旅は道連れ
誰だ?
それが誰か確かめる前に、まず周囲の警戒に意識を巡らせる。
取り囲まれているような気配はない。僕が把握できないほど遠くに潜んでいるかもしれないが、今は店の奥だ。弓などでの狙撃は難しいだろう。今はあまり気にしなくてもいいか。
一瞬で終わった確認は、振り返りながら次の工程に移る。
では、声の主は? 声の高さから、僕よりも少し背が高い。男性で、革靴の底がすり減っている音からして、金がないか頻繁に外を歩き回る職業。視界の端に見える作業着のような服装を考えれば後者だろうか。
そして、正面から見れば、灰色の髪の毛。
にっと笑っているその笑顔には敵意は見えず、むしろこれは親愛の……。
「カラスじゃん! ひっさしぶりだなぁ! 一瞬誰だかよくわかんなかったぜ!!」
肩を叩かんばかりに……というか、両肩をバンバン叩きながら目の前の男は僕に挨拶を繰り返す。
「……僕も一瞬わかりませんでしたよ」
「お互いにか! 仕方ねえけどな!」
シシシ、という感じに鼻を掻きながら笑う男。ハイロは、前よりも少しだけ高い背丈から僕を見下ろしていた。
「こんなところに何の用だよ? ……いや、何言ってんだろうな、買い物だよな」
自分で言いながら、自分で突っ込みを入れている。思ったことをすぐに口に出してしまうようなところは健在らしい。
「はい。ハイロさんはお仕事ですか?」
「ああ、報告だけだし、今終わったんだけどな」
リコの話では、確か通信事業に従事しているらしいが、服屋にどんな用事だろうか。まあ、それは聞かずともいいだろう。聞いていい類の情報かわからないし。
「それで、何か欲しいもんでもあんのか? ここ顔なじみだし、他に良い店も紹介できるけど」
「いえ、お気持ちだけで。一応僕も仕事中ですし……」
話し込んでいるわけにはいかない。今のところ脅威はなさそうだが、いつでも対応できるようにしておかなければ。僕が更衣室の方に目を向けると、ハイロもつられてそちらを見た。
「ここの買い物も、僕のために来たわけじゃありませんので」
「そっか、じゃあ、俺が邪魔するわけにはいかないよな」
「申し訳ありません」
頭を下げると、クスと笑った気配がした。嘲笑うというよりも、温かい笑い方で。頭を上げてその表情を見ても、意味が読み取れない。
僕の表情を見てもう一度ハイロは笑った。
「本当、俺なんかよりもよっぽど礼儀正しくやってんな。客先で話すの、俺まだ苦手なのに」
「……そういえば……敬語の使い分けは出来るようになりましたか?」
「もちろんじゃないですか」
若干棒読みっぽい口調。わざとやっているのだろう。
お互いに顔を見合わせ、少しだけ笑顔を強めた。
「カラス様ー、お待たせいたしましたー」
更衣室のほうから少しだけメルティが顔を出し、それからピョンと跳んで全身を見せる。そこには先ほどまでいた『いかにもお姫様』という女性ではなく、『良家のお嬢様』といった感じの女性がいた。
幅の広く、ひだが多くゆったりとしたワンピースというような感じの服に長袖のカーディガンのようなものを重ねている。桃色のワンピースに、ほんわかとした雰囲気が漂って見えるきがする。
白い手袋はもうないが、日に焼けていない白い肌はそれに負けないほどの白さで輝いている。青い血というのはこういうものをいったのか、血管が綺麗に青く見えた。
その後ろに見えたソーニャも着替えは済んでおり、こちらは同じように長袖のワンピースのようだが、少し細身で落ち着いた色になっている。その手に持っている大き目の荷物は、先ほどまで着ていた服だろうか。
「どうでしょうかー。この服装でしたら、カラス様のお眼鏡にかないますかー?」
「……ええ、はい。大丈夫だと思います」
くるりと回りながら、見せられた服装。漂う香水の香りは少し派手だと思うが、それくらいはかまわないだろう。
ではこれから……とその先を考え始めた僕のわき腹を、ハイロがつつく。何だ、くすぐったい。
「……?」
抗議を込めて見返すと、瞬きが増えて、口が半開きのハイロの顔があった。そして、僕の頭に顔を寄せ、小声で囁いてくる。
「なあ、なあ、カラス……!」
「何ですか」
