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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
閑章:盲人が語る

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閑話:壁の花

 


 華の舞踏会。それは庶民にとっては憧れの一つでもあるかもしれないが、当人たちにとってはそうとも言い切れないものだ。

 そう、ルクレツィア・ハイブレスは仮面の微笑の下で心底溜息を吐いていた。


 舞踏会は、踊りを楽しむ場所ではない。そこは貴族にとっての社交場であり、そして戦場だ。

 その舞踏会場に入る順番で身分や立場が示され、それから顔合わせ。身分が下の者が、上の者に必死になって媚を売る。見目麗しいよう、着飾った子供を連れて、縁談や仕事の話にいそしむ。

 踊りを楽しむなど以ての外。演奏を続ける楽団の人間には気の毒なことだが、どんなに美しい音楽を奏でようとも聞く耳を持つ者はいない。

 その全ては、他の参加者へ向いている。参加者の耳は言葉の裏を必死に聞き取り、目は装飾や表情から他人の値踏みをするのに使われる。退屈な行事だ。


「ルクレツィア様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」

 そんな挨拶も聞き飽きた。男爵家の当主が、必死に息子を売り込もうと父親に話しかけ、ついでに自らに何事かの言葉を吐きかけている。聞く意味もなく、そもそも自らの身柄に対する裁量権など持っていない自分に何が出来ることもない。そのため、もはやルクレツィアは言葉を耳に入れることなどなく、ただ曖昧に微笑んでやり過ごし続けていた。



 ここでの顔合わせに、顔合わせ以上の意味はない。自らの身柄に対する裁量権を持っていないのは、家督を継いでいない殆ど全ての貴族にも当てはまる。彼らに恋愛など不要のものであるし、むしろ邪魔なものだ。彼らの婚姻に必要なのは、打算。必要な時に円滑に縁談を進めるために、彼らは引き合わされているだけなのだ。


 しかし貴族といえども、子供ではまだ打算の関係を真に理解しているとは言い難い。

 悪くはない容姿に、否定的ではない態度。往々にして、少年たちはそんなルクレツィアの内心を読み取ることなど出来ずに、その微笑を好意と勘違いしてしまうのだ。

「ルクレツィア様は、花がお好きと伺いました。どのような花がお好きでしょうか?」

 鼻息荒く問いかけてくる目の前の少年に、ルクレツィアは辟易としながら適当に答えていた。

「……私は、ネルグに咲いているという、薔薇が好きですわ。淡い緑に染まった薔薇が……」

 ルクレツィアはそう、壁際に飾られた白い薔薇を見ながら答えた。


 緑の薔薇がネルグに咲いているというのは本当のことだ。だがそれは中層よりも奥に限られており、採取した種を群生地以外に植えても白い薔薇が咲くだけ。そのため、生花ともなれば一本が金貨何枚もするほど高価で貴重なものとなってしまう。

 ネルグに自生しているものと花壇に咲いているもの。その色の違いはどうして出てしまうのか。

 それはルクレツィアにとって興味深い現象だった。そのために、一時期父親に色々な種類の花を大量にねだったこともある。だから、花が好きなどという根も葉もない噂が流れてしまったのだろう。


 その花が好きなどというのは真っ赤な嘘だったのだ。


「そ、そうですか……」

 目の前の少年は、ルクレツィアの言葉に意気消沈する。きっと、適当な花の名前を挙げれば、その花の花束が後日家に届いたのだろう。けれども、ルクレツィアはそれをさせたくない。

 勿論家の資産を使えば出来ないはずがないのだが、自らの小遣いで用意しなければ見栄を張ることは出来ない。貴族であろうとも、未成年では金貨何枚もの花束を用意することは出来ないのだ。そんな男心を透かして見るように、ルクレツィアは不用意な縁を遮断し続けていた。




 舞踏会は貴族の顔合わせの場。

 そのために続く挨拶回りではあるが、この日の主目的はなかなか達成できなかった。


 この日、貴族たちが集められた本当の目的。それは、主催者の息子のためである。

 レヴィン・セイヴァリ・ライプニッツ。主催者ベルトラム・ジーベルト・ライプニッツ辺境伯の三男。

 その十歳の誕生日を祝うために、開かれた舞踏会だった。


 噂では、これはレヴィンの婚約者を選ぶための催しともされている。しかも、それは本人の要望で。婚約者は自らの目で選びたいという、本来聞き届けられない我儘が通り、有力な貴族たちが集められたという。


