初日は前途多難?
――――――五年前。
早朝。広場に面した住宅地の歩道、黒い格子門の家の前で二人の男女が立ち話をしている。
男性は長身に銀髪、二十歳前後で全身白いコートのような法衣、肩には聖職者連盟トーラスト支部の紋章を付けていた。
彼は連盟の司祭、ルーシャであった。
ルーシャと向かい合う女性は、二十代前半くらい、女性にしては背が高く、艶のある金髪を背中まで伸ばし途中から先まで三編みにして束ねている。瞳の色はキレイな緑色で、顔はとても快活そうな表情をする明るい美人だ。
彼女の名はレイラ。
ルーシャの妻であり、臨月を迎えた身重の体であった。
「……本当に、オレが出張に行っても大丈夫なのか?」
「もう! 何度も言ったけど、心配ないわよ!」
おろおろと弱気な態度のルーシャとは対照的に、レイラは口を尖らせ睨むように夫を見上げている。
「あーもー、情けない顔しないの! たかだか三日間、家を空けるだけでしょ」
「…………でも……」
ルーシャが心配するのも無理のないことだった。
レイラの出産予定はもうすぐであり、もしかしたら今日か明日にでも産気付くかもしれないからだ。
そんな時に限って、ルーシャを指名する仕事が入ってしまい、三日ほど遠くの町へ出張することになってしまった。
「うちには母さんが一緒に居てくれるし、産まれそうになったら、父さんも仕事休んでいてくれるって決めたでしょ?」
「…………」
「もう……」
レイラは苦笑いしながら、ルーシャの顔に片手を添えた。
「この子が産まれたら、もっと心配することが増えるわ。その時になったら、私たちを助けて。ね?」
「あぁ……分かった……」
なだめるように手は頬から頭へ移動し、ルーシャの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。扱いは仔犬と一緒である。
一通り撫でると、レイラはルーシャの腕を掴んで身体を反転させ、グイグイと前に押し出す。
「ほら! みんな待っているんだから、ぐずぐずしない!」
「わ、分かった! 分かったから!」
レイラが急に手を放したので、前のめりに二、三歩歩いたルーシャに、レイラは声を掛ける。
「いってらっしゃい。この子と待ってるよ」
掛けられた声は優しい。
「いってきます……」
少しだけ振り向いて言った後、ルーシャは前へ歩き出した。
「おい! 早くしろよ、汽車に遅れるぞ!」
ルーシャに向けて強めの声が掛けられた。
顔を上げると、前方に子供が立っている。
――――――…………あれ?
「あぁ、悪い悪い……急ぐから」
「ったく、俺だけ行っても意味ないんだからな。年上なんだからちゃんとしろっての!!」
「あー……分かったよ……」
ルーシャと話しているのは、14、5才くらいの少年だった。
短く整えた濃い金髪に、深い青色の瞳。背が低く大きな目のせいかやや幼く見えるが、締まった口元と硬い表情で、真面目そうな印象を受ける。
――――こいつはオレのパートナー……だよな?
話しながらルーシャは、何かがしっくりこない。
顔が同じだから、この少年が相棒であるのは確かなのだ。
――――そうだ、話し方が違う。
「………………リィケ? お前……なんか……」
「は? 誰だよ」
リィケによく似た少年は、眉間に深いシワを作る。
「寝ぼけてんのか? 俺は――――」
『お父さん!』
「えっ!?」
ルーシャは突然、現実に戻された。
カタタン、カタタン、カタタン……
汽車が走る規則的な音が響く。
ルーシャは汽車の中にある部屋の、ベッドにもなるソファー席で眠っていたのだ。いつの間に眠ったのか思い出せないが、備え付けの毛布がきちんと掛けられている。おそらくリィケが掛けたものだろう。
横になっているルーシャの顔を、リィケが心配そうな表情で見下ろしている。
「……お父さん、大丈夫?」
「…………リィケ?」
――――さっきのは夢だ。
覗き込むリィケの顔は、夢に出てきた少年によく似ている。
しかし、こうして見るとやっぱり違う。
リィケの方が髪の毛の色素が薄く、瞳は完全な緑色だ。表情もあっちは硬いが、リィケは温和だと言ってもいい。
――――アイツがリィケの顔のモデルか……。
ルーシャは欠伸をしながら体を起こすと、まだリィケがこちらを見ているので不思議に思った。