一応、護衛対象というか偉い人の前なのだ。無視したいが、その間も僕のわき腹を突き続けるうっとおしさに僕も応えてしまった。
「そ、その美少女誰だ……? 何でお前と知り合いなの……!?」
「護衛対象です。……一応、紹介しなければいけませんかね」
僅かにため息を吐きながら視線をメルティに戻すと、こちらも首を傾げながらニコっと笑った。隣から感じる体温が上がった気がする。
ええと、知らない人たちを引き合わせるとき、紹介するのは代表だけで、相手の部下は紹介しなくてもいいんだっけ? その辺りはオルガさんの講義でも少し曖昧だった気がする。
まあ、非公式の場だし間違っていてもいいだろう。
「メルティ様」
僕の言葉に少しだけ反応し、顔をやや上にあげる。……なるほど、ハイロに言われて見直してみれば、確かに美少女かもしれない。ふんわりとした髪の毛は後ろでまとめられており、やや丸い顔はフランス人形のようだ。
今はそんなことどうでもいいが。
「私語申し訳ありません。珍しい場で旧友と再会しましたもので」
「構いませんよー、で、そちらの方はー?」
「私の幼馴染のハイロと申します」
言って、軽く背中を押すと、緊張した背中の筋肉が触れた。僕を一度見て、それから意図を察したようで、外れた声で言った。
「ハイロです! 今後とも何卒よろしくお願いします!!」
頭を下げる。九十度上半身を倒した最敬礼という奴か。……声の震えと緊張からも、本当に未だに苦手なのが伝わってきた。自然だったリコとはずいぶんな違いだ。
「はいー。よろしくー」
くすくすと笑いながらメルティは手を振る。
僕は今度はハイロの方を向いて、メルティを指し示した。こちらは、伝えてはいけないこともあるし気を付けないと。
「ハイロ。こちらは、メルティ様。僕の護衛対象なので、失礼のないよう」
「す、するわけねーし!」
僕に対しては緊張せずに済むのか、メルティからは全力で目を逸らして僕に大きな声でハイロは言った。
「それと」
だが、気安いのも困る。一つだけ言っておかなければ。
「成り行き上紹介しましたが、僕がこの女性の護衛をしていること、無暗に吹聴しないでください」
「あ、ああ、わかってるよ」
僕が真面目な口調で言い聞かせるように言うと、ハイロは僕からも目を逸らした。逸らした先にいるメルティを見て、少し顔の赤みが強くなって見えた。
簡単な紹介も終わり、ソーニャが動き出す。
「それでは、参りましょう。カラス殿、お願いします」
「はい」
ソーニャは、背中に背負ってちょうどいいほどの大きさの包みを僕に手渡す。持った感触からして、やはり先ほどまでの衣装だろう。それを受け取り、僕はハイロの方を見た。
「では失礼します。また」
「おう」
軽い会釈。今はこれでいいだろう。またどこかで会った時に、積もる話でもすればいい。
だが、静かに歩き始めたメルティをもう一度見ると、ハイロは意を決したように大きな声を出した。
「ど、どちらへ」
声を掛けられたメルティは、意外そうに大きく目を開くと、ゆっくりと振り返る。青い目が、真正面からハイロを捉えた。
「……教え……」
教えられない、と僕が止めようとするが、それよりも早くメルティが口を開いた。
「……うーんとー、これから適当に五番街を見て回りますー。いい店があるといいんですけどー」
「で、でしたら!」
五番街、という単語を聞いたハイロの目が輝く。あ、これ駄目な奴だ。
「私、五番街にはいささか詳しいので、案内します! 俺がついていっては……!?」
「いいですよー」
「ありがとうございます!」
続く即答。僕が止める間もなく、了承される。雇い主が許可したのなら、僕は異を唱えられない。
忌々しいものを見たように、ソーニャも横を向いて溜息を吐いていた。
店を出る。
僕も外套を脱いで背嚢に詰めれば準備は完了だ。一応は、見た目少しいいところのお嬢様が下男を連れて遊びに出ているだけ。
……よけいなオマケがついていなければ、予定通りなのだが。
一応は利点も見つかったし、結果的には良かったともいえる……のかなぁ……?
周囲の建物にもう一度警戒を払い、それからメルティにも気が付かれないように、僕は溜息を吐いた。
ようやく襲撃させられる……




