scene:100 食料エリアのヤシロ
大臣たちが仮首都に戻った後、俺たちはカメラ付きのドローンを手に入れた。それを食料エリアに持ち込んで、ストーンサークル付近の詳しい地形を調査した。
ストーンサークルの南西に大きな川がある。俺たちは、この川を『九里川』と名付けた。九里川は大きく蛇行している川で、大きな『コ』の字を描いている部分があった。
『コ』の字の内部は耶蘇市がすっぽり入るほどの広さがあり、俺たちはここに目を付けた。ここに町を建設しようと考えたのである。ここを選んだ要因の一つは、棲み着いている奇獣が甲冑豚しかいなかったことにある。
「まずは、どこから手を付けるかね」
美咲が町の建設予定地を見回して言った。俺たちの目前には森が広がっている。ヒノキや樫に似た木が多いようだ。
「最初に、町の建設場所に生えている木を伐採する必要があると思う」
「そうね。でも、乾燥させなきゃならないから、一年くらいは使えないんじゃないの?」
「そうだけど、整地して家を建設できるようになるまでにも、時間がかかるからな」
河井が首を傾げた。
「でも、建設に従事する人たちの家は、どうするんだ?」
「藁と土で作ればいいよ。材木は必要最低限のものを耶蘇市から持ち込めばいい」
「冗談はよせ、三匹の子豚じゃないんだぞ。藁と土はないだろう」
美咲が笑った。
「冗談じゃないのよ。西京町に藁と土、最小限の材木で作られた家があったのよ。ストローベイルハウスというらしいの」
「マジか?」
河井が俺に視線を向けて確認した。
「マジだよ。日本は地震の国だから、材木で補強する必要があったけど、食料エリアは地震がなさそうじゃないか。材木は最小限で建てられるんじゃないか」
俺たちが食料エリアに来るようになってから、一度も地震を感じたことがない。食料エリアには地震が存在しないか、極めて少ないのだと思う。
河井は納得しなかった。
「材木が足りないのなら、耶蘇市から持ち込めばいいじゃないか」
「持ち込むけど、耶蘇市にだって、それほど大量の材木が余っているわけじゃない」
「そうか。なら、藁と土の家を試しに作ってみるか。佐久間さんに手伝ってもらおう」
俺たちは町の建設予定地を『ヤシロ』と名付けた。
川の近くの森で良さそうな場所を選んで木を伐採した。『操闇術』の【影刃】を使って木を切り倒したので一瞬だ。
俺は三千坪ほどの土地の木を伐採した。枝を切り取り丸太にして積み重ねる。切り株は、河井の『操地術』で土を掘り起こして排除する。
耶蘇市から重機を運んできて整地。これには土建会社で働いていた市民に手伝ってもらった。大勢の市民が食料エリアを訪れて、ここに町を建設するという俺たちの計画に賛同する者が多くなった。
耶蘇市での新しい農地開発は、行き詰まっていたのだ。全く作物が取れないというわけではない。収穫はあるのだが、思ったほど作物の成長がよくないのだ。
今年の収穫も期待できない。市民の間に絶望感が漂い始めていた。そこに俺たちが計画する食料エリアに町を建設するという話が広まり、希望を見出したのである。
保育園で佐久間と話していると、農家の吉野がやって来た。
「吉野さん、どうかしたんですか?」
「コジローたちが、食料エリアに町を造ると聞いて、私も食料エリアへ引っ越そうかと考えているんだ」
「ここには、吉野さんの水田や畑があるのに、どうしてです?」
吉野は暗い表情を浮かべた。
「思ったように、作物が育たない。少し不安になっているんだよ。それに食料エリアは、作物の成長が早いというじゃないか」
「ええ、日本政府が試しに野菜の種や果物の苗木を植えてみたそうです。かなり成長が良かったと聞いてます」
俺たちが食料エリアに町を造るつもりだと車田大臣に告げた時、大臣から聞いたことだ。
吉野は河井から少し話を聞いたらしい。
「なぜ、作物の栽培が上手くいかないんだと思います?」
「分からない。空気中に存在する毒が関係しているのかと思ったが、あれは人間にしか効果がないと聞いている」
そうなのだ。異獣が発している毒は、人間にしか効かない毒だという話である。どの生物にも有効な毒なら、昆虫などが死に絶えて生態系が滅茶苦茶になっていただろう。
