怠け者の翠風 二話
今から二ヶ月前、空っぽのカイは傭兵をやめた。
ここが引き時だ。これ以上は『面倒くせぇ』ことになると思ったからだ。
『カイ、本気か?』
『ああ、俺は抜ける』
カイの所属していた傭兵団『黄金鷲団』の団長が残念そうに言う。ギース帝国北部の安宿で、二人は向き合った。
カイたち黄金鷲団は、いつも通り領主同士の小競り合いで一稼ぎした直後だった。団長は小一時間前、団員たちに次の仕事まで英気を養うことと、次の仕事内容を告げた。カイは内容を聞き、黄金鷲団を辞めると決めた。そして、さっさと荷物をまとめて団長が居る部屋に行き、退団する事を伝えたのだった。
団長は深い息を吐いた。
『もったいねえ。これから稼ぎ時だってのによ』
確かに、春の種まきが終わって戦の季節になっていた。それに、皇弟が破格の報酬と高待遇で傭兵を集めている。場所は、ギース帝国と東の隣国ルディア王国の国境だ。
誰もが浮き立ち、行こうとした。ただ一人、カイをのぞいて。
『なあ、カイ。理由はおめぇの勘か?いつもの『面倒くせえ予感』って奴の』
カイは頷く。
『引き篭もりのルディアとの小競り合いは、面倒くせえ気がする』
根拠も何もない勘だが、この勘でカイは生き延びてきた。口に出しても誰もが話半分にしか聞かないが、長い付き合いの団長は別だった。団長はしばし考え込んだが、決心した様子で頷く。
『わかった。俺たちも適当に稼いだら引き上げる。で、おめぇは何処に行くんだ?故郷に帰るのか?』
あんな田舎に誰が戻るか。カイの脳裏に、死んだ両親と寂れた村が浮かんで消えた。
『いいや。とりあえずフリジア王国に行く』
『はあ?あの腰抜け平和ボケの?傭兵の需要があるのかねえ』
南の隣国の名を出すと、団長は退団すると言った時より驚き呆れた。理由を聞かれたが、『なんとなく、その方が面倒くさくねえ気がする』としか言えない。
そして口にはださなかったが、傭兵も辞めるつもりだ。かなりの大金が貯まったし、もともと田舎の農家を継ぐよりは『面倒くさくねえ』気がしたからやっていただけで思い入れはない。
とにかく、話は終わったので部屋から出ることにした。
『じゃあな』
『おう。またな。ああそうだ。大事なことを教えてやるよ。空っぽのカイ』
振り返ると、団長は人を小馬鹿にした顔でニヤリと嗤った。
『堅気にでもなる気なんだろうけどな。おめぇみてえな空っぽな奴は、傭兵以外にやれる事なんざねえ。勘違いするなよ』
どうやら、傭兵を辞めるのも見抜かれていたらしい。
まあ、どうでもいいことだ。
カイはさっさと安宿を出た。
◆◆◆◆◆
こうして、カイはギース帝国からフリジア王国へと旅立ち、今から半月前にフリジア王国に入国した。
カイはフリジア王国に入国してから、ギース帝国とのあまりの違いに目を回した。物があふれていて、人の気質が穏やかなのだ。
駄賃稼ぎに隊商や乗り合い馬車の護衛をしていたが、フリジア人の雇い主たちは礼儀正しく気前がいい。魔獣や魔物の出現の多さには困らされたが、ギース帝国の時のように報酬を誤魔化されたり、酷使されたり、使用人以下の扱いをされることがない。しかも各関所の通行税は安く、審査も簡単だ。王都に入る時ですら、厳しい審査が無くて絶句した。
身分証を見せて簡単な質疑応答をし、銀貨一枚を払うだけで半年の滞在許可証が渡される。ギース帝国では考えられない破格の待遇だ。
(面倒くさくねえからいいけどよ)
カイはさっさと宿屋を決め、客室に背嚢を置いて、再び外に出た。背を丸めて長槍を掴み、だらだら歩く。
今は昼過ぎに差し掛かったところだ。初夏の眩しい光と、あちこちに飾られている花々が美しい。
そして何よりも、道ゆく人々の穏やかな顔が眩しい。
(噂以上に平和ボケした国だなぁ。ウチとは大違いだ)
ギース帝国は荒んでいる。長く内戦状態が続いているせいだ。
もともと戦好きで武勇を誇りたがる国だ。遠征によって周辺諸国を併合し、帝国と名乗りを上げた。だが、内政面はお粗末だ。特に近年は酷い。先帝が身罷った事による後継者争いとそれに付随する権力闘争により、かれこれ二十年以上国が乱れている。
そんなギース帝国において、フリジア王国は【花と美食の国】あるいは皮肉と侮蔑を込めて【腰抜けと飽食の国】と呼ばれている。ここ三十年ほどは大きな戦がなく、ご自慢の軍団と騎士団はもっぱら都市や村落の警護か、野盗や魔獣魔物の討伐に使われるばかり。他国からの侵略も、まず対話で解決しようとする。ギース帝国からすれば、臆病者の集まりに見える。
