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誰かが守るもの

 街道での騒動から三日経った。


 時刻は午前十時半。


 ルーシャは宿場町のハンナの店に出勤し、いつも通り業務をこなそうとしている。しかし、店の前を箒で掃いてはいるが、あまり仕事に身が入らない。



 あれから『街道に悪魔が出た』ということで、ルーシャが【魔王】と戦った場所は封鎖され、連盟が浄化と周辺の探索を行った。


 旅人や周辺住民への説明は、連盟からの公式な発表で納めることとなった。

 その説明の中には、ルーシャとリィケのことはもちろん、どこにも【魔王階級(サタンクラス)】という単語は出てこない。



 …………それは当たり前だな。


【魔王】が出た。などと、馬鹿正直に言ったりすれば大混乱になる。



 おそらく、あの場所の土や草花も念入りに調べられたのだろう。そのため、連盟は街道に人を寄せ付けず、今日まで封鎖していたのだ。


 そのせいで足止めを食った旅人たちは、この町で街道が解除されるまで鬱屈して過ごしたらしい。

 酔っぱらいがハンナの店で暴れ、色々やらかしてくれたおかげで、久し振りに出勤してきたルーシャの仕事はだいぶ増えていた。


「……すみません、余計な仕事までやらせてしまって」

「いや、たいした事はしていないよ……」


 店の前の掃除を終えて店の中へ戻ると、この時間には教会に行っているはずのアリッサが昼の準備を厨房で手伝っている。


 どうやら先日の一件で、教会の設備不足を連盟が受け入れ改装することになった。そのため、アリッサや他の若いシスターは数日間の休みを言い渡されたのだ。



「優秀な司祭やシスターが派遣されたら、法術も使えない私はクビにされるんじゃないかしら…………」

「ないだろ……クビとか……大丈夫だから」


 問題を起こさない限りクビにされることはないだろう。本気で心配するアリッサを軽く励まし、ルーシャは店が混む前に裏へ薪割りをしに行こうとした。


 しかしその時、店のドアが開きリィケが顔を出した。


「こ……こんにちは…………」


 いつも以上に恐々と店に入ってくる。

 おそらく、自分が生ける傀儡(リビングドール)であることが、ハンナやアリッサに知られているので、その反応を恐れているのかもしれない。


「あら、リィケちゃん!」

「リィケくん、いらっしゃい」


 しかし、二人の反応はいつも通りだった。

 その光景に、リィケ本人よりも奥のルーシャがホッとしている。


「もう身体は大丈夫なの?」

「はい。昨日には直ってました」


 ハンナがメニューだけをリィケの前に置いた。

 リィケはいつもの奥の席に座りメニューを見ている。そしていつも通り持ち帰りでエッグタルトを注文していた。


「今日はずいぶんと早く来たんだな」

「あ……ルーシャ」

「リーヨォとイリアはちゃんと寝てるのか?」


 あの後のことが気になり、ルーシャはリィケに話し掛ける。


「うーんと……リーヨォはたぶんあんまり寝てないと思う。イリアは……今朝見たら、研究室のソファーで倒れてたけど……」

「研究課は相変わらずだな……」


 あの二人は研究室に入り浸り、常に何かの調べものやら実験やらをしていた。


 特にリーヨォなどは、月に数えるほどしか寮の部屋に戻っておらず、あまりにも酷い時にはラナロアや支部長が強制的に休みを取らせるほどに仕事中毒になっている。


「リーヨォは朝から大笑いしながら仕事してたから、機嫌は良いと思うけど…………」

「…………いや、別に機嫌は関係ないと思うが、相当疲れが溜まっているな。とりあえず、自然に倒れるまで放っておけ」


「……ルーちゃん、それ放っておいちゃダメでしょ」

「研究課って……怖い……」


 他に客も居ないので、ハンナとアリッサも加わって雑談が始まった。


 ルーシャは久し振りに連盟の内部の様子を聞いた気がする。

 よく考えてみれば、ゆっくりリィケと連盟の話をしたことがない。リィケが連盟の者だと分かってから、ルーシャはあまり話をしようとは思わなかったからだ。


「で……お前は今日は休みなのか?」

「うん、でも帰ったらすぐに準備しないといけないの。ここにも……しばらく来られないと思う……」

「え……?」

「退治課の仕事。ちょっと遠い町に手伝いに」


『仕事』と聞いた時、ルーシャは少しドキリとする。


 復帰してパートナーになってくれ……と、再びリィケに懇願されるかと思ったからだ。


 しかし、リィケはルーシャに退治課の話を振ることはなく、特にとりとめのない話をハンナやアリッサとしていった。それどころか、持ち帰りの品物を受け取り会計を済ませると、昼になる前にすぐに帰り支度を始める。


