受け継がれた戦い
姿を消したまま、ドゥミの後ろに控えて僕もその姿を見守る。
睨み合う二つの陣営と、そこに挟まれ気怠そうにしている獅子と兎。本来ならば共存しえない肉食動物と草食動物が並んでいるのは少し不思議な光景だ。
どちらもやる気なさげという共通点はあるが。
切り株を挟み、アントルとサーロは真っ正面から見つめ合う。そして、獅子が欠伸を一つしてから再開の言葉を放った。
「では、休憩時間は終わりぃ。双方とも、今日中に決着をつけるようにー」
その言葉に頷くと、サーロはまた立ち上がる。勢いよく、自信に満ちあふれた姿だ。
「では、アントル。悪いが、発起人は身どもである。身どもの主張から述べるのが道理と思うが、如何か」
「おう。その通りだなぁ」
「では……」
コホンと咳払いをしてから、サーロは一層声を張り上げた。
「皆のものも周知のことがある事は勘弁願いたい。……知っての通り、今回の発端はここより北、森人どもの暮らすエッセンへネルグから竜が出たことによるものである。身どもらは、これを森人どもがミーティアへ害をなすためだと、そう考えている」
「そんなのあんたの勝手な……!」
「およしなんし、セルヴォーさん」
また口を挟もうとしたセルヴォーを、ドゥミが止める。先程『公正な会議の進行のため』と頼んでおいたが、一番はじめに味方側が注意されるとは思わなかった。というか、セルヴォーも止めておいたのに。
注意されたセルヴォーは、キョロキョロと落ち着かない様子で黙り込んだ。
「感謝いたします、ドゥミ様」
ドゥミに一礼し、サーロはもう一度反戦派を見回す。クロッドもスクラグも、もとより口を出す気は無いので黙って見返していた。アントルに全て任せるとは、潔いといえばいいのか、酷い丸投げといえばいいのかわからない。
「……続けるが、二十年前にエッセンとムジカルの戦が始まったときも、エッセンには竜が使われた。宣戦布告と同時に、ネルグの西側から副都イラインに向けて竜が釣り出され、その混乱に乗じてムジカルの第一陣が攻め入ったという。で、あるならば!!」
ダン、と握り拳を切り株に叩きつけ、語気を荒くする。その拳を胸の前で握り締め、震わせた。人間の指のようではなく、犬の手の指をやや長くしたようなものではあるが、それは立派な拳だった。
「今回の竜は、このミーティアを狙ったものである! 方向から考えても、それは明らかなものだ!!」
牛が蹄を打ち鳴らし、猿が拍手をする。その言葉を後押しするように、切り株の向こう側は盛り上がっていた。
しかし、盛り上がっていた抗戦派は、サーロがサッと手を挙げるだけで静まる。
「そうなれば、次のエッセンの行動は明日の朝日が昇るよりも明白なものだ。もう一度魔物を釣り出し、じきに兵を挙げ、この国へと攻め入ってくるだろう。その前に、我が国は行動を起こさなければならない。前回守り切ったこの平原までも、奴らに奪い取られるわけにはゆかぬ! 故に、宣戦布告。ミーティアに散らばる戦士たちを集め、先んじてエッセンに攻め込むべきである!!」
そこまで言い切ると、サーロは吐ききった息を取り戻すために、強く息を吸い込む。
「……以上だ。こちらへの質問等はあるだろうが、まずはアントル、貴様の主張を聞こうか」
そして、力強く腰を下ろす。その瞬間、ぴしりと空気が引き締まった気がした。
意外にも、サーロは順番を譲った。先程までの会議を見ていると、これだけで『反対の者はいるか!!?』とでも叫んでいそうな感じだったが、そうでもないらしい。やはり、個人であればミーティア人も話は出来るのだ。集団を作ってしまうと収拾がつかなくなるだけで。
誰もそれを問題だとは思わなかったのだろうか。……思わなかったんだろう。思っていたら、改善したはずだ。
先程の大きな咳払いで味を占めたのか、アントルはもったいぶった咳払いを何度か繰り返していた。
「では、だな」
注目が集まったことを確認した後、巨体を揺らしながら、アントルはゆっくりと立ち上がる。サーロを言い負かすのに必要ならば助言をする気ではいるが、基本的にはこちらの主張は関知していない。ミーティアのことであれば、まずはミーティア人が考えるべきだ。
「まずぁ、俺らは戦争を起こすのに反対する。これは、こっちの共通する主張だと思ってもらいてぇ。理由としたら、そうだなぁ、まずは、エッセンで兵を集めてるとかそんな印象はなかった、というのが一番だぁ。こいつぁ俺が身をもって体験してきたことだなぁ」
