違う場所を見ていた
すぐに僕はサーロに治療を施す。
打ち身を消し、全身の骨に入った傷を癒やし、ただ意識を取り戻すのを待つ。
使おうとした気付け薬は、満場一致で止められた。銅犬の兵士やアントル、その他の鼻の利くミーティアの人間には匂いがきついらしく、背嚢から瓶を取り出した時点でストップが掛かったのだ。その匂いで目を覚まさせるものだと思うのだが。
治療師というか、ドゥミの率いる法狐の氏族には祈祷師に近い治療師が多くいるようなのだが、そちらの協力も得られなかった。というよりも、ドゥミの『妖精さんが何とかしいしな』という言葉で僕に治療が一任された。
得られた協力といえば、近くの倉庫からサーロを寝かせる絨毯が運ばれてきただけ。
こき使われているのか信用されているのかはわからないが、面倒な話だ。
それに、ミーティアでの治療も見てはみたかった。エッセンでよく見ていた治療師の法術が信仰に依存してる以上、ミーティアでの治療は違うはずなのだ。崇拝対象の『獣神様』が関わってくるとは思うが、その違いが見てみたかったのに。
でもまあ、それならそれでこの時間も使いようはある。
先にサーロ以外の人間の方向性を統一しておけば、この後も円滑に進むだろう。
幸いといっていいのか、議長のジプレッツはここにはいない。先程、昼寝のために手近な建物に入っていったようだ。僕が偉そうにしても、大地を荒らした激戦の後のこの空気の中、異を唱える人物はいないだろう。
「さて、……ええと、灰牛の……、すいません。名前わかんないんですけど……」
「ランボっていいます」
呼び掛けようとして名前がわからずに言いあぐねる僕に、語尾の音を上げながらランボが名乗ってくれた。田んぼと同じイントネーションの名前。関西弁を思わせるようなそれが訛りなのかはわからないが、まず彼からだ。
「ええと、ありがとうございます。ではランボ様。……先程、一番最初に貴方が発した問い、これで答えになるでしょうか」
僕がこの場全体を指してそういうが、ランボの反応は薄い。
「あーと、どれよ?」
「『エッセンの戦力は? 勝てる見込みはあるの?』です」
「あー、あー、そうそう、それ。……まあ、無理だんね」
僕が補足すると、ようやくわかったような顔で頷く。『わかったような』とはいうものの、その表情は正直どちらかわからない。合わせているだけかもしれないが……だけれども、それでも口に出してくれただけ意味はある。
では次に、と僕は磨猿のダルムの方を向く。
「ダルム様。では、楽勝そうですか?」
「……チッ、わかりきってることをよぉ!!」
舌打ちを繰り返すダルムは答えない。だが、地団駄を踏んでそっぽを向くその仕草は、ダルムの考えを十二分に語っていた。
抗戦派の二人は、もう戦意が無い。後の二人のうち一人は気絶中で、そして最後の翠鳥は、主張らしい主張をしていない。議論において、口を出さないのであればそれは即ち権利の放棄といっても差し支えない。
ただ二人へ問答を出すだけで、抗戦派の意見は無いも同然の空気となっていた。
「……ぅ……」
やがて、絨毯のような物の上に寝かされているサーロの口が震える。顔が顰められ、やがて目がゆっくりと開いた。
「サーロ!」
のしかかるように、反対側にいるアントルがサーロの顔に覆い被さる。
目が覚めて嬉しいのはわかるが、近付きすぎだ。サーロもやはりそう思ったようで、アントルの鼻先に手を当てて押しのけていた。すぐに臨戦態勢に入るようなことはないと確認し、僕もサーロに話しかける。
「目が覚めましたか」
「身どもは……」
そして身体を起こし、周囲を見回す。すぐに現状が理解出来たのだろう。溜め息を吐いて、ごろんと仰向けになった。
「身どもは、負けたのだな」
誰に投げかけるわけでもない、自分へと言い聞かせているようなそんな声音だ。
「情けない。今代の獣神とまで称された身どもが、こんな年若い少年に敗れ去るなど……」
そして、失望の声が続く。先程までの敵意も、そして覇気までも消えて、力の抜けた犬の身体が寝転がっていた。
しかし、そこで元気を無くしてもらっても困る。僕は、急ぎ用意していた脳内の台本通りに言葉を紡いでいく。