 事実、人だかりの中心にレヴィンはいる。その人だかりは徐々に入れ替わっているが、それでも侯爵家のルクレツィアが挨拶できるのはだいぶ後になりそうだ。それを察し、そしてその挨拶回りに嫌気が差していたルクレツィアは、父親に断りを入れて単独で歩き出す。

 外の空気が吸いたかった。



 庭に面したバルコニー。周囲は腕のいい庭師が手入れしているのだろう、花が咲き誇り、景観を崩すような乱れはない。夜目にもはっきりと見えるほど、そこは見事な庭園だった。

 しばし、ルクレツィアはそこに見とれて立つ。夜風が心地よい。格式ばった猥雑な話に耳を汚された気分のルクレツィアには、いい気分転換だった。


 遠くから聞こえる虫の声に、涼しい夜風、草木の匂いに酔ったように、柵へと寄り掛かる。

 早くこんな舞踏会など終わればいいのに。


 ルクレツィアは、幼いながらも絶望していた。男など、みな愚かで思慮が足らない。そのくせ見栄だけを張る生き物だと。

 八歳の自分が諳んじることのできる英雄譚の一節すら、理解できている者などそうそういない。

 薄々、自らが人よりも聡明であることは自覚している。きっとこの世に、自らに釣り合う男などいないのだと、そう思っていた。


 そのときまでは。



 視界の端に、スッと花が差し出される。

 それは、白い薔薇。けれどもどこかおかしい。覚えた違和感に思考は一瞬止まり、それから差し出している男性を見た。

「緑薔薇がお好きと伺いました」

「は、はい!」

 笑顔で自らに語り掛けるその声は、魂まで蕩かすように甘い。

 男性はその薔薇の茎を折り長さを調整すると、ルクレツィアの髪に差す。その一連の作業中、ルクレツィアは確かに見た。その薔薇の中心が、緑色に染まっているのを。

「どうぞ。やはりかわいらしい女の子には、花が似合いますね」

「……緑薔薇など、どこで……?」 

「本物ではなく申し訳ありませんが、今作りました。白い薔薇に緑茶を吸わせて」

 ニコリと微笑む男性の笑顔。それはたまらなく魅力的で。

「緑茶……? というと、ライプニッツ卿が領地に広めたという……」

「はい。まだ若い葉から茶を抽出する。ムジカルの方にもあったと後に知りましたが、実はあれ、私の発案なんですよ。よかったら、あとでお召し上がりください」

 自慢げな仕草には、理知的な雰囲気が漂う。

 彼は、違う。ルクレツィアはそう思った。先ほどまで挨拶をしていたジャガイモたちとは全く違う。もしかしたら、彼こそが私の思い描いていた理想の……。


「申し遅れました。私、レヴィン・セイヴァリ・ライプニッツと申します」

 それだけ名乗り、傅くようにレヴィンは跪く。このような芝居がかった仕草など、子供たちの間では必要ないのに。だが、そのマセた仕草も魅力的だ。

「お美しいお嬢様。私と一曲、踊っていただけませんか」


「……私でよろしければ!」

 差し出された手を握り返す。上がった体の熱に、手袋越しのレヴィンの手が冷たく感じた。





 今も壁に飾られている淡い緑の薔薇。

 その花を見ながら、クフフと笑いながら、ルチアは五年ほど前の舞踏会を思い出していた。

 ようやく、ようやく成就するのだ。レヴィンがたまに漏らしていた、『英雄になりたい』という夢が、今日の作戦で叶うのだ。そう、ルチアは信じていた。

 今回の襲撃事件も、家から持ち出した神器を使い、最大限の効果を出せるように尽力した。

 悪漢に襲撃された亡国の姫を救い出す正義の英雄。竜殺しの英雄よりも多少格は劣るようにも思えるが、それは構わない。名声など、これから作り上げていけばいいのだ。目が集まるようになれば、そこから先はさらに容易になる。