胸を張って、アントルは誇らしげにする。得意げに、牙の先がキラリと光った。
「そして、食糧事情も問題だぁ。もしも戦争をするんならば、大量の食料が必要になる。俺ら照猪や銅犬はいいだろ。だが、その場合は丹鼠や翠鳥さんらに相当な負担を強いることにならぁ。全体で分け合えば、俺らの分まで足りなくなんだろうなぁ」
アントルが目を向けると、セルヴォーがうんうんと頷く。向こう側にいる鳥はといえば、俯いてシュンとしていた。この平原内でそんなに植物の生育に差があるとは思えないので、やはりその差は食性の差だろうか、それとも燃費の問題だろうか。
「そして、戦う力がねえ奴らもいる。それは玄羊のところや向馬のところが顕著だなぁ。戦場に出なけりゃいいって話でもねえ。このミーティアの中の集落まで、奴らが急襲してこねえとは限らねえしな。前回、俺らが攻め込まれたときとは訳が違ぇ。自分たちから突っ込んでくようなもんなんだからよ」
そこで言葉が止まる。そしてアントルは、何かを迷うように一度首を振り、そして少しだけ小さな声でもう一度口を開く。ただ決心した、『よし』という声が聞こえてきた。
「それに、戦争なんか起きちゃあ、ライプニッツにいる宿り木持ちがどんな目に遭うかもわかんねぇ。もしかしたら、尖兵としてここに攻めてくるかもなぁ……、でも」
俯き、そしてアントルはその巨体を少し縮める。宿り木持ちという言葉が出た途端に、向こう側が少しざわめいた。まるで、そのざわめきをやり過ごそうとしているように、アントルはギュッと目を瞑った。
「同じミーティア人として、奴らと戦うわけにゃあいかねえ」
金切り声が上がる。ダルムと呼ばれていた猿が、勢いよく立ち上がる。元々赤かった顔をさらに赤くして、叫んだ。
「あいつらが同じわけねーじゃん! 何言ってんだよ耄碌猪が……!」
「ダルムさん」
「ドゥミ様! だって、許せねえっしょ! 俺らをあんな出来損な……」
「よしやれなし。久しぶりに、わっちの舞が見たいとおっせぇすか」
瞬間、化け狐とはまた違った圧力が部屋を覆った。これは魔法などではない。存在の圧力、とでもいえばいいのか。静かな言葉とは裏腹に、ダルムが腰を抜かしたように座り込む。ありがたい。
「みんなさんも、他人の邪魔はなさりんすな」
ぺろりと舌舐めずりをしながら、優しい声でドゥミはそう重ねる。だが、アントルとサーロ、それに居眠りをしているジプレッツ以外の面々は、目に見えて萎縮している様子だった。
「……以上だ。つまるところ、俺らは戦争なんざするべきじゃねえ。そういう結論だ」
ドゥミに対してではなく、明らかに出来損ないという言葉の方に反応してシュンとしているアントルは、そう言ってまたドカリと座る。
声音から判断するならば、アントルが戦争を回避したい理由は最後のものだろう。宿り木持ちのため。それはデルモのためだろうか。
僕は、休憩中の会話を思い出す。
何故僕のような森人を嫌っていないのか。それはクロッドとスクラグに限るのか、それとも嫌っているのは犬たちだけなのか、その辺りは聞いておかなければなるまい。アントルの話では、国全体が嫌っているという雰囲気だったが。
僕が尋ねると、唇をめくって豪快にクロッドが笑った。
「ヒハハハ、俺らが特別なんじゃねえのぉ? みんなして、『森人は薄汚い』だの『森人は野蛮だ』だのよく管巻いてんの見るしよぉ」
「磨猿の人たちなんか、よくお酒飲んでしてますよねぇ」
「それは、何か理由でもあるんでしょうか?」
猿の人たちは森人と接点が多い、とか。種族によるというのであれば何か違いがあるはずだ。
そして、彼らが僕らを嫌わない理由も聞きたい。
「ねえよ。つーか、今のミーティアじゃ、森人なんざほとんど見たこともねえしよぉ! むしろ俺たちが聞きたいね、なんでそんなに嫌ってんの? ってさ」
「……戦争があったからと聞きましたが」
三百年前の戦争。それで住処を追われて以来、ミーティア人は森人を嫌っているという。そう聞いていたが、本人たちがそれを知らないのはどういうことだろう。
「んなん、関係ねえだろ。俺らは戦争でお前らと戦ったことすらねえもん」
「まあ、それはそうでしょうけれども」
三百年も経っているのだ。彼らが何歳かは知らないが、その時に生きているはずも……。
