誰もいない屋敷にて
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――――――二年前。
ミルズナが幾人かの部下と共に、レイニールの住むこの屋敷を訪れたのは昼過ぎのことであった。
ミルズナはついこの間、国王陛下より正式な『次期国王候補』として認められたばかりである。
今回はその報告と、今後のことを話すためにレイニールのいる屋敷へとやって来た。
いつも訪問の連絡は朝のうちにしているが、それがレイニールの耳に入るのが遅いため、訪問するのは半日過ぎたこの時間になることが多い。
現地に着いてまず、屋敷の前庭でミルズナが異変に気付いた。
……おかしいですね。いつもなら、庭仕事もしているメイドが真っ先に出迎えてくれるはずなのに。
最初は昼過ぎの仕事で立て込んでいるのかと思った。しかし、今までこんなに人の出迎えがないことは珍しいのだ。
「えーと、ライズ。私が来たことを、中の人間に教えてきてはもらえませんか?」
「はい、ミルズナ様」
先に、王女の部下の上級護衛兵中でも、一番年の若いライズが屋敷の中へ入ることになった。
まったく…………この屋敷の使用人はどうかしている。
眉間にシワを寄せ、前方を睨み付けていた。
ミルズナ様もレイニール王子も、未来の国王となる方々だというのに、このぞんざいな態度は何なんだ?
ライズは内心怒りながら前庭を進み、正面の扉へ向かっていく。扉を開けたら目についた者へ、嫌味の一つも言ってやろうと思っていたのだが…………
「――――――え…………?」
屋敷の扉の前に立った時、言い知れぬ不安と恐怖に襲われた。
扉から漏れ出る空気がひどく冷たい。
屋敷の中からは物音ひとつなく、時が止まった廃墟のような淀みに覆われている気がした。
これ……は…………
この感覚には…………覚えがある。
突然に叩き付けられた『あの日』に似ていた。
「……どうかしましたか……ライズ?」
いつの間にか、なかなか扉が開かれないことに疑問を抱いたミルズナが後ろに立ち、ライズに向けて怪訝な表情を浮かべていた。
「はい……申し訳……あり……ませ……」
返答はするものの、ミルズナが知る限り、いつものライズの冷静さはなく青ざめている。ライズの目はミルズナを映さず、扉の方に顔が固定されているようだ。
「……………………」
ガチャガチャ!
ミルズナは無言で、扉に鍵が掛けられていることを確認すると、スゥッと目一杯息を吸い込んだ。
……ドン!
「――――『絶対なる聖域』!!」
扉の前で硬直しているライズを見て、ミルズナは扉に手を突き能力を解放する。
バァアアアン!!
「な、何だ今の!?」
「ミルズナ様!?」
何の抵抗もなく勢い良く扉は破壊された。
轟く破壊音に、馬車で待機していた他の者も集まってくる。
「ミルズナ様……っ!?」
「ライズ!! 私は中を見てきます!! あなたたちはここに居なさい!!」
「私も、行きます!!」
「分かりました……ですが、無理だと思ったら引き返しなさい!! いいですね!?」
「はいっ!!」
エントランスホールを抜けて奥へ走る――――。
いつもレイニールと会うのは中庭の手前、東側の来客用の部屋だった。
ミルズナとライズはそこへ向かう。
まだ陽が高いはずなのに、奥へ向かう廊下は暗闇へ続いているように思えた。
現在。その時とほぼ同時刻。
同じ廊下を五人は歩いて進む。
この屋敷に今は誰も住んでいない。
柔らかい光の差す廊下は靴音だけが響き、舞い上がった埃が再び下へ落ちていく。
「あの日……私はライズの様子で、この屋敷に起こっていることに気付いたと言ってもいいでしょう。ライズが本部に来た経緯は、事前にリズから聞いて知っていましたから……」
「ミルズナ様は……私の事を知って部下にしていたのですね……」