「敗れ去る、なんてとんでもない。偵察が終わっただけでしょう」
「……それこそ、戯れ言だ」
「いえいえ。とても有意義だったと思いますよ」
「黙れ」
こちらを見ずに吐き出されたその言葉は力が無く、先程までは隆々としていた筋肉まで萎んでいくようだった。
「エッセンから、ネルグを奪い返すんでしょう?」
「……そうだったな」
奮い立たせようという言葉も空を切る。サーロの反応は芳しくなく、目を閉じた顔は涙を我慢しているような顔だった。
「貴様の魂胆はわかってはいたのだ。銅犬の軍に勝利し、身どもらの力不足を示す……だろう?」
「……その通りです。そして、それは達成されました」
やはり、カルを一蹴した時点で戦う意味は無かったのだ。気がついていた。なのに、サーロは戦いを選択した。それは、意地や体面のためだろうか。
「結果は見ての通りです。現時点での銅犬の戦力では、エッセンの制圧は不可能でしょう。僕一人に大軍でかかればわかりませんが、僕のようなものは何人もいますので……」
何人もいる実力者。そこに分かれて少人数になれば銅犬は各個撃破され、誰か一点に集中すれば他のエッセンの兵が遊撃出来る。勿論そこをカバーする手立ては無いわけではないだろうが、それでもこの地力の無さは致命的だ。
「この威力偵察の結果、指標は立ったじゃないですか。銅犬……いえ、ミーティアの兵たちは鍛え直すべきです。戦力を増強し、数を増やし、来たるべき日に備えて牙を研ぎ直すべきだと」
「…………」
僕の言葉を聞きながら、涙を流さずに泣いている。そんな雰囲気で、サーロは溜め息を吐く。天を仰いだまま、四肢の力を抜いて。
アントルが声を上げる。僅かに怒りのような感情を滲ませながら。
「なあ、カラスぅ」
「はい」
言いたいことは大体わかっている。だからこそ、『期待には添えない』と、僕はそうはじめに言っておいたのに。
「俺にゃあ、お前が『戦うための準備をしろ』と言ってるように聞こえるんだけどよぉ……」
「ええ。その通りです。勝つために、もう一度鍛え直したほうがいいと、そう提案しています」
「お前は、戦争すべきって言ってんのかよぉ!」
地団駄を踏む。その声に悔しさを混ぜながら荒げていた。
「そんなことは言っていません。戦争をするかしないか。その決定は、ミーティアの皆さんで決めることです。なので……」
言葉を切り、ランボの方を見る。突然視線を向けられたランボは、肩を上げて首を傾げた。
「僕の言葉は、灰牛のランボ様に似ているものですね。僕は、戦争自体は否定しません。戦略上と戦術上の勝利を分けて考えた上で、勝利した時の利益が納得のいくものであればやるべきです」
勝てないとわかりきっている戦など、やる意味もないだろう。また、勝っても旨味のない戦も、やるべきではない。そして、負けて失うものが大きければそれなりの犠牲を払ってでも勝ちにいくべきだし、どんな犠牲を払ってでも、どうしても欲しいものがあれば勝つべきだ。全てを失ってでも。
「もはや、戦争を起こすか起こさないかは先程の会議で決まってしまいました。戦争は起きる。ならば、次に考えるべきは『勝てるか、勝てないか』です。そしてその結果は、……」
先程までは抗戦派だった二人の顔を見る。彼らの言葉通りだ。
この戦争は、勝てない戦。ならば、勝てるようになるまで起こすべきではない。
「ね。ですから、勝てるようになるまで力を蓄えましょう。少なくとも、一兵卒がサーロさんと良い勝負が出来るくらいまで、ね」
拳を交わしてわかったが、サーロの力は色付き以上だ。他の一般兵が、カル程度であってもそこまで至るには相当な時間がかかるだろうが、そこは僕の知ったことではない。
「……はぁ、わかったよ」
僕が言葉にしなかった部分を察したようで、アントルは引き下がる。
サーロに目を戻せば、微動だにせず空を見つめていた。
「いいや……もはや、その意味も無いのだろう」
そして呟く諦めの言葉。いや、ここで敗れただけで諦めるのは違うだろう。三百年も風化しなかった恨みは何処へ行った。
「何故です?」
「身どもの三百年は、森人たちへの復讐のためなどではなかった……と。そういうことだ」
