残された惨状
迂闊だった。
仮にも敵の眼前にいたのに、警戒を怠っていたのだ。罠があるかないか、ではない。罠がどこにあるか警戒すべきだった。
甘く見ていた僕のミスだ。
反省せねばなるまい。
握りしめて血が滲んだ拳を癒やし、周囲を見渡す。
半壊した喫茶店。店員や他の客がいなかったことが功を奏したのか、二階には怪我人はいない。
石と木で作られた建物は割れて落ち、暗い明かりが瓦礫を照らしている。内部の明かりだったランプの火が若干燃え広がりそうになっているのはすぐに消火した。
すぐに仮面の男たちを追いたい。……しかしそれよりも、下の階だ。崩落した天井に、僕が入ったときの光景。一瞬で全て終わってしまったことも考えると、不味いことになっているはずだ。
潰れた階段を蹴り破り、下の階に降りる。柱がひしゃげて、崩れた壁の建材が柱代わりになっている荒れた店内。
もはや、店内と呼ぶべきものかすらわからない。道具や木材が散乱し、天井も落ちている。その中で、倒れた大きな柱と床に挟まれ、血を流しながら呻き声を上げている若者が、まず目に飛び込んできた。
下手にそのまま引きずり出すわけにはいかない。二次崩落の危険もあるのだ。
とりあえず駆け寄り、うつ伏せに倒れている彼の頭に顔を寄せる。
「しっかり! すぐに出します!!」
僕の声に反応したのか、目を閉じたまま力無くこちらを見ようとするが、また顔面から地面に落ちる。足元の床には血溜まりが出来ている。
念動力で柱を支えて僅かに隙間を作る。周囲の床に散乱する瓦礫を掻き集め、押し込んでいく。
男性をズリズリと引きずり出し、その隙間を埋めて崩落を防ぐ。
ようやく出てきた男性を見れば、意識が薄れているようで、浅く激しい息を繰り返していた。
手を当てて体の内部を確認する。だが、いつもとちょっと違う。
体内がぼやけている。ピントが合わない視界のように、輪郭が見えづらい。
弱ってはいるが普段鍛えているようで、使えはしないまでも闘気が強く魔力が通りづらいのだ。この抵抗が無くなるのも困りものだが、あるのも今は面倒くさい。魔力を強めて対応すると、いつも通りクリアな視界に……。
!!
抵抗がなくなった!
慌てて男性の胸に手を当て拍動を確認する。……、大丈夫、気を失っただけか。自発呼吸も残ってはいる。しかし、やはり重症だ。
すぐに治療する。潰れた肝臓と右の腎臓を修復し、砕けた肋骨を繋ぎ合わせる。血液は本人が何とかするだろう。
治療が終わり、倒れた青い顔は、それなりに生気を取り戻していた。
これで安心してはいられない。あと一人、老人がいたはずだ。
入り口近くのテーブル席で、美味しそうに、ショートパスタを食べていたはずだ。
魔力波で探査する。まだ生きていてくれ。
広がる波に反応があった。半身が出ていた男性と違い、今度は全身埋もれている。呻き声もなく、息も絶え絶え。
だが、生きていた。ならば充分だ。それだけで充分だ。
骨盤を整形し、靭帯を繋ぎ、男性と同じ処置を施す。それで、状態は良くなった。
男性とは違い造血能に難があるため、造血剤を口の中に流し込む手間がかかったが、その手間など軽いものだ。
二人の客を並べて一息つく。
改めて確認しても、他の人間はいなかった。そう、誰一人いなかった。
店のマスターも、逃げたのかそれとも……。
と、こうしてはいられない。
すぐに追っていかなければ……。
「出てこい! 中にいるのはわかっている!!」
走り出そうとした僕に声が掛かる。
おかしい。驚くよりも先にそう思った。治療に専念していたから、周囲を見ていなかったのは認める。逃走が遅れたのはそのせいで、それは反省材料だ。
だが、救助と治療にそう時間はかけていない。通報から時間がかからないというのは優秀さの証明ではあるとは思う。
しかし、ここまで来ると異常事態だ。
この僅かな時間に、喫茶店は大量の衛兵に囲まれていた。
「嘘……」
失礼な話ではあるが、このライプニッツ領の衛兵が特別そんな優秀なはずはないと思う。
それとも、槍と盾を構えて喫茶店の中を睨んでいる彼らは、そんなに優秀だというのだろうか。市民の通報に寸暇を惜しんで対応できるほどの勤勉な兵士たち。
いや、それよりもどういうことだ。崩れた店の中にいた客の救助であれば、先程の言葉はおかしい。この喫茶店も囲まれることはないだろう。
誰か救助に来たら隠れる気ではあった。喫茶店破壊の犯人として無用な疑いをかけられるのはごめんだし、疑われたら最後もう反論させてもらえない。
だが、疑いをかけられることに関してももはや心配はいらなそうだ。いらないというよりも、もはや無意味だろう。
「探索者カラス! おとなしく出てこい!! これ以上罪を重ねるな!!」
犯人として疑われているのは僕。闘志溢れるその瞳は、見えていないはずの僕を捉えようと何処かを見据えていた。
……状況が揃いすぎてて笑えてきた。
半壊した喫茶店にいる、無傷な者は僕のみ。そこに夜中にも関わらず大挙して迅速に集まった衛兵たち。中にいる僕を庇う者はおらず、さらに僕は前科持ち。
真犯人はとうに闇の中に消えて、僕に反論の余地はない。
衛兵を蹴散らすことは簡単だが、そうすればさらに事態は悪化する、と。
どこまでが仕込みだったのだろうか。
どこから罠だったのだろうか。
ここからいくつかわかることもあるが、今はそんなことを言っていられない。
とりあえず離脱だ。透明化し、逃げる。それしかないだろう。
オトフシも言っていた。『名誉などあとからいくらでも取り戻せる』と。その通りだ。今は捕まらないことを最優先に……。
「緊迫してる感じ? 困ってるねぇ、困っちゃってるねぇ!」
「隊長! 一人現れました!! 状況から見ても……!?」
「仲間か!!」
一応瓦礫に隠れていた僕の耳に、聞き慣れない明るい声が響く。
それと同時に、その声の主に気が付いたのだろう。外が騒がしくなる。
声の方向を見て、僕は思わず瞬きを繰り返してしまった。
「会いたかったよー! カラスくん!! とりあえず、逃げよっか!!」
そこには、見慣れない着膨れをした厚着の女性が、僕に手を差し伸べていた。




