#170 将を射んと欲すれば
――ピン、ポーン
「すーちゃん出る?」
「むり。まーくんまもるのにいそがしい」
「そっかー」
いつもならチャイムが鳴れば玄関へダッシュする長女へとミオが問うと、予想通りの答えが返って来る。
スズカが反応するチャイムはマコトの時だけ。加えて今のスズカはマコトから手が離せない。頼まれても出られない。
「私が出るよ。すーちゃんはそのまままーくん守っててね」
「ん、まかせて」
「え、このまま……?」
スズカの小さな手に視界を塞がれ続けているマコトを残したまま、アカリは玄関へ向かうとドア越しに誰何する。
「……どちら様でしょうか?」
「ミサトです!」
「あ、大丈夫です」
「えっ!? ちょっと! アカリさん!? 今日の主役のご登場ですよ!! 断るところではないですよ!?」
ドアを叩いて己の存在を主張するミサト。
ご近所迷惑になる前に、アカリがドアを開ける。
「……早かったわね」
約束の時間のきっちり五分前。
特段早いという訳ではないが、毎朝出社時間ギリギリを攻め続けている彼女にしては十分早い部類に入るだろう。
「出社の時もそうすれば良いのに……」
「まーくんと仕事が同列な訳ないじゃないですか」
「……ミサトが言うと、なんかイラっと来るわね」
「そんなッ!? 同じ想いを持つ者同士、分かり合えていると思っていたのに……」
確かに同じ想いではあるが、母である自分と同じ丈であろうとは傍ら痛し。
「それにしても……、何その恰好? いつもと違うんだけど……」
「人と会うのに身だしなみに気を遣うのは、女として最低限のマナーでしてよ」
彼女たちの会社では出社時の服装は自由。
普段のミサトは楽な格好――ストリート系のファッションで、大きめのパーカーを好んで着て来るのだが、今日は正反対とも言える、落ち着きある上品な大人の女性をアピールするようなコーディネートである。
そして、アカリが普段着そうなものをややカジュアルにしたコーディネートでもある。
アカリはファッションに疎いが、最近は少し気を遣うようにはなって来ている。
ママ友の中で浮かないようにするため、そして何より、愛する息子に良い格好を見せたいので。まぁそれでもPの協力は必須であるが。
「誰に会う気よ?」
「もちろん、まーくんに」
「……」
五歳児相手に見せる服装なんて考えるだけ無駄。動きやすくて汚れても良い服装が普通である。
だが残念ながらマコトは普通ではない。加えて戸塚母娘によって目が肥えてしまっている。
アカリもそれが普通で、マコトに服を見せては「どっちが良いと思う?」と聞くことがある。
ちなみにマコトはスカートよりもパンツルック、肌の露出も控えめなものを選ぶ傾向にある。
今日のミサトのコーディネートは、割とマコトの好みを押さえているような気がしなくもない。複雑な心境のアカリだった。
「……それよりアカリさん、中には入れてはもらえないのでしょうか? もしかしてまだ追い返そうとか思ってないです? まーくんと仲良くなれるまでは帰りませんわよ?」
御年二十八の女の意思は固い。
玄関先で同僚と世間話をしに来たわけでは無い。
「ほら、まーくんもアカリさんが戻って来なくて寂しがってるかも」
「早く入りなさい」
「お邪魔しますわ」
アカリの弱点がマコトであるのは、自明の理。
ミサトも強かな女なのである。
「最後にもう一つだけ……。さっきから気になってたんだけど、口調はそのまま行くの? 変よ?」
「……やっぱりそう思います?」
◇◇◇
ミサトはアカリに続いて短い廊下を歩く。
その先には会うのを待ち焦がれたお相手、まーくんことマコトがいる。
(第一印象が大事よ。ミサト、ここが一番の勝負所!!)
自分自身に発破をかけるミサト。
ミサトはマコトを一方的に知っているが、マコトはミサトを知らない。つまり初対面。その印象は最初の五秒で決まると言われている。第一印象は何としても外せない。
(時間ヨシ! 身だしなみヨシ! 姿勢ヨシ! 手洗いうがいヨシ! あとは挨拶!)
