黄昏を迎える前に
一本のメイスが細い両腕で掲げられ、
「【絶対なる聖域】!!」
少女らしい高くしなやかな声が響いた。
一瞬で聖堂の真ん中の席を覆うように、淡いオレンジ色の光が出現する。
ガガガガガガガガッ!! ガシャガシャアンッ!!
降り注いだシザーズは全てオレンジの幕に弾き飛ばされるように、天上や壁に叩き付けられていった。
痛みや心の無い物質系の悪魔であるシザーズだが、自身に起こったことに混乱しているのか聖堂の隅へ行きウロウロとさ迷い始める。
「…………何だ、この結界…………法術……?」
ルーシャはあまりにも突然の出来事にその場で固まった。
レバンに場所を取って換わった少女が、何かの法術を使ったと思ったのだがその力の種類が解らず動揺する。
「~~~~…………っぷはぁ!!」
少女が思い切り呼吸をしたと思った途端、オレンジ色の光はガラスのように割れて消え去った。
「はぁ、はぁ、はぁ…………間に合い……ましたね……はぁ、はぁ……」
「あ、ありがとうございます……?」
中年僧侶を下敷きに床へ倒れているレバンの横で、青い髪の毛と眼鏡の少女……ミルズナは細かく荒い息づかいをしている。
技の間に息を止めていたので、一刻も早く酸欠から呼吸を調えようとしているようだ。
この少しの間でウロウロしていたシザーズは、再び規則的な動きを取り戻していく。
「くそっ! もう牢から抜け出してきたのか!! シザーズ!! 防御の暇なく攻め立てて……」
ズダダダダダダダダッ!!
『『グォォオオオオッ!!』』
ガランッガランッ!!
「きゃっ!!」
「うわっ!」
ベクターが言い終わる前に、けたたましい銃撃音が響き、ミルズナの真上にいたシザーズ数体が打ち落とされる。落ちてきたハサミや鎌がミルズナたちの目の前の床でバラバラになった。
「ミルズナ様。防御はお見事でしたが、油断なさいませんように」
「解っています! ゆ、油断なんてしません!」
ミルズナの隣にひとりの金髪の青年が立った。
片手にはショットガン、もう片方の手には連射式の銃を構えていた……が、いつの間にかライズは連射式の銃を仕舞っていて、今度は小銃を別の所から取り出す。
ミルズナが眉間にシワを寄せてライズの方を見つめた。
「いつも思いますが…………その軽装の何処に、銃を何丁も携帯しているのかしら……?」
「ミルズナ様、私が敵へ向かいます。許可を」
「もぅ……! 分かりました」
ミルズナの問いをあっさりスルーして、ライズは長椅子から飛び降りて主祭壇の方へ走る。
その先には驚いた顔で制止したルーシャが立っていた。
「………………ライズ……か?」
ライズは一瞬だけルーシャに視線を向け、無表情で横を通り過ぎていく。
「――――宝剣もない怪我人はさがれ」
ルーシャとすれ違い様に言い、ライズは真っ直ぐにベクターへ向かっていった。
それ以降は前方から目を離さない。
撃たれなかった他のシザーズが、次々とベクターの周りに集まっていたのだ。
「くそっ! 王女の犬が!!」
ベクターがライズを指差すと、シザーズは刃先を前方へ向け滑るように飛んぶ。
今、シザーズが集中して狙うのはライズだ。
「ライズっ!?」
ルーシャの呼び掛けと同時、ライズがショットガンを自分の頭上に向けて立ち止まり叫んだ。
「――――下れ!! 『雷帝の襲弾』!!」
法術の言葉と共にショットガンの銃口の前に、金色の円陣が現れる。
ライズはその光に銃口を通すようにして引き金を引いた。
真上に放たれた弾丸は、打ち上げ花火のように天上近くで破裂して広がる。しかし、それは消えることなく放物線を描いて、前方の悪魔たちへ光の雨となって降り注いだ。
ズダダダダダッ!!
