獣神の子
「カル! こちらへ!!」
会議場から出ると、警護のために控えていた銅犬の一団へ、サーロは叫ぶ。
その声に、すぐに一人の兵士が歩み出る。国境沿いの門番と同じように、木綿のマントを身につけていた。だがその筋肉は一層大きく、サーロとほぼ同等の筋肉量にも見える。
「は!」
「侵入者だ」
サーロはそう端的に言って、僕を指差す。カルと呼ばれた兵士は一瞬何のことかわからずポカンとした後、振り返る。背後に控える部下らしき兵士が、カルの視線の先で直立し硬直した。
「か、鐘を鳴らせ! 厳戒態勢を……!!」
「いらん!」
そして指示を出そうとしたカルをサーロは止める。警備兵は、動作途中の変な格好で固まってしまった。
サッとサーロが手を挙げると、その格好も解き、兵士たちは整列し、皆身体の後ろで揃って手を組む。話を聞くときのポーズだろうか。
「……まずは貴様の失態についてだ」
カルへと話しかけているサーロの顔は怒りに染まり、その声には唸り声が混じる。その剣幕に、カルも緊張した面持ちで次の言葉を待った。
「答えろ。森人の侵入を許した貴様に、身どもはどのような罰を与えればいい」
「わ、私、ですか」
「ああ。警備の責任者であったお前へと申し渡す罰だ」
「申し訳ありません!! すぐに痴れ者を連れてゆき……!」
胸を張って『休め』の姿勢のままカルは叫ぶ。目を強く瞑り、何だか泣きそうな雰囲気にも見える。
だが、その言葉の途中で、サーロは足を踏み鳴らす。ズン、と地響きがした。
「本来ならば!」
サーロの大きな声に、びくっとカルが肩を震わせる。まるで、雷親父に叱られている子供のようだ。
「本来ならば! 貴様は虫晒しの刑だ! ミーティアの頭ともいえるこの重要な会議の警備を遂行出来なかった罪! 九族まで罰を与えてしかるべきだ!」
「申し訳ありません!!」
平身低頭。カルは必死で頭を下げる。勝手に入った僕のせいで怒られているその様は、僕の罪悪感を刺激するのに充分なものだ。それを狙ってやっているとすれば、サーロは侮れない。
「しかし!」
そこで打って変わって、サーロの空気が緩む。まるで優しい上司のように、諭すような雰囲気に変わる。
「しかし、貴様は運が良い。挽回の機会を与えよう」
「それは……」
「今から仕合だ。その侵入者を叩きのめせ。四肢を切り裂きライプニッツ領の適当な街へと放り込め。さすれば、貴様の罪を許そう」
散々ないわれようだ。その言葉を聞いて、光明を得たように僕を睨むカル。僕が微笑んでも、表情は変わらなかった。
そして、僕を睨んでいたカルが何かに気がついたかのように目を見開き、そしてサーロの方を向いた。
「しかし、そんなことをすれば、外交問題に……、まさか……」
「ああ。派手にやる。まずはそいつが見せしめだ。エッセンの全ての者がそうなると、わかりやすく伝えてやる! それを以て開戦とする!!」
カルの目の光が強まり、やや微笑んでいるようにも見える。ビシッと背筋を正したその姿は格好良くもあるが、その目的は僕を害することだ。僕が望んだこととはいえ、やや気分がよろしくない。
「失態を犯した私に、そのような栄誉を与えていただき、ありがとうございます!!」
「……というわけだ。このカルが、貴様の相手をする。身どもら銅犬でも指折りの戦士の力、味わいつつ死ぬがいい」
振り返り、サーロが僕にそう言う。だが、死ぬがいいと言われて、わかりましたと死ねるわけがない。
「では、僕はその人を戦闘不能にすることを目指しましょう」
「フン、森人ごときがそのような大きな口を叩くとは」
カルがそう吠える。鍛えられている肉体、見ればわかる。きっとそれなりに強いのだろう。きっと、大犬程度ならば造作なく殺すことが出来る。鬼とも殴り合えそうだ。
油断はしない。侮りもしない。
強い人を連れてきてくれて助かった。手っ取り早く済む。
会議場から移動し、集落の外へ。草原へと踏み出したところ。そこに、会議の出席者、それに加えて銅犬の兵士や出席者の従者が集まる。
そしてそこから二十歩ほど離れたところに、僕とカルは対峙していた。
『ミーティアの村を、森人の汚らわしい血で汚すわけにはいかぬ』
そう言って連れてこられたこの場所ではあるが、ここを僕の血で汚す気は無い。早く済ませよう。次に行きたい。
開始の声はない。僕が威力偵察と言ったことをたてに、合戦上での奇襲に合図はないとされたためだ。
