護衛の失態
「特に、悩む余地は見当たりませんね」
「そうか」
僕はふわりと浮かび上がり、塀の上に手を掛ける。
これからどうするか、など。決まっている。助太刀にいくのだ。
悲鳴が上がり、襲撃は行われた。敵はルルかストナ、どちらの方かはわからないが肉薄したのだろう。護衛達は失敗した。ルル達は、危険に陥ったのだ。
念のための透明化。その上で、全速力で急ぐ。
周囲に怪しい者はいない。ならば、どこから敵は現れたのか。
とりあえず、二人の所へ行こう。
ダン、ダンという自らの足音を背後に聞きながら、僕は庭を駆け抜けた。
先程の馬車を降りたところよりも中側。だが、建物から見れば外に、やはり集団はいた。
貴族の館らしからぬ粗野な言動が聞こえてくる。護衛の騎士達は倒れ、ただ髭だけが剣を腰だめに構えて、周囲を囲む刺客達を見据えていた。
見回しながら、牽制するように髭は叫ぶ。
「ジーメンスの手の者か!」
「囲め! 残りゃあ一人だ! ヘヘッ!」
「フン」
髭は一声小さく叫ぶと、手近な一人に飛びつき一閃、ごろりと首が一つ転がった。
「下郎めが!」
その残心は、隙もない見事なものだった。
なるほど、髭も相当な手練れらしい。
だが、足りない。
敵は取り囲んでいるのだ。手練れだとかそういうことではなく、単純に手が足りない。
護衛対象は、輪の中央に蹲るストナとそこに縋り付くルル。髭一人では、その背後から襲いかかる刺客を防げないのだ。
ここから魔法を使うことは出来ない。
輪が狭まっていく。確実に命を絶てるように、刺客達は剣の握りを強くしていた。
「……ッ!」
万事休すか。間に合わないかもしれない。どちらか、それとも両方か死ぬ。
二人まで、あと三十メートルも無い。だが、その剣は後数十センチメートルも無い。
その剣が、突き刺さる。逆手に握られた剣の先が、ストナの背中に突き立てられる。
ルルが息を飲んだ気配。その小さな背中が、より一層小さくなった。
「ヒ……!」
「ッラァ!!」
物陰から突進してきた男が、槍を振る。それで、ストナの背中に剣を突き立てようとしていた男は、くの字に曲がり吹っ飛んでいく。
「ご無事ですか!!」
駆けつけたキーチの顔は、やはり凜然と透き通っていた。
走りながらも僕は安堵の息を漏らす。
よかった。まだキーチが邸内にいたのだ。護衛の任でないにもかかわらず、ここで駆けつけるキーチは、やはりあの頃と何も変わっていなかった。
残る刺客は三人。だが、それなりの腕らしい。
何といっても、護衛の騎士四人を蹴散らしている。近くにそれらしい死体が無い以上、先程キーチと髭が倒した二人と、今残っている三人。合わせて五人で奇襲をほぼ成功させたのだ。
騎士というだけで、皆強い。素質のある者が鍛練を積み、工夫を重ねて作り上げた強さはそれだけで尊敬出来るものがある。その者達を一掃したのだ。
油断は出来ない相手。
ならば、奇襲も致し方ない。
「よっ!」
一番近くに居た者。その後頭部を蹴り倒しながら、僕はルルたちの下に駆け寄る。
男はうつ伏せに顔面から倒れる。後頭部が陥没してはいるが、まだ殺してはいない。僕が治療すればきっと助かる傷だ。
後の二人は……なんだ、僕が手を出さずとも大丈夫らしい。
見回せば、キーチと髭により片付けられていた。
「助太刀に感謝する! だが、油断するな! もう一人いる!」
髭が叫ぶ。横目で僕とキーチを見ながら、残心を崩さなかった。
僕はキーチと顔を見合わせ、そして頷く。
「情報を!」
キーチが叫んだ。周囲を警戒しながら、髭が言葉を選び言う。
「恐らく魔術師! 雷で我らの一団を蹴散らした者がいる」
「……魔術師……」
見回しても、それらしい者はいない。
魔術師ならば、魔力波の探査に引っかかるだろう。だが、使ってもいいものだろうか。
一応、髭に確認せねばなるまい。
「魔法を使って、探査しても!?」
「魔法……? 許可する!」
悩んだ様子は見えない。一瞬言葉の意味を噛み砕き、それからすんなり髭は許可を出した。
よかった。これならば大手を振って魔法を使える。
「では」
魔力波での探査。
構造物は多いが、森の中と比べれば大したことはない。
なるほど、それなりにこの任務、収穫はあった。
一人引っかかる。
玄関の横、茂みに一人誰か隠れていた。
「……そこ!」
僕は手近な石を蹴り上げ、キャッチした後投げ込む。
魔力の篭められた石だ。それは正確に魔術師らしき者を撃ち抜いた。
「……」
声も上げずに、ドッと倒れる。その男は、使用人のような上等な服を着ていた。
「探索者殿! 他に敵影は!?」
