レイニールの行方 その2
そろそろ日付も変わろうかという深夜。
【聖職者連盟】本部の建物内で、煌々と灯りがついているのはこの本部長の執務室だけである。
執務室には“防音の結界”が張ってあるため、扉で隔たれていれば音や会話は一切聞こえない。
応接用のソファーには、本部長のミルズナがいて、その隣にリズウェルト。そして向かい側にルーシャとライズが並んで座っている。
『君の子どもを貸してもらいたい』
ルーシャはこの言葉に目を大きく開き、目の前の男性を凝視した。
「…………えっと……つまり、うちの子の能力を?」
「ミルズナから聞いている。その子なら、レイニールを見付け出してくれるはずだ」
少し俯いたリズウェルトの表情はどこまでも無表情である。
「本当なら本日……いえ、朝から一日を掛けて、リィケには自身の『神の欠片』について本部の研究課で学んでもらおうと思っていたのです。リィケの能力は使い方によっては、かなりの成果を生むものだと判断していましたから」
「リィケの能力が何か、本部の記録から判るのですね?」
「ええ、だいたいは。しかし、朝に不確定な能力が出てしまったので……」
能力の特定は状況から一つずつ、当てはめていくしかないらしい。
しかし夢か現実か、リィケがレイニールに会ったと言ったため、そちらを早急に調べる必要がでてきてしまったのだ。
そこでふと、ルーシャは疑問に思う。
何で、一国の王子……しかも次期国王かもしれない子供を捜すのに、個人が呼ばれたのだろうか……?
「あの……レイニール王子の捜索は、王宮ではどのように扱っているのですか?」
「…………王宮では、弟を捜してはいない」
「えっ!?」
「あの子は“寵姫”の子だ。正式に王子とは認められていない。これを機に、あわよくば排斥しようとしている者さえいるくらいだ……」
「そんな、排斥って……」
ルーシャが絶句している隣で、レイニールの事情をある程度聞いていたライズは口を結び俯いた。
【聖リルダーナ王国】の国王陛下には正式な妃と、王宮で認めた“寵姫”がいる。
「他の国では『側室』や『側妃』と呼ばれる公の第二妃がいるが、聖職が重要視されているこの国では、正妃以外の妃はあまり良い顔はされない…………だから、国民には寵姫の存在は知らされないのが普通らしい」
国王は聖職者ではないとされ、王宮内では妃以外の女性を側に置くことを誰も咎めはしないという。
王宮で認められている寵姫は、王の寵愛を受け、生活においてかなりの贅沢も許されるが、王妃のように公務へ出ることはなく発言権も皆無である。
もちろん、その子供にも王権は与えられず、世継ぎとしても名を連ねることはない。
俗な言い方をしてしまえば、何不自由させない変わりに最初から口を挟まない契約をした『愛人とその子供』ということなのだ。
ソファーに深く腰掛け直して、リズウェルトはため息をつく。
国王陛下と正妃の間に生まれたのは、この『リズウェルト王子』だけである。
国王の長子であるリズウェルトだが、【サウザンドセンス】ではなく普通の人間であった。
この国の非能力者の王族は、他に能力者が出ない限りにおいてのみ『国王候補』として扱われる。
「レイニールはその寵姫…………『メリシア』様の子供として生まれた、私の腹違いの弟だ。そして、他では類を見ないほど強力な神の欠片をもつ【サウザンドセンス】だ」
次期国王を【サウザンドセンス】にするという条件は、余計な者たちの跡目争いへの介入を避ける効果もあった。しかし、近年は王家でも【サウザンドセンス】が産まれておらず、現在は国王の他にはレイニールとミルズナだけという事態になっている。
「……次期国王には【サウザンドセンス】ではない者を、という動きもある。しかし、今それを実行されると王座を巡って争いが起きるのは目に見えている」
「私とリズはレイニールを次期国王に置き、それを手助けするつもりです」
自分たちのために……というところもありますが。と、ミルズナはそう言い加えて苦笑いを浮かべた。リズウェルトもまた、ルーシャたちから目を逸らして口を結ぶ。
レイニールを次期国王にすることは、単なる慈善や情ではない。二人にも利点があるのだ。
ミルズナは【サウザンドセンス】ではあるが、王族では末端であり、それをよく思わない者も慕う者以上にいるということ。これは、もしも彼女が女王になった時に不審の種となるだろう。
リズウェルトは非能力者であるため、今更国王にされても、諸公たちの言いなりにされるおそれがあると考えている。また、今まで自由にされてきたため、王宮の外に彼の居場所が出来ているのだ。
「レイニール王子は現国王陛下と同じ『神の欠片』もありますので、正式に王と名乗れればついてくる者は多くいるはずです。それくらい【サウザンドセンス】であることは、この国の象徴になっているのです」
「もし……非能力者を国王に据えるなら、レイニールの後になるだろう。少しずつ国民にも浸透させねばならないからな……」
「……………………」
『能力者優先思想』
ルーシャの頭に過ったのはこの言葉だった。
王宮の雇用の条件には、【サウザンドセンス】であればその能力の種類によっては優遇され、場合によっては王族との婚姻を勧められることもあるという。
能力者を取り囲む現状は、あまりにも極端だとルーシャは感じる。
“能力しだいでは【神】にも【魔王】にもなる”
しかし実状は憧憬を抱かれるどころか、周りから疎まれ差別され、まるで人間ではない『もの』とされている節があった。
ある時代では悪魔憑きと処分され
ある時代では神のように崇められ
そして、国の王として据えられる。
