scene:29 ホブゴブリン
俺とエレナが保育園に戻った時、庭で武藤と土井園長が話をしていた。
「コジロー、大変だ。加藤先生が大怪我をした」
「どうして?」
武藤が顔に怒りを浮かべた。その顔を見て、加藤が事故か何かで怪我したのではないのだと察した。
「東下町の奴らに、暴行されたんだ」
「それで、治療は?」
「大丈夫だ。コジローからもらったポーションを飲ませて寝かせたから」
「しかし、何で東下町の奴らが?」
「医院にある薬剤を奪い取って行ったようだ」
「な……そいつら強盗じゃないか」
俺とエレナは加藤病院へ向かった。加藤の容体を確かめるためである。先生が寝ている病室に入ると、ベッドの上で半身を起こしていた。
「先生、もう大丈夫なんですか?」
「ああ、コジロー君のポーションで助かったよ」
「東下町の奴らが薬剤を奪ったそうですね。相手の名前は分かりますか?」
俺が尋ねると、加藤が頷いた。
「御手洗煬帝だ。奴と仲間の探索者が心臓病の薬を奪うために来たんだ」
「心臓病……東下町の誰かが、心臓に問題を抱えているのか。それにしても、奪っていくなんて……」
エレナが何かを思い出して質問した。
「ここに、心臓の薬があったんですか? 以前にないと言っていませんでした」
「心臓の薬はなかった。奴らは御手洗病院へ探しに行ったようだ」
俺とエレナは顔を見合わせた。探索者なら農協ビルの隣りにある病院へ行くことが危険だと知っているはずだ。そのリスクを犯しても薬が必要だということは、心臓病の患者は重要人物なのかもしれない。
俺は疑問に思っていたことを加藤に尋ねた。
「先生、ポーションがあれば、薬なんて必要ないんじゃ?」
加藤が笑って否定した。
「ポーションの種類は、細胞活性・解毒・免疫強化だ。だが、その三つですべての怪我や病気が治るわけじゃない。例えば一型糖尿病、この病気にはインスリンが必要だ。それをポーションで代用することはできない」
俺は鉄鋼関係を勉強し、レベルアップすることで『真層構造(鉄合金)』の知識スキルを手に入れたことを伝えた。
「すると、薬の知識スキルを手に入れれば、その薬を『心臓石加工術』で作れるということか。だが、問題はスキルポイントだな。私が大量のスキルポイントを手に入れられるとは思えない」
どういう薬を作れるようになるか選択する必要がある、と加藤が言った。
「そうなると、煬帝たちが奪っていった薬は、貴重だということになりますね。取り返さないと病院を続けられないんじゃないですか?」
加藤が暗い顔で肩を落とした。俺は許せないと思った。それが顔に出たのだろう。
「煬帝たちから薬を奪い返そうとか、しないでくれ。いつかはなくなるものだったんだ」
「ええ、分かりました。でも、煬帝たちがどうやって御手洗病院に入るつもりだったのかは、気になります」
「農協ビルのゴブリンたちに気づかれずに、病院に入ると言っていたから、正面以外から入ると思うんだが」
俺は病院に入る方法があるなら知りたいと思った。病院には薬剤の他にも利用価値の高い資材が大量にありそうだからだ。
加藤が大丈夫そうなので、俺とエレナは保育園に戻った。遊戯室では、土井園長が子供たちに絵本を読んでいた。
「あっ、エレナ先生」
メイカがトコトコと走りより、エレナの足に抱きついた。最近、エレナが俺と一緒に探索をしているので、寂しい思いをしているようだ。
エレナはメイカを抱き上げ土井園長の傍に寄る。
「加藤先生の容体はどうでした?」
「回復したようです。少し話をしてきました」
「そう、良かったわ」
俺のところにもコレチカが来て、身体によじ登ろうとする。何をしたいのか分からないが、抱き上げて声をかける。
「今日は何をしたんだ?」
「あのね。吉野さんちのビニールハウスで種を植えた」
キャベツの種をポットに蒔いたらしい。キャベツは米と一緒でポットや箱の中で苗になるまで育てた後に、畑に植え替えるのだ。
俺はホッとするような時間を過ごし、子供たちが寝た後にエレナと相談した。
「明日、病院に行ってみようと思う」
「危険ですよ」
「でも、安全に病院に入れる経路があるなら、知りたいじゃないか」
「どうやって調べるんです?」
「黒井さんに手伝ってもらおうと思う。煬帝たちの匂いを追跡してみるつもりだ」
翌朝、俺は黒井に協力を求めた。黒井は武藤に相談してから、俺たちと一緒に病院へ行くことになった。
小鬼区へ出た俺たちは、農協ビルの方角へ向かう。近付くにつれてゴブリンと遭遇することが多くなる。ゴブリンのほとんどは、エレナが弓で仕留めた。
黒井は煬帝たちの匂いを正確に追えるらしい。時間は経っているが、匂いの痕跡が残っているという。煬帝たちは病院に近付いた後、病院の入り口に面した通りの反対側にあるビルに入ったようだ。
