#175 期待
夕食後。
子どもたちは録画してあった幼児教育番組を仲良く視聴、大人たちはダイニングで雑談に興じていると、そろそろお開きの時間がやってくる。
アカリが壁にかかる時計に視線をやったり、『お風呂が沸きました』と見知らぬ女性の声が聞こえてきたり。
そんな場の空気を読み取った妙齢の独身女性が言う。
「――帰りたくない」
これが男性相手なら効果はあったのだろう。
しかし、この場に居るのは女性二人と、唯一可能性がありそうな男性一人は妻一筋。チラチラと上目遣いも効果は全くなかった。
「みーくんに色目遣うとは……、ミサト許すまじ」
「ヒッ……、そんなつもりはッ!! アカリさん助けて!」
「無理」
「諦めないで!」
むしろ逆効果だったかもしれない。
「いやまぁ、そろそろ私たちも帰るからミサトも帰るしかないんだけど……」
「そんなぁ……」
ミサトを除けば、この場にいる大人は全員親だ。生活リズムは子どもたちを中心としている。午後七時にもなっていないが、もう今日を終わりにしなければならない時間なのである。
大人たちは子どもたちが寝静まってからもある程度は起きているが、完全なプライベートな時間なので。
「帰りたくないよぉ……」
「「「……」」」
テーブルに突っ伏して、駄々をこねるミサト。
ただそれだけ彼女にとっては、今日という日はここ最近で最も充実した休日だったのだ。
見せたい相手を想ってお洒落をして、美味しいものを食べて、ワーキャー言いながら童心に返って存分に遊んで。
もちろん、学生時代から付き合いのある友人や、アカリ以外の同性の同僚と遊びに行くこともある。が、その大半はショッピングかカラオケか居酒屋か。楽しくはあるが、どこか新鮮味に欠けた時間。
近頃は結婚報告も多くなり、たまに会えば夫の不満話やら子育ての苦労話やらで謎のマウントを取り合い、聞き役で空気になっていたところに急に身軽で結婚願望が薄い自分に向かってくる矛。
そうして年々、休日は自然と一人で過ごすことが多くなっていたミサトだ。この楽しい空間がいつまでも続いて欲しいと、いつまでもここに居たいと願ってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
「……お泊りしたーい」
「――おとまり!?」
そんなミサトの漏れ出た願望に、反応した女児が一名。
見ている録画番組はまだ終わり切っていないが、それどころではないと駆けてくる。
「ママ、きょうおとまり?」
「……ほらぁ、すーちゃんがお嫁さんモードになっちゃったよー」
「え? 何ですかお嫁さんモードって」
”お嫁さんモード”とはつまるところ、スズカが八代家にお泊りする気満々となってしまって、却下すればへそを曲げかねない状態のことだ。
以前スズカが八代家に行く際、ミツヒサに『ちょっとおよめさんにいってくる』と言葉を選び間違えた――かどうか真相は分からないが――のを、ミオが面白がって使い続けている。
ちなみにスズカのお泊りスケジュールは、マコトが不足してくる火曜日と木曜日の週二回。昨日にしたばかりではあるが、スズカは毎日だってしたいのだ。隙あらばお泊り。
「すーちゃんまたお泊り行っちゃうの~? ママ、寂しいよ~」
「だいじょうぶ。ママにはパパがいる。パパでばん」
「みーく~ん!」
「……」
この親にしてこの子あり。
ミオに抱きしめられながら嬉しそうにしながらも、スズカは逞しく言い放つ。
ミオは『お願いしても良い?』とアカリにアイコンタクトで伝え、アカリも仕方ないと相好を崩して快諾する。
「いいな~すーちゃん。私もお泊りしたーいなー」
「ミサトもおとまりしたい?」
「うん、ダメ?」
「だめ。おとまりは、けっこんするひととしかしちゃいけない」
「…………」
期待させておいて……とミサトは思うが、少なくともスズカに上げて落とす意図はない。ただただ母の教えをしっかりと守っているだけだ。
「ミサトもだんなさんをみつけて、そのひとのおうちにおとまりする」
「おっしゃる通りで……」
