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Thousand Sense〈サウザンドセンス〉  作者: きしかわ せひろ
第四章 混迷のトーラスト
91/135

過去の記憶と今の問題

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

 カラァ――――ン……

 カラァ――――ン……


 不意に鐘の音が身体に響いてきた。

 ひび割れたガラス窓から、白い朝の光が射し込む。


「……………………ギ……?」


 彼は朝一番の鐘で目を覚ました。

 ここは潜伏している街外れの廃屋である。


 ――――夢? 余は、眠っていたのか?


 金属の身体で『眠る』という感覚になったのは、この二年で初めてのことだとレイニールは思った。


 ――――昔の光景だった。……まぁ、十年も経ってはおらんが…………しかし、何故…………


 レイニールは夢の内容をなぞるが、知っている『過去の記憶』とは違う。


 ――――……何故、リィケがいたのだ?


 山で会った姿とは違っていたし、レイニールはリィケをほとんど知らない。それなのに夢とはいえ、あんなに細かく人物像を思い描けるものだろうか?


 多くの疑問が浮かぶものの、リィケの言動を思い出して少しだけ胸が温かく感じる。


 ――――そうか……あれがあやつの『神の欠片』なのかもしれぬな……。確か、他人の精神や夢に介入する『神の欠片』があったはずだ。


 リィケは自身が【サウザンドセンス】だと言った。


 もしかしたら、()()()()()()()()()()かと思って無理やり納得することにした。



 ――――そういえば……リィケが消えた後のこと。余はあの者たちに…………


 ズキン。一瞬だけ思い出すのを躊躇う。


 あの日の記憶は、自身がよく憶えていていつも心に留め置いているはずなのに、今日に限って金属の身体に痛みが走ったような気がした。





 ………………………………

 ………………





 ――――八年ほど前。


 玄関から出てきた客たちの姿を見た途端、レイニールは口を閉じ、抱き上げていたリズウェルトの腕から静かに降りた。



「……………………」

「……レイニール?」


 無言で自分から離れた弟に、兄は不安そうに呼び掛ける。

 しかし、レイニールはその夫人たちへと、何の躊躇もなく近付いていった。


「あら? リズウェルト殿下……それに、レイニール様ではありませんか。ご機嫌麗しゅうございます」

「……侯爵夫人もお元気そうで」


 二人に気付いた夫人は、形ばかりの淑女の礼をした。リズウェルトもついでのような挨拶を返す。


 そのやり取りの間で、幼いレイニールはぼんやりとした瞳を侯爵夫人へ向けて思った――――“お返し”をしないと……と。


「…………夫人」

「まぁ、何でしょうか?」


 三人の客の中のリーダー格である侯爵夫人の前へ進み出ると、レイニールは今までにないくらい愛らしい笑顔を向けた。


「侯爵夫人……その美しい手に、ご挨拶のキスをお許しいただけますか?」

「…………へ? あ、えぇ、も……もちろんですわ」


 女性に向けての完璧な一礼。


 幼児とはいえ、恐ろしく整った容姿の美少年に天使のように微笑まれて、侯爵夫人は一瞬だけ惚けた。しかし、すぐに気を取り直し大人の余裕を取り繕って手を差し出す。


「……失礼いたします」

「え、えぇ、どうぞ」


 夫人の声が僅かに裏返ったことも気にせず、レイニールは目の前の手を取る。その仕草はとても幼児とは思えないほど、流れるような動きだった。


「レイニール……?」


 突然の弟の変化にリズウェルトは顔をしかめる。


 たった四歳の子供がこんな完璧な挨拶を……? いや、そんなことより……なんで?


 つい今しがた、自分に抱き付いて泣いていた弟が、母親を()()()()()()()()相手の手を取っているのだ。


 …………これは誰だ?


 ゾクリと背中を走る悪寒に、リズウェルトはその場に凍り付いた。




「…………?」


 客たちに遅れて、玄関からレイニールの母親である『メリシア』が顔を出した。そして、何やら息子が囲まれていることに気付き、彼女は首を傾げる。


「何を……」


 よもや息子たちが何か酷い目に遭っているのかと思い、急いで駆け寄ってきたが、ただの挨拶だと分かって彼女は胸を撫で下ろす。しかし、それは一瞬のことだった。


 ――――パリッ……!


