古の話
「……アントル」
「おぉよ」
静かにサーロはアントルに語りかける。晴れやかな顔に、哄笑や憫笑ではなく涼やかな笑みが見えた。
「近く、エッセンを、案内してもらえるか」
「はぁ!? なんでまた」
「知らなければならぬ。今のエッセンを、森人の住処を。そして森人たちが、ネルグをどう変えたかを」
頭上にクエスチョンマークが浮かび続けるアントルに言い聞かせるように、サーロはまた突飛なことを言った。簡単にいえば、エッセンを歩いて回りたいと。
突然の変わりようが、不可思議としか思えない。あれほど嫌っていたエッセンに、視察旅行にでも行くような口ぶりで、アントルに案内を頼むなど。
アントルはエッセンに入るのが嫌なのか、それともサーロを伴ってが嫌なのか、とにかく嫌そうに口を開いた。
「ぅ……でもよぉ、お前、族長の仕事をほっぽり出して行くなんて……」
「族長は、誰か別の人間にやらせるさ。……もとより、身どもは族長たる資格もなくなっているだろう。そこの森人に身どもは負けたのだ」
サーロは僕を指して、そんなことまで言う。負けたら族長の資格がないと。そんな制度なのか。
「……クク、次の候補はいくらかいるが……どれもまだまだだな。ククク、それも身どもの三百年の結果か」
「さっきいた、カルって奴ぁどうだよ」
「力は充分だったかもしれぬ。だが、忘れたのか。カルもその森人に負けている。他の者が認めぬだろうよ。……クク、まったく、厄介なことをしてくれたものだ」
僕に向けた憎まれ口も、もはや敵意は無い。憎まれ口というよりは、軽口。そんな感じだ。
「……というわけだ、森人よ。貴様は余計なことをしたかもしれぬ」
翻って、サーロはそう良いながら不敵な笑みを浮かべた。
「……どういうことでしょうか」
「身どもが貴様に負けたのは、貴様の力を知らなかったからだ。知っていれば、あの程度の檎拿術、どうとでも出来ただろう」
最後の蟹挟みのことか。マウントポジションを取るのにちょうど良かったから使っただけだけれど。
「そして、身どもはこれからエッセンのことを知る。文化や町並み、住んでいる人やその力に至るまでな。知れば、勝てる。もはや今、貴様への勝算があるのと同じようにな」
「手強いですよ、エッセンって」
「だが、身どもらが勝つ。なに、既に三百年も使って準備をしてきたのだ。あと百年経とうが、必ず成し遂げる」
自信満々に、サーロはそう言い放った。たしかに、百年後どうなっているかは僕は知らない。予測をする気も無いけれど。
悪意のない戦意をみなぎらせて、サーロは拳を握る。
だがそのサーロに向けて、アントルは水を掛けるような言葉を放った。
「いやぁ、無理じゃねえか?」
「またお前の森人贔屓か。下らん」
溜め息を吐きながら、サーロは首を振る。だが、その仕草に向けて、アントルもまた首を振った。
「じゃなくてよぉ。お前、カラスに勝つとか言ってっけどよ、そいつ……」
アントルがそこで言い淀む。アントルも半信半疑なようで、不思議そうな目で僕を見ながら頬を蹄で掻いた。
「そいつ、魔法使いだぜ?」
「馬鹿なことを。身どもに格闘戦で打ち勝てる魔法使いなどいるものか」
なぁ? と親しげに僕に笑いかけてきたサーロ。だが、期待を裏切って申し訳ないが、僕は魔法使いだ。
「魔法使いのカラスといいます。貴様、という名前ではありませんので、覚えて下さいね」
指先に火を浮かべながら、僕の力を示す。その火を見て、サーロは唇を結んだ。
「……ク、ハハハハハ! なるほど、簡単ではないな! エッセンに勝つのは!」
そして愉快そうに高らかに笑った。何が琴線に触れたのかわからないが、さっきから妙に明るくて変な感じだ。
「魔法を使わずに、身どもに魔法使いが打ち勝つか! エッセンの魔法使いの力は凄まじいな! アントル、お前以上じゃないか?」
「あー、まあ、ちょっと自信は無くなったけどよぉ。つーか、さっきのは灯気だろ? 魔法使いの癖して、灯火が使えるのは卑怯だよなぁ……」
「灯火?」
また知らない単語が。やはり違う種族らしく、所々話が通じなくて面白い。
「……そういや、エッセンの奴らは闘気っていうだけだったか。さっき体を強くしてた光だよ」
「ああ、なるほど。まあそれは僕も不思議なんですけどね」
そういえば、未だに僕以外両方使える者を見たことがない。いくらなんでも、この世界に僕一人しかそういった体質の者がいないはずがないと、グスタフさんに言われてさえ思っていた。しかし、そうでもないのかもしれない。この五年間で見たことがないのだ。よくよく考えれば、あの老人が知らないのであれば本当にいないのかもしれない。
……過去に一人だけいた例外を除けば、だが。