「えぇ。でも直属の部下にしたのは、ライズが努力家で優秀だと判断したからですよ?」
「はい……」
ライズの声がほんの少し沈んでいる。
しかし、それに気付いたのは横にいたミルズナだけだった。
やがて、奥のやや大きめな両開きの扉の前へ到着した。
ミルズナは何も言わずに扉を開けて、閉じないように固定する。
「何も……無いね」
「あぁ……無いな」
ルーシャとリィケは部屋の入り口で思わず呟く。
『元豪華な応接間』であった場所には、文字通り『何も無い』のだ。
応接間であったのなら、そこには客を迎えるためのソファーやテーブル、客のための茶器などをしまう棚や、その他のタンス、本棚などが備えられているはずである。
しかし、目に見えるのはダンスでもできそうなほどの、だだっ広い直線だけの空間。
部屋の中に見えるのは、何も置かれていない貼り替えられた床板、そして一色に塗り潰された壁だけだ。
天井にあるはずのシャンデリアでさえなく、根元から落とされたようにポツリと痕跡が残るのみだった。
「……当時の面影はひとつもありませんね」
「くそ……床だけでなく壁まで塗って隠したのか。証拠がなくなるだろ…………て、タバコはダメだな」
部屋を見回したリーヨォが苦々しい顔で呟く。いつもの癖で、懐のタバコを取り出そうとして手を引っ込める。
「とにかく、さっさと始めてみるか。リィケ、いけるか?」
「ちゃんと使えたことないけど……いいの?」
リィケは自発的に『神の欠片』を使えたことはない。偶発的もしくは、ロアンに言われてやってみたことがあるだけ。
リーヨォは少し考えたようだが、すぐに手をパタパタと振って笑いかけた。
「やってみて、できなかったらできない時だ。“できれば運が良いな”くらいに思っとけ」
「う……うん」
「……オレはどこで見てればいい?」
「あぁ、ルーシャとライズは入り口で立っていてくれ。もしも、関係ない奴が来るようなら足止め頼む」
「分かった」
「分かりました」
おそらく、この屋敷に入ってくる者はいないとは思われたが、念のため屋敷の周りには防音と物理の結界を張っている。
ここは研究者のリーヨォと、リィケと同じ【サウザンドセンス】の王女に任せるのがいいんだろうな……。
ルーシャがそう思っていた時、ぎゅう……と、リィケが屋敷の入り口から握っていた手に力がこもった。
「……お父さん」
「ここにいるから……頑張ってこい」
「うん」
離した手をリィケの背中にあてて、そっと押してやる。
家具も何もない部屋の中央へ、王女、リーヨォ、リィケが進んでいく。そこで、リーヨォは手に持った分厚い本を開き、ミルズナと何か話し合っていた。
「リィケ、あなたが発現させた能力は、名前の解っているものでは二つ。まず一つがクラストで私も見た『忘却の庭』です」
「簡単に説明するとだな…………」
【忘却の庭】
現実世界に平行する別の世界に行く能力。ただし、世界として機能している訳ではない。そのため、現実と似ていてもどこかが違っていたり、歪んでいる場所も多い。
「お前が行ったのは『現実そっくりな廃墟』だったな?」
「うん……町がそのままボロボロになってた」
「これはお伽噺にしか出てこない能力だと云われていました。あなたが使ったことで、神の欠片と解ったものです」
【サウザンドセンス】に関する文献は多い。
しかし、研究をされ始めたのは近年であり、古文書や伝説として伝わるばかりで、研究資料には心許ないものばかりであった。
「俺としては羨ましい能力だな。これを自在に使えれば、禁書ばかりの魔術図書館にも余裕で……」
「リズ、その話は後にしてください」
「へいへい……。リィケはこの忘却の庭を“ロアン”って奴に教えてもらったんだよな?」
「え? え~と……」
教えてもらった……のかな?
