追憶と誓いの紫 三話
ジェドが苦悩するのに反し、グインはあっさりと口にした。
『俺は良い名前だと思う。アンティリリア、己の名前の意味を知っているか?』
『いえ……』
『アンティリリアは古代ルディア語で【花の精霊】あるいは【花の精霊の花冠】のことだ。花の精霊は花の恵みと言祝ぎを与える存在で、かつては信仰対象だった。
俺は、誰が君を名付けたかも、その名前にどんな意図があったかも知らない。けれど、良い名前だと思うよ』
新緑色の目が驚きに輝いた。
『そんな意味が……』
(素敵だ。アンティリリアにぴったりの名前だ)
『だから俺としては、あまり変えたくは無いんだ。けれど、平民には相応しくない名前だし、しばらくは素性を隠さないといけない。……ジェド、お前はどんな名がいいと思う』
『そうだな……』
ジェドは考えた。せっかくの良い名前を活かせないかと。
『アンティリリア……ティリアでどうかな?
せっかくの良い名前を消したくは無いし、君に似合う可愛い響きを残したいし……』
ぽっと、アンティリリアの頬が染まる。ジェドは固まった。
(まるで口説いてるみたいじゃないか!)
『ふーん。なるほどなあ』
グインは二人の顔を見比べ、ニヤリと笑った。
『な、なんだよクソおや……』
『あの、私、ティリアがいいです……』
『よかったなあ!ジェド!いやあ、まだまだガキだと思ってたけどやるなあ!』
『うるせえよクソ親父!』
グインはジェドを散々からかったが、ふと真顔で囁いた。
『【劇団員】になれば、ティリアとの繋がりを切らなくて済む』
『あ?何言って……!」
『そういう決まりだ。このままならない気なら、旅が終わったらお別れだ。【劇団員】になるなら旅が終わっても会えるし、側で守ってやれる』
グインはさらに声をひそめ低く囁く。
『自由とティリアのどちらを選ぶか。そしてお前がどう生きていくか。よく考えて決めろ』
◆◆◆◆◆
翌朝。
(ったく。親父の奴、余計なことしか言えねえのか)
ジェドがどんなに悩んでも、馬車に揺られて旅は続く。
街道を早過ぎず遅すぎない速度で行く。時に村や宿場町を通り過ぎたり、休憩や買い物などのため立ち寄ったりもする。
(そういえば、ルディア王国に来たのは初めてだったな)
悩みから逃避するかのように、ジェドは周囲を観察することにした。もちろん、アンティリリア改めティリアと一緒にだ。
『わあ!綺麗ですね!ジェドさん!』
『ああ、そうだな』
花盛りの四月。ルディア王国は美しかった。
最も花に関しては、種類と量はフリジア王国には及ばないが。代わりに建物は立派で町は整備されており、あちこちに様々な魔道具があふれている。
『流石は魔法大国ルディアだ』
『他の国は違うんですか?』
ティリアが首をかしげる。
『うん。フリジア王国でも魔道具は珍しくないけど、ここまでは使われてはないよ。クソ親父はルディアは魔道具依存だとか言ってたな』
ティリアと話している間は悩みを忘れた。
その後も、休憩や昼食を挟みつつ話したり、ただ馬車から見える景色を眺めた。
しだいに日は傾き、馬車が街道からそれて森の中に入りこんでいく。
御者台のグインが声を張る。
『ジェド、ティリア、今日はここで野営だ』
『おう。わかった』
『はい!』
馬車を降りた三人は、軽く相談と確認をして動き出した。
グインは周囲を見回りに、ジェドとティリアは馬の世話と火の準備だ。
今日は、ティリアに火のおこし方から教えることになった。
『こうやって、乾いていて燃えやすい葉っぱや小枝を置くんだ。それから火打石を使う。無ければ使える石を探す。火燐石が一番いいけれど、扱いを間違えると火傷するから気をつけてね』
『今日は魔法も魔道具も使わないのですか?』
当然の反応だ。
人間の魔法が弱まった時代とはいえ、この世には便利な魔道具であふれているのだから。
ジェドだって火属性の魔法が得意だ。火種程度なら魔道具なしでも出せるし、魔道具を使えば火力調整も思いのままだ。正直言って火打石を使う方が時間がかかる。
『今日は魔法を使わない日なんだ。クソ親父の方針なんだよ。『魔法や魔道具が使えなくなる場合もある。無くても出来るようになっておけ』って。そんな場合、あるわけないのにな』
火種程度なら消費する魔力はわずかで済む。魔道具だって、使えなくなる前に買い直すか染魔し直せばいいだけだ。
『この程度なら染魔だって安く済むのにな。クソ親父も偏屈だよ』
ティリアも頷く。
『……確かにそうですよね。でも、なんだか大切なことのような気がします』
ティリアは真剣に取り組んだ。その横顔からジェドは目が離せなくなった。
(この子はとても賢くて、真面目で、優しくて、芯の強い子だ)
グインも言っていた。『あの子は立派だ。酷い境遇だったのに、自ら学び行動する意欲を失っていない』と。
(ティリアの力になりたい。ずっと側にいたい。けど、王家の犬になるのは嫌だ。だけど……)
