交換会
「そうね、やっぱりどう頑張っても二日じゃ無理ね、コレ」
のんべんだらりと切り株に、エウリューケがしなだれかかる。
あれから五回ほど転移をしてもらったが、その度に距離が短くなり、昼寝の時間が伸びていった。
昼過ぎに行った四回目の転移に至っては、もはやほとんど移動せずに、すぐ目の前に移動しただけという有様だった。本当はそれだけでも充分すごいことなのだが、昨夜や朝一番の転移の距離を考えると惨憺たる結果だ。
昼休憩をたっぷり取った後に跳んだ五回目は、若干また距離が伸びたものの、このままなら僕が直接走ったほうがだいぶ速い。
本人も納得いっていないのか、渋い顔をして寝たまま頭を振り乱している。
「やっぱ駄目だぁ! 溜めて溜めて一気に跳んだほうが早いし、夕方までここにいようよー」
「そのほうがいいんでしたら、まあ……」
エウリューケの提案を拒む気はない。というか、本人のやりやすいようにやってほしい。急かしたのは僕だが、強行軍で結局遅れては元も子もない。
僕の言葉を聞いてパアっと明るい顔を上げたエウリューケは、身軽な動作で切り株に座り直した。
「じゃあ、まあまあ君も座り給えよ。脳髄から滲み出た汁を交換しようじゃないか!」
「脳髄……、し、汁……?」
言葉の意味がよくわからなかった。というか、想像できる絵面が酷すぎる。これは逃げたほうがいいかもしれない。
少し後退るが、それを全く見ずにエウリューケは横にあった太い木に腕を伸ばして掌を向ける。
「天を駆け 巡る疾風よ我が手に宿れ 刃となりて切り裂け《刃風》!」
そして、詠唱。
言葉が終わると同時に『カンッ』という澄んだ音が鳴り、太い幹が輪切りになる。その輪切りの一つが吹っ飛んできたかと思うと、僕の目の前に転がり落ちた。
「ほら、椅子も作ったよ! いや、楽しみにしてたんだよねぇ、考える頭を持っている人間と話をするのは、永い人生の数少ない楽しみだよ!!」
「……えっと、話し相手になれってことですかね……」
ならば最初からそう言ってくれればいいのに。
僕はおとなしくその即興の椅子に腰掛けると、とりあえず気になったことを口に出した。
「というか、魔法使いじゃなかったんですね」
「分類上は、エウリューケちゃんは魔術師だよ。なになに? その辺り気になっちゃう感じ?」
「ええ、大いに」
ただ木を切断し移動させるだけで詠唱が必要なことから、僕はエウリューケを魔術師だと判断し、エウリューケはそれを肯定した。
しかし、それも少し矛盾した話となってしまう。
エウリューケは魔術師、と自称しているが、先ほどから使っている空間転移は詠唱をしていない。
詠唱をしないで行う魔術が魔法であり、そして魔術師は魔法は使えないはずだ。
そしてもう一つの可能性は既に無いに等しい。
「でしたら空間転移は魔道具か何か、と思いましたがエウリューケさんは魔道具は使えない。……一体どういうことです?」
空間転移の魔道具。実在しているのかどうかも知らず、もし実在していたら天文学的な価値が付くであろう魔道具だが、仮にあってもエウリューケには使えない。魔道具は、通常魔術師や魔法使いには使えないからだ。
僕という例外はあるが、それは置いておこう。
僕の言葉を聞いて、エウリューケは足をバタバタと動かして体を左右に振る。テンションが上がったのか。
「ふっふーん! これは魔術ギルドの秘中の秘! ……ってわけでもないんだけど、わりと位階が上に行かないと明かされない秘術なんだけどね!」
「あ、機密でしたか。じゃあ」
「充填魔術っていうんだ。物を媒介にして先に魔術を充填しておいて、必要になったら使うっていう便利なもんなのさ!!」
いいです、と話を打ち切ろうとした僕の言葉にかぶせて、秘密が明かされた。秘術というわりにはえらく軽いが、いいのかそれで。
「は、はあ……」
「んん!? 今その顔は、『あー、じゃあ俺にも簡単にできそうだなホゲゲ』とでも考えてないかっ!?」
食ってかかってくるように、僕に人差し指を向けてエウリューケは叫ぶ。そんなことは毛ほども考えていないのだが。
