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019_ヘッドリーの守護天使

閑話をひとつ。



 ■Side:Earthlord


 僕は非常に不機嫌だった。


 いかに堪え性のない僕といえど、冗談じゃなしに星の数ほどの神を滅ぼして回るなんて暴挙をしでかせば、わずかながらも自制心というものを学ぶものだ。


 もしできていなければ、上神が神軍を率いて僕を討伐しただろうからね。


 でも自制心を学んだからといって、その本質が変わるものじゃない。


 あの脆弱で身勝手なふたりはどうでもいいよ。勝手に持っていかれたことは業腹だけど、それに見合う物さえ寄越せば赦しもしたさ。


 でもね。


 彼女をついうっかりで攫っておきながら、それもそれを知っていながら放置して、僕になにも言葉がないというのはどういうことなのかな?


 いまは彼女と遊ぶことに忙しいから目こぼしているけれど、彼女を地球に戻した後には必ず見つけ出して、思いつく限りの方法で遊ばせてもらうことにするとしよう。幸い、神ってのは頑丈だからね。僕が飽きるまで滅びることはないだろう。


 まぁ、現状行方も知れない不愉快な女神はどうでもいい。


 とりあえずは、公爵家の守護者を作り上げるとしよう。



 ★ ☆ ★



 ■Side:Ben


 私の名はベン。かつては公国で小さいながらもある商会の支店を切り盛りしていた商人の端くれだ。


 幼少時、中堅の商会へと売られ、以来、懸命に働いた。その甲斐もあってか、商会長に目を掛けて頂けるまでになった。


 そして商会長の末の娘と恋仲となり、結婚。支店のひとつを任されるまでになった。


 忙しくはあったが、幸せだった。子供にも恵まれ、これからの人生を楽しみに思えるようになった。


 これからもずっと、忙しくも穏やかな生活が続くと思っていた。


 そう、思っていたのだ。


 マクファーラン公爵家の叛乱。


 公爵子息ルーサーの引き起こしたその叛乱は周到だった。


 彼の決起と共に、複数の貴族家も決起したのだ。異常であったのは、決起し、軍を率いていた者は全てその家の跡取。

 当主であった伯爵や子爵、男爵などは、みな跡取の子息によって殺されたと聞いた。


 多数の家で爵位の簒奪が起こり、そして叛乱へと向かうなど、なにがどうなっているのか。まるで想像できない。


 たちまち公国中に戦禍が広がった。


 折り悪く私は叛乱が起こった時、本店へと出張していた。叛乱の報せを聞き、慌てて王都から離れた。


 間一髪、王都が閉鎖される前に出ることができたが、そこからが大変であった。

 叛乱軍は正規の領兵だけでなく、それに乗じ、略奪をもくろむロクでもない連中も従軍していた。


 私は叛乱軍を避けながら妻子の元へと戻らなくてはならなかった。そのため、本来かかる時間以上に戻るのが遅くなった。






 店は燃え落ちていた。


 何故だ。何故私たちがこんな目に遭わなくてはならない。


 叛乱をおこした公爵令息に対し怒りを覚える。確かに、伝え聞いた令嬢の境遇には同情しよう。だが、その報復で、なぜ無関係の我々が被害を被らねばならない。


 私は妻と息子を探した。


 近所はもとより、もう町の者も避難したらしく、誰ひとり見当たらない。


 このあたりで逃げ隠れる場所といえば、隣国へと続く森しかない。


 迷わず私は森へと入った。


 奥へ奥へと進む。


 やがて残骸を見つけた。


 かつては人であったものの一部。


 獣に喰われたのだろう。だが、明らかに獣に噛まれたのとは違う痕がある。


 私は歯を食いしばり、再び奥に向かって走り出した。


 誰か、誰かいないのか。


