光の行方
「うわぁ……キレイ……」
リィケがため息をつくように呟く。
クラストの教会の大聖堂は、広さは宿場町の教会の五倍くらいはある。それでも、トーラストの教会から比べれば小さい方だろう。
しかしこの大聖堂は、リルダーナ王国の中でも一、二を争うくらい美しいと有名であった。
教会特有の大扉から真っ直ぐ延びる赤い絨毯。それを中心にまるで鏡合わせにしたように、柱や天井は計算し尽くされたシンメトリーの内装。
そして何より、この教会の特徴は奥の主祭壇と、それの背後にある見事なステンドグラスの大窓である。
「トーラストの大聖堂も、壁や柱の装飾はかなりのものだが、ここのステンドグラスはいつ見ても凄いな……」
「うん、凄い!」
「でも、どうせなら朝か夕方前がいい」
「え、なんで?」
おそらく、このステンドグラスが一番美しいのは、東から朝陽が入る昼前までだろう。もしくは、大扉の真上の窓から入った西陽の光を反射させた時。
「町の中で立地が良い教会は、建物を建てる時に光の方向を計算して作るからな。その方が神秘的に見えるんだ」
しかし、今は午後の三時ごろで夕日にもまだ早く、綺麗ではあるが神秘的とは遠い。
それでもミサも何もしていない聖堂は、日常にありながら非日常感があるものだ。
…………オレは、また戻ってきたのか。
ルーシャはこの五年、足を踏み入れた教会は宿場町のものだけである。住んでいるトーラストの街の教会も、連盟を離れてから立ち寄ることはなかったのだ。
こうして教会の中に立っているだけで、じわじわと復帰した実感が湧いてきた。
「ルーシャ……どうしたの?」
「え? ああ、ちょっとボーッとした…………」
「うん、キレイだもんね」
「………………」
ルーシャは楽しげにしているリィケの横顔に、夜中に見た夢を思い出した。
彼が知るリィケによく似た少年は、こんな場面でも固い表情で仕事の段取りを気にするような性格だった。
アイツは今頃、どうしているのだろうか?
自分よりも五つも年下だったのに、何故かいつも怒られていた気がする。
「……そのうち、会うこともあるだろうなぁ」
「…………?」
『彼』も退治員を続けているのなら、復帰した自分と嫌でも顔を会わせることになるかもしれない。
その時、お互いにどんな気分で会うのだろうか。
――――きっと、目も合わせてもらえないだろうな。
首を傾げながら見上げるリィケの視線に気付かず、ルーシャは考え込んでしまっていた。
「あ、兄貴! ここに居たんですか!」
背後から勢いよく声を掛けられルーシャは我に帰る。
振り向くと、ハーヴェ支部の二人が立っていた。
「よ……良かったら、今日の夕飯は、俺たちと一緒にどうっスか? パートナーの坊やもっ。…………それとも、先客が……ありますかね?」
二人のうちのひとりが、大きな図体でもじもじとルーシャの前に進み出て、裏返りそうな声を掛けてきた。
ルーシャはそんな男の様子に、ちょっと顔をひきつらせる。
「……あ、いや。特にまだ何も言われてないから、予定はなかったが…………」
そこまで言って、ルーシャは気が付いた。
そうだ。リィケは飯、食わないんじゃ……。
チラリとリィケを見ると、ルーシャを見上げて少し困ったような表情をしていたので、二人の誘いを断ろうと顔を上げた途端に硬直する。
「や、やった! 俺、兄貴を食事に誘ったぞ!」
「お前偉いよ! よっしゃ! 俺がいい店探す、後は任せろ!!」
ルーシャの目に写ったのは、まるで乙女のように顔を紅潮させて、キャッキャッとハイタッチをしている、中年の男二人の姿である。
「あっ、兄貴は酒と食事の好き嫌いはありませんかっ!? 酒の銘柄とか色々っ!!」
「お姉ちゃんとかいる店がいいですかねっ!?」
「えっ!? あ、いやっ……オレ一応、聖職者だから。あと、酒はほとんど飲めないくらい弱いし…………」
迫り来る暑苦しい二人に圧倒され、ルーシャは馬鹿正直に答えてしまっていた。
「そりゃ、すんません!! よし! 健全な旨い飯の店探しに行くぞ!!」
「おうよ! じゃ、兄貴と坊やは、三時間後にここで待ち合わせってことで!! 行くぜ相棒!!」
「おう!」
「あ! ちょっ……」
ルーシャが断る暇なく、二人はあっという間にバタバタと、大扉から外へ飛び出して行った。
残されたルーシャとリィケは、ただ黙って顔を見合わせる。そして、揃ってステンドグラスを見上げた後、再び顔を合わせてリィケが口を開く。
「…………レバン神父……呼んだ方がいい?」
「そうだな、呼ぼうかな…………」
困ったことがあったら言え、とは聞いているが、おそらくこういう場面ではないだろう。
リィケの方はうまく誤魔化す方法を考えよう……。
とりあえず、先輩が来るまでどうする?