“いっかい、め、とじて、あけると、せかいがちがう”……としか、言われてない気がする。とても曖昧だ。
その後は、ロアンが『魂の宿り木』という神の欠片を使って、リィケの身体の主導権を奪っていた。
「ちょっとだけ……」
「…………まぁ、いいでしょう。では早速、実験をします。まずは『忘却の庭』を試してみましょうか?」
「……わかりました、やってみます」
とりあえず…………ロアンの言ったことをやってみよう。
もしかしたら、風景が重なって見えるくらいはできるかもしれない。
リィケは意識を瞳に集中させて、ゆっくり目蓋を開けたり閉じたり繰り返し行う。
そして、だいたい十回くらい過ぎた頃、
――――あ…………!!
目を開けた時に薄く何かが部屋に重なった。
それと同時に、パリッ……と手元で火花が弾ける小さな音がして、身体の周りの空気が震えているのが分かる。
「これ……」
目を開けて自分の手元を見ると、赤い稲妻に似た光が走っていた。これまでの経験で、神の欠片が使われる時に見られるものだ。
もう一度、目を閉じれば……できるかも!
その時、ふと視界の隅にルーシャの姿が見えて、リィケはクラストでのことを思い出した。
そういえば……僕が『裏の世界』にいた時、お父さんも教会まで来たよね?
ルーシャは【サウザンドセンス】ではない。
それなのに『裏の世界』のクラストへ、リィケを捜しに迷い込んできたのだ。
なんで、お父さんはひとりで来れたんだろ?
――――――バチンッ!!
「うわっ!!」
リィケはまるで突き飛ばされたように前に倒れ込んだ。
「うわっ……大丈夫か!?」
「リィケ! 大丈夫ですか!?」
「は……はい……」
完全に床に叩き付けられる前に、リーヨォとミルズナに受け止められる。
「……あの、今……何が?」
「急に強い光が出て、大きな音がしました。とりあえず……それだけですね」
「……何か、変わったか?」
三人はキョロキョロと部屋を見回すが、特に変わった所は見当たらない気がした。
「この部屋、最初から廃墟みたいなもんだしなぁ……」
「あ!! そうだ、空!! 空を見れば分かるよ!」
忘却の庭で『裏の世界』へ行った時は、空の色は真っ白で平面的である。慌てて窓へ駆け寄り、身を乗り出してみた。
「…………青空だな」
「良い天気ですね……」
「……『裏の世界』じゃないね」
はぁ~……と、リーヨォとミルズナは落胆のため息をつく。
「ごめんなさい……」
「いえいえ、まだ最初ですから」
「反応があったんだから、次はいけるかもな」
よし、次にいこう! と、再び部屋の中央へ向かった時、リーヨォが首を傾げて入り口の方を見ていた。
「ん…………あいつら何処行った?」
「え? あら、本当……」
部屋の入り口で立って見ていたはずの、ルーシャとライズがいない。
「お父さん? ライズさん?」
リィケが扉の所から廊下を見回す。
しかし、エントランスホールへ続く長い廊下に二人の姿はなく、その先の扉を開けて出ていったとは思えない。
「いない……」
「光る前、ルーシャが急に動いたようには見えなかったな」
「ライズも私に無断で出て行くことはありませんね……」
「「「……………………」」」
三人が黙り込むと、屋敷の中はしぃんと静まりかえる。近くに自分たち以外の気配が…………ない。
「…………いない」
リィケがギギギ……と二人の方へ、恐怖にひきつったような顔を向けた。
「ぼ、ぼ、僕、なんか、しちゃったんじゃ……」
もはや涙目でガクガクと震えだしている。
「いえ、その……え~と、これは……?」
「……すまん、俺【サウザンドセンス】じゃねぇし、わかんねぇわ……なんか、起きたとは思う……けど?」
「お、お父さん!? ライズさん!?」
無人の廊下に叫びに似た声が反響した。
…………………………
………………
最後に見たのは白くて強い光に包まれる光景だった。
「お前……リィケの能力は知っているよな? これはどう考えればいい?」
「どう……って……たぶん、巻き込まれたんだと思うけど……」
いつの間にか、二人は外に立っている。
隣にいるライズがあまりにも冷静に言ってくるので、ルーシャはたまらず天を仰ぐ。
「とりあえず、戻る方法を考えないと……」
ルーシャが見上げた先の空は、どこまでも白く平面的であった。