その例外を、彼らも当然知っていたらしい。
「ふぅん、何か、昔の勇者みてぇだな。なぁ、ドゥミ様」
「そうざんすな。あの人も、そんな風でありんした」
懐かしむように、元から細い目を更に細め、ドゥミはそう呟く。いや、今の受け答えから考えると、すこしおかしな話な気がするのだが。
「あの人……って、ご存じなんですか?」
このエッセン周辺に、例外たる勇者がいたのは、千年も昔のことのはずだ。実在したのは確からしいが、会ったことのある人など、もうとっくに……。
「何言ってんだよ。ドゥミ様は、勇者と旅してた仲間だぜぇ?」
「危なっかしい御仁ざましたから、支えていこうと思いしいしたのですけどなぁ」
ドゥミの尻尾が忙しなく動く。狐の尻尾が動くのはどういうときだったか。犬なら興奮したときだったと思うが、狐はわからない。
「……結局、最後にはわっちは一緒にはなれんしいした」
だが、その尻尾はすぐに大人しくなり、少し元気をなくしたように、まるで何処かにいる思い出の人を透かしてみるように、虚空を見つめてドゥミはそう言った。
しかし、千年。
魔法使いならばいけるかもしれないが……いや、それにしても限度がある。やはりそれだけ、ドゥミの力が強いということだろう。
そして、ドゥミの言葉遣いが古い感じがするのはそのせいか。当時使われていた古語の名残なのだろう。
ああ、そういえば、<千尾皮>!
勇者の英雄譚で見たことがあった。アントルの<動山>とは違い、本人だったのか。
「妖精さんも、不思議な人ざんすな。あの人と似ているかと思えば、アリエルさんみたいなことをして」
アリエルと言えば、勇者の英雄譚に出てくる妖精の名前だ。
姿を消すことの出来る羽の生えた美少女として登場していたが……。半ば伝説上の人物だ。
「だから、妖精、と」
僕の言葉に、ドゥミはゆっくりと頷いた。
だから初対面のときから、彼女は僕をそう呼んでいたのか。姿を消せる僕を、かつての仲間に重ね合わせて。
「それにしても、妖精さんは、あの人に似ていすな。雰囲気や何か、わっちにはわかりんせんが」
「……何でしょうかね? 僕はお会いしたことがないので、わかりませんが」
勇者と似ていると言われて嬉しい気がしないでもないが、その理由に察しがついてしまう辺りは少し悲しい。僕の笑顔が少し、作られたものとなってしまう。
勿論、外見が似ているわけではないだろう。赤の他人であるし、血が繋がっているとも思えない。
だが、外見以外では似ているかもしれない。その事実が、僕も少し気になっているのだ。
僕と千年前の勇者には、共通点がある。
子供向けの英雄譚にはぼかして書かれていたが、僕が以前礼服として着た学生服、それについて少し気になって調べてみたのだ。少しだけ原典に近い英雄譚を見れば、その由来がすぐにわかった。
学生服の由来。それは、千年前の勇者まで遡れる。
その勇者は黒い双眸と、漆黒の髪を持つ。そして召喚された際には、黒い厚手の外套と、『学生服』という物を身に纏い、白い手袋と上部が平たい『学帽』を被って現れた。
そして、召喚陣を取り囲む王や大臣、兵たちに向かって、こう言ったという。
『ここは日本ではないのですか』、と。
何故言葉が通じたのか、そもそもどうやってこの世界へとその召喚陣は連れてくるのか。そして何故、魔王の脅威に対抗すべく連れてこられたのが、この世界の強者でもなく、異世界の学生だったのか。
その辺りは何故だかわからない。勇者の英雄譚の原典といわれているものを記した、当時のパーティメンバーの手記を見れば少しはわかるかもしれないが、一般向けに出版されているものにはその答えは無かった。
「そうだ、ソバージュ様。つかぬことをお伺いしますが」
「なんざんしょ?」
「その勇者様と旅していたときに、記録などは残しておりませんか?」
そうだ。何も英雄譚にこだわる必要は無い。当時のことがわかれば、なんでもいいのだ。
「難しおすなぁ。わっちは書き物が苦手でおざりいす。他の者も、どっかほかしてしまいんしたでしょ」
「そうですか……」
即答でそれは否定される。まあ仕方がないか。話を聞こうにも、たしか<千尾皮>は途中参加だったはずだ。旅の始まりについても、どうだろうか。
「ちなみに、その勇者様の故郷については……」
「よくわかりんせん。あの人は、知ってることと知らんことが極端ざんしたから……」
宜もなく断わられる。だがこれは、話が出来ないというよりも、話をしたくないという感じだ。
その雰囲気からそう感じられる。
当時のこと、ドゥミにとっても全てが良い思い出というわけでもないのだろうか。
……聞くのは諦めようか。千年を生きる目の前の女性に対して、僕は何故か追及する気にはなれなかった。