心の中で最終確認を行い、とうとうマコトたちがいるリビングダイニングへと足を踏み入れる。
まずは第一声。これは無難で良い。加点ではなく、失点をしないことが肝心。
上ずらないように、優し気な声のトーンになるよう、少し低めに。
「お邪魔しま……す」
語尾が詰まったのは、緊張していたからではない。興奮したからではない。
(これは想定していなかったざます……)
マコトは確かにそこにいた。
何度も写真や動画で見てきた人物がすぐ目の前にいる。
ただし正座。
ピンと背筋を伸ばした、お手本のような正座。武士の最期かというくらいに。
そして目隠しをされて。
お馬さんでお出迎えは流石に……と思ったマコトが、せめてちゃんと座ろうとした結果がこれだ。
お馬さんごっこのお馬さんがそのまま姿勢を起こし、それでも落とされまいとスズカがおんぶされている状態。人見知りの小さな淑女は警戒の色を見せながら、ミサトの一挙手一投足を視ていた。
対応に難しそうなマコトとスズカを視界の端で確認しながら、まずは家主に挨拶をするミサト。
いきなり子どもたちはハードルが高い。だが親と仲良さそうな雰囲気を見せれば、少しは警戒心も和らぐだろうと。
「お邪魔します、戸塚さん」
「……いらっしゃい」
歯切れの悪い返事のミツヒサ。理由はいくつかあるが、今それを問いつめることはお互いの利益にはならない。
「まぁ、ゆっくりしていってくれ」
「はい、ありがとうございます」
軽く微笑み上品さを意識した返事。
完全に猫を被ったその物腰に『誰だコイツは……』とミツヒサは内心思うが、今それを口にしてしまえば男が廃る。
「ミオ先輩、お久しぶりですー。会いたかったですー」
「やぁ後輩、おひさ~。会うのはいつ以来だろ?」
「会社辞められて、その年の忘年会で会って以来ですかね」
「じゃあもう五年近いかぁ。結構経ったね~」
「ミオ先輩は相変わらずお綺麗で……というか、ますます色っぽく……」
「そう? ありがと。まぁ夫が素敵だからね」
「……ほんと、戸塚さんは幸せ者ですねー」
少し責めるような口調で揶揄うミサト。
その理由を知っているミオは「私ももう戸塚さんだからねー」と笑う。
お昼寝を終えてミツヒサで遊び始めていたフウカとキョウカにも軽く挨拶をすると、いよいよ大本命へと向かう。
「こんにちは、お邪魔します」
「……こんにちは」
警戒しなくても良いんだよと伝えるように、膝をついて目線を合わせ、ミサトは優しく微笑みながらスズカに挨拶をする。
もちろん、スズカのことは知っている。
仕事始めに毎回マコトの動画を観ていれば、スズカが登場しないはずがない。
それにスズカの母ミオとは一緒に仕事をした同僚で、現在も連絡を取り合う関係は続いている。加えて父ミツヒサとは現在も同僚であるからして。
そしてこの二人がラブラブであることも知っている。
子猫のごとく二人がじゃれ合う動画を観ては悶え羨んだものだ。
アカリとしては、二人の間につけ入る隙は無いと伝えたくて見せたのだが、私もまーくんとじゃれ合いたいと俄然やる気になってしまった。
「すーちゃんすーちゃん、僕も挨拶しなきゃだから、そろそろ目をですね……」
スズカが挨拶をした、つまりミサトが自分たちの方を向いていると察したマコトは、常識的な礼儀正しさを発揮して挨拶をしようとする。
「む……」
マコトのお願いなら何でも聞きたいスズカ。しかしスズカの本能が危険を感知している。わがままを言えば手を離したくない。
どうすべきかと眉間に皺を寄せたスズカは、アカリを見て判断を委ねる。
「すーちゃん、そのままで良いよ~」
「ん」
「「え」」
大義名分を得たスズカは、引き続きマコトの視界をふさぎ続ける。
((どうしよう……))
アカリの続行の一声に、ミサトと、そしてマコトも悩みだす。
ミサトはマコトと仲良くしたい。
そしてマコトもまた、ミサトと仲良くなりたい。
敬愛する母が家に呼んで誕生日を祝う相手。つまり仲が良いということ。今後とも母と良い関係を維持していただくためにも、自分を気に入ってもらうのは有効な手段だ。