考えながら指導して小一時間。ティリアはとうとう火おこしを成功させた。
『ジェドさん!火がつきました!』
『凄い!やったねティリア!』
嬉しくて抱き合う。ジェドは、ティリアの背中の華奢さと花のような香りにドキリとした。
『よ、よかったね。これで夕食を作ろう!』
ジェドはさっと身体を離す。顔が熱くて心臓がうるさい。ティリアの様子をうかがうと、彼女もまた顔を真っ赤にしていた。
気まずい。なんとか空気を変えようと、前から気になっていた事を口にした。
『ね、ねえティリア』
『は、はい。ジェドさん』
『その……さん付けと敬語なんだけど止めた方がいいと思う。俺たち歳が近いし、親戚のふりをしてるんだから』
『えっと……敬語を使わない……ですか』
なんと、ティリアは敬語以外を使ったことがないらしい。
『じゃあ、俺で練習すればいい』
『はい。ジェドくん、よろしくね。……こうですか?あの、ジェドくん?』
ジェドはさらに真っ赤になって固まったのだった。
◆◆◆◆◆
ティリアと共に旅に出て半月後、とうとう国境を通過した。
ルディア王国側の関所では出国審査を、フリジア王国側では入国審査を受ける。拍子抜けするほど問題なく通過できた。
関所を抜けてしばらくしてからティリアはジェドにきいた。
『びっくりするくらい簡単に出入り出来るんだね。それとも、ジェドくんたちが冒険者だから?』
『どちらかというと、ルディアとフリジアが長年の友好国だからだと思うよ』
『そうなの?』
『うん。フリジアの第一王女グラディス王女殿下が、ルディアの王太子殿下と婚約してるくらいだからね。お二人も仲が良くて、来年には結婚するんだって』
『そうなんだ!素敵だなあ』
馬車は街道を進む。夕方、魔獣の少ない森にさしかかったので、今日はこの森で野営することになった。
三人で軽口を叩きながら野営の準備をする。グインが表情を和らげた。
『ひとまずは安心だ。明日か明後日には宿で寝れるぞ』
『はあ、やっとか』
思わずため息をつくジェド。その頭をグインがぐしゃぐしゃと撫でる。
『やめろクソ親父!』
『へいへい。……ん?』
青い小鳥がグインの側まで飛んで来た。そして、グインが差し出した手に止まった瞬間、一枚の手紙になった。魔道具【魔法の伝書鳥】だ。
『クソ親父の飼い主からか?』
『いや、近くの冒険者ギルドからの緊急依頼だ』
納得した。国境で冒険者資格証を提示したので、グインが近くにいるのがわかったのだろう。
手紙を読むグインの顔が険しくなっていく。
『……ジェド、ティリア、俺は野暮用が出来た。ここから北で正体不明の魔獣が暴れているらしい。「銀級以上の冒険者は討伐に向かえ」だそうだ』
一大事だ。ジェドは思わず愛剣の柄を握った。
『二人は野営の準備をして待機していてくれ。ジェド、俺が飛んだら一番いいのを発動させろ』
グインは懐から魔道具の詰まった袋を取り出し、ジェドに投げ渡した。
眩い宝石のような魔道具、【結界結晶】だ。
光属性の魔道具で、大量の魔力が込められている。発動させれば一定範囲内に結界を張る。
グインの持つ【結界結晶】は、一番いいものでも姿や音を隠せない。が、魔獣や人などの実体はもとより魔物や霊のような実体の無いものも防げる。
確かに、この旅の道中でも何度か使っていたが。
『【結界結晶】は数回で使えなくなる。よほどの難所か戦力不足な場合以外では使わない。そう言ったのは親父だよな?俺じゃ力不足ってことか?』
グインは鼻で笑った。初めて向けられた表情にジェドは息を呑む。
『ああ、力不足だ。お前はまだまだ経験が浅いクソガキでしかない。現に俺に勝てなかっただろう?』
カッと頭に血が上ったが、奥歯を噛んで耐える。
言われた内容は事実だ。それに、ティリアがいるのに自分の怒りを優先させる訳にはいかない。
グインはジェドの様子に少しだけ安心したような表情になり、また厳しい顔に戻った。
『二人とも俺が戻るまで結界から出るな。いいな?』
ジェドは頷く。グインは風属性の魔道具を発動させ空を飛んだ。木立を抜けて、あっという間に見えなくなる。
(親父、あんな魔法まで使えたのか。……俺はまだまだ弱い。クソ親父には勝てないし、何も知らない)
悔しくて手を握りしめた。その手を優しい体温が包む。ティリアの手だった。
輝く新緑色の眼差しと目が合う。
『……ごめん。みっともない所を見せた』
『ジェドくんはみっともなくなんてないよ!ずっと私を助けてくれた素敵……な、男の子だよ……』
ティリアはそう言うと、ほんのり頬を染めてうつむいた。
ぎゅうっと、ジェドの胸が締め付けられた。今すぐティリアを力いっぱい抱きしめたい。
(けど、流石に今はそんな場合じゃないよな。俺がしっかりティリアを守らないと)
ジェドはかわりに手を握り返し、小さく礼を言ったのだった。
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