接見
「……こういう場所、慣れていなそうですね」
「……」
静かに前を歩いている男は僕の言葉を無視した。僕が案内されているのは、いわゆる繁華街だ。それなりに広いこの街。その中でも、夜に活気が増すような一角。何となくこの前のリコの言葉を思い出す。別にそういう店が目的地では……いや、それはわからないが、別に僕の意志で来ているわけではないのでいいだろう。怒られる筋合いすらないが。
そういった店の中から声や音が響く度に、前を歩く男の歩調が僅かに変わる。本人すら気づいていないかもしれないほどの僅かな変化だが、男に注目していた僕からしたら酷く目立つ動きだった。
暗がりはイラインと比べても深い。高い位置に設置されたガス灯は、土台に充填された油はまだ充分残っているだろうに、もう消えそうな有様だ。手を当てて確かめてみると、燃料の減少に中の機構が対応できていないのか、噴き出すガスの圧力がかなり低くなっているようだ。
こんなことなら本当に、灯心を使った灯明でいいだろうに。何かこだわりでもあるんだろうか。
案内された店はその繁華街の端にあった。危惧していたいかがわしい店のようなものではなく、ちょっと気位の高い喫茶店といった風情だ。酒は出しているのだろうが、何かしらのパフォーマーのような者はおらず、酒場という感じではない。
先導した男がドアについたベルを鳴らしながら入ると、中にいるちょび髭を生やしたマスターのような人が手を止めて会釈をする。そして頷きながら顎で奥を示した。マスターが拭いているのは酒用のグラスだろう。色が入っておらず、透明度の高いこのグラスも、ライプニッツ領の特色だと思う。
全部で二十席ほどの、カウンターとテーブルの置いてある店。少し遅い夕ご飯を取っている老人や青年がちょこんちょこんと座っているが、ほとんどが空席だ。
少し、拍子抜けした。ここはどうみても普通の店だ。
庶民が日々使い、腹を満たした幸福感を連れて帰っていく店。まかり間違っても、陰謀や荒事などの匂いのする店ではない。目の前を歩く男の主がどんな人物かはまだわからないが、のどかな接見で終わるだろう。
そう思ったのだが。
店の二階、そこにいた人物。
「よく来てくれた。座るといい」
自らの対面の席を指し示すその男は、無機質な声だった。まるで、正体を隠すために声色を変えているような、そんな声で。
正体を隠す、というのは声だけではない。体型や、顔すら隠れている。
普通の店などと思ったが、それにしてはおかしな光景だ。
目の前に座っているのは、あの日見た仮面の男。
僕や石ころ屋の面々が探している、目下の問題の主だった。
「どうした? 別に罠などない。そんな必要もないからな」
確かに、周囲に仕掛けはない。ただの、大きな窓が面した個室のように区切られたブース。刃が出てきたり火を噴いたりといったトラップはないようだ。
だが。
「表に二人、店の奥にもう一人、お連れの方がいらっしゃるようですが」
「……奴らは心配性でな。気にしないでくれ」
見張られている、というのが気に食わない。中途半端に隠れているのも少々気分が悪い。隠れるならば、僕が気が付かないくらいもっと綺麗に隠れてほしいものだ。
「まあ、お会いできたのは好都合です」
探していた相手、その相手が目の前に現れたのだ。好都合なんてもんじゃない。
僕は対面には座らず、ブースから通路を一つ隔てたカウンター席に逆向きに座る。警戒ではない、単なる不快感からだ。
「で、貴方は誰です? どこかでお会いしましたか?」
僕がまっすぐに仮面の男を見ても、当たり前だが表情は見えない。ただ、フードの中、仮面の中で唇をゆがめた気配がした。
「…………」
「黙られても困るのですが。そもそも、呼び出したのは貴方ですし」
僕が重ねて答えを促すと、踵を貧乏ゆすりのように一度動かして、仮面の男は顔だけをこちらに向けた。
「……こそこそ動き回っているらしい君に、少し忠告をしようと思ってね」
「忠告」
「簡単に言おう。近々イラインのほうでちょっとした騒動がある。それに、君は参加しないでもらいたい」
「ちょっとした、ね」
前回の竜騒動は、この男にとってどれほどの規模の騒動なのだろうか。
「心配しなくても、その騒動はすぐに治まるだろう。被害は……まあ少しは出るかもしれないが」
「僕が参加すれば、何かまずいことでも?」
「そう何度も邪魔されると困るんだ。あの弓使いは問題ないだろうが、どうせ君はまた邪魔をする」
無機質な声に、忌々しいといった感じの響きが混じる。
テーブルの上では、一口も手を付けられていない紅茶から湯気が立ち上っている。
仮面から口も出ていないのだ。仮面を外さなければ飲めないだろうにどうして頼んだのだろうか。
僕は目を閉じ、溜息を吐く。考えるまでもない。答えは決まっている。
「なんとまあ、つまらない。僕への殺害依頼を出したかと思えば、今度は『関わらないでくれ』ですか」
「余計なことは……」
後ろでついてきていた剣士が声を上げる。その声に対して、というわけではないが僕も答えを返そう。
「お断りします。関わるか関わらないかは僕が決めます。貴方が何かを勝手にやるというのならば、僕も何かを勝手にやる権利がある」
邪魔をするかしないかは僕が決める。事態の如何によっては手を出すかもしれないし、出さないかもしれない。そもそも、イラインの場合は僕が出る必要すらないかもしれないが。
「……手を出さない、というのであれば見返りも用意しよう。金貨がいいか、それとも魔道具がいいか」
「重ねて、お断りします。そういうことではありませんので」
先ほどよりはマシな交渉だ。だが、僕の答えは変わらない。
「失礼、君に魔道具は不要だったか。竜を殺せるほどの魔道具を既に持っているのだから、当然だったな」
「魔道具なんて使った覚えもありませんけどね」
仮面の言葉にそう反論する。……さて、どうするか。
「そんなはずは……?」
仮面が言葉に詰まる。何だろうか、どこにそんなに驚いている?