 侯爵夫人の手の周りに細く赤い稲光のようなものが走る。


「あっ……!!」


 本能的に慌てて駆け寄り、メリシアは我が子を夫人から引き離した。


 しかし、それは既に手遅れである。


「―――いっ……ぎゃあああああっ!!」


「ヒッ!?」

「きゃああっ!!」

「ふ……夫人っ!?」


 急に叫びをあげた侯爵夫人は、両手で頭を抱え地面の上でのたうち回った。


「あ゛あ゛!! が、ああああああああっ!!」


 まるで悪魔が取り憑いたかのような濁った声が、先ほどまで優雅を装って毒を吐いていた口から流れて出る。

 夫人はゴロゴロと転がり、ドレスや羽根飾りの帽子もすぐに泥に塗れ、石や植え込みに引っ掛けてビリビリに破れていった。



「いやあああっ!! だ、誰か……っ!!」

「ヒィイイイッ!!」


 客であった他の二人は完全にパニックになり、その場で腰を抜かして地面に這いつくばった状態で蠢いている。


「だ……誰か、衛兵をっ……」


 何とか声を出して呼び掛けたが、周囲の使用人たちもあまりの光景に立ち尽くす。

 いつもは冷静な判断をしているリズウェルトでさえ、顔をひきつらせて硬直していた。


「あ、あぁ……そ、そんな……」


 恐怖と狂気の叫びを聞きながら、気の弱いメリシアはレイニールを抱き締めてガクガクと震えるしかなかった。しかし、


 クスッ…………


「え……?」


 怯える彼女の耳が小さな笑い声を拾う。

 そしてその声の主を知って、彼女はさらに恐怖に駆られた。


 抱き締めている幼い我が子が、目の前で苦しむ人間を見て笑っているのだ。その笑顔から、年齢からかけ離れた『恍惚さ』が浮かんでさえ見える。


「レイ……ニール……?」

「あの者たちだって、身に覚えがあるでしょう」

「何を…………」

「母上の代わりに“精算”しただけです。これまで()()()()()()()()()()()()を返しました」

「返した……?」


 まるで大人のような、それよりももっと厳しいレイニールの口調に、メリシアは思わず彼を腕から離した。


 パリッ……


 小さな赤い稲光がレイニールの周りで弾ける。


 息子の周りに発生しているものが、魔力や法力などの『魔法』ではないことを、魔術を使えるメリシアはすぐに悟ったようだ。彼女の顔からさらに血の気が引いた。



「れ……レイニール、このままでは……」


 メリシアはぶるぶると震えながら、薄く笑っている我が子にしがみつく。


「このままでは、あの方は廃人になってしまう……お願いです……止めてあげて…………レイニール!!」


 何とか能力を止めるようにレイニールへ訴えると、彼はキョトンとした表情でメリシアを見詰めた。


「…………母上。あの者は急に押し掛けてはいつも母上を貶めてきました」

「え……?」

「母上が毎回、どんなに『悲しく』『怖かった』か考えもしなかった筈です。当然の報いです」

「ですが…………」


「権力にばかりに寄っていく…………あのような者たちは()()()()()です……」


「――――――っ……!!」


 パシィィィンッ!


 その瞬間、メリシアの手のひらがレイニールの片頬を打ち付けた。




「…………っ!?」


 すぐ傍で乾いた音が響き、リズウェルトは我に返る。そして目に入ってきたのは、レイニールがメリシアの足元……地面の上に座り込む姿だった。


「―――レイニールっ!? っ…………メリシア様?」


 レイニールに駆け寄ろうとしたリズウェルトをメリシアが手で制する。肩で息をしながら、メリシアはレイニールを見下ろす。


「レイニール……今すぐに、あの方に掛けた『神の欠片』の効果を解きなさい……!」

「…………母上……?」


 メリシアはこの日、初めて我が子に手を上げた。


 レイニールの使った能力は、他の能力者や魔法使いには絶対に解くことはできない。それを能力者の夫を持ち、魔術を多少なりとも学んだメリシアは知っている。


「あなたが使った【感情の檻(エモーション)】は……安易な気持ちで人間に使う力ではありません……!!」


「……………………」




 王家特有の『神の欠片』

感情の檻(エモーション)