「まさか、もう着くのか……?」
「ううん、まだ夜中……お父さん、うなされていたから、つい起こしちゃった。ごめんなさい」
「そうか、こっちこそすまない……」
「「……………………」」
まだ気を遣ってしまうのか、二人の会話はぎこちない。何となく沈黙が続いた後、リィケは廊下の窓側から外を見たいと部屋から出ていった。席から見える風景は夜明けが近いせいか、うっすらと紫色の空が見える。
独り個室に残されたが、ルーシャは少しホッとしてしまう。
……まだ慣れないもんだな。
ため息をついてまだ眠い目を擦る。
ルーシャはその時、自分の目から頬にかけて濡れていることに気付いた。
汽車が目的地の駅に着いたのは昼の少し前だった。
「…………降りにくい」
車両の入り口の近くで、ルーシャは汽車から降りるのを躊躇っていた。
リィケが近くの窓から外を覗くと、駅のホームでは同じ汽車に乗ってきたと思われる多くの聖職者が並んで点呼をとっている。
「お父さん、降りないの?」
「降りるけど……ちょっと、この車両からってのが……」
「なんで? 早く行かないと。よいしょ……と」
「あ! ちょっと待…………」
ルーシャはもう少し、降車する人波が引いてから降りようとしていた。しかし、リィケは何の躊躇いも無く汽車からホームへ降りる。
その途端、ザワリ……と、ホームにいた者たちがこちらを向くのがわかった。
「…………え?」
ひそひそと囁く声、好奇な視線。
「仕方ない……リィケ、行くぞ……」
「う、うん……」
ルーシャが続いて降りてくる。
なぜみんながこちらを向くのか、リィケには不思議で仕方ない。
「ねぇ、おと……ルーシャ、何で僕たち見られてるの?」
「オレたちが乗ってたのが『一等客車』だからだ」
後ろを振り向き、何両かある汽車の客車を見ると、自分たちが乗っていた車両だけ外装の色が違う。
まいったな……乗る前に気付けば良かった……。
ルーシャは額に手を当てた。
この国の汽車は、一等、二等、三等と客車が分かれている。
一等客車は寝台とソファー付きの個室。
二等客車は寝台付きの座席。
三等客車は座席のみ。
二等と三等は平民でも比較的乗ることも多い一般的な客車だが、一等となると豪商や貴族、汽車によっては王族が乗り込むこともある。
本来なら、リィケにはラナロアが同乗する予定であり、急いでいたせいもあり、ルーシャはそのまま切符を受け取ってしまった。
ラナロアは伯爵だ。そして容姿もかなり目立つので、逆に二等以下には乗りにくい。たぶん一等客車も自らの出費である。
つまり、ルーシャとリィケには一等客車は不釣り合いであり、まさに今は変に悪目立ちをしている状態なのだ。
「……連盟の出張の場合は、良くても二等客車だ。一等に乗るのはラナロアや支部長くらいになる」
「そっか、ここに乗るのってスゴいんだね!」
「……………………」
目をキラキラさせるリィケを見て、子供って簡単でいいなぁ……と、ルーシャは薄く笑いながら思った。
さっきからホームにいる客たちの視線が痛い。
制服らしき、決まった服の集りが多いので、ほとんどが連盟の関係者だろう。
ルーシャがラナロアから出発前に聞いた話では、今回の仕事にはトーラスト支部の祭事課から二十二名、それに退治課が二名……ルーシャとリィケだけだ。
つまり、仕事の内容は祭事が主になるもので、それに伴って祭事課が主導権を握るはずなのだ。
それなのに、その祭事課を差し置いて、ただの一般退治員が上等な扱いを受けていると思われるのは、今回の仕事において非常に気まずい。
しかも、途中から他の支部の者も乗り込むと聞いていたので、さらに不快度が増しているかもしれない。
やっぱり自分が来なきゃ良かったか? と、ルーシャは後悔したが、今さらそれを言っても仕方ないのだ。
「とりあえず……オレたちは仕事をきっちりやれば、文句は言われないはずだ」
「うん、僕がんばる!」
二人はホームの人集り、おそらくトーラスト支部の僧侶たちの方へ行こうと顔を上げた。
その時である。
「あー! やっぱりルーシャくんだった!! 来てたんだー!」
急に明るい声が響き、ルーシャたちに向かって、ひとりの人物が手を振って走り寄ってきた。
「…………レバン先輩?」
満面の笑みで近付くのは、二十代後半から三十代の男性。