 戦場で最も多くの褒賞を受けるのは、最も活躍した者ではない。最も目立った者だ。

 竜殺しの名声など、あの忌々しい小兵にくれてやる。そんな称号が卑小なものに思えるほどの名声を、これから積んでゆけばいい。


 そして、その輝かしい人生を送る愛しいレヴィンの横には、笑顔で自らが立つ。

 未来視の鏡など使わずとも、その光景が、ルチアの目にははっきりと見えていた。


 それに……。ルチアの目がスッと細くなる。目の前に置かれた陰陽石の盤を見下ろして。

 レヴィンの横に立つのは、自分だけでいいのだ。自ら後ろに下がるであろう、エリノアはいいだろう。けれど、あの姉妹は、並び立とうとする邪魔者たちは消えてしまえばいい。

 それで旦那様は悲しむかもしれない。けれど、その悲しみを埋めて更に近くにいけるのならば、それもいいとルチアの口角は釣り上がった。



 そろそろ、襲撃事件も終わるだろう。

 ルチアはパカリと手鏡の蓋を開く。《運命の輪(フォルトゥナ)》と呼ばれるその神器は、今いるこの隠れ家へと凱旋する愛しい夫の姿を映すはずだった。

「……!?」

 しかし、ルチアは眉を顰める。そこに映っていたのは、炎。

 燃え盛り全てを焼き尽くすような業火と、崩れゆく館だった。


 おかしい。これはどうしたことだろうか。目標の時間に遅れて、というのであればわかる。けれども、この館の様子を見れば、それ以外の、そしてそれ以上の何かが起きている。

「……っ」

 舌打ちをしながら、その原因を探るべく時間を巻き戻していく。

 それは、一日に二度使うという禁忌。しかし今回のそれは、『一度以上使える』というハイブレス家に伝わる機密を破るという決断を、即座に下せたことを褒めるべきだろう。

 それよりもまずするべきは、一目散に逃げるということだっただろうが。


 巻き戻すのは、火がつくところまで。ここまでの火事になるのであれば、相当量の燃料に火をつけるか、もしくは的確な位置に火をつけるか。どちらかはわからないが、すぐに見つかるはずだ。

 そして、やはりすぐに見つかった。その火事の要因。

 ルチアの血の気が引く。

 そこには、床に点いた小さな火の前で佇む、レイトン・ドルグワントの姿が映っていた。





「……へえ、すごいもんだ」

「!!!??」

 ルチアは驚き椅子から転げ落ちそうになる。反射的に背後を振り返り、そして、その声の主を見た。

 そこにいたのは、レイトン・ドルグワント。冷たい空気を纏う男だ。

「雲を裂き 走る……!」

「そういうの意味ないって、わかってるよね?」

 即座に下した攻撃の決断。その速度はまさしく褒め称えられるべきだ。相手の戦力を考慮していない、という致命的な点を除けば。

 レイトンが軽く人差し指を振る。それだけで、ルチアが魔術を放つべく集中させた魔力は溶けて消えた。


「今のはぼくの像だよね。とすると、キミにはこれからの展開がわかっている、と」

「貴方……どうしてここが……?」

 噛み合わない会話。レイトンの言葉よりも何よりも、やはりルチアにはレイトンがここに現れたという事実が一番の驚きだった。


「ヒヒヒ、キミの邪悪さが裏目に出たね。ミーティア人の姉妹が教えてくれたよ」

「裏切ったとでもいうのですか……!?」

「想像にお任せするよ」

 軽い世間話。そんな雰囲気で、レイトンはルチアの真正面の席に腰掛ける。それから、目の前の陰陽石盤に目を留めた。

「陰陽石。あのレヴィンが開発した遊戯だっけ」

「……旦那様の、傑作です」

 意図がわからない。世間話をする状況では無いはずだ。そんなルチアの困惑をよそに、レイトンはその駒を手に取る。まるで焼き菓子を齧る直前のような仕草に、どこか幼いものを感じたが、それをルチアは無視した。

「片面ずつ、白と黒に塗られた駒を交互に打ち合う。白か黒か、自分の色に挟まれた相手の駒をひっくり返して、自分の色にする。それを繰り返して、六十四個の駒を使い切り、最終的に色が多いほうが勝ち。……あってるかな?」

「イラインの平民が、よくご存知ですね」

 皮肉ではない。感心だ。ライプニッツ領では上流階級に浸透し、ようやく庶民にも行き渡りつつある程度なのに。勿論、伝わればレヴィンの名と共に王領でも広がると思ってはいるが、それにしては耳が早い。

