閑話:予想外の成功
前話の続きです。
簡単な仕事だ。モノケルは内心呟いた。
主レヴィンの腹心であるルチアの言葉に従い、彼はイラインへと急ぎ駆けつけていた。木々を蹴り、風に乗って山野を駆ける。目的は、イラインで起こされる敵対行動の妨害。
それはおそらく拠点の破壊であり、相手は派手にするために一斉に壊しに来るだろう。貧民街を拠点にしていることや、他の情報からも鑑みて、この時間、北のこの拠点に現れるだろう。
そうした予測の下の行動。もとよりあまり疑ってはいなかったが、それでも当たれば儲けもの、という感覚だった。主の指示でなければ従うこともなかったかもしれない。
果たして、そこには確かに敵がいた。
魔術を用いているのか捕捉しづらいが、それでもそこで、こそこそと何事かをしている女。
処理をしなければいけない。そのために自分は来たのだ。
敵もさるもの、一撃目は避けられてしまったが、それでもなお、自らが負ける気はしなかった。
エウリューケは構えたモノケルの姿を注視しながら準備を整える。
準備といっても、既にそれは完了している。右半身を覆う刺青、それはエウリューケにとっての最大の武器であり、そして最後の手段だ。
あとはその使いどころ。少しでも隙があれば、目の前の男の手により自らの命が尽きるだろう。空間転移を使うための一瞬の溜め、それだけの隙でもきっと充分だ。その無意識の恐怖がエウリューケの迷いを生む。
死は恐れていない。むしろ、死の先に何があるのかそれは気になる。それを知るためには死んでもいいかもしれない。
だが、自らの脳髄を支配する好奇心、それを満足させられずに死んでしまう。そうしてこの世で研究の続きが出来ないのは、甚だ不本意なことだった。
乾坤一擲、そんな心持ちだった。
「天を駆け 巡る疾風よ……」
エウリューケの口が詠唱の言葉を紡ぐ。彼女の得意とする、風の魔術の呪文だった。
魔術師が、前衛もなく敵の目の前で詠唱を開始する。それは本来悪手だ。通常、魔術師の反射速度は戦士に劣る。身体能力の差も、近接戦闘の練度も桁違いなのだ。
故に戦士が魔術師と対峙した際、その詠唱が終わるまでに攻撃するのが基本となる。定石通り、その言葉を言い切る前にモノケルが前方へ飛ぶ。剣が、空気と建物を割りながら迫る。
その先、エウリューケの体を裂くのには充分な攻撃だ。
モノケルも、エウリューケすらもそう思った。
だが、狙い通り、とエウリューケの顔が歪む。
迫る刃にエウリューケの手が伸びる。
馬鹿な、とモノケルは思った。素手を刃に伸ばすなど、正気の沙汰ではない。そして何故、目の前の女は自らの剣の軌跡に反応出来ているのか。その問いに対する答えの半分は、同時に聞こえてきた音声にあったのだが。
「《剛体強化》《剛体強化》《剛体強化》《剛体強化》《防刃強化》《防刃強化》!!!」
早口のエウリューケの言葉。本来口に出す必要はない。無言で終わらなかったのはただの性格だ。
右腕の刺青が蠢く。その塗料に装填された魔術を、重複させて解き放つ。それがエウリューケの奥の手だった。
そして、エウリューケは人体の専門家だ。
死体を見れば、その死体を損壊させた凶器が手に取るようにわかる。その死を与えた状況が、ありありと想像できる。
過去、モノケルにより作られた死体。その資料を読んでいた彼女の脳は、咄嗟に、そして正確にモノケルの剣の軌道を予測した。
予測が外れれば、死。
だがその賭けは、やはりエウリューケの勝利に終わる。
ガシリと刃が掴まれる。水を切るように振り切られる予定だった刃は、万力で固定されたかのようにピクリとも動かなくなった。
そして、エウリューケの口がもう一つの言葉を紡ぎだす。
「そしてからのぉ!! 《破砕》《破砕》《破砕》!!」
言葉とともに、ざわりという感触がモノケルの手に伝わる。まるでエウリューケの腕から蒸発しているように黒い霧が舞い、その粒子が何十匹という細い蛇となった。
蛇が大剣に巻き付き、そして砂山を崩すように、砕く。
「………………!!」
舌打ちもせず、無言でモノケルは飛び退く。その手には、大剣の柄だけが残った。
ダメ押し、とばかりにその姿に腕を向けて、一言唱える。
「《爆炎》!!!」
瞬間、視界が炎に満ちる。