 また見つける。


 どんどん数が増えていく。


 誰か、生きている者は――


 そして見つけたのは――


 森一面に転がる死体の群れ。


 もう、私の心はぐちゃぐちゃだった。


 希望、諦観、絶望、悲嘆、憤怒、恐怖――


 なかば混乱しながら死体を確認していく。いないでくれと思いながら。


 だが、その望みは、願いは叶わなかった。




「ははっ、まだ生きてるのがいた」


 妙に感情の伴わない、半ば眠たげな声が聞こえた。


 そちらに首を向ける。


 血まみれの男がひとり立っていた。手に立派な剣を持ち、立派な服。


 どこぞの貴族の子息だろう。だが、その目は濁り、焦点が合っているようにはみえなかった。


 男は私に向かって歩いてくると、無造作に斬りつけた。


 血が噴き出し、私は仰向けに倒れた。もう、どうでもいい。


 男は倒れた私に止めは刺さなかった。急に空を見上げたかと思うと、「呼んでる」などとぼんやりと云うとどこかへ行ってしまった。


 あぁ、なぜこんなことになってしまったのか。


 あまりの理不尽さに涙がでてくる。――だが。


 少なくとも、妻と息子の元で死ねるか……。


 ごほっ……。


 自分の血にむせる。


 視界が暗くなっていく。


 その時、なにかが胸の上に落ちてきたの感じた。だがそれを確認する前に、私は――死んだのだ。






 気がつくと、私はノロノロと森から出たところだった。


 意識を失った後、なにをしていたのかの記憶は、断片的ではあるがある。だが、その自覚がまったくない。今まさに正気を取り戻したように感じる。


 ……なんだこれは。


 私はあの場に穴を掘り、妻子弔った。そして、私を殺したあの男。恐らくは、私の妻と子を、あの場で死体となっていた者たち殺したであろうあの男を追い、殺したのだ。


 それこそ、異常な暴力をもって。


 そこには男と同じような人殺しが多数いた。


 無造作に殺し合いが起こっていた。


 敵も味方も無く、ただ近くの者を殺す混乱が森を支配していた。


 何故か正規軍の騎士が民間人を殺していた。


 叛乱軍の兵が仲間を殺していた。


 民間人が石を振り上げ騎士に叩きつけていた。


 そして私は、私を殺した者を殺したことで満足し、連中に背を向け、ここまで走って来た?


 そういえば、あの男を力任せに殴り殺した。それで私の両の拳は折れ、骨が飛び出していたはずだ。


 ノロノロと手を眼前にまで持ち上げ、それを見る。


 手は、乾いた血で赤黒く染まっていたが、怪我の類は見つからなかった。


 いったい、なにが起きて――。


 そこで私は、再び意識を失った。






 次に目が覚めたのは、誰かに揺さぶられてのことだった。


「おい、しっかりしろ。一体何があった」


 私を助けてくれたのは、馬蹄髭のやたらと似合う、厳つい赤毛の大男だった。年の頃は30代半ばくらいだろうか?


 彼は日頃のデスクワークの鬱憤を晴らすべく、魔物狩りに来たのだと云った。はっきり云って、ひとりで魔物狩りなど正気の沙汰ではない。だが、このクマのような男であれば、容易くできそうに思えた。


 私は事情を話した。公国の騒乱を。


「ちっ。運がいいんだか悪いんだか。立てるか?」


 彼は私を背負うと、ストローツの町へと運び込んだ。


 驚くことに、彼は王国の公爵家当主であった。彼は迅速に部隊を編成し、公国との国境へと派遣。同時になだれ込んで来るであろう難民へ対処するべく指示を飛ばす。


 私は彼に話した。あの異常な男達の事を。首を刎ねられても、そう簡単に死なず、ともすれば、切断された首を首のない体が持ち上げ、肩の上に乗せ、首が繋がったということを。


