天上の青、地上の雫 一話
今回は依頼主視点からはじまります。作中で何度か視点が変わります。悲しみと救いの話です
七月のはじめ。ルディア王国。
フリジア王国との国境に向かう街道で、一人の少女が行き倒れていた。あたりは日照りで枯れ果てた森で、他には誰もいない。
青空で染めたような青髪と青い目の、十歳くらいの少女だ。身なりは良くない。頭巾つきの上着も靴もぼろぼろで、薄汚れた陶器の水瓶を胸に抱いている。
少女の名はセレスティアという。
照りつける太陽が頭巾越しにセレスティアを炙る。喉が渇いて身体中が燃えるように熱い。
(暑い……暑いよ……太陽も空も嫌いだ……ああ、どうしてこんなことに)
セレスティアは、恨めしい思いでこれまでを振り返った。
二日前、乗っていた乗合馬車が野盗に襲われた。
なんとか逃げ出せたが、その時にほとんどの荷物を失ってしまう。無一文だ。それからずっと一人で街道を歩いている。たまに通りがかる馬車や通行人たちにすがったが、誰も助けてくれない。
『お願いします……どうか連れて行って下さい……なんでも……しますから……』
『寄るな乞食が!失せろ!』
当たり前だ。ルディア王国が外交と流通を制限してから、平民の暮らしは悲惨だ。おまけに、今年の西部一帯は酷い日照りに見舞われている。他人を助ける余裕のある者はいない。
『せめて何か金になる物を持ってないのかい?はあ、無い。ふっ。そりゃそうだよなあ。そんなボロっちい水瓶を大事に抱きしめてるくらいだもんなあ。……お嬢ちゃん、悪いが他を当たりな』
誰もがセレスティアの身なりを蔑んだように見て、必死で抱きしめている水瓶を鼻で嗤う。
『せめて、少しでもいいんです。水、水を……』
どんなに哀願してすがりついても見捨てていった。セレスティアはその場にうずくまり、水瓶を抱きしめるしか出来ない。森の中も枯れ果てていて、食べ物も水も見つからない。獣に襲われかけるか、転んで怪我をするだけだ。おまけに街道周辺は、夜になると霊が出る。
『嫌!来ないで!【汝、忘却せよ】!』
霊を遠ざける護符を持っているが、万能ではない。幸い、セレスティアは霊に効く魔法を使えるが、数が多くキリがない。魔力はすぐ尽きた。
虚しく苦しい旅路の果てに、セレスティアはとうとう行き倒れたのだった。
倒れた衝撃で、抱きしめた水瓶にまた新しいヒビがはいった。薄青い陶器で出来た水瓶は魔道具だ。【ガニュメデスの水瓶】という。セレスティアの一族の家宝である。故郷の山里を守る魔法使い一族の一つで、水属性の魔法に優れる。その為、山里全体に適切で一定の質の水を供給するのが主な役割だ。
人間の魔法が弱くなった現代、水属性の魔道具である【ガニュメデスの水瓶】に大いに依存していた。
しかし、今はただのガラクタ同然だ。
(こんな水瓶なんか捨てて……逃げればよかった。そうすれば。……違う。駄目。この水瓶を【染魔】し直さないと皆が死んでしまう)
【染魔】とは、魔法植物のもつ魔法の力を魔道具に移すことだ。【染魔】された魔道具を使わなければ、強い魔法は使えない。また、魔道具はいずれ【染魔】が薄れるので、染め直す必要がある。ルディア王国には、この【染魔】を生業とする【染魔の一族がいる】。本来なら、染め直しは難しいことではなかった。
セレスティアの故郷の山里は【水女神たちの宮殿】と呼ばれている。ルディア王国王家直轄地であり、重要な場所だ。
山々の湧水が魔力を大量に含んでおり、様々な属性と種類の魔法植物や薬草が群生する。また、作物の出来も良い。
普通このような土地は、魔獣が多く人が住むには適さない。が、ここは光属性の魔法植物を好む【花食い龍】たちが住みついているため、他の魔獣が居ない。彼らは、人々が彼らの縄張を侵さない限り何もしない。人々は昔から、山裾を管理して魔法植物や薬草などの山の幸を採取し、作物を育てて納税と生計に当てて来た。
だが、暮らしは豊かではない。あまりにも王家に徴収される税が多い上に、交易が制限されているせいだった。
セレスティアの父は折に触れて嘆いていた。
『以前はそうではなかった。徴収は適切だったし、交易で潤っていたものだ』
国内外から来る商人に、薬草や草木染めの布を売って余裕のある暮らしを出来ていたのだ。
『外交と国内の流通を制限してからは、貧しくなる一方だ。その上、ここ数年は日照りが多すぎる』
今年はとうとう、人間が利用できる範囲の泉や川の全てが枯れてしまった。薬草も魔法植物も枯れていく。
最初は、【ガニュメデスの水瓶】で対処していたが、日照りが半年以上続いたせいですっかり使えなくなってしまった。
(みんな渇いて飢えて、何人も死んでる)