「うぐわぁああっ!!」
『『『グォオオオ……!!』』』
真上から連続で撃ち抜かれ、シザーズは粉々に砕けていく。
ベクターは腕で頭を抱え周りに結界を張っているようだが、通常の弾とは違う『聖弾』の攻撃は、その防御を簡単に貫いていった。
「すっごい……何、あの子……?」
椅子の陰から覗くレバンは、容赦ないライズの悪魔への攻撃に驚かされている。
「あら、知りませんか? あの子も元はトーラストの出身なのですよ。ルーシアルドの義弟で元パートナーです」
「へぇ……そう、だったんですか……」
嬉しそうにライズの方を見て話すミルズナとは対照的に、レバンはすぅっと目を細めて冷めたような表情になっていく。
「ふぅん。そう、あれが……ルーシャを置いて出ていった『元相棒』ね……」
それは、すぐ近くのミルズナにでさえ聞こえないような、微かな呟きだった。
法術で創り出された弾丸はシザーズを撃ち落とし、ベクターをズタズタに貫いた。
錆びたハサミや針と共に床に伏したベクターは、呻き声をあげながら体を丸く縮めている。
ライズは蔑んだような視線を向けながらベクターに近付く。
ジャキイッ!!
ショットガンの銃口をベクターの頭に押し付けた。
ゴリッ……とした人間の頭と然程変わらない感触が、銃身を通してライズの手に伝わってくる。
小刻みに震えている感触も。
――――この手の奴は後悔や恐怖で震えないだろう。おそらく、俺への怒りだけだ。反省などしない。
「……これで終わりだ。塵にされる前に、お前の信じるものに祈ると良い。少しはマシな奈落に戻れるように……」
冷淡なライズの声がベクターに掛けられる。
町一つを引っ掻き回した悪魔に憐れみはないが、ひとつまみの救いくらいは与えなければならない。
悪魔を打ち砕く彼も、退治員という立場の前に聖職者である。憎しみだけで倒すことは許されていないのだ。
「……ふ、ふふ……フハハハッ!!」
「…………。何だ?」
「生憎……奈落は私を待ってはいない……」
「………………」
銃を額で押し上げ、ベクターはライズを見上げる。
その顔に、勝利を確信しているような笑いを貼り付けていた。
「よいしょっ……と」
リィケが地下牢から延びる階段を登りきり、顔を出した場所は主祭壇の真横の壁の一角だった。そこに置かれていた柱時計の裏側が地下への出入り口のようだ。
早く……お父さんにこれを渡さなきゃ……!
十字架を見つめ強く握った。
これはルーシャが持たなければ何も起きない。
「あっ…………!」
目の前の聖堂の真ん中辺り、ルーシャの後ろ姿を見付けて、リィケは急いで時計を押して体を出す。
「ルー……」
嬉しさのあまり大声で呼びそうになったリィケだが、視線を少しずらした先に、ベクターを追い詰めたライズの姿が見えた。
「…………え?」
リィケは背が小さい。
そのため、ルーシャやライズよりも視点は低く、丸まっているベクターの姿を上よりは横から見ることになる。だから、ベクターが腹の近くに何かを抱えているのが見えたのだ。
リィケはそれに見覚えがある。
ベクターがライズを見上げて体が浮いた時、それははっきりとリィケの目に入った。
蔦で編んだような四角い小さな箱のような籠。
――――街道で、ベルフェゴールが持って……
「……っ!? ライズさん、離れて!!」
「え?」
リィケの声に即座に反応したのは、近くにいたルーシャだった。
「その籠っ……【魔王】が……!!」
「っ!?」
一瞬でリィケの言わんとしたことを理解する。
籠のような小箱……【魔王ベルフェゴール】……!?
「避けろ! ライズ!!」
ルーシャはそれが街道で見た物だと気付き、反射的にライズの背中に駆け寄り、横に体当たりする形で倒してベクターから距離を取る。
それと同時にベクターが箱を持った手を横に凪ぎ、何かを投げ付ける仕草をした。
間一髪、ライズは何にも触れずにルーシャと床へ倒れ込んだ。
「なっ……!?」
突然の事にライズは驚いたが、目の前を真っ黒な煙が横切った。煙は粉のように重く、すぐに床へ落ちていく。
「ちっ!!」
煙の向こう、ベクターの舌打ちが聞こえた。
「何だ、これは……」
「たぶん、人間を悪魔に変える『魔道具』だ」
細かく説明できないため、推測で簡単に話す。
「くそ…………魔王殺しが無理なら、その小僧ぐらいは狂人にしてやろうとしたのに……まぁ、いい」
ガシャガシャガシャガシャ…………
ベクターの足下に散らばる、倒されたはずのシザーズの欠片がどんどん集まって、何かを形作っているようだ。
――――また、あれがシザーズになるのか……?