 いや、イラインの者にも簡単に伝わるほどの面白さだと、そうレヴィンの発明の完成度を誇るべきか。誉め言葉の行き先は、ルチアの中でそう決着した。


 感心から皮肉へと変わった言葉に、レイトンは聞く耳を持たない。

「レヴィンにしては単純だね。聞いた感じだったら、駒の種類を増やしたり、駒を移動させる規則を作ったり、余計なことをしそうなものだけど」

 あまりにも単純で、完成されているルール。それはレイトンにとってはどうでもいい疑問だ。その疑問の果てにはレヴィンの、そしてカラスと呼ばれる少年の秘密があったが、それについては追及する気も無い。

 ただ、嘲るようにレイトンは笑う。

「ヒヒ、まさか、別の人間が作ったものを盗用してたりとか?」

「旦那様への失礼な物言い、撤回しなさい……!」

 握りしめた拳は震えている。その挑発に、ルチアは思わず乗ってしまった。心酔しているレヴィンへの悪口、それは、恋する乙女にとって看過出来るものではない。


 その怒りも、レイトンは無視した。

「さて、そういえば挨拶が遅れたね」

「そんなもの……!」

「改めて、ぼくはレイトン。レイトン・ドルグワント。かの才媛ルクレツィア・ハイブレス嬢のお目にかかれて光栄だよ」

 芝居がかった仕草で、胸に手を当てる。その表情には、光栄に思っているとは程遠い嘲笑が浮かんでいた。

「……挨拶など不要でしょう。このままお帰りください。貴方がたとの関係は、すでに修復済みのはず」

 そう言いながら、冷めた紅茶を一口啜る。そんな言葉で済むなどとは、ルチア自身、全く思ってはいなかったが。

 そしてやはり、レイトンは拒絶の言葉を口にした。

「あんな手紙で? 冗談。残念だけど、うちは面子や手続きにこだわりなんて無いんだ。手紙と手土産だけで、ハイおしまい、なんてない。キミたちとの敵対関係は、何の変りもなく継続中さ」

「でしたら、私を殺しに? 今まさに街に入っている者たちを無視してまで私のところへくるなど、古く強いと名高い石ころ屋さんも、意外と臆病ですのね」

 言葉を紡ぎながら、ルチアの灰色の脳細胞は全力で稼働している。今自分が絶体絶命なことを理解し、そしてそこから逃れる術を懸命に脳内で試行している。力では目の前の男には敵わないだろう。けれども、知恵で負ける気は無いのだ。

 自らに匹敵する知恵を持つ者は、自らが夫と決めたレヴィンのみ。ルチアは、そう信じていた。

 本来、信じていることと事実とは、一切かかわりのないものなのだが。



「そうでもないよ。これでもキミを評価していたんだ。もしかしたら、ぼくらを倒してくれる逸材なのかもしれないってね」

 そう、心の籠っていない誉め言葉を口にしながら、レイトンは陰陽石の盤をルチアと自分のちょうど真ん中に押し出す。それは、対局の準備だ。

「……何のつもりです?」

「そんなキミに敬意を表して、助け舟を出そう。簡単な話だよ。キミが先手、ぼくが後手。キミが勝ったら見逃してあげる」

 笑顔でそう言い切ったレイトンに、内心ルチアは困惑した。意味が分からない。そんなことをして、この男に何の得があるというのだろうか。

 それでも、ルチアは駒を一つ手に取る。

「対戦したことは?」

「無いよ。やっているのを見たことはあるけどね」

 笑顔で、自らに不利な情報を言い切る。そのレイトンに呆れを感じたが、ルチアは内心安堵していた。

 僥倖だ。意図が分からないが、そう思った。


 石ころ屋の者は、約束を必ず守ると聞いている。口約束だろうが、たとえ自らに不利益を被る契約だろうが契約は必ず履行するという。ならば、確かにここで勝てば自分は助かるのだろう。それから、レヴィンを助ける策を講ずればいい。

 確かに、ルチアの言う通りそれは本当のことだ。それは強者故の余裕でもある。しかし、それだけではない。誰にも理解されない理由。見せかけの公平さを作り、悪人たちの統制(誘導)を行うという、石ころ屋にとって重要な原則。それこそが、一番重要な理由だった。