五歳児に諭される二十八歳。貞操観念および外泊については、スズカの方がしっかりとした考えを持っているようである。
「……じゃあまた明日も遊びに来て良い?」
「あした?」
「うん、もっとすーちゃんやまーくんと遊びたい」
「んー、いいよ」
「ほんと? ありがとー!!」
「つぎはミサトにかつ」
「おっとそんなに簡単には負けないよ~」
「むぅ! まーくんととっくんする。――まーくん、とっくん」
スズカはフウカとキョウカの相手をしながら、録画番組の後片付けをしているマコトに飛びつきに行く。
「え、今からは無理だよ? お泊りするんでしょ?」
「そうだった。おとまり。…………む、ふ」
「お泊りセットの準備しないと」
「ん! する!」
マコトは抱きつき顔をうずめて喜びを表すスズカの頭をぽんぽんと撫でてから、お泊りの準備を促す。
そして自分も帰宅の準備――フウカとキョウカをミツヒサに預けてからアカリの傍に歩み寄り、そのままアカリに抱えられて膝の上に乗せられる。
スズカのお泊りはマコトもアカリも大歓迎だが、やはり親子の二人っきりの時間も欲しいのだ。そんな思いが、このスキンシップに表れている……のかもしれない。
「――そういえば、まーくんとはあんまりお話できなかったね~」
アカリの膝の中に収まったマコトにミサトが話しかける。
スズカとの仲はだいぶ近付いたようにミサトは思う。
お互いの呼び方も『すーちゃん』と『ミサト』に変わるくらいには。なお、呼び捨てなのはスズカの失礼でもなんでもなく、ミサトがそう呼んで欲しいと言ったからである。
ただ目的だったマコトとは、思ったほど距離が縮められなかった。そのあたり残念だが、
「うん。……でもまた来てくれる?」
マコトとしても、アカリと仲の良いミサトが来るのは歓迎だ。
それにスズカとも仲良くなってくれた。
濃く過ごせる時間は減ってしまうが、スズカにはもっと色んな人と接して、色んな事を感じ取って欲しい。そのチャンスは作ってあげたい。
それゆえ。
無表情なままだが、マコトは真っすぐにミサトを見て首を少し傾げて聞く。子どもの身は色々と便利である。
「もちろん!! 毎日来るよ!!」
そんな期待をされたら、ミサトもついはしゃいでしまう。
「…………ぉ、お仕事は……?」
毎日は困る。スズカやアカリと過ごす時間が減りすぎるのは困る。が、そう面と向かっては言えないので、それとなく伝えようとするが、
「終わらせてから来るよ!!」
「いや、アンタ来るの遅いんだから終わるのいつも八時前よね……?」
「早起きすれば!! ……………………ハッ!! そしたら夕食も一緒に!?」
「図々しいわね……」
「だってまーくんに来て欲しいって言われたら、来ないわけにはいかない!! ミサトは今日から変わるッ!! オーッ!」
「「…………」」
八代親子から冷めた目でみられるも、火のついた女は止まらない。
「まーくん」
「……?」
「あんまり期待させるようなこと、言っちゃだめだよ?」
「え、期待……? 何の……?」
流石のマコトも、ワンチャン狙われているとは夢にも思っていない。
だってマコトは、まだ五歳にもなっていないので……
兎にも角にも、こうしてミサトの二十八歳の誕生日パーティーはお開きとなり、主役は満足げな様子で帰路についたのであった。
「たっだいまー」
「おかえりー。え、なに? ホントに帰ってきちゃったのー?」
「なによう。夜遊びしない良い娘に育ったんだから、胸を張って良いんだよ?」
「一人娘を残してしまう親の気持ちにもなって欲しいんだけど。……で、お相手とはどうだったのよ? 良い感じ?」
「ふふん! また遊びにいくし!」
「ほー! 順調なようで母も安心だわー」
「ま、まぁね!」
「なんか怪しい?」
「……そ、そういえばお父さんは? 娘の誕生日もあとわずかなんだけど?」
「ゴルフで疲れたからって言って、とっととシャワー浴びて寝たわよ?」
「なんとぅ!?」
読んでいただきありがとうございます。
ミサトの準備からだいぶかかりましたが、無事誕生日回終結です…
これが良き出会いになるかどうか…




