#185 5周年
誕生日プレゼントのラッピングをはがして現れたのは黒い化粧箱。誰もが知るメーカー名とその中身、そしてブランド名がプリントされている。
「お母さん、これ…………」
タブレットパソコンだった。
ノートパソコンよりも画面は小さく、そのサイズは十インチほど。タッチパネルおよびスタイラスペンを備え、画面をせり上げるようにスライドさせるとキーボードが現れるようになっている。
よくある知育玩具の、なんちゃってパソコンではない。
しかも初心者向けローエンド機でもなく、コスパ重視のミドルレンジ機でもなく、スペック重視のハイエンド機のそれだ。お値段も安くはなかっただろう。
およそ五歳児に与えるには早すぎ、例え高校生だとしても少々躊躇うと思われるそのプレゼントに、マコトは母の正気を確かめるように聞く。
「……いいの?」
「うん、まーくん興味津々だったでしょ?」
「…………まぁ、うん」
アカリはノートパソコンを使っている際、幾度となくマコトからの視線を感じていた。珍しくマコトが興味を示すものではあったが、いくら賢くともまだ幼稚園児であるため、与えるのは時期尚早だと思っていた。
しかしIT企業に転職をして、そこでパソコンを酷使して働く同僚たちを見て、多少早くても触れて学べる機会を作ってあげた方が良いのではと思うようになった。
そしてミツヒサを含めた同僚にどれが良いかと相談したところ、このタブレットパソコンをプレゼントすることになった。
ちなみにハイエンド機になったのは、相談した相手が相手だったというのと、アカリも愛するマコトには良いものを、と親ばか的な部分が重なった結果だ。
「……欲しくなかった?」
「ううん。ちょっとびっくりしすぎてるだけ。お母さん、ありがと!」
息子のなんとも言えない反応を見て不安になるアカリに、マコトは感謝の言葉と共にハグでその気持ちを表す。
ただ、使いこなせる自信がないというのがマコトの正直な感想だ。
いや、使い方に戸惑うことはないだろう。遥か昔のことにも思うが、マコトもIT企業に勤めていた人間だ。そういった意味では、アカリの同僚たちと同類にあたる。
問題は、このタブレットパソコンで何をするのか、だ。
最新ガジェットに興味がないと言えば嘘になるが、今のマコトの興味も時間も大半は別のところに向いている。
手段だけは増えたが目的がない。
せっかく母上から貰ったプレゼントなのに、今の自分には活かしきれない。
(……まぁ、追々考えればいっか)
今まで無いのが当たり前だっただけで、有ることが当たり前になったら自然と使うようになるだろう。とりあえずは、使い込みすぎてキーボードの反応が悪くなってしまった電子辞書の代わりか。
そんな楽観的な考えに切り替えたところで、マコトは次の行動に移る。
「じゃあ、今度はお母さんに」
「……?」
マコトはアカリから離れると、貰ったばかりのプレゼントに夢中になることもなく、スタコラとおもちゃ箱へと向かう。
アカリが何だろうと首をかしげながら待っていると、マコトは何かを手にして戻って来る。
「今日はお母さんと出会って五周年の記念日だから、お母さんにもプレゼント」
マコトの誕生日。
それはつまり、マコトとアカリが出会った日でもあり、アカリが母になった日でもある。
残念ながらマコトにその日の記憶は無いが、アカリとの記念日であることには変わりない。
「まーくん……」
完全なサプライズに、ラッピングされたプレゼントと二つ折りの手紙を受け取るアカリの声が微かに震える。
「お手紙、読んでいい?」
「うん」
アカリがそう聞くと、マコトはわずかに照れくさそうに頷く。
”””
だいすきなお母さんへ
お母さんとであって、5ねんがたちました。
まいにちがたのしくて、あっというまでした。
お母さんとえいごをはなしたり、しょうぎをさしたり、
ほんをよんだりしてすごすじかんが、ぼくはだいすきです。
ぼくのお母さんになってくれて、ありがとう。
これからもよろしくおねがいします。
誠より
”””
手紙を読み終わったアカリの頬には、溢れ出た涙が流れていた。眼鏡を取って目元をぬぐうが、すぐにまた視界が滲む。
「まーぐん……」
アカリはマコトを包み込むように強く抱き、マコトもそれに応えて完全に身を任せる。
「お母さんもね、まーくんのお母さんになれて良かった」
「うん」
「お母さんもね、まーくんと過ごす時間が大好きだよ」
「うん」
「本当に…………ね、…………ありがとう!」
「……どういたしまして」
涙が止まらないアカリの頭を、マコトの小さな手が優しく撫でた。
そうしてしばらくして、アカリの感情も落ち着いてくる。
「お母さん、プレゼントも開けて?」
「……まーくんからのお手紙が素敵すぎて、ちょっと忘れてた……」
息子に泣き顔を見られて慰められたことに照れくささを感じたのか、アカリはおちゃらけてそう言うとラッピングの包みをはがし始める。
「あ、ヘアブラシだ」
「うん。お母さんの髪綺麗だから、使って欲しいなって」
マコトがプレゼントに選んだのは、豚毛のヘアブラシだった。
お手伝いでコツコツ貯めて、ミオやミヤにアドバイスを貰い、消耗品だけどちょっと良いやつを……と選んだものだ。ちなみに価格は四千円少々。なおマコトの月給は約三千円である。
髪が長いアカリは当然持っているし、毎日のように使っている。が、半年ほどで買い替える消耗品ゆえに節約志向が働き、千円程度のナイロン製のものを使い続けている。今使っているものもピンがいくつか抜けてしまっているのだが、まだ使えるし大丈夫……と色々と後回しになりがちだったりする。
自分が自分のために買うことを避けていたもの。
だけど髪を褒められて、その綺麗を維持して欲しいと贈られて嬉しくないはずがない。
「……まーくん、ありがとう。今日はまーくんのお誕生日なのに、なんかお母さんの方がいっぱい貰ってるね……」
「ううん、お母さんからは色んなものを毎日貰ってるから。……そのお返しが少しでもできたなら良かった、かな」
お隣の母娘にいいように仕込まれた結果でもあるのだろうが、およそ五歳児とは思えないほどの献身性がどうしようもなく愛おしくなる。
「ところで、まーくん」
「うん?」
「プロポーズするときにヘアブラシ――櫛を贈る習慣があったのって知ってる?」
「…………一応、知ってる」
ヘアブラシ=櫛を贈る。
櫛の発音がク=苦、シ=死を連想させるために、縁起が悪いとも言われる。
しかし一方では、古代にはお守りとして身につけられていたし、江戸時代には”苦しい事も多いけど、死ぬまで一緒に寄り添いながら生きていこう”なんて洒落てプロポーズにつげ櫛を贈る習慣があったともされている。
アカリは語呂の悪さを気にするタイプではないし、マコトもネガティブな意味を含ませるつもりもさらさらない。
「へ~、知っててプレゼントしてくれるの?」
「…………ノーコメントで」
「え~、何それ~」
ツンツンと頬を突かれながら、揶揄われて困った表情で回答を拒否するマコトがどこか可笑しく、でもその想いが嬉しくて、アカリは目じりに涙を溜めながら微笑むのだった。
読んでいただきありがとうございます。
ということで、マコトはタブPCを手に入れました。
五歳児ってパソコンで何する…していいんんでしょう…




