そして、メルティの荒事への忌避感の無さ。
初めは、ハイロが喧嘩をしている様を見せて、帰らせる方向に思考を誘導しようとした。しかし、期待した反応は得られずにメルティは買い物を続行した。暴力など、目の前で見れば誰しも何か反応をするだろうに、それすらなかった。それに、ここに遊びに来ているその胆力も気になる。窮屈と感じるほどの警護をされているのだ。その上実際、目の前で人が死ぬのを……、いや、実際は死んでいなかったが見ているはずだ。なのに、ただ『買い物がしたい』というだけで、騎士団を振り切って外へ出るものだろうか?
大別してその二つ。特に今回の護衛任務にかかわるものではない。知らずとも、明日の夜明けまで守ることは出来るだろう。
しかしまだ、いくつか小さいものは残っている。ソーニャの脳は検査した。結果、レヴィンの痕跡は見つからずに白だと判明した。だがメルティの脳はまだだ。
そもそも何故、僕が選ばれた? いや、『向いていない見た目の者を』という要望があったのは知っている。けれど、何故僕だったのだろうか?
「あ」
思わず声が出た。もう一つあった、もう一つの疑問というか不自然な点。
いや、もう聞いてしまえばいいのだ。それくらいは遠慮がなくなっている。僕が声を上げたことでこちらを向いたソーニャに、静かに問いかけた。
「ソーニャ様、リドニックで、革命が起きる前のことをお聞きしたいのですが」
「革命……? 何だ?」
唐突に出した話題だ。わからないのも無理はない。キョトンとした顔で、ソーニャは僕にそう聞き返した。
「いえ、革命は関係ないかもしれません。とにかく革命が起きた前後からこの街に来るまでに、金髪の魔法使いと会ったことはありませんか?」
「金髪? 魔法使いといえば……、そうだな、一人……」
「あるんですね?」
「たしか、レヴィンと名乗る男だったが……、この街に来る直前、馴れ馴れしくメルティ様に近寄ってきた男で……」
名前を聞く前に、答えを言ってくれた。なるほど、やはり会っていた。
「ではもう一つよろしいでしょうか?」
「ああ」
「貴方は、私を本当に竜殺しだと思っていますか?」
「……いや、正直イラインのギルドで聞くまでは信憑性に欠けると思って……、いや、勘違いしないでもらいたい。たしかに半信半疑で女官の勧めるままカラス殿を指名したが、ギルドの職員が嘘を吐くなど思えず……もうカラス殿とお会いした時には竜殺しの話は信じていた」
一つ一つ疑問が解けていく気がする。となれば、ここで暢気にメルティが遊んでいる理由も少しわかってきた。不自然だった、メルティのあの言葉の意味が分かる。あれは賞賛や世辞などではない。当てつけの言葉だ。
そして僕の推測が正しければ、もう次の質問の答えは知れている。
「何故、信憑性に欠けていたのでしょう?」
「……言いづらいことではあるが、その、レヴィンが……」
「嘘だと言っていたんですね?」
ソーニャが無言で頷く。なるほど、そういうわけか。多分レヴィンは、『あのカラスという男に手柄を横取りされた』とでも言ったのだろう。
竜殺しという嘘を吐いた僕に、指名依頼を出す。たしかにそんなことをソーニャがするわけがない。
……嫌な話だ。やはり、これは僕も巻き込んだ陰謀だったか。
それも、示し合わせているかはわからないが、敵と味方が共謀したもの。
「わかりました」
僕は空を仰いで溜息を吐く。面倒で、酷い話だ。そもそも何故、メルティはそんなことをしようとしているのか。示し合わせているかどうかはこれから確認しなければなるまい。
だがその前に。
周囲を覆う気配。これは、前と同じく……。
僕の話よりまずは、メルティを守らなければ。そのついでに、ハイロの後始末をしなければ。
とりあえず、周囲の把握に努めよう。僕は疑問を頭の片隅に置いたまま、気配の数を数えていった。