あ。
「そうだ。アントルさんとサーロさん、さっき『また一緒に戦おう』みたいなこと言ってましたけど……まさか戦争に出ていたんですか?」
座り込み、この後の会議で喋るべき言葉をまとめているアントルに問いかける。だが、集中しているようで目を閉じたまま唸っていた。
「当然、アントルさんとサーロさんとドゥミ様は当時から生きている数少ない人たちなんですから」
代わりに答えてくれたスクラグが、まるで自分の手柄のように得意げに鼻を鳴らした。
「アントルさんもドゥミ様も魔法使いだし、それくらい軽いんだろうなぁ、羨ましいぜぇ」
「そういえば、魔法使いでしたね」
忘れていたが、たしかにアントルはそうだった。ドゥミの方を見れば首を傾げて微笑んでいたが、こちらもそうなのか。
一般的に、魔法使いや一部の魔力の強い魔術師は成長曲線がおかしな動きをするらしい。若い時代が長いというか、不規則な歳のとりかたをするそうだ。
同年代の者よりも若い時代が長いと思ったら、五十歳を数える頃にいきなり老けて老人となり、そこからまた長生きしたとか。逆に、子供の時から成人のような風体の者が百歳を超えてもそのままだったが、いきなり年老いて死んでしまったとか、そういう例もあるらしい。
子供を作ると早く老けるとか、人生を楽しんでいると若いままだとか色々と説があるようだが、まだその原因はわかっていない。
ともかくそのために、魔力を扱う者は年齢の予測がし辛い。
そして、更に一部の者は不老に近いとか、そんな話もグスタフさんに聞いたことがある。具体例は聞いていなかったが、アントルやドゥミもその類いなのだろうか。
ちなみに、闘気を扱える者は単純に老けにくいそうだ。一般の人間と同じく年老いてはいくが、強い闘気の持ち主ほどそれが遅いとか。四十歳過ぎたくらいだと思っていたニクスキーさんが、あれだけ動けて七十歳超えていると聞いたときは驚きだった。
それにしても、そうか。戦争の生き証人。あの中で、議長のジプレッツと様付けで呼ばれているドゥミを除いて、彼ら二人の地位が一段高く感じられたのはそのためか。
では、そんな彼ら二人がどうして今、別の立場に立っているのか。三百年前に肩を並べた古強者たちが、どうして今対立しているのか。
その辺が気になったが、今アントルに聞ける状態ではないらしい。
考えることが苦手なのか、その巨体の猪は、頭から湯気でも出しそうな程悩んでいる様子だった。……そこまで考え込むことはないだろうに。
思考が現在へと巻き戻る。
アントルの話を聞き終えたサーロは、切り株の上で手を組んだまま、ニイと笑った。
「承知した。では、話し合いといこうか。まずはそちらからだが、何か、聞きたいことはあるか」
ゆっくりと自信ありげに、アントルに問いかける。負けじとアントルは唾を飲み込むが、気圧されるように瞬きが増えていた。
「じゃ、聞くけどよぉ。間違いだったらどうすんだ? 竜が出たのがたまたまで、エッセンのほうは戦う気なんか一切無かったら?」
「フ。何を馬鹿なことを。そんなわけなかろう。森人どもはみな好戦的な奴らだ。三百年、奴らが牙を研ぎ終えるには充分な時間だ」
目を瞑り、サーロは鼻を鳴らす。これは、宣戦布告のための方便などではない。実際に、そう思っているのだろう。筋肉の隆起につられて、サーロの毛皮が幾分か逆立った。
「…………」
アントルは切り株に目を落とし、言葉を選んで続けた。
「そのネルグから出たっていう竜が、どうなったか知ってるだろ?」
「ああ、偶然居合わせた森人が撃ち殺したという。それがどうした」
「もしもエッセンの偉い奴らの作戦だったら、そうはならねえだろ。探索者ってんだけど、そいつらが殺すなんてありえねえ。偉い奴らが決めたんだから、そのままこっちに向かって直行するはずだぁ」
若干の違和感を覚えたが、それは今は捨て置こう。僕が殺したという事実に対してはサーロがどう反論するのか。そちらの方が気になった。
「竜を殺したのは、世にも珍しき心優しき森人だったのだろう。奴らも一枚岩ではないのだ。今この国が、一枚岩ではないように」
「じゃあよ、もしもその作戦が成功したら、竜の通り道はどうすんだ? その殺された街を含めて、通り道にはいくつもの村や街があんだけど」
そっちの被害は、という言葉まで紡がせずに、サーロは反論する。
