終わりの音と赤の使者
ルーシャが宝剣の法力を打放つと、聖堂全体が真っ白な光に満たされた。
いつもより、法術の効きが良い……?
本来なら宝剣が放った法力は、刀身から発生する衝撃波と同じであり、狙った部分の範囲だけに攻撃が当たる。
少し解りやすく例えると、ブーメランか鎌の刃を投げるような感じだろうか。
しかし、今回はまるで爆発のように広範囲に広がったのだ。
自分の予想より大きい力が働くのは、その場が自分にとって相性の良い場所であるということ。
『『『グァアアアッ!!』』』
複数の唸り声が辺りに反響し、ピシピシとひび割れる音がそれに重なる。
次に、シャララ……とガラスの欠片が撒き散らされたような音がして、ゴトリッ! と重い音が幾つかした後、辺りは静かになっていく。
ルーシャが気付いた時には、光も収まり、元の廃墟の教会の大聖堂に戻っていた。床には古びた鉄製のハサミやカミソリなどが転がっている。
……もう、これ以上の厄介事は勘弁してほしい。
顔を上げリィケに「終わったぞ」と、告げようとしたルーシャだったが、その方向を見て一瞬凍りつく。
リィケのすぐ側に、御世辞にも『普通』とは言えない人物が立っていたのだ。
「リィケ!!」
「ルーイ……!」
宝剣を手に呼び掛けた時、近くにいたロアンが一緒に声をあげる。
…………ルーイ? あの人が……?
確かルーイとは、先ほどロアンの口から出た名前だ。
『精霊使い』だろうとルーシャは思っていたのだが、その姿を見て確信する。
その人は、狼の面を被り、布を巻いた民族衣装ような格好をしていた。
ルーシャから一目見たその印象が『森に生きる人』と思えたからだ。町にいるよりも、辺境に住んでいそうだと感じる。
見た目の問題ではないのだが、精霊というのは意外なところで形に拘ると聞いたことがあり、おそらく男性もそちら側に寄せているのかもしれないとルーシャは思った。
その精霊使いらしき男性とリィケが向かい合って何かを言っているように見えた。
ルーシャが向かおうとすると、同じくロアンも駆け寄ろうとするところである。
しかし、彼らのちょうど間、シザーズを倒す前にはなかったものが、ルーシャの視界に引っ掛かった。
聖堂の中心に誰かがいる。
「なんだ……随分騒がしいものよ……」
立ち上がった人影から厳かな声が響く。
「「え…………?」」
「「あ……!!」」
四人の声がピッタリ揃う。
聖堂の壁が、いつの間にか夕方のオレンジ色の光で照らされている。
悪魔と戦っていた時には色を失っていたステンドグラスも、計算されて取り入れた斜陽に手伝われて、床に赤の強い光を映して出す。
そしてその中で、一際鮮やかな『赤い』色が目に留まった。
深紅に近い、赤いぴったりとしたドレス姿。
背が高く、頭と顔を隠すような白いヴェールが背中まで掛かり、それよりも長い金髪が腰まで伸びている。
それは一人の女性だった。
「…………あ……」
ルーシャはその場で動きを止める。
その女性の足下、成人の男性ほどの大きさの『ヒト型』のものが、床に自らの血でできた赤い池に倒れていた。
全体の形こそ『人』ではあるが、その肌はどす黒く手足も異常に太く、関節も獣のようにゴツゴツと歪んでいる。顔もまるで巨大な牙をはやしたコウモリであり、誰が見ても異形のものであることは確かだった。
これは…………吸血鬼系の悪魔か……。
しかし、それはとっくに息絶えているようだ。
ルーシャは悪魔から視線を上に向ける。
聖堂の中心、倒された悪魔の死骸を、倒したと思われる女性が片足で踏みつけて立っていた。
その女性の両腕は、今浴びたばかりの赤い血液で染まっている。まるで、ドレスと揃いのオペラグローブのように。
普通であれば凄惨な状況だ。
しかし、ルーシャは目を逸らせないでいる。
その色彩が放つ光に、全身が絡め取られてしまったように。
「――――――キレイだ……」
「…………っ!?」
思わず洩れたルーシャの言葉に女性の体が微かに揺れ、ヴェールで覆われた顔がルーシャの方向に向けられた。
「…………何故、此処にいる? 魔王殺し」
「え……?」
「貴様は【サウザンドセンス】ではなかったはずだが……」
静かだが、その声は明らかに『想定外』の事に対しての、驚きと怒りの色が滲み出ている。
ルーシャがその女性と向き合った時間はたった数秒だが、自分がこの場にいてはいけない、イレギュラーな存在だと感じた。
それと当時に、リィケが【サウザンドセンス】であり、ルーシャがそうではないと、彼らが分かっていることも。
おそらく女性は、ヴェールの下でルーシャを睨み付けているのだろう。先ほどから刺さるような視線を感じたからだ。
しかし、ルーシャにはこの女性が敵だとは思えない。それどころか、話し合いのできる相手なら、この状況を聞かなければいけないと考えていた。
女性の後ろ、主祭壇の近くにリィケが見える。
リィケは傍らにいる男性から、何かを言われて困ったような顔をしていた。
そうだ、リィケと此処から出ないと……。
「……その、オレたちは……」
「ははうえっ……!!」
ルーシャが前に踏み出した時、女性の元へロアンが駆け出す。相変わらず表情の変化には乏しいが、母親に飛び付いていく子供の姿そのものであった。
ははうえ…………この女性が……?
