#089 新生活の始まり
申し訳ございません。
始業式やらクラス替えを予告しておきながら、幼稚園バスに乗り込むところまでしかたどり着けず…
年少から年中にかけた春休み。
友人のお誕生日会に招かれたり、買い物に出かけたりしながら、マコトは生まれながらの幼馴染のスズカと四六時中遊び倒す毎日を送っていた。
もちろんお手伝いも忘れない。いつもの洗濯物たたみやお掃除に加え、双子のおむつ替えを手伝ったりしながら。
年度が変わると、母アカリも新しい職場に心機一転。前職よりもストレスフリーで朝も夜も時間に余裕ができ、一家団欒の時間も増えた。
こんな充実した毎日がいつまでも続けばいいな、などと休みボケして早二十日弱。
春休みを終えたマコトは、再び幼稚園生活へと戻ろうとしていた。
「まーくん忘れ物ない?」
「うん、大丈夫」
細身のスタイルが映えるパンツスーツに身を包むアカリが、確認のために声をかける。この子のことだから、と過去の様々な実績からそれほど心配はしていないが念のため。
それに答えるのは園服姿のマコト。一年前はかなりぶかぶかではあったが、その隙間も多少はマシになっている。それでも半ズボンは膝小僧を隠していて、あと二年間くらいは余裕で着続けられそうだ。
黄色い帽子から伸びるゴムは、春ならではの強風に持っていかれないようにしっかりと顎下へとひっかけられ、幼稚園児が一年間使ったとは思えないほど奇麗なリュックサックを背負い準備は万端。
春休み中の家遊びにも活躍し、点検および補充を終えたお道具箱は、中身がこぼれないようにゴムでしっかりと留められ、手提げカバンに入れられている。子どもが持つには少々重く大きいため、バス停まではアカリが持っていく手はずになっている。
もちろん最初はマコトが自分で持っていこうとはしたが、それくらいは甘えて欲しいとアカリが有無を言わせず手にしてしまったため、マコトも意地を張ることでもないと素直に甘えることにした。
(実際結構大変だしね……)
背丈の関係上、普通に持ち手を持つと地面を擦ってしまうのだ。それこそマコトが持とうとすれば、抱きかかえるかお盆を持つような形になり歩きづらいことこの上ないので正直ありがたい話だった。
「「いってきます」」
仲睦まじい母と子は、我が家に挨拶をして一緒に出る。
アカリが戸締りをしていると、タイミングを見計らったようにお隣の玄関が開く。
そして間もなく飛び出してくる影。
「――まーくん、おはよ!」
「おはよう、すーちゃん」
一目散にマコトへと突進し、抱き着き深呼吸をする園服姿のスズカ。
彼女もまた、一年前から心身ともに成長している。マコトと身長の差が開き始めているのも気のせいではない。
朝から絶好調のスズカは日課を終えると、その場にいるもう一人に向き直り、しっかりと朝の挨拶をする。
「あかりさん、おはようございます」
「おはよう、すーちゃん。今日も元気だね」
「うん! すーはまーくんがいればげんき!!」
「そっか~。私もまーくんがいれば元気だよ~」
「元気元気」と連呼する元気な母と幼馴染に、左右の手をそれぞれに握りしめられながら、少々むず痒い思いで佇むマコト。相変わらずの表情ではあるが、嬉しそうに見えなくもない。
そこにもう一人、スズカの母であるミオが顔を出す。
シンプルなワンピースチュニックを腰上あたりで絞り、デニムのボトムスを合わせている。女であることを捨てず、そして母としても落ち着きのある格好だ。
大きく膨らむ胸元がボタンで開け閉めできるタイプなのは、下の娘たちの授乳を考えてのことだろう。
三人の娘の母にもかかわらず、そのスタイルの良さは流石としか言いようがない。もちろんそれ相応の努力があってこその結果である。
「おはよ、ミオ」
「おはようございます」
「二人ともおはよー…………っと、忘れ物っ!」
ママ友であり大親友でもあるアカリの姿を見て、外出三秒で家にとんぼ返りするミオ。
