怠け者の翠風 八話
「丸三日以上休まされて、【静寂の森】の入り口に連れてこられた。やれやれ、こんなに話したのは産まれて初めてだぜ……下らねえ、面白くも無え、空っぽな話だろ?」
語り終えたカイは、話し疲れをにじませた声でそう言った。
花染め屋ことティリアは、話し終えたカイに紅茶のお代わりを注ぎ、木の実の塩炒りをすすめた。
カイの言葉に悲壮感はない。本気で自分を『空っぽ』だと思っているのだろう。
「いいえ。とても興味深いお話でした。特に雷光狐討伐は面白かったですし、カイ様の御父様と【迦楼羅】、そして首飾りの謎は私も気になります」
(そもそも、カイ様のどこが空っぽなのかしら?)
確かに感情や欲望が人より薄いが、それだけだ。
(本当は「貴方は空っぽでも、そこまで他人と違う訳ではありません。御両親や傭兵団団長に言われ続けて思い込んでいるだけです」そう言いたいけれど……)
しかし、今日会ったばかりの自分が言っても信じてくれるか怪しいので、無難な返事に留めた。
カイはカップを鷲掴みにして紅茶を飲み、ポリポリと塩炒りを食べながら、どうでもよさそうに「そうかい」と、言った。
「で、【染魔】してもらえるのか?」
「もちろんです。良き物語のお礼に、この長槍を染めましょう」
ティリアは茶器を片付けて、立ち上がった。
まず、長槍の革の鞘を外して机の上に置き直す。
次に【風切矢車菊】のうち一輪を持って、長槍にかざした。
(御父様が【迦楼羅】に執着した理由、御母様の首飾りが空っぽな理由。カイ様が、良き答えに出会えますように。恐らく、その時は近いはず)
ティリアにはある予想があった。カイの話から推察したのだが、その答えはカイ自身が掴まなければならない。
その代わり、無事に答えを掴めるよう想いを込めて呪文を詠唱する。古代ルディア語の、今ではティリアだけが使う呪文を。
《魔法の花よ、花ひらよ、お前の色を私におくれ。
魔法の花よ、花ひらよ、花ひらの色はお前の力。お前の命の色。
魔法の花よ、花ひらよ、お前の力を私におくれ》
呪文を繰り返し詠唱する。ティリアの体内魔力が光となり、【風切矢車菊】に注がれる。
光の色は鮮やかなエメラルドグリーンだ。
【風切矢車菊】は目が開けられない程輝き、古ぼけた長槍を照らし……使い込まれた刃が、傷んだ木製の柄が、光と同じエメラルドグリーンに染まっていく。
(もっと、もっと注ぎましょう。この方が答えに至るまで、いえ、それからも生き延びれるように)
強い想いに光はさらに増した。ある瞬間、【風切矢車菊】がぼろぼろに崩れるまで。
ティリアは、枯れて崩れた【風切矢車菊】を机にそっと置き、長槍を確かめた。
長槍全体がエメラルドグリーンに輝いているが、時間の経過と共に輝きも色味も落ち着いてゆく。
刃はわずかに緑がかった鋼色。柄は渋い緑色に変わった。柄の色には濃淡があり、柄に施された流線形の彫刻がはっきり浮かんでいる。風と、風を表す単語を組み合わせた模様だ。長槍の名前も書いてある。ティリアは手で触れて、出来を確かめた。
(ああ、良く染まっている。よかった……)
「染め上がりました。カイ様、お確かめ下さい。……あの、カイ様?」
カイは紫がかった灰色の目を剥いて固まっていた。長槍に釘付けだ。ティリアが長槍を差し出すと素直に握り、しげしげと確かめる。
「柄の傷が消えてる……しかもこの刃……研ぎ立て、いや、拵えたばかりみてえだ……」
「カイ様?あの、大丈夫ですか?」
何度か呼びかけ、やっとカイの視線が動いた。ティリアを見て、また目を丸くしてから口を開いた。
「あんた、本当に【染魔の一族】なんだな」
ティリアはにっこりと微笑んだ。
(その呼び名は嫌い。私はもうあの一族とは関係ない。という言葉だって使いたくないくらいなのに)
「いいえ。私はただの【花染め屋】です」
カイはいぶかしそうな顔をしたが、何も聞かなかった。思慮深い方でよかったと、ティリアはこっそり息を吐いたのだった。
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三章完結まで毎日一度か二度更新予定です。
2023/08/19。二章「桃色は爛漫の恋をする」一話追加して全九話になりました。九話(最終話)は、三章につながるお話です。ぜひご一読ください。