ルーシャはリィケと共に聖堂のイスに腰掛け、レバンが戻るのを待つことにした。しかし、そこへクラストの教会の者と思われる男性が近付いてきた。
神経質そうな痩せて色白な中年男性だ。
服装から司祭ではなく、一般の僧だと思われる。
「申し訳ありませんが、祭の期間中はこの聖堂は閉めさせていただくことになっています。関係者以外は、すぐに別の場所に移動してください」
事務的な口調から、親しみ易さはまったく感じない。
「オレたちも連盟の聖職者ですが……?」
「あぁ、失礼しました。『クラストの教会の関係者』以外の方ですね。では、速やかに移動をお願いします」
「「………………」」
問答無用で「よその支部は邪魔だから出ていけ」と言っている。
「……さっき着いたばかりで、まだ何の指示も出ていませんし、町の状況や祭の段取りも聞いていません。それとも、今すぐやる事が有るのですか?」
淡々とした口調だが、ルーシャも負けじと返す。
僧侶の男性は眉間にシワを寄せたが、すぐに無表情になり、ルーシャの腕に縫い付けてある紋章に視線を移した。
「トーラスト支部……ですか。決まった制服ではないところを見ると、退治課の方でしょうか?」
「そうです。今、祭事課の代表が町長の所へ挨拶に……」
「退治課ならば、町の視察も兼ねて見回りをお願いします。今日は教会内でやることは有りませんので、仕事の時間も自由で結構です」
最早、聞く耳を持つつもりも無いのだろう。
僧侶は懐から出したメモ帳に、滞在する宿の名前と住所をざらざらと書き、ルーシャに手渡しながら後ろを向く。
「大扉は施錠しますので、すぐに移動してください」
横目で軽く二人を一瞥して、僧侶は奥の扉から出ていった。
あまりの雑な扱いに、ルーシャは怒りの前に呆れてしまう。まさか初日から『よそ者』には、まともに仕事の指示も出さないという、あからさまな態度を取られるとは思わなかったからだ。
「…………あの人、何で怒ってたの?」
リィケが口をへの字にして、服の裾を引っ張って尋ねてくるので、ルーシャは吹き出しそうになる。
「祭の緊張で腹でも壊したんだろ。ついでに町の中の様子でも見てみるか……」
「うん!」
ハーヴェの二人も、時間になったら教会の外で待っていてくれるだろう。それまで、クラストの町を一通り把握するのも仕事だ。
教会の外へ出ると、すぐに大通りが在るため、そこを辿るように町を歩くことにした。
『鎮魂祭』と言われていても、やはり町をあげての祭のせいなのか、通り沿いには様々な露店が並び、町の内外関係なく人で賑わっている。
「お店も人もいっぱいだねぇ」
リィケはキョロキョロと周りを見ているが、露店に近付くような様子はなかった。
人形の身体は食事を摂ることがない。
露店は主に食べ物を売っているのが多いため、食欲がないリィケには店の内容までは興味が湧いてこないのだ。
唯一興味を持ったのは弓の的当てだったが、覗こうとはせずにルーシャの隣をピッタリ付いて歩いている。
「まだちゃんとした仕事じゃないから、少しだけなら祭を見てきてもいいんだぞ?」
教会で行われる式典は明後日だ。
町全体、祭のムードにはなってはいるが、今日はこれ以上の指示は出ないだろう。人が多い分、何かしらのトラブルも考えられるが、町の中で悪魔の心配もない。
きっと、酔っぱらいの喧嘩とか迷子とか……たいしたものはないだろう。リィケだって自分とただパトロールをしているよりは、本当は祭の見物に行きたいと思っているはずだ。
そう考えたルーシャは、リィケに気を抜いても構わない……というつもりで言ってみたのだが、リィケは顔をしかめてルーシャを見上げている。
「……僕がいなくても、ルーシャは平気?」
「ん? まぁ、大丈夫だと思うが。良いぞ、その辺を好きに見てきて……」
「………………そう」
リィケの何となく納得のいかないような表情に、ルーシャは内心疑問に思うが、特に問題にはならないと考えた。
「じゃあ……ちょっと見てくる…………」
「あ……あぁ。気を付けてな。じゃあ、後で教会の前に来いよ」
「うん…………」
集合を決めて別れる時も、リィケはどことなく沈んだ顔をしている。
やっぱり、ここまで来るのに時間が掛かって疲れたのかな……?