ゆっくりとサーロは身を起こす。そして、あぐらをかいて周囲を見渡し、アントルの位置で目を止めた。
「気絶している最中、夢を見ていた。まだ昔、戦争の起きる前。そして、戦争の起きた後、それから今までの」
アントルの方を向いてはいるが、アントルに言ってはいない。自分への説明、そんな印象だ。
「身どもだけだったのだ。分かち合っていたと思っていた親友は、養母を、パイア様を忘れ……、ミーティアの国中に積もった森人への恨みは、身どもが作りあげていた」
乾いた笑い声をあげて、それからサーロは僕を見て微笑んだ。好意的な笑みでも、挑発的な笑みでもない。無関心の笑みだ。
「アントルすら、もはやその意味はわかるまい。貴様らにはわからない。身どもの三百年の意味を」
それきり俯き、黙ってしまう。
だがその言葉に、少しだけ腹が立った。
「僕はその言葉を言われる度に思っているんですが……」
『貴様らにはわからない』
つまり、『お前にはわからない』。何故かは知らないが、よく言われる言葉だ。
「わからないと言われましても。当然です。言われてませんから」
人の心の内など、誰にも読めない。他人が何を考えているかなど、読み取り推定することは出来ても、言われなければ理解出来ない。誰も出来はしない。
……一人出来そうな者の顔が浮かんだが、あの金髪は例外だ。
「……僕じゃなくても、アントルさんでも、誰でも、話してみればいいじゃないですか」
「話したところで、その猪はわかるまいよ。覚えているのは、身どもだけだ」
「だから、言ってみろってんだよぉ!」
サーロを真上から見下ろし、アントルは吠える。日差しが遮られ、入道雲のようなその影から後光が差していた。
「俺は何も忘れてねえぞぉ!? パイア様の声か? 仕草か? 笑い方か? 匂いか?」
大きなお腹を震わせながら、アントルは叫び続ける。ユーモラスなその動きに、僕が感じていたこの国の童話っぽさが蘇ってきた気がした。
「……そうではない……」
「んじゃあ、なんだよ? 一緒に木の実拾った森か? 魚獲った川か? お前と一緒に泥だらけになって、抱きついて怒られたことか?」
「そうでは……」
否定しようと、力なく首を振ろうとしたサーロは、その動きを止め、そしてまた小さく噴き出すように笑った。
「……クク、そうだな、そんな事もあったな。お前も、覚えてはいたのか」
「全部覚えてるに決まってんだろぉ」
……その姿を見ながら、僕も少し納得する。
そうだ。たしかにきっと、それは僕にはわからない話だ。サーロと、そしてアントル。その二人だけにわかる話。きっと、そういう話だったのだろう。なんとなく、そんな気がする。
話を聞いている限り、その『パイア様』とやらの事情には、二人とも同じように関わっていたのだろう。サーロがその件で恨み続けていたように、アントルが森人への抗戦を呼びかける未来だってきっとあったのだろう。
ただ、違うところがあるとすれば。サーロはずっと死んだ『パイア様』を見て、アントルはこれから生まれる子供を見ていた。それくらいの違いだったのだ。
「……宣戦布告の件、取り下げよう」
アントルと少し話し、周囲の皆が手持ち無沙汰になってきた頃、唐突にサーロはそう言った。
まるで心変わりの原因がわからず、僕もそして皆も困惑する。
だが、憑き物の落ちたようなサーロの顔に、誰もその理由を尋ねようとは思わないようで、安堵の雰囲気が満ちる。
まあ、尋ねるのならば別に今じゃなくてもいいのだ。……あとで僕もアントル辺りに聞いてみよう。
「はい、じゃあ、そういうことでー」
やがて、何時からいたのかわからないほど唐突に姿を現わした欠伸混じりのジプレッツの言葉に、会議の時間は終了したのだった。
適当に散っていく各氏族の族長たち。
だが、何人かは立ち去らせるわけにはいかない。
「と、サーロ様、それとアントルさん。ソバージュ様も出来れば残っていただけませんか?」
「お、おお? 何だぁ?」
僕の声に、とりあえず休憩所へと向かおうとしていたアントルとサーロは振り返る。ドゥミは始めから、僕の横にチョコンと座っていた。
騒動は片付いた。
ここからは、僕の本題の時間だ。
サーロの夢については、閑話でいずれ……