「じゃあ、出張から帰ったら、また来るね」

「あ…………リィケ!」

「え、何?」

「いや、その……」


 リィケがドアをくぐって道路に出ようとしたところで、ルーシャは思わず呼び止めた。だが、声を掛けたがいいが、ルーシャは特に何も考えていなかった。


 店の入り口にいたルーシャの前まで、リィケが小走りで戻ってくる。

 何かを期待しているのかどうかは分からないが、大きな緑色(ビリジャン)の瞳がじっとルーシャを見上げてきた。


「どうしたの? ルーシャ?」

「……あ……え~と、そうだ、出張はいつ行くんだ?」

「えっと……明日の昼に、駅の町から汽車に乗る」

「大丈夫……なのか?」

「うん! ラナが一緒に行ってくれることになってる!」

「そうか……」


 ラナロアはトーラスト支部の退治課で、実力ナンバー・ワンの魔術師である。


 おそらく今回だけだろうが、ラナロアは基本的にトーラストの街からは出ない。本来の彼は退治員としては仕事を取らず、トーラストの領主であり、伯爵の仕事もあるのだ。

 連盟の退治課にはほとんど趣味で出入りをしている。


 そのラナロアが直々に付いて行くのだから、リィケは随分と可愛がられているようだ。



 この分だと、ラナロアが行かなくても、うちのじいさんが付いて行くとか言いそうだな……。


 ルーシャにはその光景が容易に想像できた。



「……なら、安心だな。気を付けて行けよ」

「うん! 行ってきます!」


 じゃあね、と、手を振って駆けていく。

 その先には、配達を終えたらしき郵便の馬車が待っている。あれがいつもリィケを乗せて来ている馬車らしい。


 リィケはその荷台に隠れるように乗り込んだ。


「本当に郵便の人と仲良くなって来てたのか……」


 ルーシャが何気なく見ていると、御者台に中年の男性が乗っている。そしてその中年男性の影に、誰かが隠れるようにして座っていた。


 そこに居たのは子供のように小さな老人と思わしき人物で、御者台のリィケから見えない位置に顔を出し、ペコリとルーシャに向けて頭を下げる。


「あ…………」


 ルーシャは思わず声が出た。

 あの老人には見覚えがあったからだ。



 あれ……ラナロアの屋敷の執事じゃないか。

 そうか、執事付きでここに通っていたんじゃ、ラナロアに筒抜けだよなぁ。



 去っていく郵便馬車を見送りながら、無意識に小さなため息が出た。リィケは最初から隠密行動など、できていなかったようだ。


 過保護なくらいに行動を見張られている。


 しかし、退治の仕事の時はその擁護の眼はなかった。『仕事』というからには厳しく突き放したのだろう。


 まさかあそこまで、大事になるとは思わなかっただろうが。



 ルーシャは店の中に入りドアを閉める。少しだけその場で立ち止まっていると、ハンナが心配そうに顔を覗き込んできた。


「…………ねぇ、ルーちゃん。大丈夫?」

「はい? 大丈夫ですけど……」

「そう、ならいいけど……」

「………………?」


 よく見ると厨房の奥のアリッサまで、同じ様にルーシャを見ている。何故か二人のルーシャに向ける視線が、優しいというか、慰めているというか、何とも言えないのだ。


「あの……オレは別に何もないですよ?」


「でも、まだ疲れているかもしれないでしょ。辛いときは早く帰って良いから、無理はしないでね」

「私もしばらくは丸一日、店の手伝いも出来ますし、ほんっとに無理だけはしないでくださいね!」


「いや、だから、大丈夫です……けど?」


 ルーシャは一日中、二人が自分に気を遣ってくるのか解らないまま、いつも通り仕事をすることになった。





 街道の封鎖が解除になったばかりのせいか、宿場町はあまり旅人の滞在もなく、ルーシャはいつもより早く帰路についた。


 明るいうちに出発したが、自宅に着く頃には夜になった。

 それでも寝るにはいつもより早く、居間のソファーでごろりと横になって、ボーッとするしかない。


「明日の昼……か」


 ルーシャが通う宿場町から、街道を南に分岐した先の小さな町には、この国の唯一の鉄道がある。本当に小さな町のため、正式な名前よりも通称で“駅の町”と呼ばれていた。


 駅の町はトーラストの街から馬車で向かうと二時間ほど掛かり、宿場町からも馬車で一時間は掛かる。


『見送るくらいなら行ってもいいんじゃない?』


