響く警鐘
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
「いらっしゃいませ~! 空いているお席へどうぞ~!」
夕方から夜に掛けて、街の飲食店は忙しい時間帯へ突入したばかりだった。
それは、最近新しく始めたハンナの店も例外ではない。
宿場町で営業していた時とは違い、聖職者の多いトーラストでは酒の提供は少なくなったが、ハンナの作った料理が評判が良く客も多く通っている。
「美味しかった、また来るよ」
「ありがとうございましたー! ………………ふぅ」
そんなに大きくない店とはいえ昼夜の時間は忙しい。
そろそろ、アリッサが帰ってきてくれるとは思うのだけど…………
ハンナの娘のアリッサが連盟に通い始めたので、その分の人を雇い始めたが仕事に慣れるまでには時間も掛かり、赤の他人に対しての遠慮もある。
……商売繁盛は嬉しいけど、なかなか疲れるわね。
ふと、宿場町時代のアリッサとルーシャが手伝ってくれていた時を思い出す。しかしハンナは小さく首を振る。
時間は動いていて、もうあの頃のようにはいかないわ。アリッサもルーちゃんも、今は自分の仕事に手一杯なのだから。
ハンナが帰る客の勘定を終えて見送った時、不意に外からカンカンカンカン! と、けたたましい鐘の音が聞こえてきた。
「………………?」
時刻を報せる鐘とは違い、その音は火事などを報せる警鐘であると判った。遠くから聞こえるため、まだここまでは事件は届いてないように思える。
「…………何かしら? 火事?」
他の客と共に外から身を乗り出して空を見上げるが、それらしい赤い炎の気配がない。
首を傾げていると、近所の肉屋を営む親父がハンナの店へ慌てて駆け込んできた。
「おい! 客はすぐに勘定して帰れ! 街に悪魔が入り込んだみたいだぞ!!」
「何だって? 【聖職者連盟】支部まであるトーラストに限ってそんなはずないだろ」
肉屋の親父の言葉に、客の中年男が鼻で笑う。他の客の反応も、たちの悪い冗談を聞いたようなひきつった笑顔だ。
無理もない。このトーラストの街は今まで、警鐘まで鳴らすような害になる悪魔など侵入したことがない。
【聖職者連盟】が施した結界に加えて、国家公認の『悪魔領主』であるラナロアの結界が二重に張り巡らされているのだから。
入ってきたとしても、小動物くらいの無害な小悪魔だろう。
「嘘じゃねぇ!! 今、連盟が警鐘を鳴らしていただろ!!」
しかし、普段は豪快で人柄も良い肉屋の親父が、血相を変えて必死に訴えてくることに、ハンナや客たちもだんだん不安が押し寄せてきた。
「ね……念のため、俺も帰ろうかな?」
「そうよね……ハンナさん、お勘定お願い……」
「あ……残ったの、包んでもらえるか?」
「え、えぇ。皆さん……気をつけて……」
皆、会計を済ませて足早に店を出ていく。
ハンナは他の従業員に後片付けをせずに、すぐに帰るように言いつけた。
「どうする、すぐに避難できるかい?」
「あ……いえ、私はこの店に残ります。厳重に戸は閉めておきますから大丈夫よ」
アリッサが帰宅した時や、誰か避難してきた時のために店に残るのを決めた。宿場町でも悪魔が町に入り込むことはたまにあったので、そのための備えはしているつもりだ。
「これ、少しだけど連盟から配られた聖水だ。ハンナさんも気をつけてくれよ」
「ありがとう。あなたも気をつけて」
肉屋の親父から聖水の小瓶を受け取り、ハンナは扉を閉めて大きな板を取手に引っ掛けた。
「……二階から通りの様子を見ておこうかしら」
すぐに対応できるよう、二階の窓を開けて外を眺める。ここからは連盟の時計塔がよく見えるのだ。
「………………あ」
通りには特に何もなかったが、時計塔の周りが薄く光っている。肉眼でも確認できるそれがハンナには結界だと判った。
「アリッサ……連盟にいるなら大丈夫よね?」
この店は自分が守らなければならない。
娘がまだ連盟の建物にいることを祈り、ハンナは店のキッチンに身を潜めて、パン生地を伸ばすための麺棒を握り締めた。
…………………………
………………
町に警鐘が鳴り響くほんの三十分前。
「「ギャアアアアアアアア~~ッ!!」」
二人の男女が連盟の一階にある、役所部分の事務室へ駆け込んできた。
「た、助けてっ!!」
「動いてる!! 動いてる~~っっっ!!」
「落ち着いて、どうしたの!?」
顔面蒼白で飛び込んできた研究員二人の様子に、帰り仕度をしていた中年女性職員と他の数名の事務員は困惑するしかない。
「早く……早く『退治課』に報せて!」
「旧礼拝堂に、あ……悪魔が! 人形の悪魔が大量に入り込んでますっ!!」
「なんですって? それは本当なの?」
にわかには信じられない話だと思ったが、この二人の慌てようは嘘を言っているとは思えなかった。
「わかったわ! 今、連絡を……」
ガサガサガサガサ…………
中年女性の職員が通話石を手にした時、裏庭に通じる廊下から何かが床を擦る音が連続で聞こえてくる。
「ああっ!! まずい……ついてきたんだ!!」
「えっ……!?」
ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサ………………………………………………………………………………カタ。
音が事務室の扉のところで止まった。
扉は閉まっている。
「「「……………………」」」
研究員と事務員は思わず黙ってその扉を見詰めた。
カタ、カタ…………ギギギギィィ…………
普段はすんなり開く扉が、まるで勿体付けるようにゆっくりと開く。
立っていたのは――――十体以上はいる『魔操人形』であった。
「ぎゃあああっ!!」
「あ、悪魔っ……人形の悪魔!!」
『カカカカカカカッ……!!』
乾いた小石がぶつかるような声、もしくは音を立てて『魔操人形』たちは一斉に事務室へ雪崩れ込んでくる。
「「「きゃあああああっ!!」」」
先頭の人形が職員に届く数歩前まで迫った時、
「『信仰の盾』!!」
ドカドカドカドカッ!!
