好きな場所
「これこのまま食べられますか?」
「いや、少ししょっぱいから、水に漬けて塩を抜いたほうが……おい」
鉄貨の代わりに受け取った、干したイカの丸干しを齧る。本当だ。少ししょっぱい。そして歯ごたえがある。だが、噛むごとに滲みだす汁が旨味に溢れていた。
適当に屋台の親父に礼を言いながら、僕は考える。内容は、先ほどのレイトンの言葉の意味についてだ。
『少し、噂話に気を付けたほうがいい』。それはどういうことだろうか?
噂話というのがまた曖昧だ。誰が話したか、何についての話か、いつから流れている噂なのか。それら全てがわからない。僕が噂話などに興じるタイプでないのを差し引いても、わけがわからない。
それに巷の噂話など、日毎に、ものによっては時間単位で変化していくのだ。全て合わせれば、膨大な数となるだろう。
干物に残っていたイカの目玉を噛み砕き、レイトンの消えていった先を見る。恐らくもう、この街にはいないだろう。つまりこれ以上のヒントは見込めない。相変わらずだが、本当にわかりづらい男だ。
今までの傾向からいって、答えは考えてすぐわかるようなものでもないだろう。発想の転換や閃きが必要なものだ。それに、知識量も全く違う。すぐに同じ答えに辿り着くなどそうそう出来る気がしない。
被害が出そうならば、ニクスキーさんや新入りが出ると言った。そういう言葉に嘘はないだろう。
……ならば、僕の頭が閃くまで、待つしかない。未だにグスタフさんやレイトンには追い付けない。本当に、悔しい話だ。
手の先でイカの包み紙を発火させる。
すぐに風に舞ったそれは、散り散りになってどこかへ消えていった。
坂道を適当に歩き続けた僕の足が止まる。
その足のすぐ先、手の届くところには、もう海が押し寄せていた。
その奇妙な光景に改めて驚く。本当に、地続きだ。
坂道はそのまま続き、さすがに半分水に漬かっているような半端な建物はないが、水の中に普通に建物がある。よく見ると石造りのようで、サンゴ礁のような材質に見えた。
そして、やはり一番驚くべきところといえば、その海中に見えた、人の姿だろう。
ピスキス人は、ミーティア人のように人間の形がまったくないわけではないようだ。
中を泳ぐように移動しているその人たちは、肌こそ鱗に覆われ、ヒレなども見えるが魚の形はしていない。頭部だけが魚のようにも見えるので、これはいわゆる『半魚人』という感じだろうか。
厚い唇に落ちくぼんだ眼、上半身だけ見れば、鯛や鮪のような魚に半纏のような服を着せたように見えるかもしれない。だがその手足は僕らと同じようにスラリと伸びて、その手の先は水かきのようなものも発達していた。
だが、しばらく見ていても通行する人の中に彼らのような『顔が魚』というような人はいなかった。
水面に、普通に歩いて入っていく人はいるのだ。同じように、出ていく人たちも。だがその人たちは先ほどから世話になっている屋台の店主のように、一見して普通の人間のように見える。
……やはり、普通の人間に見える人たちは『宿り木持ち』なのだろうか? 国が違うし違う呼称かもしれないが。
海中の、街の広さも驚いた。
街の地上部分には、一里塚がいくつか立っている。それを見るかぎり、広いとは思ったが直径は五百メートルもないだろう。しかし、見た感じ海中はそれ以上に広がっている。
坂道は深海へと続くかのように伸びており、流石にその先の街まで見通すことは出来なかったが、そこまででも地上部分より確実に広い。
少し行ってみたいが、あいにく僕は普通の人間だ。流石に、海中での長時間行動は出来ない。魔法を使えばいけなくもないかもしれないが、その辺りは必要になったら考えよう。
水平線上にはいくつもの島が見える。
水平線の向こうから、ちょこんちょこんと頭だけ出している小さな島。以前聞いた話だと、あれは全て浮き島だ。ただ大きな岩が浮かんでいるだけ。大きな岩、だがそれぞれが高さ十里(約五キロメートル)以上あるという話なので、もはや山が浮かんでいるといっても過言ではない。
聞いたことはないが、それぞれに生態系でもあるのだろうか。
まだ泊まる宿を決めてもおらず、ただ来ていくつかの料理を食べただけ。
だが、潮の匂いを嗅ぎ、足を海に浸しながら、僕は思う。
この街に来てよかった。
海を見て、思った以上に僕は感激しているらしい。強い日差しを顔に受け、鳥の声を聴きながら、ただひたすらボーっと海の先を眺めていられる。それくらいには、僕は海が好きらしかった。
……よく考えたら、この旅を始めた時の目標をもう達成してしまった。
イラインを出てからすぐに立てた目標は、『アウラを見にいこう』だったはずだ。ここに来れた以上、もう次の目標を立てるべきだろうか。
いや、まだしばらくはいいか。しばらくはここでのんびりと過ごそう。
のんびりと過ごそう。そう思った次の瞬間に、それは叶わなくなったらしい。
また問題だろうか。
叫び声が上がる。多くの人が足を止め、水平線を見つめている。そうか、普通のことだと思って見ていたが、あれは問題だったのか。
幾人かが視線の先を示す。その指さす方向を見れば、その先に島がある。
その島に蛇が巻き付き、そして水平線を越えてここまで届くような音を立てて、崩れた。