 ハンナが帰り際にルーシャへ言ったのは、この言葉だった。


 今生の別れじゃあるまいし、これからリィケが出張の度に、そう言われるのはルーシャには少々面倒くさい。



「リィケ……今日は一回も『お父さん』って言わなかったな……」


 ハンナやアリッサがいたので当たり前なのだが、何故か今日はその事が気になった。ぽつぽつと独り言を漏らしながら、これまでの事を反芻する。


「…………オレは……」


 思い出すのは、リーヨォとの会話だった。




…………………………

………………





【魔王】と戦った日、宿場町のハンナの店から出る前に、リーヨォはルーシャにひとつだけ『確認』をしてきた。


「……お前は退治員に復帰するのか?」

「何だよ、急に……」

「するのか? しないのか?」

「…………それは……」


『しない』と、いつものルーシャであれば、即答のはずなのだが、数秒だけ考えている姿を見て、リーヨォは目を細めた。


「トーラスト支部の周りは、今回の件でお前の退治員及び、司祭の復職を推してくるだろうよ…………」

「……たぶん、な……リィケのことは伏せて報告するだろうから、本部へはオレの功績になってしまうだろう……」



 事実は違えど、上層部への報告として、『【魔王階級(サタンクラス)】と対峙し、生き残り、さらにそれを退けた』と、これだけ箔が付いてしまえば、ルーシャの復帰は様々な方面から促されるはずだ。


「……正直、まだ……」

「実の子のリィケが頼んでもか?」

「………………」



 リィケを連れ帰ってから、ルーシャの頭の中では様々な事が渦巻いていた。



 やはり、このまま黙るのは無理かもしれない。

 どう考えてもリィケが望むなら、親だという自分が表に立って守ってやらなければならないのだろう。


 きっと周りは全て、自分の退治員復帰が一番だと考えている。


 ここで正式に『嫌だ』と言っても、きっと未来は変わらない。


 自分の感傷など、他の者には見えないのだから。





 ルーシャは半ば覚悟しなければならないと思った。

 しかし、


「俺は、復帰しなくてもいいと思っている」


 リーヨォが不意に口を開く。


「リィケは確かに子供なのにあんな目に遭い、身体を奪われ、さらには【サウザンドセンス】だ。どう見ても、俺らが擁護してやらなきゃならない」


「ああ……」


「そうなんだよ。でもな、同情だけでお前を引っ張り出して、納得していないお前を戦わせるのは、本当に最善だと思うか?」


「………………」


「皆、お前よりも可哀想な子供のリィケを優先したがるし、お前が一度でも戦えれば、皆はお前が何度も戦えると思っている。でも……そんな簡単な事じゃない。違うか?」


「………………」


 悪魔との戦いの場には出られるかもしれない。

 しかし、また生き残れるかは分からない。


 きっと覚悟の無いまま戦えば、すぐに死ぬことになるだろう。



「黙っていれば、今日明日にも連盟から『聴取』というかたちで呼ばれて、無理矢理でも復帰せざるを得ない雰囲気にされるぞ」


「そんな…………」


「どうする? お前が本当に嫌なら、ラナロアと支部長に掛け合って、無理矢理に事を運ばないように頼むことはできる」


「…………何で、リーヨォは…………」


 リーヨォもレイラとは同級生で親友のひとりだ。

 本当なら復帰をしろと言う立ち位置だろう。



「味方とか、勘違いすんなよ。俺はもうこれ以上、友人の死体を解剖したくないだけだ。中途半端に死にに行くことを防いでるだけだからな」


 リーヨォは煙草も取り出さず、真っ直ぐルーシャを見て真顔で言う。


 五年前、家族の遺体を検死したのは、魔術師や人形使い(ドールマスター)の他に、医師の資格を持つリーヨォだったのだ。


「――――で? お前は退治員に戻るのか?」


「オレは…………」


 ルーシャの側のベッドでは、リィケが一度も動くことなくねむっている。


「覚悟が…………できない…………」


 リィケを見ながら、ルーシャは言葉を絞り出した。


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[一言] リーヨォメッチャイイやつうう!!!
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