#009 母の想い
母になる。
その責任が私に重くのしかかっていた。
この子を育てることが私にできるのだろうか。
この子を守っていくことが私にできるだろうか。
真面目が取柄だった私は、先のことを考えて不安になるばかりで、前に進めなくなっていた。
私は八代朱里。
誰もが知る私立大を出て、大手の銀行で働いている。
新人の頃は慣れない業務に四苦八苦し、朝から晩まで仕事一色だった。
だけど、3年も経てば相変わらず大変ではあるけど、ある程度仕事に慣れてきた。
そんな中、子を授かった。
この子の父親は大学時代からお付き合いしていた笹畑康太。
付き合って6年目だった。
これを機に結婚をしようと約束した。プロポーズも受けた。
だけどコウタはある日突然姿を消した。
電話をかけても音信不通。彼の会社に問い合わせても辞めたと言われた。
コウタの実家の連絡先も知らず、彼とのつながりがすべてなくなった。
私は途方に暮れた。
逃げられたのだ。コウタに。
思えば、結婚について具体的な話をしようとすれば、仕事が忙しいからとはぐらかされたり、私が何か決めようと相談すると決まって否定的な意見を出してきていた。
子供のこと、責任を負うこと、将来のこと。
会話をすればするほど、コウタの表情は影を落とし、最後は決まって疲れ果てたような顔をしていた。
私はどうしようか悩んだ。
コウタはもう頼れない。私の中で、彼に対する信用というものはなくなっていた。
きっと戻ってきてくれたとしても、もうあの頃と同じように接することはできない。
協力して家庭を築いていくことは考えられなかった。
だから両親に相談した。
子を授かったこと。
夫となるはずだったコウタとは結婚できそうにないこと。
そして、できることなら産んで育てたいこと。
私一人の手に負える問題ではなかったから。
そして、案の定反対された。
おろせ、と。
結婚もしない女が、子どもを産むべきではないと。
厳格な両親だったけど孫ができるならと、私は少しは期待したのかもしれない。
でも父にも母にも取り付く島もなく反対されてしまった。
ただただ悔しくて悲しくて不安だった。
そんな時に助けてくれたのが、小学校からの幼馴染で百瀬美緒。
今は以前の職場の上司と結婚して戸塚姓になった私の親友。
私がこの子を産もうと決意したきっかけはミオだった。
彼女は私より少し早く子を授かっていて、そして私も子を授かったことを報告したら喜んでくれた。
子どもたちも幼馴染だねと喜び、一緒に頑張って育てようね、もし男の子と女の子だったら結婚させようねと約束した。
だから最後にミオに相談した。
すでにミオのお腹はかなり膨らんでおり、大変な時期にだろうからあまり迷惑を掛けたくなかったけど――
「もう、アカリはすぐに抱え込むんだから……。もっと頼ってよ。親友でしょ?」
その何気ない言葉は、他に頼れそうな人も居らず、途方に暮れていた私にはとてもありがたかった。
ミオは真剣に相談に乗ってくれた。
少しだけ母になる先輩だったミオは、自分の経験を踏まえながら、私をサポートしてくれた。
通う病院だったり、妊婦として気を付けるべき事だったり。
そのためにもミオが住んでいるアパートの隣の部屋に引っ越したりもした。
もちろん私もミオのサポートをした。
ミオの旦那さんだけではフォローしきれないこともあったから。
大きなミオのお腹を撫でながらそこに確かに命を感じ、私も母になる自覚が芽生えてきた。
そしてすぐミオの子が産まれた。
名前は鈴華ちゃん。女の子だった。
私も出産に立ち会い、生まれたばかりのスズカちゃんを抱き上げた。
可愛かった。
それから産後のミオのフォローや、スズカちゃん――すーちゃんのお世話をしていると、あっという間に私の番になった。
そして産まれた。
男の子だ。私はその子を誠と名付けた。
産まれたばかりのマコトを抱いた時は、言葉では言い表せない幸福感を感じた。
この子を私が育てていく。
この子を私が守っていく。
私は泣く我が子を胸に抱き、そう決意した。
――が、
マコトは不思議な子だった。
あまり泣かない。ごはんやトイレも声を上げるだけで泣かない。
手のかからない子だった。
気が付いたらハイハイをしており、立ち上がり、走っていた。
もちろん初立ち記念の写真は撮り損ねた。
懸念していた勝手にどこかに行くようなこともなく、安心して見ていられた。
言葉を覚えるのも早かった。
初めて「ママ」と呼ばれたときは思わず涙が出た。でもある程度活舌が良くなると「おかーさん」に変わってしまった。ちょっと残念。
私が言ったことを理解するのも早く、会話も舌足らずだけど成立している。教えた覚えはないのだけど……。
女手一つで育てる身である私からするとありがたいけど、同時に非常に心配になった。
だけど、病院の先生にも相談しても、特に健康にも成長にも問題はないという事だった。
ミオが「中身は大人だったり?」と冗談めかして言うくらいに非常に賢い。
すーちゃんと一緒にいても、喧嘩するどころかところどころフォローするような動きをして、すでに懐かれている。ラブラブだ。ちょっと嫉妬しちゃう。
そして教育みたいなこともしてる。そのおかげか、すーちゃんも同世代にくらべて非常に賢く育っているっぽい。
病院の先生からは理にかなっていると褒められてる。鼻が高いけど私たちの立場……。
終いには、働きに出てマコトとの時間を作れない私を責めるどころか気遣ってくれる始末。
「おかーさん、きょーもおつかれさま!」
「もぅ、まーくんったら。ありがとね」
「うん」
「ごめんね? まーくんと一緒に居られる時間が少なくて……」
「うぅん、だいじょーぶ。おかーさんがボクのためにがんばってるの、しってるもん」
「まーくん……」
もうね、私より大人な気がしてきた。ミオの説が否定できない。そして可愛い。
私は子に恵まれている。
父親が居なくて、私も一緒にいられる時間が少なくて、申し訳ない気持ちが大きい。
だけど、それをマコトは理解し、受け入れてくれている。もしかすると、私の一方的な願望が入っているのかもしれないけど。
マコトも寂しがっていないわけじゃない。私といる時間は会えない分甘えてくるから。
だから私はマコトに人生を尽くすつもりだ。
私にできることを精一杯頑張ろう。
誇らしく愛おしいマコトのために。
ただ一つ心配なのが、マコトの雰囲気。
くたびれた感じというか、目がすでに死んでいるというか。
私やミオ、すーちゃんには笑顔を見せてくれるんだけど、基本的に無表情。
マコトにとって私たちが特別なんだという優越感もあるけど、親としてはもうちょっと表情豊かに育ってほしかったりする。
私は母になった。
母になる前の不安がなくなったわけじゃない。
だけど、もう私は前に進める。
親友とその娘、息子が居てくれる。
マコトたちの笑顔を見るために、頑張ろうと思える。
マコトたちとならどんなことでも乗り越えられる気がする。
なによりマコトの未来を見守っていきたい。
私はもうマコトに依存してるみたい。
私はマコトの母になれて幸せです。
マコト、産まれてきてくれてありがとう。
読んでいただきありがとうございます。
次回⇒#010「入園前に駄々をこねるのは」 2020/10/17 18:00更新予定
幼稚園編が始まる予定です。
改稿履歴
2020/10/18 11:05 ミオの専業主婦設定への変更に伴う修正
2021/03/23 12:58 マコトの父の名前を修正