「……ありません」
「確かか?」
「はい」
もう一度、今度は魔力圏を広げて探査する。
少なくとも、ここから半径百メートル以内には、他に魔力を持っている者も闘気を使える者もいないようだった。
もう一度周囲を見回し、そしてパチンと髭は剣を納める。
「……お母さん、お母さん!」
落ち着いた。とそう思った矢先に、ルルの悲痛な声が響いた。
「……!! キーチ殿、すまないが、誰ぞ呼んでくれないか。命令系統が違うのは百も承知。だが治療師を、その手配を頼みたい」
「わかりました!」
キーチが邸内に入っていく。僕と髭は、それを見送った。
しかし、何を慌てているのだろうか。
ストナの背に目を向ける。そして僕は驚いた。
派手なドレスでわかりづらいが、ストナの背中に、二つ傷が付いていた。
「……これは、先程の刺客に……」
「突然のことでな……。お嬢様は守れたのだが……」
髭は顔を伏せる。先程キーチが阻止した刺突。それ以外にもあったのだ。
僕は気がつかなかった自分を恥じた。
啜り泣くルルを見下ろし、髭は沈痛な面持ちで言った。
オトフシと同じように、僕にだけ聞こえるように、声を潜ませ唇を読ませる話し方だ。
「その出血だ。恐らく、もう間に合わんだろう」
「そんな」
ルル達の足下に目を向ける。そこには、水はけの悪い硬い土の上に血溜まりが出来ていた。
ルルは必死にその傷口を押さえる。
胴体の刺し傷だ。圧迫止血しても効果はそれなりだろう。それに深い刺し傷、動脈が傷ついているかもしれないその傷には効果は薄い。
……仕方がない。
ストナを助ける意思はない。だが、それでは駄目だ。グスタフさんや、レイトンなら躊躇無く見捨てるだろう。
だが、先程走っていった兄弟子ならば見捨てない。だから、僕も見捨てられない。
僕にはその力があるのだから。
「……どいてください」
「……?」
ルルは顔を上げる。もう涙が溢れ、鼻水まで出ているその顔に、僕がいたことに気付かなかったような困惑が混じった。
背中の傷だ。僕のローブを広げ、地面にストナをうつぶせに寝かせる。
また血だらけになるが、まあいい。今回は予備を持ってきている。
背中に手を当て、魔力で体内を調べる。
二つの傷。一つは表皮で止まっているが、もう一つは背中から肺に到達している。大静脈を傷つけ、大出血を引き起こしているのだ。
大きな傷だ。だが、単純な傷だ。
よかった。
簡単に治せる傷で。
「これからしばらくは要安静ですね」
「え……?」
顔を上げた僕とルルの視線が交差する。
大出血だが、まだ致死量には達していないだろう。成人女性の血液量は、体重五十キログラムとして概算で三リットルと少し。その三分の一失えば死ぬとしても、まだ血溜まりは五百ミリリットルも無い。出血性ショック等もあるだろうから油断は出来ないが、それでも傷さえ治して生きていれば何とかなる。
今キーチが呼びに行った方向を見れば、邸内に治療師もいるのだ。ならば、大丈夫だろう。
そう思い、ルルに笑いかけてもルルの不思議そうな顔は崩れなかった。
「え……? 助かった……の……?」
「ええ。生きてますし、これから治療師が来ますので大丈夫でしょう。お大事にしてくださいね」
仰向けにすれば、弱々しいが呼吸で胸を上下させているストナ。顔色は悪いが、きっと何とかなるだろう。
「よ、よか、よかったぁ……!!」
血で裾が汚れるのも構わずにストナに縋りつくルルから離れ、立ち上がると、視界の端に誰かを伴ったキーチが見えた。
もう、大丈夫だろう。
僕はもう一度安堵の溜め息を漏らし、髭を見た。
「次は気をつけてくださいますよう」
「……助太刀、改めて礼を言う。だが……」
剣を鞘ごと地面に突き立て、髭は重々しく尋ねてきた。
「だが何故、貴殿はここに来た。もう契約は終わっただろう」
白い髭の中で、唇が歪む。
不快な感じはしない。ただ、本当に不思議に思っているように感じた。
「特に理由はありません」
「探索者が、何の利益も考えずに力を貸したと?」
「ええ」
面倒ごとはごめんだ。早いところここを立ち去ろう。
僕は、ザブロック邸の塀の外に足先を向け、何処から出るか考える。
まあ、何処からでも一緒だ。振り返り、顔だけ髭に向けた。
「たまたま通りかかっただけです。それでは」
そして透明化。悠々と門の外に向かって跳んでいく。
僕は関わってしまった。
ならば、最後までやるべきだろう。
解決策はもう示されている。あとは、サーフィスを探さねば。
先程、邸宅から出て行ったサーフィスを探しに、僕は往来へ飛びだした。




