天上の青、地上の雫　二話

　雲一つない空から王都の街並みへと、真昼の太陽は容赦なく照りつける。

　七月も半ばを過ぎ、季節はすっかり夏だ。フリジア王国王都の夏はそこまで厳しくはないが、日中は歩いていると汗をかく。

「ココナのジュース！花蜜ジュース！ミント水に果実水！冷えてて甘いよー！」

「冷えた果物にゼリーはいかがですかー！」

　飲食店や屋台の多い通りでは、食べ歩き用の冷たい飲み物と冷菓が飛ぶように売れている。飲み物はジュースか果実水が多く、木の実の殻で出来た使い捨ての器に入っている。

　花染(はなそ)め屋ことティリアも、果実水を飲みつつ王都を歩いていた。【妖精のお気に入り】でジャムを買って、これから【静寂の森】に帰るところだった。

　今回も、旬の果物や花で出来たジャムをたっぷり買った。高価な硝子瓶入りではなく、陶器瓶入りだが味は同じだ。味見させてもらったが、どれも絶品だった。

　だというのに、ティリアの気分は萎れた花の風情だった。理由は単純。待ち人来らず。

（ジェドさんの好きなアプリコットジャムも買えたのに、まだ帰って来てなかった）

　ティリアは、夕焼けのような赤い髪と、太陽のように眩しい琥珀色の目を浮かべた。

　金ランク冒険者のジェドは、霊（ゴースト）と魔物魔獣の討伐のため、辺境騎士団から指名されて連れて行かれた。場所はルディア王国との国境付近だ。ギルド職員に聞いた話では、討伐は終わったのでそろそろ帰って来るはずだ。特に負傷は無いとも言っていたが……。

（心配だな。カイさん、霊(ゴースト)退治は苦手だって言ってたし……）

　霊(ゴースト)。強い未練を持つ死者の魂。時に生者に取り憑いて操ったり殺したりするので、非常に危険だ。しかも霊には物理攻撃は効かない。光属性魔法の【浄化】か闇属性魔法の【忘却】をかけるか、死者の未練を晴らしてやらなければ昇天できない。この世にある限り、地上をさまよい生者をさいなむのだ。

（もし、取り憑かれていたら……）

　助けたい。だが、ティリアは王都から動けない。

　それに、動けたとしても何もしてやれないだろう。

（私に出来ると胸を張って言えるのは【花染(はなそ)め】だけ。でも、それでも）

「あれ？ティリア？」

　呼びかけに固まる。いまのティリアは髪と目の色を茶色に変えて、認識阻害魔法をかけている。それでもティリアだとわかる者は二人だけだ。

　そして、心を震わす声を持つのは一人だけ。

「ティリアだろう？」

　重ねて呼びかけられて、弾かれたように振り返った。夕焼け色の赤髪に、太陽のような琥珀の目。

「ただいま。さっき帰って来たんだ。元気だった？」

　ジェドはそう言って、凛々しく眩しい笑顔を振り撒いた。再会を心から喜ぶ笑顔だ。

　ティリアはその眩い笑顔に駆け寄った。

「ジェドさん！おかえりなさい！」

　ジェドは通りにある建物の一つの前に居た。看板を見る限り、どうやら古魔道具屋らしい。が、窓も扉も閉ざされている。休みか閉店しているのだろう。

「怪我や病気や憑物はないですか？いつ帰って来たんです？私だけじゃなくて、冒険者ギルドの人たちも心配してましたよ。特にあの薄荷頭の……」

　矢継ぎ早に話すティリア。ジェドは申し訳なさそうな顔になった。

「ティリア、俺は大丈夫だよ。心配かけたし、連絡も出来なくてごめんね」

「いいんです。大変でしたね」

　ちょっと眉を下げて謝るところが可愛い。ティリアは久しぶりのジェドの顔を目に焼き付けた。ティリアの耳に、小さな声が届くまで。

「あの、ジェド様……」

　その子供は、ジェドの背にしがみついて隠れていた。

「ああ、ごめんよ。君を紹介しないとね。彼女がさっき言った人だ。挨拶出来るかな？」

「はい……」

　おずおずと姿を表したのは、粗末なフード付きローブを着て、青空のような青髪と青い目の子供だった。まだ十歳にもなっていないように見える。とても痩せていて、薄汚れた陶器製の水瓶を抱きしめるようにして持っている。

　青い目が、ティリアを見て見開かれる。

（あら？この子の目の奥ある光は……まさか……）

「星空の黒髪に、光を透かした新緑色の目……本当に【染魔(せんま)】様だ」

　今度はティリアが驚く番だった。服の下に隠している首飾り型魔法具に意識を向けるが、壊れたり染魔が薄れている様子はない。

（つまりこの子は、この子自身の力で認識阻害魔法を見破った）

　これまでの十年間で、見抜かれたのは片手に満たぬ数だ。そればかりではない。ティリアの髪と目の色を【染魔(せんま)】に結びつけたばかりか、それを讃える表現と羽織っているローブの下から覗く服は、ある国特有のもの……。周りを警戒しつつ声を潜める。

「【魔眼】の持ち主で、しかもあの国から来た魔法使いというわけですか」

「そうだ。彼女の名はセレスティア。君に【花染(はなそ)め】を依頼しに来たんだ」

「はっ……はい。そうです。セレスティアと言います。染……【花染(はなそ)め】を、お願いします」

　ジェドは染魔(せんま)という言葉が好きではないティリアに気を使って花染(はなそ)めと言った。

　その隣に立ち頭を下げるのは、染魔(せんま)という言葉を嫌う理由であるティリアの故郷ルディア王国の魔法使い。じっと観察して、ティリアはまた目を見開いた。

（しかも、それだけじゃない。この子は恐らく……）

　セレスティアの顔色が悪くなっていく。ティリアは険しくなってしまった表情を戻して微笑みかけてから、ジェドへと視線を移す。

（ジェドさん、正気なの？この子は……）

　琥珀色の目は理性の輝きを失っていない。そして、ティリアに対し雄弁に語りかける。

（「考えがあるから合わせて欲しい」といった所ね。仕方ない。『ジェドくん』を信じましょう）

　ティリアは十年前から『ジェドくん』に弱い自分を自覚しつつ、話を合わせることにした。

「かしこまりました。セレスティア様、私のことは【花染(はなそ)め屋】とお呼びください」

　ティリアは【花染(はなそ)め屋】の顔になり、二人を【静寂の森】に案内することにした。ほんの少しの疑いを抱きながら。

（心配ないわ。ジェドさんがいる。それに、この子が邪な事を考えているなら結界が阻むでしょう）