#119 終わらない挨拶
遅くなり申し訳ございません。
もう少々、日曜参観にお付き合い願います。
今日は日曜参観。
生憎の空模様の下、毎朝見送るバスにまーくんたちと一緒に乗り込み陽ノ森幼稚園にやってきた。
バスから降りたまーくんとすーちゃんは相変わらずの仲睦まじさ。周りに見せつけるように相合傘をして腕を組み、そのまま園舎の中へと消えていく。
見慣れたその姿を見送ったミオと私は受付を済ませ、来賓カードを首に下げる。
「じゃ、早速観に行こっか」
「うん」
スリッパに履き替えた私たちは、年中組の教室を目指す。
写真選びは後回し。
まーくんが幼稚園で最も活躍するのは朝の自由時間だからね。
その雄姿を見逃す訳にはいかない。
「まーくんにバレないように気を付けなよ?」
ミオが悪い顔で私に言う。
「わかってるって」
私もミオのことを言えない顔かもしれない。
まーくんは警戒心が強いからね。
私たちが観ていると知れば、観られてもいい言動しかしないように注意するだろう。
それは私の求めるものじゃない。
今日のお母さんはね、まーくんの普段の様子が観たいの。
幼稚園での出来事は毎日お風呂で湯船に浸かりながら教えてくれるけど、全部が全部じゃないだろうし、まーくんのことだから内容も吟味しているはず。
この目でしっかりと観させてもらわなきゃね。
「でも他の親御さんもいるから……すでに猫被ってると思うんだよね……」
「まぁ、そうよね……」
まーくんに私たちの存在を意識させないように、ミオと今日の行動を打ち合わせるという一芝居も打った。
よく私たちの会話を盗み聞きしているまーくんには、朝の自由時間は写真を選びに行っていると伝わっているはずだ。
しかし廊下から教室を覗く親御さん方の存在を、まーくんが意識していないはずもない。
こういう時ばかりは我が子の賢さに手を焼かされる……
「――あ、アカリさん、ミオさん。おはようございます」
子どもたちのために一段一段がやや低く設定されている階段を上りきると、本当に仲良くさせてもらっているママ友のマユミさんがこちらに気付く。
「おはようございます」
「おはようございます、マユミさん」
シホちゃんとは違うクラスになっちゃったけど、後藤家との付き合いは今も続いている。
まーくんもすーちゃんが同じクラスだからよく顔を合わせているようだし、ナナミさんのお宅に遊びに行かせてもらったらよく居るからね。
それにマユミさんは、まーくんの代のママ友ネットワークの中心的存在。
一緒にいれば何かと情報は貰えるし、煩わしいマウント取りも優位に立てるもの。
……ママ友界の闇を甘く見てはいけない。
笑顔で挨拶をしながら、その裏で何を考えているかわからないもの。
ミオの妊娠中にそんな世界に身を置いていたミツヒサさんは、もうこりごりだと避けているくらい。でもその代わり、同じ境遇のパパ友はできたようで。
「じゃ、私たちはひつじ組観てるね」
「うん、また後で」
娘たちを探すため、ミオとマユミさんはひつじ組の様子を覗きに行く。
別れて一人になった私も息子がいるうさぎ組へ。
(あ、いた……)
親御さん方の隙間から教室を覗き、子どもたちが群がる中心を探せばすぐに見つかった。
うさぎ組でもまーくんの人気っぷりは相変わらずみたい。
去年同じクラスだった子がたった四人だけだと聞いて心配……したこともなくはないけど、今年も沢山のお友達に囲まれているのを見て、安心からか笑みがこぼれる。
「アカリさん。おはようございます」
「あっ、おはようございます。ナナミさん」
猫を被っているようで被り切れていないまーくんをこっそり見ていると、ナナミさんから挨拶をされる。子どもたちや周りに気を使って、声のボリュームは絞って。
「マコトくん、相変わらず人気者ですねぇ」
「そうみたいですね。ユウマくんも、特に女の子からモテモテじゃないですか」
「うーん……あれは……。幼稚園が楽しくて仕方ないのは分かるんだけど、ちょっと将来が心配になってくるのよねぇ……。そこもマコトくんを見習ってほしいのだけど……」