今日は早く休ませた方がいいと思いながら、ルーシャは人通りが多い場所の見回りをすることにした。
十数分後。
結局、リィケはあまり町の中を見ずに、教会の前まで戻ってきていた。そこにある広場のベンチに腰掛けている。
ルーシャに言われた待ち合わせまで、あと二時間以上あるので、リィケは天を仰いでため息をついた。
僕は足手まといなのかなぁ……。
実のところ、リィケは祭の様子などそれほど見物したいとは思わず、ルーシャと二人で町の見回りをしていたかったのだ。
しかし、ルーシャがひとりで行ってしまったので、邪魔にされたと感じ落ち込んでいた。
僕がちゃんとした【サウザンドセンス】なら、お父さんの手伝いができるのに…………。
実戦経験もほとんど無く、【サウザンドセンス】だと言われても、自覚はほとんど無い。
リィケは街道で自分が何をしたのかも覚えてないのだ。
だいたい、神の欠片ってどういう能力なの?
僕の周りに【サウザンドセンス】の先輩でも居れば分かりやすいのに……。
トーラストの街に【サウザンドセンス】はいない。
近隣の町や村にもそれらしい人間は見付かっていない。
リルダーナ王国で有名な能力者は王家だ。
しかし、王族にそんなに気安く会えるはずはないし、リィケの状態がバレれば悪魔と同じ存在として処分されかねない。
自分の存在が何なのか、リィケは街道での出来事からずっと考えている。
「……なんかこう……ブワーとか、ズバババーンとか、分かりやすく使えればいいのに…………」
リィケは腕組みをしながら考え込むあまり、ポツリと口から独り言が漏れていた。
「何がズバババーンと使えれば良いのかしら?」
「うん、僕の能力がね…………え?」
ハッとして横を見ると、いつの間にかリィケの隣に少女が腰掛けている。
「何かお悩み?」
にっこりと笑い掛ける少女。
歳は16、7才くらい。水色の腰まで伸びた髪と大きな丸い眼鏡が印象的だ。清潔感がある白いワンピースを着て、背筋を伸ばして座っている様は知的でありながら、少女の柔らかな笑顔と雰囲気はとても親しみやすい。
「ふふ……ごめんなさい。あなたの表情がくるくる変わって面白かったもので、つい隣で見てしまいました。一体何に困っていらしたのかしら?」
「えぇっと……その……」
リィケが言い淀むと、少女は目を細めて優しい笑顔を向ける。
「その格好からすると、教会の関係者ですね。私もそうなのですよ。先ほどここに着いたばかりでして……」
「あ……お姉さんも手伝いに……?」
「ええ、私たち同じですね」
ミルズナはベンチから立ち上がって、自分の右手をリィケに差し出す。
「もしよろしければ、後でゆっくり話しましょう。えっと……あなたは…………」
「僕、リィケって言います」
「そう、リィケ……ですね。私はミルズナです。よろしくお願い致します」
「はい、よろしくお願いします!」
リィケも立ち上がり手を出すと、ミルズナがその手を優しく握った。
その途端、リィケの身体全体に何かが突き抜けた。
「えっ!?」
繋がれた二人の手から、まるで花火の一閃のように、刹那に光る小さな『赤い稲妻』が走る。
リィケは弾かれたようにミルズナの顔を見ると、先ほどと同じ笑顔で自分をじっと見ていた。
「ミルズナさん……?」
ミルズナはすぅっと、片手の人差し指を立てて自分の口元につける。
「ここは人が多すぎます。詳しくは後ほど……」
「…………なんで……」
握手したまま、リィケはその場から動けない。
――――自分の身体は『人形』だ。
リィケはそれを忘れたことはない。
しかし、ミルズナの手はそれを否定するように『温かく』、『柔らかな』感触だった。