 ちらりと、ルチアは手元の鏡を確認する。

 今日はもう二度も使っている。あと半日ほどの未来を覗けば、すぐに魔力は尽きてしまうだろう。けれど、短時間の未来視であれば、まだ何度も出来る余裕はある。そして、今試しに映した像は、僅差だが自らの勝ち。レイトンが素直に席を立つ姿があった。

 このまま進めば、自らの命は拾うことが出来る。ならば、乗るしかない。


 知恵ならば、誰にも負けない。ルチアはそう信じている。

 故にその手に迷いはない。パチンと小気味の良い音を立てて、初めの一手が盤に置かれた。



 特に考える風もなく、レイトンもすぐに白の石を置いた。

「ああ、そうそう。一応伝えておくけれど」

 聞く耳を持つな。ルチアはそう自らに言い聞かせる。無駄な足掻きだ。自らの思考を邪魔しようとする、囁き。ただの雑音だ。

「姉妹はちゃんと処理しておいたよ。ヒヒヒ、これで愛しの旦那様を独り占めかな?」

「………………」

 パチンパチンと石が置かれ、盤面が塗り替えられていく。ルチアの黒が優勢。はた目から見ても、それは明らかなことだった。

「……何のことかわかりませんね」

「モノケルといい、姉妹といい、キミには邪魔者が多かったようだ。そういった星の生まれなのかな? 壁際から、主役を見ている脇役。そんな星の」

「私はそうは思えませんが、そう見えるのであれば、貴方の目は曇っているのでしょう」

 挑発にも、平常心を保つ。大丈夫、自分はまだ大丈夫だ。そう確認しながら、石を返していく。

「ヒヒ、ただ駒を打っているだけだと退屈だから、世間話をしているだけだよ。そんな怒らなくてもいいじゃん」

「貴方に、そのような余裕があるとお思いでしょうか?」

 パチン、とひときわ大きな音を立てて駒が置かれる。四つの石が次々と返され、もはやレイトンの石は三つだけ。ルチアの石は、その五倍以上はあるというのに。

「貴方は私の首を持って帰れない。知恵で、この盤上で私にかなわないのだから」

 勝ち誇ったかのようなルチアの言葉。それを聞いて、レイトンの頬が少し緩んだ。

「そう。じゃあ、頑張りなよ」

 続いて打ちこまれたレイトンの一手。だが、その石は二つひっくり返したものの、ルチアには有効な手とは思えない。不可解な手、その対応に一瞬困り、鏡をちらりと見た。

 映したのは二手後の像。逆転の一手を放たれ、半分が白く染まる盤面だった。

 驚愕し、落ち着き考え直す。ルチアは目を走らせる。この盤面で、次に自分が打ったのはどこだ? それを避ければ、この未来は回避できる。

 そして、ルチアは鏡とは違う位置に石を置いた。

「ヒヒヒ、有効活用しなよ?」

「卑怯とでも?」

「いいや。神器でも何でも、それは持っている者の力の一部だ。仮にこれで僕が負けたとしても、その道具を責める気は一切ないさ」

「お優しいことですね」

 声音だけは和やかな会話である。だが、その会話に場の雰囲気は一層冷え込んだ。どちらにも染みついているその傲慢さは、二人が並び立つことを許さない。


 ゲームは続く。静かに、そして着実に。

 ルチアはちらりちらりと鏡を見ながら、そしてレイトンは、そんなルチアの瞳を見つめながら。

「それで、あの姉妹、それも姉の方について聞きたいんだけど」

「私が答えるとでも?」

「もう死んでしまった、それも仲の悪かった女だ。構わないだろ?」

 ルチアが表立って言えないことを、簡単に口に出す。レイトンに、その類の気遣いはない。

「……残念ながら、私は旦那様とあの方々が知り合った経緯も過去も興味ありませんので、お答えできかねますわ」

「ふうん」

 その声、口調の変化でレイトンは察した。これは本当だ。実際にはもっと多くの情報は持っているだろうが、そこから自身の欲しい情報は得られない。自分の小さな目的は、達成できないのだと。

「まあいいや。糸口はつかんでる。君の生きている理由は、もうなくなった」

 またも打たれる意図がわからない一手。しかし、目の前の男には何かしらの意味があるのだろう。ルチアは灰色の脳細胞を働かせ、そして鏡をちらりと見る。見えたのは、予想通りの光景。レイトンの手はまさに意味がなく、自らの優勢に変化はない。