 ……まて、私はそんな化け物をどうやって殺したのだ? 殺した。確かに殺したのだ。


 手の骨が砕け折れるまで殴り、そして――


「……焼いた?」

「どうした?」

「恐らくですが、奴らは焼かなければ殺すことはできません」


 私は彼、公爵にそう答えた。


 私のこの助言は多少なりとも役に立ったようだ。


 公爵の思っていた通り、森を通り抜けて難民がストローツへと大挙してやってきた。そしてその中に、【魔】に憑かれた者もいたのだ。


 なかなか町に入ることができず激怒した者が、まるで人型の干乾びたドラゴンのような化け物へと変貌し、周囲のモノを殺し始めるなどという事件が頻発。

 これを討伐することに多大な犠牲がでたのである。


 首を刎ねようが、心臓を貫こうが死なず暴れる化け物。


 杭で地面でも何でもいい、張りつけ、焼き尽くす。そういった対処法が迅速に出来上がったことが、被害を抑えることに繋がったのだろう。


 このために火炎使いの魔術師が集められ、活躍している。少しばかりオーバーワークだろうが、現状ではそうせざるを得ない状況だ。


 彼らの疲労を僅かでも軽減するために、錬金術師も集められ、各種薬剤、強壮薬や疲労回復薬などの増産が行われている。


 そして私はと云うと、なぜか公爵の側近というか、助言役のような立場となっていた。


 そんな騒乱から半月。どうにか【魔】に対しても問題なく対処できるようになり、公爵も本来の業務をこなす日々に戻れたようだ。


 【魔】を見分ける方法としては、指先を軽く切りつけ、その傷の治りをみて確認するいう方法が取られるようになった。

 これは【魔】に憑かれた者は異常な回復能力、それこそ切断された首をまた繋ぐほどのものであることを逆手にとったものだ。


 難民への対処はまだ予断を許さないが、先日までのような混乱はないだろう。


 現在国境近辺には国より集められた騎士や兵が陣取り、溢れ出て来る【魔】の討伐を行っている。


 昨日教会より、『女神様が公国を封印した』との御触れがあり、事実、公国を覆うように世界が歪んだという話を聞いた。


 もうじき、この騒乱も治まる事だろう。






「あぁ、やっと目途がついたってとこだな。いや、本当に助かった。焼き尽くせという助言がなかったら、どれだけ奴らの討伐に手間取ったことか」


 疲れ果てたようにソファーに座り込み、公爵が背もたれに身を任せる。


 私は茶を淹れ、その前に置いた。茶の香しき薫りが広がる。


 目を瞑り、仰け反るように座っていた公爵が首を起こし、片目を開いた。


「……お前、本当になんでもできるな」

「商会では幼少から働いていましたから。それこそなんでも仕込まれましたよ。掃除洗濯はもちろん、茶の入れ方から勘定帳のつけ方まで。もちろん、商談のイロハも」

「すげぇな。基本、剣だの斧だのを振り回すしか能の無い俺からしたら尊敬するレベルだ。あぁ、世辞じゃねぇぞ。ここんとこ側近みたいなことを無理にさせちまったからな。その様子を見ての評価だ。――美味い」


 茶を口に含みつつ、公爵がニヤリと笑う。本当にこの御仁はその強面でいろいろと損をしていると思う。

 まぁ、奥方様がそんな公爵にベタ惚れしつつも、裏でアレコレ暗躍しているのだから、よい夫婦であるのだろう。


 私の知る公国の貴族とは、家族としての絆の在り方がソレより、庶民の絆の強さのソレと似ていると感じた。


「お前、これからどうする。公国にはもう戻れなくなっちまったわけだが。行くところがないなら、良ければこれからも俺のところで働いてくれんか? つーか、ウチで働け」


 公爵の言葉に私は驚いた。私など、後ろ盾どころか身寄りも一切ない馬の骨も同然の男だ。そんな得体の知れない者を雇おうと?


「ウチは有能な者であれば、正しい評価で雇うぞ。必要であればな。家門? 家格? 出自? そんなもん知ったことか。戦争にでりゃそんなものクソの役にも立ちゃしねぇ。俺だって前線じゃ農民の小僧を助けたし、干物売りの若造に助けられもした。だが肩を並べてた貴族のガキ共は平気で逃げ腐る。

 俺は自分が信用する奴しか信用しねぇ。それだけだ」


 そういって公爵は本当に苦々し気に顔を顰めると、側に立つ私に視線を向けた。


「そういやお前、名前は? もう結構な日数が経つというのに聞いていなかったな」


 私は“ベン”と答えようしたものの、考え直した。そして気持ちを改める。


「シュタインベッツと申します。公爵様」

「お前、それは……」

「私の働き口、我が妻の実家である商会の名前です。もはや、私にはこの名しか家族との繋がりはないのです」


 侯爵様は痛まし気な表情で瞑目なさいました。


 それはまるで、我が家族の為に黙とうしているかのようで――


「わかった。シュタインベッツ、これからよろしく頼む。我らヘッドリーは、腕っぷしは人一倍な代わりに、頭の方はからっきしだ。お前のようなものがいてくれると心強い」


 こうして私はヘッドリー家に仕えることとなったのです。


 いまにして思えば、何故どこの誰とも知れぬ私を先代様が信用され、側近としたのかはわかりません。例え、出自など気にせぬと仰られようとも、私ほど怪しげなものもいないでしょうに。