次々と見えない壁にぶつかって、そこに倒れて折り重なっていく。人形の山は薄く光る幕のようなもので包まれていて、その場に縫い付けられたようになっているのか、ジタバタと暴れているが向かってはこない。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
「し、支部長!!」
「アルミリア様ぁっ!!」
役所のカウンターの向こう、『魔操人形』へ向けて淡く光る手をかざす人物が立っていた。
研究員と『魔操人形』が入り込んできた入り口の反対側、役所の一般入り口の扉から来たのは支部長アルミリアである。
「すぐに敷地全てに結界を張って悪魔を閉じ込めるように指示を! 街にも悪魔がいるかもしれませんので、街の警備団へ応援要請をしてください!!」
口早に通話石の近くにいた職員へ命じ、すぐに他の職員や研究員へ視線を移す。
「建物、及び周辺へ緊急伝達を! 『退治課』『祭事課』『研究課』に関係なく、結界や浄化、及び攻撃ができる者はすぐに悪魔を見付け次第排除! それ以外は周辺の住民の、教会の礼拝堂への避難を手伝うこと!!」
「「「はいっ!!!!」」」
その場の者が一斉に返事をして、幾人かは事務室にあった緊急用の錫杖やメイスを持って廊下や表通りへ向かっていった。
「…………建物に着いた途端に、嫌な気配がしたので慌てて来たのですが…………これは、一体……?」
カウンターを回って『魔操人形』の山の前に立ったアルミリアは大きくため息をつく。まだ光っている手を再びかざすと、グッと強く握り締めた。
「『浄化の衣』……!」
人形を包んでいた光が弾けて消え、『魔操人形』たちはピクリとも動かなくなる。
浄化の法術によって、中の魔力を抜かれたのだ。
「『魔操人形』ていどならば、私でも太刀打ちできますね。誰か一緒に…………」
「いえ、支部長は礼拝堂で避難者の保護をしてください」
「…………レバン?」
人形の山の陰からレバンが顔を出した。
「支部長には全体の指揮取っていただかなくてはなりません。悪魔と対峙するのはボクたち職員に任せて、支部長も礼拝堂へ避難を。一般の人たちは支部長の姿を見れば安心します」
「そうでしょうか……?」
アルミリアは少し考え込んだ。しかし現在、トーラストの街で指示を出せる人間は彼女の他にはいない。
「わかりました。私が司令塔になりますので、礼拝堂に対策本部を置き避難所として解放します。その他、病院、孤児院、養老院、それと……伯爵邸にも避難所としての要請と警備を!」
レバンと残っていた職員が頷く。
「じゃあ、ボクは部屋や通路の浄化を。今、『祭事課』の事務室に居たら内線が入ったので飛んできました。ここに来るまでに悪魔には会いませんでしたが、他の通路にいるかもしれません。いない場所に浄化の法術を掛けていけば、徐々に悪魔がいられる範囲が少なくなりますね」
ジャラリとレバンは法術に使う、長い十字架付きの数珠を腕に巻き付けた。
最終的には建物全体を浄化し、悪魔を屋外の連盟の敷地内の一ヶ所へ誘導させる作戦である。
「誘導するなら屋外訓練場が一番いいですね。誘導に成功すれば、集まった悪魔を退治員に叩いてもらいましょう」
「……敷地内だけなら良いのですが」
アルミリアは大きくため息をついた。
「心配はそこですね……すでに市街へ多数流れていたら、大混乱になるかも…………そこは面倒でも一体一体倒すしかありません」
「…………とにかく、私たちでやれるところまでやるしかありません」
「そうですね……」
アルミリアとレバンはお互い頷き合って、それぞれの方向へ走っていく。
それと同時に、外では街中に異常を報せる警鐘が打ち鳴らされた。
…………………………
………………
連盟の外から警鐘が聞こえてくる。
それは建物の裏庭で『魔操人形』と対峙していたレイニールの耳…………『金属の人形の身体』である彼の感覚にも音として伝わった。
――――警鐘…………皆、異常に気付いてくれたか………………うぅっ……!!
先ほど破壊した『魔操人形』を踏み越え、レイニールはフラフラと物陰に頭を抱えて座り込む。
――――はぁ、はぁ……くそっ……これも誰かに伝えないと……ごほっごほっ!!
意識の中のレイニールはまるで重い風邪に掛かったように、人形の身体を動かすのがやっとである。それは、体内の魔力が切れたためではない。
警鐘以外の『声』が頭の中で響いておかしくなりそうになっていた。
“人形ヨ人間ヲ襲エ!! 街ヲ混乱サセロ!!”
夕方が近付いてきた頃から聞こえ始めたその『声』は、暗くなってきてからもっと大きくなった。それと比例するように、身体中に『知らない誰かの魔力』が流れてくるのがわかる。
そして、その魔力が街を覆っていることも。
――――街を一つ覆える魔力……ぐっ…………そんな馬鹿な!!
この街には教会も在り結界も張られている。【聖職者連盟】の支部も置かれ、上級悪魔に匹敵する『悪魔伯爵』の領地でもあるのだ。
――――この街に喧嘩を売ることができる者など…………
苦しむ意識の中、レイニールの頭にはある可能性が浮かんだ。
――――【魔王階級】なら……?