平均よりもやや低めの身長、短く整えた髪の毛は赤銅色で、瞳の色も同じであり、右の方に片眼鏡を掛けている。
服装は、緑色の長いローブに、白いプリーツ加工が施されたマントが付いた、やや立派なものだ。
「そっかそっか、やっと戻ってきてくれたんだ。いきなり出張で大変だったねぇ。あ、もしかして、その子が君の新しいパートナー? えっと、男の子……だよね。かわいい子だねぇ」
レバンと呼ばれた男性は、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべて、リィケの顔を覗き込んだ。
一気に喋ってくるレバンの勢いに、リィケは呆然としながら立ち尽くしている。黙っているリィケに、ルーシャは「挨拶」と言いながら肩をつつく。
「……リィケ、この人は祭事課の司祭だ」
「え? あ、はい。リィケです。本名はリィリアルド・フォースランです」
リィケはペコリと頭を下げた。
「ボクの名前は『レバン・D・ヴェルツハイド』。一応、司祭で祭事課では三班の班長をしているんだ」
「班長……?」
「祭事課は班を作って行動するんだ。退治課よりもずっと人数が多い。個人で動くより、班ごとに活動することが通常だ」
ルーシャの説明に愉しそうに頷きながら、レバンは再びリィケの方を向く。リィケの全身を見回した後、目を合わせてにっこりと頬笑む。
「一応、ボクはね、ルーシャくんの家の……ケッセルの家系の人間なんだよ。よろしくね」
「……え? あ、はい。よろしくお願いします」
「レバン先輩はオレの父親の従弟なんだ」
レバンはケッセル家の遠縁にあたる。ルーシャの父親の従弟になり、子供の頃に両親を亡くして、ケッセルの屋敷に住んでいたこともあるのだ。そのため、ルーシャとは兄弟の様に育っており、今でも度々親交がある。
「君たちは出発前に駅で見掛けたんだけど、なんせ一等客車に乗り込んだもんだから、走ってる時はそっちに行けなくてねぇ。でも、最初はラナロアさんが来るって聞いていたからビックリしたよ」
レバンはルーシャたちが、ラナロアの代わりに仕方なく、一等客車に乗ることになったと思った……と、周りに聞こえるくらいの声で言う。
「ま……そういうことにしておきなよ。せっかく復帰したのに、余計なやっかみが入ると面倒だろ?」
「すみません……」
「僕らの班の子達はそれで良いとして……問題は他の支部との付き合いだけど……」
レバンがチラリとホームにいる集団を見た時だった。
「「『兄貴』~~~~~っ!!」」
「「ん……?」」
集団の中から声が聞こえて、そこから人を掻き分けて、屈強な戦士風の男が二人、手を振ってルーシャたちに向かってくる。
「今……『兄貴』って聞こえたけど、ボクはあんな弟分いないし、作る予定もないから、君たちのことかな……?」
「僕にも弟いないよ」
「いや……オレだって…………」
「ルーシャの兄貴ぃ~~~~っ!!」
「やっぱり兄貴だ~~~!!」
「「「……………………」」」
ルーシャは顔をひきつらせて彼らを迎える。
誰だっけ…………でも、あの顔どこかで……?
彼らは息を切らせてルーシャの前で止まった。
「覚えてますかね? 俺たち、スキュラにやられて教会に逃げてきた、ハーヴェ支部の退治員です!」
「あぁ、あの時の……!」
確かに二人は宿場町で会った者たちである。
「いやぁ、また会えて良かった! 先日は宿場町での礼もろくに言えなくて…………」
「あ、いや、助けてもらったのはうちの支部の退治員だし……礼を言わなきゃならなかったのはこちらです。あの時は助かりました。ありがとうございます」
ルーシャが頭を下げると、二人は慌てて両脇からルーシャを掴んで起こす。
「いいんですよ! ルーシャさんは俺たちなんかより、ずっと役立つことをしたんですよ! な!?」
「おう! こうやって一緒に仕事ができるとは、ありがてぇ! ハーヴェ支部は少人数だが仲が良いし、兄貴もみんなに会ってくだせぇ!」
どうやら二人は、ルーシャが一人で街道の悪魔を退けたと知って、勝手に崇拝しているようだ。
「良かったね。これで他の支部の問題は無しだ」
「やっぱりルーシャ凄いね!」
クスクスとレバンが笑っていた。リィケも感心したようにルーシャを見上げている。
「…………うん」
ルーシャは少し自棄になって頷いた。