モノケルに向けて、そしてその背後の根城に向けて放たれた魔術。防ぐ術を持たず、浮いたモノケルの体が宙を舞う。傷は殆どないものの、それは通った。
「やりぃ!! ふははー、さらばだー!!」
その隙を逃さず、エウリューケは腕に力を籠める。今度の魔術は戦闘用ではない。実際には戦闘に用いれば絶大な効果を発揮するのだが、エウリューケにはそちらの興味がない。
一瞬遅れて発現する空間転移の魔術。同時に、魔法陣に向けた魔力波を飛ばすのを忘れずに。
景色が入れ替わり、そこには何事もなかったかのような青空。
そして、先輩。レイトンの姿があった。
「ヒヒヒ。そんなに慌ててどうしたのかな?」
「死ぬとこだったさ! 死ぬとこだったさ!!!」
落ち着き払ったレイトンに、必死にエウリューケは訴える。戦闘も終わり、ホッとして気が緩んだ。いつもと変わらぬ様子の彼女だが、そうした機微が実はあった。
「その様子から見ると、成果はあったようだ。釣れたのが、一人で終わってほしくはないけど」
その訴えを半ば無視するようにレイトンが納得すると、今度は意外そうにエウリューケが聞き返した。
「は、へ? お、怒らないんで?」
「怒る? 何故だい?」
キョトンとした顔のレイトンに向けて、エウリューケは両手足を広げて大きなジェスチャーを加えて言う。
「『よくもー! 失敗したなー!! この失敗をたてに骨の髄までこき使ってやるぜデュホホホホホ』とかそういうの無いの?」
「……キミの中で、ぼくがどういう人物になってるのか聞きたいところだけど……」
文句の言葉を飲み込んで、レイトンはヘラっと笑った。
「失敗なんてしてないさ。キミは敵の拠点を破壊する際に敵と遭遇、そして逃げてきた、だろ?」
「そうざんす」
「なら、何を失敗したんだい? 今回のキミの役目は『拠点の破壊』だけだ。そしてそれは問題なく達成されている」
言いながら眺めた眼下には、勢いよく燃え盛る炎が見えていた。
「敵の乱入は想定外ではあるものの、想定内でもあった。『想定内の想定外』とでも言ったところか。そしてその上、敵と遭遇し生還して見せた。全て合わせれば、満点以上の成果だよ」
「え? まじすか? まじすか??」
予想外の誉め言葉に、エウリューケの顔が緩む。胸を張り、自信満々な姿で。
「ちなみに、満点はどこどまりで?」
「敵と遭遇し、深手を与えて死ぬ、くらいが精々だと思ってた」
「しどい!!」
涙まで流して抗議するエウリューケを全く見ずに、レイトンは少し黙ってから続けた。
「そろそろ監視員から連絡が行って、カラスくんが対応しているだろう。相手はどんな奴かな?」
「昨日話に上がってた、モノケルってやつでっさ。ウケケ、あいつの武器も砕いてやったし、もはや羽を捥がれた鳥ですぜ。……嘴のほうがあってるだろうかや?」
「武器を……大剣を?」
得意げに報告するエウリューケに、レイトンは眉を顰めて返す。その反応に、流石のエウリューケも空気を読んで少し小さくなった。
「エウリューケ、もうひと仕事だ」
「あい」
少しばかり真面目な雰囲気となったレイトンの言葉に素直に返事を返す。心なしか、背筋も少し伸びていた。
「キミにあと二回ほど転移してもらう。五番街にあるグスタフの武器庫の場所は知っているかい?」
「大体は!」
一度だけ行ったことがある場所。おぼろげにしかない記憶だが、エウリューケの中には確かにあった。
「そこから、モノケルの身の丈ほどの大剣を選んで、カラスくんとモノケルの戦闘場所に届けること」
「え? 何故に!?」
無駄なことを、とエウリューケは思った。カラスと呼ばれるあの少年の武器は大剣ではない。そしてそこに大剣を届けるのは、せっかく自らが武器を砕いたモノケルに利することにもなりかねない。
「意図はカラスくんには伝わるだろう。武器庫の管理人には、あとで僕から話を通しておく」
「…………。……はーい。……ケッ、雀に髪の毛むしりとられちゃえ」
エウリューケの疑問には答えず、レイトンは監視を続ける。その様子に、これ以上無駄だとエウリューケは悟った。
無音でエウリューケは姿を消す。
後に残ったのは、南側担当のレイトンのみ。
「ぼくらの動きを予測できる者が奴らの中にいる、か。……ヒヒヒ、面白くなってきたじゃないか」
屋根の上から街を見下ろし、その中からまばらに上がっている火の手を眺めながら、レイトンはポツリと呟いた。




