#184 五歳の朝
お待たせしております…
十二月も半ばに差し掛かり、容赦なく寒さが押し寄せる早朝。
アカリは瞼を持ち上げながら、首だけをひねって左隣を見る。そこには布団を蹴飛ばし移動することもなく、寝相よく眠る最愛の息子。
アカリは体ごとマコトへと向くと、冷気が入り込んで来るのも構わず羽毛布団から腕だけを伸ばし、マコトを起こさない様に頭を優しく撫でる。
(もう五歳かぁ……)
まだまだ小さなマコト。だが、しっかりと着実に成長して大きくなっている。
今は歳相応のあどけない寝顔を晒しているが、普段は子どもらしからぬ落ち着きを見せる子。雰囲気だけでなく実際のその頼りがいからか、いつの間にかママ友内ではファンクラブが発足し、幼稚園の友人たちからはボスと慕われているようで。
(…………五歳ねぇ……)
ふと可笑しくなって、静かな寝室に声が漏れる。
親友がよく『ねぇ、歳誤魔化してない?』と揶揄う気持ちも分からなくもない。お隣の三姉妹と比べれば、それはもう明白に違うのだ。主に知能と精神の成熟度が。母であるアカリが気付いていないはずもない。
だが紛れもなく自分の子だ。
母に突き放されたことで何があっても自分が育てる覚悟を決め、死を覚悟するほどの痛い思いをしながら産んだ子。遥か前のことのようだが、昨日のことのように鮮明に覚えている。
あれからちょうど五年。
今日はアカリとマコトが出会った特別な日――マコトの誕生日。
「……………………ぉかぁさん……?」
「……まーくんおはよう」
「おはよう」
しばらく寝顔を堪能していると、マコトが目を覚ます。
二、三度パシパシと瞬きをすると、アカリの顔を確認して挨拶を返す。
アカリは自分の羽毛布団を持ち上げると、まだ寝ぼけまなこのマコトはコロコロと転がってアカリの腕の中へと納まる。
一緒の布団に入り、ぎゅっと抱きしめる腕に力が入るアカリ。冷気もすぐに気にならなくなる。
「ふぅ、まーくんは暖かいねぇ」
「……おかぁさんも、あったかい」
マコトは自分から甘えるのが苦手だ。その中でも抱っこは特に。
マコトが一歳を迎える前には仕事に復帰し、抱きしめてあげられる回数が少なかった。そのせいで甘え下手になってしまったのではないかと思うこともある。
だけど迎え入れる素振りを見せれば、ちゃんとこうして来てくれる。それがまた可愛くて仕方がない。
色々と察しの良いマコトに甘えているのだろうとアカリは思う。
今もマコトを抱きしめることで元気づけられているのは、アカリの方なのだろうと。
アカリ自身、自覚はある。
そもそもアカリは物事は理詰めで考え、完璧は無理でも完璧に近付くように最後まで努力しようとするタイプだ。時間は有限で、効率良く使いたいとも思っている。
故に子どもが苦手と言うか、相性が悪い。
マコトが生まれて母になり、お隣さん姉妹と接して五年を経た今でこそだいぶマシにはなったが、中学校の頃にあった保育実習の授業は、楽しそうな親友とは正反対に憂鬱だった。
やって良いこと悪いことの区別もついていない。
教えようも言葉は満足に通じず、同じ失敗を繰り返す。
感情のままに昼夜問わず泣き叫ぶことに文句を言えるはずもなく、あれが欲しい買って、これは嫌い食べたくない、そんな我がままに付き合わなければならない。
思った通りに物事が進むことはない。効率の良さなんて考えても無駄。
それが子どもの成長であり、それを見守るのが大人の努め。
そう理解して納得できたからと言っても、ストレスが溜まらないわけではない。
元気で無邪気な子どもに癒され、成長する姿に充足感を覚えるのも確かだが、楽しいこと、綺麗ごとは氷山の一角。子育ては一日や二日で終わる保育実習やお手伝いではないのだ。途中で投げ出すこともできないからストレスは溜まり続けるし、上手く発散できなければ自分が潰れる。
その点、マコトの行動は理性的で、言葉どころかその裏の意図まで通じるし、泣くことも無ければわがままも言わない。少しばかり体が弱く体調を崩しやすい傾向はあるが、それさえも自分で気を付け始める。