小さく僕に聞こえない程度に咳払いをして、仮面は続けた。
「……では、何故だ。被害が出るのが気に入らないとでも?」
そうではないのだ。本当に、仮面の男と僕は相容れない。この短い接触でも、僕はそう確信できた。
僕はもう一度長い息を吐き、言葉を脳内でまとめ上げる。既知の情報、見聞きした情報、今接触して得た情報、そこから推測できる情報。
この男の申し出など、はなから受ける気などない。僕は、僕が知りたいことを知るために来たのだ。
「訛りはイラインよりも南方、やはりこの辺り出身ですか」
「……何を?」
「器の位置から右利き、利き足も右。喉の皮膚を見て身体年齢は十五から十八程度。紅茶の水色はミールマン産の茶葉ですが、この辺りで普通に頼んで出てくるものではないと思いますしそれが貴方の好みですか」
向こうで普通の食事をしている客が飲んでいるものとは少し赤の発色が違う。
「何を言っている?」
「今のところ知りえた貴方の情報ですよ。右手のみにしている手袋はお洒落か、何だろう。露出している左手指の状態から見て、あまり武器は使わない。たまに剣を使う……かな? ……まだまだ続けられますが、もうお話しする意味も無いでしょう」
僕が知りえた情報は表層的なことばかりだ。これを話し続けても、この男の正体に直接はつながらない。
「……何の意味があるか……と聞いている……!」
声に苛立ちが見える。拳を握る所作に、武道を齧った程度、という感じの形跡がある。
「それで、もう一度お尋ねしますが、貴方誰です?」
「…………」
黙る仮面の男。そこまで正体を隠したいのであれば、何故僕の前に直接現れたのだろうか。
「貴方は僕の殺害依頼を出した。ならば、貴方は敵です。仕事中に敵対したのとはわけが違う。そんな人からの依頼など、聞けるはずがありませんね」
「……残念」
仮面の男が冷たくそう吐き捨てた。
「交渉は決裂だ。では、君も覚悟しておくがいい。また邪魔をするならば、今度はあんな簡単な依頼では済まない」
そう言って立ち上がる。もう帰ろうかという雰囲気だが、そんなことをさせると思っているのだろうか。
密かに臨戦態勢を整える。
「馬鹿なことをするなよ。こちらの人数は五人、対して君は一人。戦力の差は明らかだろう」
「結局は脅しですか。今しがた、覚悟しろと言ったばかりなのに」
剣士が得物に手をかける。こちらは僕への脅しではなく、もう使う準備だろう。
僕が手に力を籠めようとしたその瞬間、仮面の男が口を開く。もはや無機質なものではなく、普通の声で。やはり青年か。
「……この店の周囲には火薬が仕掛けてある。俺が合図をすれば、この周囲数十メートルが吹っ飛ぶだろう」
「何の意味が……、人質ですか」
「察しがいいな。お前は、それを我慢できる性格じゃあないだろ?」
「誤解されているようですが、僕の知らない人物です、遠く何処かで死のうが、あまり心は痛みません」
テロには屈しない、とそんな心意気で返すが、そう間違ってはいない。
だが、問題はない。仮面が合図とやらを出す前に、気絶させることは出来る。
「では、こちらはどうだ?」
その言葉を聞いた時には、もう行動は終わっていた。
剣士の大剣を振り下ろす攻撃。斬られるのは僕、だけではない。
その斬撃を躱すと、叩きつけられた大剣が床に食い込んでいく。そしてその勢いのまま、斜めに一回転。闘気が込められた刃の衝撃が突き抜けてゆく。
飛びのいた僕と仮面の男の間に引かれた線。その切断面は滑り落ちるように崩れ去り、建物が破断する。
次の瞬間、大砲のような砲撃が僕に降り注ぐ。壁を突き破り、喫茶店を破壊しながら僕に迫る攻撃。
熱を帯びて煙を纏い飛んできたいくつもの砲丸を手と障壁で逸らして防ぐ。
埃と瓦礫、壁の砕けた木材や窓ガラスが飛び散り、煙幕となって仮面の男たちを隠す。
煙幕が晴れ、静かになった建物。
「逃げられた、か……」
晴れた視界の中、もはやそこには誰もおらず。仮面の男には逃げられていた。
あまりのことに、僕の手から血が滴り落ちていた。