クラスメイトの女の子に満面の笑みで好き好き言い、何股もかけている状態の我が子の姿に、ナナミさんは頬に手を当てて困ったように言う。
まーくんはなんだかんだで身持ちが堅い。
ミオから耳に胼胝ができるくらいに言い聞かされてるから。
『女の子に簡単に”好き”って言っちゃダメだよ?』って。『ただしすーちゃんには言わなきゃダメだよ?』とも。
それでもバレンタインでは伝説を作っちゃうあたり、世の中上手くいかないものなんだけど……
「まぁ……、まだ小さいですから……」
女の子に腕を引っ張られているユウマくんを観ながら、ナナミさんと私は苦笑いをする。
ユウマくんはお転婆な女の子から大人気。反してまーくんは……積極性に乏しい女の子から人気があるみたいかな。
そうして我が子たちが何して遊ぼうかと相談している様子を見ていると、再び声をかけられる。
「ナナミさん、アカリさん」
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
「いつもお世話になってます」
「いえ、こちらこそ……」
こちらの女性は守橋麻里さん。虎太郎くんのお母さん。
今年も同じクラスということで、吉倉家経由でよくお会いするご家族だ。
「でも、マコトくんと同じクラスで幸運でした……」
「本当ですね。たった四人ですもん」
「セイコ先生もどうするべきかだいぶ悩んでいたみたいですよ? みんなマコトくん大好きですから……」
「噂では、マコトくん一人にして全員離す、なんて案もあったみたいですよ?」
「そうなんですか!?」
「えぇ、マコトくんと同じクラスと違うクラスになった子が不公平だからって。でも流石にマコトくんが可哀想だから、今のクラスに落ち着いた……みたいな話も」
「へぇ……」
どこからそんな噂を仕入れてくるのか分からないけどそれが世間話。
嘘か本当かわからなくてもネタになるなら広まるのが世間話。
「やっぱり不満……クレームとかあったりしたんですかね?」
「うーん、その話は聞いたことないですね……」
「そうなんですか?」
「えぇ。まぁ、マコトくんと一番仲の良いスズカちゃんが違うクラスですからね……」
「あ、なるほど……」
クレームも入れにくいよね。
たぶんすーちゃん以上に不満がある子はいないだろうし……
そうしてクラス編成の裏側に話が盛り上がり、ちょうど落ちがついたところで――
「あの、マコトくんのお母さまですか?」
「あっ、はい、そうです。マコトの母です」
「いつも娘がお世話になってます。江本美星の母です」
「あっ、ミホシちゃんの……。こちらこそお世話になっております」
まーくんとの話から何度か出てきた女の子の親御さんから、わざわざご丁寧に挨拶をされる。
周りを見ると、こちらを伺うお母さま方が何人も……
……ちょっと怖い。
「北条と申します。娘のヒメノが、そちらのマコトくんと仲良くさせてもらっているそうで」
「いえ、こちらこそ……」
「黒沢です。うちのヒロマサもマコトくんと遊ぶようになってから、だいぶ変わって……ほんとうに……」
「そう、なんですね……」
「ひつじ組のユヅキの母です。スズカちゃんとマコトくんとはよく一緒に遊んでいるそうで……」
「いえ、こちらこそ……」
「うちの昂輝がお世話になってます。マコトくんが物知りだって……。何か習い事されてたりしますか? 小学校のお受験とか……」
「い、いえ、特には……」
エモトさんが皮切りだったのか、初めましてのお母さまが入れ替わり私に挨拶にくる。
しかもうさぎ組だけでなく、他のクラスの親御さんからも……
まーくんの交友関係はどこまで……
皆さん好意的に接してくれてはいるけれど、ここまで多いと流石に大変。
ちなみに事情を知る元ばら組の親御さん方はこうなる事が分かっており、マユミさんの根回しのお陰もあって会釈程度で済ませてくれる。
(まーくんを観たいのに……)
そう内心愚痴りながら、銀行員時代に培った忍耐力と作り笑顔がここで生きてくるのであった。
読んでいただきありがとうございます。