ここは王家にとっても大切な土地だ。以前なら上奏すればすぐに【染魔様】が派遣されていた。いや、むしろ【染魔様】が常駐していた。だというのに、誰も来ない。それどころか一帯を治める領官たちは、軍備を整えることに躍起になっているばかりだ。
(だから、フリジア王国に行かなくちゃ)
一か八かの賭けだったが、セレスティアは国境をすり抜けて出国するはずだった。
この危険な旅は、両親の命令だった。
『セレスティア、フリジア王国にいるディオーネを訪ねなさい』
ディオーネとは、外交が制限されていなかった頃にフリジアに渡った叔母の名前だ。
かつて彼女が送った手紙に書いてあったのだという。
『手紙によれば、フリジア王国王都にある【古道具の迷宮】という店に行けば【染魔】がし直せると書いてありました。この【ガニュメデスの水瓶】を【染魔】しなおすには、もうこれしかありません』
(無理だよ母様、父様)
旅の前、怒りと悲しみで涙が吹き出たものだったが、今はもう何も出ない。涙も枯れ果てたとは、このことだ。
喉が渇いた。腹は減っているはずなのに、もう何も感じない。頭の痛さも曖昧だ。目の前も霞んでいて、耳もうまく音を拾えない。ただ、喉を焼く渇きだけが鮮明だ。
(もう、だめ。このまま死ぬんだ……でも……死んだらみんなが……)
記憶が強烈に甦る。誰も彼もが余裕がなく、苦しさに荒んでいたが……その中で精一杯生きようとしたし、自分たち子供を生かそうとしていた。
そして、こんな中でも生まれてくれた赤子たちの小さな手を思い出す。一歳になったばかりの甥の、小さな赤い花のような手を。
(行かなくちゃ)
最後の力を振り絞りセレスティアは立とうとしが、指先すら動かせなかった。
(ああ……ごめんなさい)
意識が遠ざかっていく。容赦のない日差が、さらに水分を奪い、意識が完全に閉ざされた。
◆◆◆◆◆
それからどれだけ経っただろうか。
何年も経った気がした頃、誰かに蹴られ放り投げられた気がした。
(ああ……私は死んだのね……)
しかし転がってしばらくして、また誰かに持ち上げられた気がして……一気に体の感覚と意識が覚醒した。
(え?)
どうやらセレスティアは、二つの足でしっかり立っているらしい。
(私……死んで……ない?)
瞼をこじあける。セレスティアは、あの街道の砂埃まみれの土の道に立っていた。腕の中にはやはり【ガニュメデスの水瓶】がある。
(喉が渇いて苦しい……水を……よく見えない……立ってるのも辛い……)
膝をつこうとした瞬間、脳裏に故郷が浮かぶ。
(……行かなくちゃ、みんな……助からない……)
鉛のように重い足を、一歩一歩踏み出す。
夢か現かわからないまま進み、幾つかの昼と夜を繰り返した果てに、とうとう国境に至った。森の中、結界の礎である塔が等間隔で並んでいる。セレスティアは、霞む目でよく観察する。
(【見るだけ】なら、特に魔法を使わずに済む)
狙い通り、不可視にされているはずの魔力の流れがよく見えた。
『あの結界は強力だが、実は魔力の流れが不安定なのだ。お前の魔眼なら結界の薄い部分を見つけて抜け出せるはず』
この魔眼の力こそが、たった十歳のセレスティアが旅に出された一番の理由だった。
父親の言った通りだ。結界はかなりムラがあって、安定していない。
おまけに、フリジア王国との国境の警備が薄いという噂も真実だった。
(あっ!あそこ!今なら抜けられる!)
セレスティアは最後の力を振り絞り、結界の小さな穴に飛び込んだ。
(抜けた……!)
「っ!……ぎっ!……!」
抜けた先はまた街道だった。下り坂になっていて、うまく着地出来ない。
叫びを必死に噛み殺しながら、【ガニュメデスの水瓶】を抱きしめたまま転がっていく。
痛みと衝撃に、また意識が混濁していった。
(でも……入れた……よかっ……た)
また意識が遠ざかっていく。
それからまた、どれだけ経ったか。
「おじさん!馬車を出すのを待ってくれ!子供が倒れてる!君、しっかり!」
誰かの焦った声と共に冷たい水が顔に触れて、意識が浮上する。
口を開き、何とか喉を潤そうとすると、誰かが水筒の水を飲ませてくれた。
冷たい水に喉の渇きが癒え、視界がはっきりしていく。助けてくれたのは、赤い髪の若い男だった。男は琥珀色の目を軽く見開いた。
「君は……そうか。その壺の持ち主か。ルディアから逃げて来たんだね?」
セレスティアが頷くと、とても優しい……けれど少し悲しげな表情と声になる。
「……よく頑張ったね。さあ、もっと水をお飲み」
慈悲深い笑顔の向こうに青空が見える。
セレスティアは太陽の照りつける青空を、久しぶりに美しいと思った。
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第四章はじまりました。毎日更新予定です
本日2023/08/31。三章の最終話を加筆しました。合わせてご覧くださいませ