アカリが子どもを苦手だと思う部分は、マコトの特異な部分がカバーしてしまっている。自分に都合が良すぎると思いながらも、そんなマコトにアカリは甘えてきた。
だからこそマコトの誕生日である今日は、感謝も込めて一段とマコトを甘やかそうと心に決めている。まぁ、すぐにスズカに取られてしまうのだが……
「まーくん、お誕生日おめでとう」
「……ありがと」
「何歳になった?」
「……五歳」
「五歳か~。まーくんもどんどん大きくなってくね~」
「……いつかおかぁさんに、追いつく」
「えぇ~? 追いつけるかな~? ふふっ、じゃあ追いつくまでは毎日こうしてお母さんに抱っこされるってことで」
「……、………………」
「あれ? まーくん、お母さんに抱っこされるのイヤ?」
「嫌じゃないけど……」
「けど?」
「……嫌じゃない」
「そっか~。嫌じゃないか~」
「…………」
甘え下手なマコトは、このくらい強引で丁度良い。スズカの行動が良い例だろう。
言質を取られたことに気付いて完全に目が覚めたマコトは、しばらくアカリの抱っこに付き合う。照れくささはあるものの、拒む理由もない。スズカがお泊りに来ていない日くらいは、母上の喜ぶようにさせてあげたいのだ。毎回ではあるが。
そうしてゴロゴロと寝起きのルーティーンを終えた八代親子。
誰に言われるまでもなく規則正しい生活を送る二人は、お隣からの泣き声を聞きながら、洗濯や朝食、朝勉を済ませていく。
「手伝ってくれてありがと」
「どういたしまして」
協力して洗濯物を干し終わったアカリとマコトは、外気から逃げるように暖房の効いた室内へと戻る。そして急速に暖を取るため、アカリはマコトを膝に乗せて抱っこする。そしてマコトの手を取ると、かじかんだ小さな手を揉み解す。
朝のタスクをすべて済ませ、一息つく二人。
平日なのでアカリは会社、マコトは幼稚園にそれぞれ行くのだが、今日はマコトの誕生日ということで二人ともお休みだ。
前の会社では年末近くは多忙のため平日は休めずにいたが、転職して融通の利くようになったアカリは当然のように有給休暇を取得。
マコトも皆勤賞を逃してしまうが、もとより皆勤賞にこだわっていないし、すでにスズカのマコト不足解消(ついでに戸塚家のお手伝い)のために何度か休んでいる。
休みであればゆっくりすればいいものをとも思うが、二人の性格上、普段通りの規則正しい生活リズムを崩せない。
お隣の準備もまだ時間がかかるであろうため、もうしばらくは親子二人の時間だ。
「じゃあ、お待ちかねの誕生日プレゼントを渡しちゃおっかな」
アカリはそう言って一旦マコトを膝上から下ろすと、押入れに隠しておいた箱を取って戻って来る。
「改めてまーくん、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
綺麗にラッピングされたプレゼントを、マコトは両手で受け取る。
大きさは約三十センチメートル四方でやや横幅が広く、厚みは五センチメートルほどだろうか。
マコトは重さを確かめるように軽くゆすってみる。箱の大きさに比べれば軽いが、その中にずっしりとした重みを感じる。
据え置きゲーム機の箱のようにも思えるが、十中八九違うだろう。
マコトは戸塚家にてスズカやミツヒサたちと遊ぶときだけで 八代家に居るときにテレビゲームで遊ぶことはほとんどない。故にアカリがマコトに与えるプレゼントとしては考えにくい。
「ふふっ、中身は何かな~?」
「……開けてもいい?」
「もちろん」
マコトは許可を取ると、丁寧にラッピングをはがしていく。
「こ、れは…………」
そして姿を現した黒い化粧箱に、マコトはどうリアクションすべきかとしばし固まることになった。
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