「生きている理由がない、と仰るわりには消極的ですこと」

 ホホホ、と高笑いでもするように、ルチアは頬に手を添える。予定通りだ。自らの命は守られて、レヴィンを助けることも出来る。その上残るのは、『かの石ころ屋を撃退した』というこの街で活動するにはこれ以上ない箔。

 知的な勝負であれば、負けるわけがない。それはそれは、上機嫌だった。


「この陰陽石ってさ……」

 レイトンは小さな声で呟く。負け惜しみと、ルチアは思った。故に微笑みを崩さずに、言葉の続きを待つ。やや俯いたレイトンの顔が、焦りに染まっていることを期待して。

 そして、パチリとレイトンの白が置かれる。それは正しく黒の一列を白く染め、盤面に僅かな傷を作った。

「この陰陽石って、先手の黒が有利だよね?」

「……!」

 反撃に、ルチアの表情が変わる。それは、白が優勢になったからなど、そういう意味ではない。

 驚愕だ。

「なのに、負けたらどんな気分なんだろう。後で教えてよ」

 鏡を確認しながら、最適解と思われる手をルチアも打つ。けれども、その戸惑いは拭えない。


 何故、どうして? 一手打つごとにルチアの余裕が消えていく。

 おかしい。こんなことがあってはならないのに。


 何故、鏡の未来視と実際の盤面がズレていくのか!?


 レイトンの石が置かれるたびに、白が増えてゆく。対して、どれほど良いと思われるルチアの手も、黒を増やすことはない。一つ返すだけがせいぜいだ。


「こんな……ことが……!」

 そして、まだ勝負の半ばにしてルチアは悟る。これは、続けても勝つことは出来ない。

 これは、この流れは……。


 二人の手が止まる。

「ヒヒヒ。これで、勝負ありだっけ?」

 最早お互い、石を手に取ることはない。二人の間にあるのは、まだ全て石を使い切ってもいないのに、純白に染まった盤面。もはや、誰が見ても明白な勝敗だった。


「……おかしいと思ったんだ。キミは、カラスくんとエウリューケへの襲撃に失敗した。不確定なはずの位置を特定して、騎士団を配置するなんてことまで出来るのに。その前、カラスくんを陥れたときもそうさ」

 淡々と呟く。その声音に反して、笑顔のまま。

「そこから読み取れた、その神器の能力。キミが読めるのは、『未来視を使わなかった場合の未来』のみ、だね」

 質問ではない。ただの確認だ。なので、レイトンはルチアの反応を一切見ずに続けた。

「だからこそ取れた対策だ。キミの行動は、未来視をした上での行動。なのでその自分の行動を参考にされた場合、未来視は無効になる。以上、聞かれると思ったから先に教えておくよ」


 相手の出方を見て動く。言葉にすれば簡単なことだ。だが、自らの次の行動を読まれた上で、その対策として取られた行動を上回る手を打つ。それは、一瞬前の自分を常に超え続けるという難関に等しい。

 それをわかったからこそ、ルチアは何も言い返せなかった。



 レイトンは静かに席を立つ。その様は、勝負直前にルチアが見た未来視のままだった。

「最期に聞こうか。負けた感想は? それと、言い残すことはあるかな?」

「………………」

 項垂れ、ルチアは無言を返す。

 勝てるはずだった勝負。それがこの結果だ。何故? どこから間違えた? そう考えはするが、それにこだわるわけにはいかない。勝負に勝ったレイトンは、すぐさま命を奪いに来る。今はそれよりも、生き残らなければ。

 鏡の他に、ルチアには秘密兵器がもう一つある。右手につけた腕輪に充填されている魔術。それはレヴィンの助言により準備されたもので、使用者の手元にすべてを焼き切る白い高熱の剣を出現させるというもの。


 その腕輪に、そっと魔力を通す。もう交渉は望めないだろう。ならば、もう一歩、もう一歩近づいたときに起動すれば……。

 レイトンに見えないよう、鏡を確認する。大丈夫、このまま来れば、射程範囲だ。

「……何もないならそれでいいけど。じゃあ……」

 机を迂回するように、レイトンが歩み寄る。……今!