「あいつら、このビルに入ったみたいだ」
黒井の報告に、エレナが腑に落ちないという顔をする。俺にも分からなかった。
「なぜ、このビルに? どうするつもりなのかしら」
ビルに入り煬帝たちの匂いを追う。階段で屋上に向かったらしい。俺たちも上に進み、屋上へ出るドアを開けた。煬帝たちの姿はなかった。
黒井が病院の建物に視線を向けた。
「あれだよ」
屋上のフェンスにロープが繋がれていた。そのロープは病院の屋上に伸びている。
「あいつら、ロープを使って病院へ入ったのか。スパイ映画みたいだな」
俺は感心したように言った。
「綱渡りで向こうまで……私、無理です」
エレナが青い顔をしている。高所恐怖症ではないが、高いところは得意ではないらしい。普通はそうだろう。黒井も苦い顔をしている。
「俺が向こうに渡って調べてくる。何かあったら二人は逃げてくれ。俺も全力で逃げるから」
何かというのは、隣の農協ビルから守護者が出てきた場合だ。遠くからでも気配が分かるような奴とは、戦いを避けるべきだと俺も思っている。
だって、本気で怖いんだ。ステータスの超感覚が【26】になったからなのか、『気配察知』を使わずとも農協ビルから放たれる気配が、台風の強風のように感じられる。
俺は空を見上げながらロープを渡り始めた。さすがに怖い。渡り終えて病院の屋上に降り立った俺は、気配を探った。
「近くに煬帝たちは、居ないようだな」
俺は階段に向かう。ロックが壊されたドアを開け、階段を下へと進む。この病院の薬剤倉庫は地下一階である。俺は五階から四階へと下りた。
病院の中には、ゴブリンが居るようだ。あちこちで騒がしい音がしている。俺は戦棍を握りしめ病院の通路に視線を向けた。
その時、病室から一匹のゴブリンが出てきた。俺とゴブリンの目が合うと、ゴブリンが嬉しそうに笑い声を上げて駆け寄ってきた。
「ふん!」
戦棍がゴブリンに向かって振り下ろされた。ゴキッという音と同時に鋼鉄製の先端がゴブリンの頭に減り込み、魔物は形を失って心臓石だけが残った。
俺が一階まで下りた時、何かを叩く音が聞こえ嫌な予感を覚えた。
「誰か、助けてくれ!」
助けを呼ぶ男の声。男を無視して下に行くという選択肢もある。心の中で葛藤が起きた。こんな世の中なので、助けに行く義務も責任もない。
とはいえ、心情的に無視するのは抵抗がある。俺は確認だけしようと声の方へ向かった。声が聞こえたのは、待合室だ。
待合室の奥に診察室があり、そこのドアの前に見たことがない魔物が居た。体長は二メートルほどで、頭に二本の角がある。
ホブゴブリンと呼ばれる魔物だった。ゴブリンという名前が付いているが、小柄な魔物であるゴブリンとは別物だ。皮膚は黒に近い緑でボディビルダーのように筋肉が盛り上がっている。
手には棍棒を持っていた。醜悪な顔には、人間への憎しみのようなものがある。
醜悪な魔物は声が聞こえた診察室のドアを、その棍棒で叩いていた。
「誰か……助けてくれたら、金、いや医薬品をくれてやるぞ」
医薬品という言葉で、俺の気が変わった。
腰に付けているポーチから投げナイフを取り出した。ホブゴブリンの背中を狙ってスローイング。ナイフが空中で半回転して、ホブゴブリンの背中に突き立った。
ホブゴブリンは床に倒れ動かなくなる。その音を診察室の男が聞いたようだ。
「何が起きた?」
「助けに来た。ホブゴブリンは倒れたぞ」
男がドアに開いた穴から外を見て、ホブゴブリンが倒れているのを確認した。
「あははは……本当だ。助かった」
待合室に出てきた男は、煬帝の腰巾着である久坂だった。この数ヶ月で荒んだ顔に変貌している。
「お前、何か見覚えがあるな」
「志木島の研修で、クルーザーで働いていた摩紀だ」
「煬帝さんから聞いてるよ。生き残って戻れたんだってな」
俺は肩を竦め、「くれる」と言った医薬品を要求した。
「馬鹿を言うな。こいつは市長の命令で集めているもんだ。お前なんかに渡せるか」
「約束を破るのか?」
「そんな約束した覚えはねえ。何かの聞き間違いだろう」
それを聞いた俺は、ムッとした顔をする。こいつは、嘘だと言われて、そうなんだと俺が納得すると思っているのだろうか? 加藤医院から強盗同然に薬を奪って行ったのを忘れたのか。 そんなことを考えながら、俺は何か違和感を感じていた。
同時に、助けるんじゃなかったと後悔する。その時、ホブゴブリンの背中に突き立っていた投げナイフが、分厚い筋肉で押し出され、床にコトッと落ちた。
俺は無言で飛び離れる。直後、ホブゴブリンが素早く立ち上がって、久坂目掛けて棍棒を振った。棍棒は久坂の肋骨を砕いた。