だから、とにかくまずは挨拶をしなければ、とマコトが口を開く。
「えっと、……初めまして、八代マコトです。いつもお母さんと仲良くしてくれて、ありがとうございます」
「こ、こちらこそ、いつもお母さまとは仲良くさせてもらってます……。あ、高梨ミサトです」
ペコリと頭を下げ合う両者。
が、そこからが続かない。
「……」
「……」
コミュニケーション能力は高い両者だが、会話を弾ませるには状況の難易度が高い――というより未知だった。
マコトは相手の表情を視ながら対応を考えるタイプだ。
見知った相手ならば、それこそスズカやアカリなら声色だけで判断できるが、初対面の相手に目隠し状態は流石に難しい。入って来る情報量も少なすぎて、ろくな推測もできない。
そしてミサトも、目隠しをされている初対面の五歳児相手になんと話しかければ良いのか分からずにいた。
マコトと会ったら何して遊ぼうかとシミュレートしてきたが、こんなケースはなかった。
(将を射んとする者はまず馬を射よ……ってことね)
マコトとの会話を諦めたミサトは作戦を変え、スズカへと話しかける。
「二人は今何して遊んでるの?」
「……あそびじゃない。まもってる」
「そうなの? お姉さんも協力できそう?」
「……それはむり」
「そっかー、それは残念……」
「…………」
「ところで、スズカちゃんはマコトくんのこと好きなんだって~? ママから聞いてるよ~」
「……ん、まーくんはだいすき」
「そうなんだ~。スズカちゃんは、まーくんのどんなところが好きなの~?」
「……ぜんぶ」
「全部か~。もうベタ惚れだね~」
「……ん」
スズカは人見知りだ。
と言っても、自分から話しかけられないだけで、聞かれれば受け答えはできる。信頼できる大人またはマコトが傍に居ればだが。
(まーくんの話だと食いつきが良さそうかな?)
そう考えたミサトは、みんな大好き恋バナへと話を持っていく。
「まーくんは、幼稚園の他の男の子とどんなとこが違うの~?」
「……まーくんといっしょにいると、ぽかぽかする」
「ぽかぽかするんだね~。幸せのぽかぽかかな?」
「ん! そう!」
「スズカちゃんは、まーくんとどんなことするのが好きなの?」
「~♪ ひみつ」
「え~、教えてよ~」
「ダメ。れでぃはお外でいちゃいちゃしないから」
「ダメなのか~」
「ん、ダメ」
残念ながらスズカの防御力は、本気の大人の女性の前では役に立たないようである。
そんなスズカにアカリとミツヒサは苦笑、そしてミオはニヤニヤと楽しんでいる。
「……いいなぁ、まーくん。こんなに可愛い子に好かれて。まーくんは幸せ者だね~」
「まーくんしあわせもの?」
「そうだね」
スズカがマコトに耳元で問うと、マコトが頷く。
「まーくんもスズカちゃんのこと好きなの?」
「もちろん」
「……む、ふ。すーもしあわせもの……」
マコトが即答したのが嬉しかったのか、スズカはマコトの首筋に顔をうずめる。
「二人は相思相愛なんだね~。ラブラブカップルだ~」
「ん♪ ラブラブ♪ …………む、ふぅ」
(これでも外れんかー!)
なおもマコトの目を覆い続けるスズカの手。その執念には脱帽するばかりである。
「じゃあもう結婚の約束もしてたり?」
「ん、してる。いいなずけ」
「そうなんだ~」
「ん♪」
ミサトの一歩踏み込んだ質問に、ついつい口が軽くなるスズカ。
(え、初耳なんだけど……)
そして許嫁であることを今知ったマコト。
ただアカリとミオの仲の良さを知っていれば、約束していても不思議はないと勝手に納得する。拒絶する意思もこれっぽっちもないので、今後は上手く話を合わせておこうと密かに考える。
「お姉さんも二人をお祝いしたいから、結婚式には呼んで欲しいな~」
「ん、よぶ!」
「やった~、ありがと~。約束ね~」
「ん、やくそく」
「じゃあ指切りする? やりかた分かる?」
「ん、しってる」
小指を差し出したミサトに応じるため、スズカも手を差し出す。
(おぉ……、久しぶりの陽の光……)
(おぉ……! 生まーくん!!)
そうして二人は出会った。
読んでいただきありがとうございます。