 振りかざした右手。

 完全に虚をついた。……はずだった。

 

 視界の端で何かが飛んでゆく。それは白く、白魚のようなと形容されるべきもの。


 壁際からべチャリという音が響く。同時にルチアの手首に痛みが走る。咄嗟にその先を見れば、そこにあるのは、滑らかな赤い色と、白い二本の骨の断面。

「ひ……!」

「そうだね、もう一つ対抗手段はあったんだよ」

 言葉にならない痛みにルチアの息が詰まる。椅子から転げ落ち、座り込んだ状態でレイトンの姿を見上げた。その笑顔が、とても不気味で。

「未来視は、未来を見るものだ。だから、『もう起きたこと』に関しては効果が一切ない」

 レイトンはそう言い切る。

 いつ切られた? もう起きたこと? 痛みに思考が散り、その意味を捉えることができない。


 しかし生への執念は、ルチアの口を動かし始める。

「ま、待って!」

「……?」

 レイトンの足が止まる。そして次に何を言うのかと期待を込めた顔で、ルチアを見下ろした。

「わ、私の神器を献上しますわ! どうか、これで見逃して……!」

「ハイブレス家の者にしか使えないんだろ? そんな無駄もの、いらない」

「せ、専用の言語がありますの! それも、確かに、お教えしますから!!」

 もはや、なりふりかまうことはできない。一族の機密も何もかも投げ打って、レヴィンと自らの命を守る覚悟だった。

「ふうん。じゃあ、キミ以外にも使えるんだね」

 レイトンは納得する。言語自体には興味などなかった。

「教えてくれてありがとう。じゃ、神器は確かに貰っておくよ。言語については……まあ、どうにかなるさ」

 そういったことに詳しい専門家もいる。言語というものを暗号と捉えれば、総当たりで解決できそうな者もいる。ならば、ルチア自身に価値はない。


 レイトンは暫し目を瞑り、一つため息をついた。

「代わりにぼくからも一つ、教えておこうか。石ころ屋の行動原理について」

 ルチアの目に、わずかに希望が宿る。それがこれからにつながる情報ならば、自分は見逃されるということだ。勝った。たしかに自分は賭けに勝ったのだ、と。



 その、仰向けから半身を起こしたルチアの下腹部あたりに、何か塊が落ちる。

 そして濃くなる、赤錆の匂い。

 その塊の正体に、ルチアはすぐに思い至った。それは、もしや、レヴィンによく褒められていた自らの小さな……。


 ドボッと血の塊がその上に降り注ぐ。ルチアが残った左手で慌てて押さえたのは、自らの鼻。

 その、落ちた肉の塊がついていたであろう箇所。


「ぃぁぁぁぁぁ!!」

 言葉にならない、涙混じりの叫び声。しかし、それだけでは終わらなかった。

 鼻を押さえた左手の指先から血が、そして指先が零れ落ちる。


 そのもがく様を見ても、レイトンは眉一つ動かさない。

「キミは、キミの指示で三人もの人間を殺した。モノケルはほとぼりが冷めるまで隠しておくことも出来ただろうし、姉妹は本来、キミの恋敵足り得なかった。レヴィンの結婚相手は立場的に見ればキミに決まりだからね」

「……!!!」

 フゥフゥと荒い息を吐くルチアには、その言葉はもはや聞こえていない。


「自らの利益だけを考え、理解も得ぬまま他者に犠牲を強いる。そんな邪悪を、ぼくらが見逃すと思う?」


 返答も出来ずに転がりまわるルチア。だが、床に擦れるたび、振られる度に体の各所が分離していった。

「ぼくが席についた瞬間から、キミに助かる道はなかった。……じゃあね」


 軽い動作でレイトンは振り返る。そしてルチアの目に、初めてレイトンの剣が映った。

 意識が薄れてゆく。最後まで感じていたのは激痛。

 霞んだ目で見えたのはレイトンの後ろ姿と、彼によって落とされた燭台の火。


 そしてその火が壁際に置かれた薔薇に燃え移ったのを確認して、ルチアの目は永久に閉じた。





リバーシは実際には白有利らしいですが、そこはレイトンが嘘ついたということで……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] レイトン多才過ぎない?
[一言]  6×6なら確かに後攻(白)が有利ですが、8×8の場合は取れる盤面の状況の通り数が多すぎて、未だに論争中だったはずです(間違ってたらスマン)。  確か、100阿僧祇(100E+56)通りほど…
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