 仮の感情を植え付け支配する能力。

 自分の感情の起伏のコントロールに使える他に、相手の感情を操作してしまうことができる。


『人心掌握』の力。現在の国王も使えると言われ、王家の伝承ではこの能力を持つ者が次期国王となってもおかしくないと噂される。


感情の檻(エモーション)】は他人の心を縛り、時には破壊することさえでき、この能力に対する防御や結界は皆無である。


 それくらい強い能力を、レイニールは何の力もない者に行使した。彼は侯爵夫人に向けて、強大な『悲しみ』と『恐怖』の感情を与えたのだ。



「解きなさい………………私は……誰一人、この世で不要だとは思わない…………人間(ひと)には、人間(ひと)が必要なの……です……!」


 一つ言葉を口にする度に、メリシアの瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れる。そんな母親を呆然と眺めていたレイニールは、ハッとした表情して叩かれた頬に触れていた。


「………………………………分かりました」


 レイニールは静かに答えると、徐に立ち上がってじたばたと暴れ転がる夫人へと近付いていく。


「……………………」


 パキィンッ……!


 彼が手をかざした瞬間、夫人の身体に纏わり付いていた赤い稲光がガラスが砕けるように落ちて消えた。


「ぐっ!! …………うぅ…………」


 夫人は唸った後、ぐったりとその場で気を失う。


「…………あ……夫人を、夫人たちを屋敷の中へ……!!」


「は、はいっ!!」

「分かりました……!!」


 すぐさま、リズウェルトが固まっていた使用人たちに声を掛けた。三人を屋敷の中へ運ぶように命じる。平静さを取り戻した使用人たちが、腰を抜かして倒れている二人と一緒に夫人を連れていく。



 屋敷の外にはレイニールとメリシア、リズウェルトの三人だけが残り、玄関前の庭は静けさに包まれた。



「あの、ははうえ……もうしわけ、ありません……」


 未だ泣き続けている母親にレイニールは恐る恐る近付きながら、自分のやったことがどんなに恐ろしい行いだったか、冷静さを取り戻したあとで思い至り身体が震える。


 ギュッと目を閉じ、叱られるだけでは済まされない……そう考えた彼だが、母親はなかなか彼へ叱責を向けなかった。


 そっと目を開けると母親は彼の傍に座り込んでいる。


「…………ははうえ……?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……レイニール……」

「え……?」


 メリシアはレイニールを抱き締め、何故かうわ言のように彼に謝り始めた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……わ、私が母親だったために……!!」


 母が何に謝っているのか、全く解らなかった。



「私はあなたを――――」




 …………………………

 ………………




【サウザンドセンス】となった日。


 続きがあった気がするのに、あの日の記憶はそこから無い。

 兄にも聞いたが、やはり憶えてないという。


 ――――やはり思い出せない…………母上が何を言っていたのか。


 リィケのついでに記憶を引き出そうとしたが、それは失敗に終わったようだ。

 仕方なく、レイニールは今現在に目を向けてみた。



 ――――……魔力供給中に寝たのか。


 起き上がると、右手の下の床に『魔力栓(デモン・ポータル)』の魔法陣があるが今は魔力が出ていない。どうやら、この場所の魔力を吸収しきったようだ。結界を張ってある街の中では、山の中のように絶えず魔力が流れてくるわけではないのだ。



 ――――ふむ……一応消しておくか………裏にある()()が魔力でも吸ったら大変なことになるからな。


 魔法陣を木でできた床ごと、金属の指で引っ掻いてガリガリと削る。



「……ギィ……」

『はぁ……』


 削り取った床を見詰め、思わずため息のような声が出た。

 ふらふらと廃屋の裏の隙間を覗き見て、未明に感じた軽い絶望感を思い出す。


 ――――陽が沈んだら()()を処分せねば。ここに積んでおくのは危険な気がする……。


 そこに有ったのは、レイニールが墓地で見付けて慌てて『倒した』ものの残骸。


 山で彼が造った『魔繰人形(マリオネット)』である。


 何故かレイニールと共に、このトーラストの街まで来てしまっていた。夜明けまでに回収できたのは十体ほど。


 ――――何処へ処分すれば良いのか? 他にも有るのだろうか? こんなのが街を彷徨(うろつ)いてしまっていたら…………


 リィケに会う前に、頭の痛い (気分の)問題が起きていた。






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