ただの食事会
薬師から品質証明書も受け取り、樽を台車に乗せて運んでいく。
「じゃあ俺、これを商店の倉庫に運び入れないといけないから」
「ああ、はい。じゃ、ここで」
もう暗くなり始めた街。道には明かりが灯りはじめ、朝の屋台とはまた違った趣を見せていた。
もはや魚店はなく、代わりに料理の屋台や食堂への呼び込みが始まる。昼間漁に出ていた者もいるのだろうか、魚が一杯に詰まった網を担ぎ歩いている人もちらほら見えた。
これからまた、店の人と合流しなければいけないのだろう。リコは足早に台車を押し、路地の中へ入っていく。だが、一度路地の中へ消えた後、そのまま後退して僕のほうへ全身を覗かせた。
「いや、この辺にいて。もういい時間だし、夕ご飯一緒しようよ」
「……構いませんけど、いいんですか? 店の人と一緒でなくて」
「構わないよ。なんせ、もう商談は終わってるしね。予備日として明日もあったけど、さっき変更があって明日にはここを立つから、今日の夜が最後の自由時間だし」
「そうですか」
予定よりも早く商談が片付いたから、すぐに引き返すということだろう。この街に来た理由が商談ということからも、きっと街に留まって商売をするような仕事ではないのだ。
「じゃあ、待っててね。すぐに準備してくるから」
ガラガラと台車を押していくその音は、重たい水を乗せているのに、空だった時よりも軽やかに聞こえる。
それほどまでに喜んでいるのだ。やはり、初めての仕事というものはきっと大事なのだろう。
「はい、おまたせー!!」
リコを見送り、感慨に耽っていた。そして、立ち並ぶ適当な店を眺めていたその短時間で、リコは戻ってきた。
「……早いですね」
「へへ、びっくりした? びっくりした!? なんと、うちの店の使ってる宿と借りた倉庫、すぐそこなんだよねー! 店長にも伝えてきたから、これから夕ご飯食べ終わるまでは自由時間さ!」
元気に走って戻ってきたリコは、一息でそう言い切る。むん、と薄い胸を張るその恰好は、先ほど別れた時とは全く違っていた。
先ほどまでは、カッターシャツと黒いズボンだったのが、今では全身一繋ぎの服を着ている。緑色の全身タイツをゆったりとさせたようなその服は、両肩の部分と膝から下が露出し、水着とも見えるような変わった服だった。
「服、着替えたんですか?」
「うん。昨日、街に着いてから勉強のために買ったんだけどね。アウラに入りたくばアウラの水を飲め、って言うらしいじゃん」
「よく知りませんが、変わった服ですね」
「でしょ? イラインじゃこれは着れないなぁって思ってたから、……ここで着るなら浮かないし」
硬そうな生地の端をつまみ、リコはそう呟く。たしかに、イラインならば目立つ服装だ。そして確かに、周囲をよく見てみれば同じような服を着ている人がたまにいる。
……これはたしかに、今しか着れないかもしれない。服とは飾っておいたりしまっておくものではなく、着るものだ。本人がここでしか着れないというのなら、着るべきだろう。
「さて、それじゃどこにしよっか? といっても俺も、案内できるほど詳しくないんだけど」
「僕もです。適当に歩きながら探しますか」
「だね!」
それから、歩き始めた僕らは適当に店を探す。
看板がいくらか出ているが、そこに書いてある料理名の意味がわからない。だが、そこで僕が困るたびにリコは解説してくれた。
「……酔い殺し?」
「えっと、それはたしか、海老に塩水を吸わせてから揚げたもの……だったかな? お酒が止まらなくなるんだって」
「おつまみですか。僕には関係ありませんけど」
まだ酒を飲む気はない。やはり成人するまで、という忌避感が残っている。
「俺も酒は今はいいかなぁ。明日起きれなかったら困るし」
リコも、頭を掻きながら僕に追従した。酒は飲めるそうだが、節度をわきまえているのは良いことだ。
「あの水槽は……」
僕の足が止まる。路地の中、入り組んだ場所にも店はある。そして、その店先に、水槽が置かれていたのだ。
生簀だろうか、と一瞬思ったが、そうではないらしい。なぜ気が付いたかといえば、その水槽からどうみても人間の女性が姿を見せていたからだ。
足を止めた僕の視線の先を、リコは追う。そして、明らかに表情を歪めた。
「君にはまだ、早いんじゃないかなぁ……」
「……? 何故です?」
そう聞きかえすと、リコは顎で水槽を示す。
「よく見てごらんよ、水の中」
「……あ、ああ」
言われて気が付いた。その、水中の女性の下半身。そこには人間についているはずの足がなく、代わりと言わんばかりに、大きな魚の体がある。
「人魚の花売り、だよ。うちの店の従業員も今日、何人か同じような店に行ってるんじゃないかなぁ……」
リコの声に暗い感じが混じる。そして自らそれを鼻で笑い飛ばすと、僕に向けて笑顔を作った。
「人魚ってみんな綺麗なお姉さんだから、君も興味を持つかもしれないけど、……今日はいかないからね?」
「ええ。別に行く気もないですけど」
「そう、よかった」
笑顔が明るくなる。未だ成人でない上に、そういったものに未だに興味が持てない僕が行くはずがないのだが、リコが釘を刺すなど相当なことだ。何だろう、リコの、そういう店に対する嫌悪を感じた。
結局、食べる店は目についた麺料理の店だ。
「いや、でも本当にありがとう! お礼に、今日は俺が奢るから!!」
「そんな、悪いですよ」
「いいっていいって!」
先払いの銅貨を、リコは叩きつけるように威勢よくカウンターに置いた。
それからテーブルに着き、二人向かい合わせで料理を口にする。短く、団子のように太い麺を口に運びながら、リコは楽しそうに近況を話す。
そしてふとした瞬間、口の中のものを飲み込む前に、リコは僕に向けて神妙な顔つきで鼻から息を吐いた。
「本当によかったよ。せっかくグスタフさんから依頼されたものだからね、やっぱり、ちゃんとやりたかったんだ」
「へえ……」
グスタフさんから。その言葉の意味を僕が考える前に、今重大な失敗をしたことに気が付いたのかリコは慌てる。そして急いで、口の中のものを飲み込んだ。
そして、盛大にむせた。
「ぐ、げ!! ちょ、ちょっと、……!!」
ひとしきり騒ぎ、落ち着いてきてからリコは半ば泣きそうな顔を僕に向ける。
「い、今言ったこと、忘れて、ね?」
「僕は何も聞いてはいませんよ」
僕はそれだけ言って、目を閉じてスープを一口飲む。
その一言だけで、リコが安堵の息を漏らしたのが前方から感じられた。