そして待つこと数秒。
お道具箱が入った手提げかばんを手にしたミオが戻ってくる。
「お待たせ~」
「ママおっちょこちょい?」
「も~、生意気な口はこの口かなぁ~、うりうり~」
「むぅ……」
親指と人差し指で頬をつままれ、唇を突き出した顔になるスズカ。
「まーくんみちゃだめっ!」
「えー、可愛いのに……」
「…………むぅ」
一丁前に恥ずかしがるスズカではあったが、大好きなマコトにストレートに”可愛い”と言われてしまっては、どうしたものかと眉をひそめている。
「……そろそろバス停行かない?」
「それもそうね」
困り顔のスズカを見かねてか、アカリはちらりと腕時計を見やり指摘する。園バスが来るまでまだ時間に余裕はあるが、早く来る可能性もないことはないし、玄関前で駄弁るよりはマシだろう。二組の親子はバス停へと向かう。
「まーくんたちもいよいよ年中さんだねー」
「早いもんよねぇ……。ついこの間幼稚園に通い始めたような、そうでもないような……。そしてまた、お手伝いさんがいなくなる生活に……」
「こらこら……」
スズカとマコトが手をつなぎ歩く姿を前に、母二人は感慨深そうにしている。片方は悲しそうでもある。
「まーくんが生まれてからというもの、時の流れが早く感じる……」
「うん、出産したのもついこの間な気がするよ……」
「……それは気のせいじゃないよ」
「もうボケたの?」と同い年のミオをからかうアカリ。二人の仲の良さは相変わらずだった。
そうしてバス停に着いたマコトたち一行は、すでに待っていた親子に挨拶をして一緒にバスを待つ。
子どもたちは好き勝手に、しかし大人しく。そして母たちは新年度というせいかよく口が回る。話題はもっぱらクラス替え。
ちなみに陽ノ森幼稚園の始業式は、入園式や卒園式と違い親は不参加だ。
あくまで幼稚園は子どもたちが通う場であり、自立心を養う場というのが陽ノ森幼稚園のスタンス。
平日であり休みが取れない働く親御さんへの配慮や、幼稚園職員が人に車にと交通整理に忙しくなりすぎ、そういう時にこそ事故が起こるので事前の防止策、という実利的な面があるのも確かだが。
五分ほど待っていると、幼稚園バスがやってくる。
年長さんが卒園していき、新しい年少さんは明日が入園式ということもあって、バスには空席が目立つ。
「「いってきます」」
「「いってらっしゃい」」
マコトとスズカは母親から離れ、バスへと乗り込んでいく。
「おかーさんも、いってらっしゃい」
「いってきます」
そしてマコトは、この後そのまま会社に向かうアカリに声をかけることも忘れない。
(びっくりするほどしっかりしてるけど、まだ年中さんなんだよねぇ……)
気遣い上手な親友の息子に、年齢をごまかしているんじゃないかと思わなくもないミオ。
それでもちゃんと一応子ども扱いなのは、常識的に考えてなのか、それともマコトの演技が通用しているのか、はたまた男はどこまで行っても中身は子どもなのか。
「じゃあ私も行ってくるね」
「あ、うん、いってらっしゃい。頑張ってね」
「ありがと」
バスを見送り、八代家の大黒柱も仕事に向かう。
ミオは久しぶりにスズカも八代家もいない我が家へと帰っていく。
(……みーくんにぎゅうしてもらおっと)
ふと抱いた寂しさを埋めてもらうため、家で育休ワークをしている夫ミツヒサへの突撃が決定する。仕事の邪魔にならないよう、ミツヒサの手が休むタイミングを見計らうのは当然のこととして。
こうして、新生活の幕が上がった。
「――むふぅ」
「――うぐっ!? …………どうしたのミオ?」
「すーちゃんの真似したくなって。ぎゅうして」
「どうしてまた……」
そう言いつつ、まんざらではないミツヒサであった……
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