「そのような小さな街やライプニッツ領は捨て置いた。そう考えるのが妥当だろう。同族間ですら争いあう森人どもに、身どもらの常識は通用せんよ」
「けど、そんな奴らばかりじゃなかったぜぇ」
「それは貴様の勝手な思い込みだ」
そうばっさりと切り捨てられ、アントルの勢いが止まる。
まるで答えを用意していたかのようにスラスラと答えるサーロと、黙り込んでしまったアントル。
勝敗は決した。まだアントルの番が来ていないのに、そんな気がした。
勝ち筋を見つけたようで、薄ら笑いを浮かべながらサーロは宣言する。
「では、次はこちらからの質問をしよう」
サーロの雰囲気が伝わったようで、もはや抗戦派の空気は緩んできていた。
「『食料が足りない』とお前は言ったな。何故足りなくなるのだ? 攻め込む先は、肥沃の森ネルグを擁する国だ。道すがら確保していけば足りるだろう」
「不確実だぁ」
「その通り道で、森人どもは普通に生活をしているのにか? 少なくとも、奴らを養う分の食料は必ず存在するはずだ」
……それはつまり、道中から強奪していくとサーロは言うのか。それも、足りなければ皆殺しをしてまで手に入れようと。戦略としては有効かもしれないが、僕には賛成出来ない。
「そして、戦力の無い氏族があるという話だが……、戦闘に出るのは銅犬と有志のみで充分だ。そして玄羊や向馬、その護衛は身どもら銅犬が引き受けよう。銅犬は、全ての兵が一騎当千の強者。守るのも攻めるのも、身どもらだけでも事足りる。そしてもう一つが……」
言いかけて、サーロはアントルを鼻で笑う。心底馬鹿にしているような、そんな笑みだ。
「宿り木持ちの心配だと? そもそも、奴らはこの国を逃げ出した者たちだ。そして今はライプニッツ領で森人どもと交わり暮らしているのだ。どうなろうと知らぬ。それでよかろう」
「……よくねえだろ」
俯いていたアントルが、苦虫を噛み潰したような顔でサーロを見る。アントルの目に力が入ったのは、会議始まって以来かもしれない。宿り木持ちの軽視は、それほどまでにアントルの心を逆撫でしているのか。
アントルは軽く、コンコンと蹄で切り株を叩く。自らの心を静めるように、何処かへ押し込めるかのように。
「なあ、もうそういうのやめにしねえか?」
そして、悲しそうな目のままアントルはサーロに問いかける。
「……何の話だ?」
アントルの言葉に、本気でわからないという様子でサーロは首を傾げる。その仕草に二人の仲違いが表れているようで、何故か少し悲しくなった。
「宿り木持ちが嫌いなのは、俺にもわかんだよ。俺だって、子孫に宿り木持ちが出始めたときは、心底おぞましいと思った。弱くて不細工で、汚らしいとしか思えなかった」
「フン、何を今更そのような当たり前の……」
「だけどよ!」
ガン、と切り株を強く叩く。その衝撃で、乾いた切り株に大きな罅が入った。
「そんな弱くて不細工で汚えガキどもでもよ、俺の一族の子供らなんだ。森人は嫌いだぁ、宿り木持ちも、嫌いだぁ。でもよ、だからって俺はよ、自分の一族のガキらまで、嫌いになりたくねえんだよ」
ピシリと入ったその罅が、サーロの方まで届く。真っ二つに割れたその切り株は、もう使い物にならない。
俯き、淡々と吐き出すようにアントルは続ける。サーロもその取り巻きも、アントルの様子を固唾を飲んで見守っていた。
「なあ、お前が森人嫌いなのも知ってる。けどよ、そんなのお前らだけでやれよ。戦いたいんなら、一人でやりゃあいいじゃねえか。それなのに、国中のガキどもを森人嫌いに教育して、宿り木持ちを遠ざけるようにして……」
「アントル、お前……」
「お前の勝手な戦いに、俺らを巻き込むんじゃねえよ!!」
猪が吠えた。悲しそうに、蹄を震わせながら。
先程クロッドたちが言っていた、『何故そんなに森人が嫌いなのか』の答えがそれか。僕は少し腑に落ちた気がした。
森人嫌いの原因は、何か嫌な事をされたからじゃない。原因なんて無い。ただ、そう教えられたからなのだ。昔、戦争に参加していた彼に、そしてその仲間に。
なるほど、『抗戦派』とはそういうことか。
彼らはまだ戦争していたのだ。現在進行形で、エッセンと戦っていたつもりなのだ。
さて、アントルの本音も聞けた。
ならば、僕も姿を現わす頃合いだろう。戦争を止めよう。
猪の思いに応えなければ。