そう……良くても悪くても、扱いは“人間”ではない。
「子供なのに…………」
ルーシャは思わず呟いた。
出会ったことはないが、まだ十二才だという王子に同情の念しか涌かなかった。そして、それ以上にルーシャの中ではもやもやとした思いが生まれる。
「……ええ、彼はまだ子供です。だから、私たちが捜すのです。大人が子供を見捨てる……などということは、この国であってはならないことで……」
「王女、違います。陛下は……王子の父親である陛下はレイニール王子を捜されないのですか?」
「……っ!? ルーシャ!?」
ルーシャの言葉にライズが立ち上がった。
リズウェルトが『王宮では、弟を捜してはいない』と言ったが、それはつまり“父親”であり“国王陛下”が捜していないということ。
『捜さないのか?』と聞くことは、ルーシャが国王を責めていると解釈されかねないセリフであった。
「五年間……子供の存在を知らなかった、私が言うことではありませんが…………どんな経緯か、自分の子供がいなくなったことに陛下は…………」
「ルーシャ!!」
ライズはルーシャの発言を制しようとした。これ以上言えば国王陛下への完全な不敬である。
リズウェルトがため息をついたところで、ルーシャはハッとして顔を上げた。しかし、リズウェルトもミルズナも、ルーシャの言葉に気分を害したような様子は少しもない。
「申し訳ありません……」
「…………良い。これはこの部屋のみで、私が許している話だ。どの発言においても不敬には問わない」
「ライズ、座りなさい」
「はい…………」
「……………………」
リズウェルトが冷めかけた茶に口をつけて再び息をついた。
「正直……陛下のお考えは分からない。私は子供の頃には王宮から出奔し、もはや王族とは言えない立場にあった。もう何年も陛下とは会話らしいものは交わしていない。しかし、陛下のメリシア様に対する愛情はあったはずだと認識していたのだが…………」
レイニールの母親は“寵姫”だ。
本来、王の寵愛を受けている人物であり、その子供のレイニールも溺愛されていたはずだった。
リズウェルトから見れば、例えレイニールに王権がなくても、気にかけるくらいはしていいと思っていた。
なのに、王宮はレイニールの捜索を諦め、なかったことにしようとしている。
「だから、レイニールを捜してほしいと頼むのは、私の個人的な事だ」
「リズウェルト様の……?」
「腑に落ちない点は有れど、純粋に弟を捜してほしい。『魔王殺し』……どうか、私の頼みを聞いてもらえないだろうか?」
「えっ……!?」
立ち上がったリズウェルトは自らの胸に手を当て、ルーシャへ向けて深々と頭を下げて一礼をした。
「ど、どうか頭を上げてくださいっ! オ……私が協力できることなら、何でもしますので……!!」
さすがに一国の王子に頭を下げられ頼まれれば、ルーシャも慌てるしかない。
さらに時間は過ぎ、すっかり冷めた茶を淹れ直しているのはライズである。
ルーシャは大人しく、リズウェルトの向かい側で『本日』の予定を話し合うことになった。
「……そちらの準備ができ次第、敷地内の『ある場所』へ、ミルズナと向かってもらいたい。リィケの神の欠片に関しては、彼女が現地で説明しながら試してみようと思う」
「『ある場所』とは?」
「レイニールがいなくなった原因……二年前起きた『事件』の現場だ」
「『事件』?」
ルーシャは眉をひそめる。
そういえば、レイニールを捜すのは良いとして、何故に彼がいなくなったのかは全く聞いていなかった。
「あの……今更なのですが、王子は何故、行方不明に…………?」
「「「…………………………」」」
ピタリ。
部屋の空気が、一瞬にして固まったのが解る。
リズウェルトとミルズナだけではなく、どうやらライズもその『事件』とやらを知っているようだ。
カチャ……
ルーシャの前に、茶を淹れ直した温かな器がそっと置かれる。
「もし……お前が『事件現場』に行けないと判断した場合、リィケは私が連れていこうと思っている……」
「…………ライズ?」
外向きの固い口調のライズは、やや顔が強張っているようにも思えた。
ルーシャの胸に瞬時に不安が降りる。リズウェルトもミルズナも、少し俯き加減で黙ってしまっているのだ。
「あの……」
「同じ、なんだよ……」
「え?」
ライズが隣に座り、二人が口を開く前にぼそりと言う。
「二年前、レイニール王子がいなくなった状況が『五年前のあの時』と同じなんだ…………」
「………………え?」
一言一言、言葉を発したライズの顔色が、目に見えて悪くなっていった。
…………………………
………………
「う~……ん……」
顔に当たる光は、眠っていたリィケを起こすのには十分なものである。
パチリと目を開けて、眩しさに何度か瞬きをする。
「あれ……?」
リィケは自分が眠ってしまい、部屋にひとりでいる状況は一瞬で理解できた。ベッドの上に横になっていたのも。
しかし、自分が置かれた『現状』は、誰かに説明してもらいたいと切に思う。
「ここ…………何処?」
自分が寝ているのは、まぎれもなく寝室である。
しかし、ルーシャと共に泊まっている部屋ではないと確信した。
豪華な天蓋付きのベッドの上。
質素だが、細かい装飾があちこちに施されたクローゼットや机。
大きな花が飾られた花瓶は、普通の家ではお目にかかれないほど見事な彩飾をしている。
リィケが見渡す限り、質の良い物に囲まれた『偉い人が使っている部屋』としか言えない。
「……別の場所……」
森の中ではないのが救いなのか。
またしても、リィケは予想もできない場所で目覚めたのであった。