「大丈夫か? ライズ……」
「…………怪我人が言うな……」
顔を背けながら答えるライズに、ルーシャは少しだけ苦い表情になる。
「リィケのこと、知ってたのか?」
「今まで一緒に行動していた」
「そうか……」
ルーシャとライズの会話はすぐに終わり、二人は悪魔たちの方へ意識を向けることに努めた。
ガシャガシャ…………
欠片はまだ集まっている。その近くのベクターはダメージが大きかったのか、肩で息をしてなんとか動いているようだった。
「今のうちに攻撃を……!!」
ライズはルーシャを引き離すように立ち上がり、悪魔たちに向けて銃を構え直した。
ダンッダンッダンッダンッ!!
すぐに何発も撃ち込むが、そんなに離れていない位置なのに弾は何かに阻まれてシザーズやベクターに届かない。
「ハハハッ!! この町はもう終わりだ! 大悪魔となる私の手で滅びるのだ!!」
「このっ……何で、当たらない!?」
ベクターの周りには黒い煙が漂う。
その煙が何か分からなかったが、ルーシャの胸には街道の時に感じた不安が過った。
ライズが苛立つように撃ち続けている。
ルーシャも攻撃の体勢に入ろうと錫杖を握った。
「ライズ!! オレも加勢を……!!」
「あ、待ってルーシャ! これ…………」
後ろでリィケの声がして、その手に宝剣の十字架をかざし近付いて来るのが分かった。
さっきはあまり見ていられなかったが、ルーシャは改めてリィケの姿を確認してホッと息をつく。今回は街道の時のように、身体の破損などは見当たらない。
「良かった無事だな。あとはオレたちがやるから、お前はさがって………………リィケ?」
ルーシャは宝剣を受け取ろうと手をあげたが、リィケが十歩ほど離れた場所で急に立ち止まった。
黙って俯き、ルーシャの方を見ていない。
「……………………」
「リィケ? どうした……?」
「――――……まって、いた」
『リィケ』が静かに顔を上げる。
その顔は恐ろしく無表情だった。
「………………リィ……ケ?」
「はい……いま、いきます。『ははうえ』」
「――――っ!? お前……!?」
パリッ……
足下の床を、一本の赤く細い稲光が素早く走る。
パリッ、パリパリッ……
それは徐々に数と速度が増していく。
リィケの濃い緑色の瞳が深紅に染まった。
「――――リィケっ!?」
「『ディメンション』……」
ボソリと呟く声がすると、爆発が起きたように聖堂全体が赤い光に包まれていく。
「リィケ!?」
あまりの眩しさに目を閉じたルーシャは、近くにいるはずのリィケを呼んでみたが何も返事がない。
――――バチンッ!!
「きゃぁっ!!」
「何だ……!?」
強くなった光が赤から白になった瞬間、大きな破裂音と共に収まった。
…………………………
突然、辺りが静まり返る。
「…………え?」
ミルズナが顔を上げると、見事なステンドグラスと主祭壇が視界に飛び込んできた。
夕方になったため、ステンドグラスが一際輝いている。
「…………ライズ? リィケ?」
ミルズナの声が聖堂に響く。
「何……? ルーシャくん?」
同じく、レバンの声も響いた。
響く、だけだった。
二人の後ろの席には、変わらずクラストの僧侶たちが呆けたように座っている。
「一体……今、何が起きたのですか……?」
「みんな…………何処へ……?」
目の前で戦っていたルーシャたちだけでなく、悪魔たちまでが忽然と消えてしまったのだ。
ミルズナとレバンは呆然と主祭壇を見上げる。
夕陽を反射するステンドグラスは、まるで血を浴びせていくように聖堂を真っ赤に塗り潰していった。