「心配しなくても、簡単じゃあないさ! 充填魔術以外にも魔法陣の技術やら魔力操作やら色々と必要だからね。あたしの研究の結晶ですよこれは」
「……頑張ったんですね……」
なるほど、他にそんな感じの技術が含まれているのか。……おだてれば、秘密も簡単に吐いてくれそうな人だなぁ……。
まあ、そこまで明かされようとも、正直出来る気がしない。英雄譚の魔術はそれほどに難しいのだ。触れる虹も、子供を産む石も未だに僕には作れない。
「さあさあ、今度はあたしの番だ」
もう一度座り直し、エウリューケはニッと笑う。粘着質のその笑い方は、先ほどまでのカラッとした感じとはちょっと違っていた。
「交代制なんですね」
「順番を独り占めしようとしたってそうはいかないからなー!」
ガルルと牙を剥いて怒るその顔は、どこか子供じみている。どう見ても、凄腕の魔術師には見えない。
「でさ、君は三日熱を治したんだってね。それはどうやったのかな? かな?」
「三日熱、ですか」
また古い話を。そういえば、昨日の夜もその時のことを言っていたっけ。微生物についてだったが。
「だってさあ、三日熱が出た時の瘴気を祓うには最低でも一等治療師並みの法術が必要なんだぜ? でも、当時君は五歳だったって話じゃないですかい。そもそもやり方をどうやって知ったのさ」
「瘴気を祓う……というのはわかりませんが、病の原因を殺すのは即興ですね。体内に、その三日熱の原因を」
「そうそれ! それも気になってんだ。どうやってそのびせいぶつとやらを知ったんだね? 多分未だに、治療ギルドでも知っている者はいないんじゃないかね」
そういえばこの世界はまだ瘴気説だったか。誰か権威のある者が実験して知らしめないと認識はそうは変わらないだろう。
「……それに関しては、すいません。僕も人から聞いた、としか」
「フフフ、明かせない、というわけだね。それもまたよし! 誰しも人に言えない秘密の一つや二つ、三つか四つはあるはずだ」
「そうではなく、本当に」
微生物の存在は、僕は知っていたというだけだ。たしか、前世でレーウェンフックとかいう学者が広めたと聞いた覚えがあるが、どうしてそんな発見をしたかも僕は知らない。
答えられない質問に気まずくなり、流れを変えようと今度は僕が問いかける。
「それにしても、エウリューケさんって魔術ギルドに所属してるんですか? 治療ギルドですか? 」
どちらの内情にも詳しそうだが、それもおかしい。ギルドの掛け持ちは、あまり推奨されてはいない行為だった気がする。 魔術ギルドの位階が高くないと知れない魔術を知っているということは、魔術ギルドには入っているだろうが。
「今はどっちも破門されとるでな。元高等治療師にして、元上等魔術師ですよ、あたしゃ」
「どっちもだったんですか。……ちなみに僕はあまり位階とかわからないんですけど、凄いんですか? それ」
上等や高等、それがどんな位置にあるかわからないし、そもそもどういう基準なんだろう。
「凄いぜ超凄いぜー?」
そう言いながら、エウリューケは木の枝で地面に図を描いていく。二等辺三角形の中に横棒を何本も引いて段を付けた感じだ。
「どっちのギルドも、働きに応じて試験が受けられてその結果で昇進していくんだけどもな?」
三角形の一番下を塗りつぶす。
「下から、三等、二等、一等、上等、高等、特等と続くのさ。各支部の院長とかギルド長は高等以上。どれくらい凄いのかっていうと、二等でもう食うには困らない。上等までいって五年も働いたら、もう一生安泰ですねこれ」
「……じゃあ、本当に凄いんですね」
さらっと内部の階級を明かしてくれたが、それもまた驚きのものだ。
探索ギルドには色付きかそうでないかの区分しかないし、それが周知されてもいないほどの曖昧さなのに。
「しかし、どうしてそんなに上に行ったのに、エウリューケさんは破門なんて……」
「話せば長くなるんだけどねー……」
そうしていきなり真面目な顔をしたエウリューケは、しみじみと当時の思い出を語り始めた。
「長くなる(長くならない)」