カルは構える、闘気の光を分厚く身に纏いながら。ゆるりと身を沈めると、徒手のまま前屈みになる。まるで、犬が飛びかかるために身を伏せたような……まるでもなにもないか。
「では、どこからでもかかってくるがいい。その身に銅犬の力を……」
「喋ってても、エッセン人は待っててくれませんよ」
そこに普通に歩み寄る。隙だらけだ。十歩はあった距離が、半分以下まで縮む。
その影を踏む。その瞬間、カルが動いた。
「ガゥ……!」
飛びかかるための加速の一瞬。そこからは速いのだろうが、その一瞬は止まっている。
そして、その動きは直線的、その軌道の予測も簡単だ。
僅かな声とともに飛んできたその鼻先へと、力をこめた裏拳の一発。
「……ぉお……!!?」
カルの鼻から血が噴き出す。ついでに歯も折ることが出来たが、そこはなんとか折らないように抑えた。
ぐらりと揺れながら、瞬きを繰り返すカル。空中で手を泳がせ、そして力なく僕を見ていた目はやがて閉じられる。ドサリと巨体が崩れ落ちた。
草原の大地に、カルの鼻血が血溜まりを作っていた。
「……見事だ」
ポツリと、サーロがそう感想を漏らす。囁き声しか発していなかった観衆は、さらにシンと静まりかえり、僕とカルを視線で射貫いていた。
そのサーロに振り返り、笑顔を見せて軽く尋ねる。
「銅犬でも指折りの手練れ。そんな彼が、エッセンでは中堅に過ぎない僕に惨敗です。死んではいませんが、ここから首を取ることも容易いでしょう」
鉈の柄を見せながら続ける。その重たい輝きが、カルの側頚部を照らした。
「さて、この結果から、何がいえるでしょうか?」
賢い彼ならば、僕の言いたいことがわかっているだろう。
瞑目し、首を鳴らしてから溜め息を吐いたサーロ。その口がゆっくりと開く。だが、口から出たのは僕の期待していた言葉ではなかった。
「カルを片付けろ。速やかに、だ」
観衆に混じった銅犬の兵士に向けた言葉。兵士たちは急ぎ駆け寄ると、両脇からカルを引き上げて引きずっていった。ポタポタと胸にまで流れ続けているその鼻血、止めてあげないと可哀想なのだが。
「カルさん、でしたっけ。許してあげていただけませんか? これでも僕、隠密行動が得意なので、誰にも気がつかれない自信があるんですよ」
「もとよりそのつもりだ。あの会議場への侵入は、身どもも気がつかなかった。ならば身どもも同罪だ。それも、銅犬を統べる者として責任は更に重い」
「それはよかった」
その辺りは話のわかる男でよかった。淡々と喋るその声に、嘘は見えない。
「で、どうするおつもりでしょうか」
「貴様は先程の位置まで戻れ」
サーロが目を開く。これは敵意ではない、決意の目だ。僕を睨みながら、先程の立ち位置を指差す。
「カルでは相手にならない。それはわかった。ならば、身どもが相手をしよう」
「もはや意味は無いのでは?」
兵士一人の戦力はわかった。そこから話を繋げていこうか……と思っていたのだが、上手くいかない。
あの様子では、大隊一つ程度であれば僕が一人で相手取れるだろう。僕が逆に、一騎当千の働きが出来るという結果だったのだ。
「いいや。意味はある。貴様を殺し、身どもの力を示せば、全て元通りだ」
「……仮に貴方が僕を殺したとしても、他の兵が戦力に数えられなければ……」
「弱兵など何の問題にもならない」
サーロが地面を踏み鳴らす。先程の会議場前でしたものと違い、これは力がこめられている。
今度は重たい音ではない。鋭い『ビシッ』という雷鳴に似た音が辺りに響いた。それもそのはずだ。
砂混じりの土で作られた地面に、蜘蛛の巣状に地割れが走った。
集落の建物をも傾かせる勢いで走ったその地割れは、柔らかい地面をクッキリと割り開き、その衝撃の鋭さを表わす。
「なるほど、アントルの言ったとおりだ。兵たちが使えぬのならば、身ども一人で戦えばよい。身ども一人いれば、他の者など足手まといだ」
呟きながら、握り締めた自らの手を見つめる。その拳に込められた力は、どこか竜の腕を彷彿とさせた。
「森人、貴様を殺し、戦意高揚の見せしめとする。さあ、構えろ森人」
無意識に構えを作ってしまう。なるほど、やはり力はあるのだろう。その圧力に、僕の身体が反応しているのだ。
溜めもなく、サーロが僕に向けて迫る。
「<獣神子>サーロ・サミクラウス、参る!」
次の瞬間、僕の視界を、サーロの拳が占めていた。