 ですが、私に仮初であるものの、進む道を用意してくださいました。


 いまではそれこそが我が生きがい。侯爵様のお子様たち、お孫様たち。彼らを教え導くことは我が喜び。


 幸いにも、今の私は老いることがないようです。


 思うに、なにが起きたのかは不明ですが、私は人ではなくなったのでしょう。試しに指先を切りつけ傷を作ってみたところ、僅かに出血しただけで傷口はすぐに塞がってしまいました。


 薄々は分かっていたことですが、私も【魔】に憑かれていました。あの時。斬られ倒れた後、なにかが私の胸に落ちてきました。透き通った何かが。恐らくはあれこそが【魔】であったのでしょう。……これを知られるわけにはまいりません。


 公爵様に拾われてより、25年が過ぎました。


 まさかいまさらながら、公国を喰いつくしたという【魔】が、あの殺し合いをしていた男達に憑りついていただろう【魔】が、そして、私の内に巣食っている【魔】が封印から這い出してきました。


 もしかすると、私は暇を頂き、姿を消すべきなのかもしれません。私が大恩ある公爵家に仇為すなどあってはならないことですから。


「……如何にすべきでしょうか」


 クローゼットを開け、ため息をひとつ。


 仕事を終え、自室にて部屋着にへと着替えていると不意に頬を風が撫でました。


 ……風?


 窓は閉めてあるはずですが。


 振り向くと、そこに彼が佇んでいました。


 開け放たれた窓。その窓枠に腰掛け、金髪の巻き毛の少年。


 背後の夜の景色も相まって、その少年の周りだけが光り輝いているように見えました。


「やぁ、こんばんは。執事どの」


 少年が微笑みながら私に挨拶をしてきます。


 にこやかに、はれやかに、されど、とても年相応とは思えない笑みを浮かべながら。


 私は顔を強張らせました。同時に、諦観が押し寄せてきます。


「抵抗は致しません。裁きは斯様に」


 私は少年に向き直ると、跪き、頭を垂れました。


 えぇ、確認せずともわかります。こちらにおわすは神。


「あぁ、安心しなよ。君を殺しに来たわけじゃあない。僕は誰でも彼でも殺して終わりにする神ではないよ。或る意味もっと酷いモノだよ、ベン=シュタインベッツ君。


 それに僕はこの世界の神じゃない。


 だから畏まる必要なんてないのさ。さぁ、頭を上げな―」


 神がお笑いになる。


「さてと、僕のお気に入りが誤解で殺されかけてねぇ。それは知っているよね。で、丁度いいところに、君がいたわけだ。


 まさに忠臣の鏡といえる君が。それだけで君が喰らった彼がどれだけ忠義に溢れていたのかが知れるよ。

 ……君は【下位】だね。だがいまやその修練の成果もあって、【上位】に――【天使】に届かんばかりだ。もっとも、その自覚には少々乏しいかな。自信をもちな。でなければ役目を果たせない。


 僕がここに来たのは君に(めい)を降すためだ。とはいえ君はどうあがいても下位の【這いずるモノども】だ。【上位】や【最上位】、即ち天使級や神級の【這いずるモノども】には簡単に隷属させられてしまう。だから君にはそんなことにならないよう、僕の加護をあげよう。もちろん、教会はもとより誰にも手を出させない。これで君は君として生きることができるよ。


 さて、本題の僕の命だ。これはただひとつ。これまでどおり公爵家を護れ。君が望んでいる通りに。そして決して間違えさせるな。


 現公爵には殺されかけたが、彼女はどうもお嬢様のことはそれなりに気に入っているようでね。気に掛けているんだよ。彼女を悲しませたくないんだ。我ながら驚くことにね。


 君なら、わかるよね?


 僕を失望させてくれるなよ」


 それだけを云うと、神は背後に倒れるように窓から落ちた。


 慌てて窓辺に寄る。当然だが、下に落ちてなどいない。


 私は再び跪き、手を組み、祈りをささげる。


 我が忠義は公爵家に。我が信心は彼の神に。


 おぉ、神よ、感謝いたします。これでなんの憂いも無く、お嬢様をお守りすることが出来ます。



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