「まさか、作物にも影響するというんじゃ?」
「それは、私にも分からない。だが、何かおかしいと感じるのだ」
試しの城に居たレビウスが言っていた地球人滅亡と関係しているのだろうか? 俺たちにしてみれば、農業の専門家が、食料エリアの町に来てくれるというのは歓迎である。
佐久間が俺に目を向けた。
「シフト対策はどうするんだ?」
「東上町と東下町に隣接するテリトリーの制御石は、破壊するつもりです」
「必要が有るのか?」
佐久間は必要だと思っていないようだ。
「強力な異獣のテリトリーが、砦の周りにシフトして来たら、守れる?」
「そうか、無理だな。いつ制御石を破壊する?」
「シフトの日が近付いてからですね。少しでも安全な期間を長くしたい」
吉野が食料エリアの状況について尋ねた。
「食料エリアの一部を整地して、家を建てられる場所を確保したところです。そこに家を建てて拠点にするつもりです」
「近くに作物を育てられるような土地はないのかね?」
「もう食料エリアで、農業を始める気ですか?」
「早い方がいいと思う」
吉野は予感のような危機感を感じているようだ。
佐久間が美咲に質問した。
「町造りだが、東上町だけで行うのか?」
「いえ、耶蘇市の全員の力を借りて行うつもりよ」
「県か、日本政府に任せた方がいいんじゃないか?」
「県や日本政府にも食料エリアを開発するように進言します。ですけど、耶蘇市も全力で食料エリアの開発を進めないとダメだと思うのです」
「なぜかね?」
「県や日本政府だけが開発を進めた場合、当然ですけど、政府の役人や政治家の家族が優先されると思います。耶蘇市の市民が食料エリアに移れるのは、いつになるか分からない」
もう昔のように、マスコミや国民が政府を監視しているわけではない。新聞やテレビ、ネットがないので、政府が食料エリアの開発を行っていても、発表するメディアが存在しない。国民全員に知らせる方法がないのだ。
国民を平等に扱っているという建前は、希薄なものになっている。
「政府を信用できないというのかね?」
「丸々信用するほど、馬鹿じゃないということです」
佐久間が納得して頷いた。
「それじゃあ、ストローベイルハウスを五軒ほど建て、実験農場みたいなものを造るかな」
俺が提案すると、皆が承諾する。
藁は食料エリアの草原から集めて箱型に梱包して使う。土は近くに粘土質の土を発見していたので、それを使うことにした。
竜崎たちの協力も得て、俺たちは食料エリアに五軒のストローベイルハウスと実験農場を造った。ストローベイルハウスは八人が暮らせるだけの広さがあるもので、俺たちは五軒の中の一軒を使うことにした。
俺たちは食料エリアに泊まり込んで開発に従事することが多くなった。
同時に耶蘇市に紅雷石の研究開発センター建設と電気推進船の建造ドック建設も始まる。日本政府は約束を守ったのだ。
紅雷石の研究は進んでいるらしい。五〇アンペアの電流を一ヶ月ほど供給する小型発電装置の設計が終わっており、試作の段階に進んだという。
日本政府は紅雷石の埋蔵量がどれほどか知りたいようだったが、俺たちにも分からない。埋蔵量を調べる方法があるのだろうか? 専門家なら調べられるのか?
俺たちは食料エリアに建てたストローベイルハウスの電力源として、五個の小型発電装置を要求した。その代金は紅雷石を掘り出して渡した。この装置は紅雷石が消費されても、また補充すれば使えるらしい。
紅雷石の埋蔵量が膨大なものなら、日本国民は電力に不自由しなくなるだろう。
だが、まだ埋蔵量は分からない。政府は慎重に研究と開発を進めるつもりらしい。
実験農場では、吉野が中心になって試験的な小麦の栽培が始まっていた。
「吉野さん、小麦はどうですか?」
俺が尋ねると、吉野が小麦畑を指差した。
「耶蘇市なんかより、ずっと順調に育っているよ。収穫が楽しみだ」
久しぶりに喜んでいる吉野の顔を見た。
「ここで稲作も可能ですか?」
「川から水を引き込めば、大丈夫だと思う」
吉野の話によると、ヤシロの半分を農地にすれば五十万人ほどの人間を養えるだろうという。十分に将来を託せる土地だった。