急に胸騒ぎがした。
ルーシャも女性に近付いていく。
こちらに向かってくるルーシャに気付いた女性は、後退りをして一定の間隔を空けて離れる。
「…………何か用か?」
「……あなたは…………」
女性の声色は警戒を濃く表していた。
数歩離れた場所にいるはずの女性の姿が、ルーシャにはとてつもなく遠く感じる。
ルーシャはほぼ無意識に、片手を前に伸ばした。
『大丈夫? 坊や、立てる?』
あの時、差し伸べられた手は指が長くキレイだった。
リィケがまず思い出したのはそれだ。
悪魔を踏みつけている女性が、ルーシャに何かを言っているのが見えた。
「あの女の人…………」
リィケはその女性の赤いドレスも白いヴェールも見覚えがある。
確か、教会から【魔王】の気配を感じ、ルーシャを探していた時に会った女性だ。
しかし、何かが違う。あの時の女性は、もっと普通の、親しみやすい口調と雰囲気だった。しかし、そこにいる女性は近寄り難いような、厳格な雰囲気を持っている。
今、あそこにいる人は、僕が会った人と同じ……?
リィケが首を傾げていると、頭上から覗き込まれていることに気付く。
「大丈夫ですか?」
狼の面の男性はリィケに手を差し伸べてきた。
「気分が悪いとか、怪我は……ありませんでしたか?」
「は、はい……あの、えっと……」
心配するような男性の声は低く落ち着いている。
声につられてリィケは反射的に男性の手を取った。
「えっ!?」
握ったその手は、じんわりと『温かい』。
ミルズナの手を握った時と同じ感覚である。
「……あなたは【サウザンドセンス】なんですか?」
ミルズナに聞きそびれた言葉が、リィケの口から自然と発せられた。
狼の面の下、唯一覗く男性の口許が、少し驚いたように開いたあと、柔らかく口角を上げる。
「はい。リィケ様はお分かりになられるのですね」
「手が『温かい』ので……」
「なるほど……」
男性はリィケの手を引っ張り立ち上がらせる。しかし、すぐには手を放さずに、リィケを観察するように眺めてきた。
「人形の身体ですね。魂だけのあなたが、なぜ人の中にいるのか疑問でしたが……これなら、安心できます……」
「あの、何で僕のこと知って……」
「申し訳ありません、今は話せる時間がない。あなた方が…………特に魔王殺しがいらっしゃるとは、私どもには予想していないことでしたので……」
「どういうこと……?」
男性は口を結び、聖堂の中ほどに身体を向ける。リィケから手を放し、背中に手を当ててリィケを軽く押し出す。
「あなた一人くらいなら隠せましたが、彼は連れていけない。あなた方が来た空間に二人で戻ることになります……」
「空間?」
「『表の世界』です。さぁ、早く建物から出て! このまま戻ると面倒なことに――――」
ビシイッ!!
男性が言いかけた瞬間、何かに亀裂が入ったような、大きな音が響いた。
「えっ!? 何!?」
「っ!? しまった!!」
リィケが後ろを振り向くと、ステンドグラスの真ん中、対角線に大きな亀裂が入っている。
しかし、それはよく見ると、ステンドグラスに入ったヒビではなく、その手前の『空中』に入っているのだ。
――――空間が割れる……!?
リィケは咄嗟にそう思った。何故か解らないが、今いる場所が崩れると感じた。
ビシビシビシビシッ!!
そこを中心に、細かいひび割れが蜘蛛の巣のように広がる。
「早く! 教会から……」
狼の面の男性の声がひび割れの音に消えた。
ステンドグラスと主祭壇が、鏡が割れるように一気に崩れ落ち、残ったのは真っ暗な空間。
「お父さんっ…!?」
慌ててリィケがルーシャの方へ駆けていくと、ルーシャが目を見開いて立ち尽くしている。
「お父さん、どうしたの?」
「………………」
完全にルーシャは放心状態になっていた。
リィケはルーシャの片腕を掴む。
その手には"宝剣レイシア"が握られているのだが、もう片方の手にも何かが握られているのが目に入る。
それは白いヴェールだった。
「………………これって……」
「なんで…………」
リィケはルーシャの視線の先をゆっくりと仰ぎ見る。
途中、無表情で立っているロアンと目が合うが、ロアンが俯いたので、そのままその側へ目線は移る。
そこに居たのは、伏し目がちに俯いて立つ、赤いドレスの女性だった。
背が高く、腰まで伸びた真っ直ぐな硬そうな金色の髪の毛。
「え…………?」
おそらくリィケの視線も、ルーシャと同じところで固定されただろう。
アゴのラインや目鼻立ちは女性らしく細く美しいが、形の良い唇は堅く結ばれ、眉をしかめた表情は気の強そうな整った顔立ちを強調している。
――――この顔…………。
リィケは金縛りに会ったように、指一本動かさずその女性の顔を見つめた。
――――僕は、この顔を……知ってる。
それは、リィケが初めてルーシャの顔を写真で見た時に、同じアルバムに載っていた。
必ずルーシャの傍らで笑っていた顔だ。
「なんで…………」
自分が実際にこの顔を見る機会は永遠にこない…………そう、リィケは解っていた。
ルーシャもリィケも解っていた、はずなのだ。
「…………レイラ……」「…………お母さん?」
二人が同時に“彼女”を呼ぶ。
声と同時にやや俯いていた顔は、スゥッと正面のルーシャとリィケを見据えた。
「「――――っ!!」」
“レイラの顔”と対峙した二人は息を呑む。
ルーシャの記憶の彼女は、リィケと同じ濃い緑色の瞳を持っていた。
しかし今、二人が映る瞳の色は違う。
――――“金色の瞳”
それは、この国では畏怖の象徴であった。
女性は二人を交互に見ると、黙って目を閉じる。
その瞬間。
ルーシャとリィケを囲む景色が全て崩れ落ちた。