だがこうやって王都を歩くと、ギース帝国側が豊かさと平和を僻んでいるとしか思えない。カイも勘づいてはいたが、改めてギース帝国は貧しく荒んでいる。豊かなのは王侯貴族ばかりだが、彼らとてフリジア王国王都の民に比べれば貧相な暮らしかもしれない。
(ふうん。衛兵の装備は上等だし、浮浪者もほとんど居ねえな。道も建物も小綺麗だ)
カイはだらだらと歩きながら王都を観察し続けた。これは習慣のようなものだ。幼い頃より『周囲の観察を怠るな。特に、初めて行く場所では慎重になれ』と叩き込まれている。
それはともかく、昼過ぎの大通りは人が多い。交易が活発なので、カイのような他国人も多い。道ゆく人を眺めていると、何人かが不快そうな顔や、警戒した顔でカイを見ているのに気づいた。
(まあ、俺は小綺麗とは程遠いからな)
カイの装備は貧弱だ。いつも手にしている長槍も、身につけている革鎧の胴体もぼろぼろで薄汚い。首飾りだって、金属の台座には何もなく空っぽだし、体型も細長く貧弱に見える。それなりに稼いできた傭兵にも、まともな職に就いているようにも見えないだろう。
しかし、カイには戦場で十五年生き延びれるだけの実力がある。
カイは戦場でも極力動かない。最低限の動きで敵の攻撃をかわし、敵に長槍を叩き込んだり貫いたりする。『やる気が無いくせに槍の腕はある』とは、団長の言葉だ。
(まあ、どうでもいい。とにかく今は酒場に行かねえとな)
カイはなんとなくフリジア王国に来ただけで、身の振り方を決めていない。
それなりに貯めているとはいえ、残りの一生を働かずに生きれるほどではない。
(これからどうするかなあ)
目的地に向かいながらカイは考えた。とりあえず、宿屋で旅の疲れを癒してから仕事を探すつもりではある。傭兵はもう沢山だった。
とはいえ、もう若くない傭兵崩れができる仕事というと限られている。よくあるのが隊商や乗合馬車の護衛だ。カイも王都に来るまで何回か引き受けた。
結果、感じたのは『他人の予定に合わせた旅暮らしなんざ面倒くせえ』だった。他の仕事がいい。
(女は無しだなあ。面倒くせぇ)
いわゆるヒモだとか愛人だとか呼ばれる男たちを何人か知ってるが、あれは技術とマメさがいる。女を抱くのも面倒がる自分では無理だ。
(衛兵も面倒だなあ。堅苦しいのはしょうに合わねえや。用心棒はなあ。雇い主次第でしがらみが出来る。面倒だなぁ地獄だなぁ)
しばらくは日雇いの力仕事でもするつもりだが、それだってしがらみが有るだろう。
カイはまだ王都に来たばかりで勝手がわからない。だからまず、酒場に向かった。その街の情報を、手軽に仕入れるのに酒場はうってつけだ。
宿屋の主人におすすめの酒場を聞いている。
『情報収集なら冒険者ギルドの周りの店がいいよ。しかも飯も酒も美味い。安く済ませたいなら【岩熊の酒蔵】か【火龍の寝ぐら亭】ちょっと値が張ってもいいなら【戦士の胃袋亭】か【夕星酒場】がおすすめだよ』
店主はさらに、冒険者ギルドの周りは料理屋ばかりではなく、武具や装備や薬を扱う店が多いことも教えてくれた。なんと公衆浴場まであるという。
カイは驚いた。ギース帝国帝都の冒険者ギルドの周りには、鍛冶屋兼武具屋があったくらいだ。あとは宿屋と娼館ぐらいだった気がする。荒れくれ者が多いので喧嘩もしょっちゅう起こっていた。
また、カイの故郷のような田舎では街外れに作られていることが多い。
どちらにせよ、栄えているとは言い難い様子だ。
国が違えばここまで違うのかと、カイはしみじみ感じ入った。
(まあ、どうでもいい。戦場と安宿よりは美味い飯が食えるだろうしな)
それからしばらくして、目的地に着いた。
【戦士の胃袋亭】という、大きな店だ。
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三章連載再開しました。また、2023/07/24。「プロローグ」を「はじまりの章」と改題。大幅に加筆修正しました。花染め屋の過去と、一章直前までの話を盛り込んでいます。修正前のプロローグを読んだ方にも、ぜひ読んで頂きたいです。
2023/08/19。二章「桃色は爛漫の恋をする」一話追加して全九話になりました。九話(最終話)は、三章につながるお話です。ぜひご一読ください。




